第2話 幼いあたしの罪


 要塞のようなコンクリート造りの壁と柱。

 磨き上げた黒い石づくりのプラットホームから、またまた超新快速電車が出ていった。


 あたしはため息をつく。そんなに身体を動かさなくても、粉の出そうなプラスチック製のベンチがぎしりとゆれた。たった一駅、『ひまわり台』に行くだけなのに。のどに悪そうだから、口はしっかり閉じて、のど飴を転がし続けた。


 ここは人気ひとけのほとんどない、『ニュータウン』駅の1番ホーム。向こうに見える18番ホームや駅ビル、ショッピングセンターから隔離されていると言ってもいいくらい、端っこにある。いや、この駅ができた直後は、まだここから各駅停車に乗る人はけっこういたはずなんだけど。ああそうか、あたしもDJになった頃は『ひまわり台』から通ってた。それから『モーニング・スクエア』の担当になって、通勤しやすい『ニュータウン』で一人暮らしをはじめて、あっちので『オオサカセンター』へ通うようになって――トントン拍子に夜の『リクエスト・ゾーン』のレギュラー入りして、しまいにはここから実家に帰るなんて盆暮れ正月くらいになってしまってたか。


 やっと、キキーッときついブレーキの音をたてて、各駅停車がやって来た。

 あたしがどうしてこの盆でも正月でもない、ただの平日に、しかもまた明日には4時にスタジオに行かなきゃいけないのに、わざわざこれに乗っているかというと――、いてもたってもいられなくなった、からだ。

 けさ、番組中で、あたしはいつもどおり原稿を受け取って短いニュースを読んでいた。それは一番最後に、とってつけたようにホチキスで止めてあったから、あたしも前の方にコメントを入れて時間を延ばした。ところが。

『コクテツ電気鉄道株式会社は昨日、以前から採算の取れていなかった都心路線の「ひまわり台駅」を8月に閉業することを発表しました』

 言葉を心の中でかみ砕いた頃には、胸の中がどくどくいいはじめていた。

 あたしが『ひまわり台』近くで生まれ育ったから、だけではなくて。

 歯がカチンと当たって、何か、何か言わなきゃ、と思ったら、もうコマーシャルのサインが出されていて――マイクのボリュームを落とした。



 ゆっくりとカーブを渡り、電車は『ひまわり台』に到着した。ブレーキの音が長くのびて、遠くを走る快速のレールを叩く音までかき消した。

 誰もいないホームから、ただひとつの改札に向かう。定期入れから使いさしのプリペイド・カードを取ったまではよかったが、それを差し入れられる自動改札がないことを思い出した。少し前までは、買った切符にもいちいち駅員さんが固い紙に切りこみを入れていたはずだ。

 駅員さんのいるはずの場所を、ガラス越しにのぞいてみたが、影はなかった。年代物のアナウンス用マイクが錆付いていた。右手の出口、花壇「だった」ところから物音がしたので、あたしはそのまま改札を通り、「すみません」と言いながら靴底を鳴らした。はちみつ味の飴の味よりも、駅舎のなつかしいにおいが、鼻についた。あの時の罪まで、いっしょに、におってきた。



 あたしは小学生の時、花壇にびっしりと咲いていたひまわりの花を、友達たちと何本か折った。マイクのようにしてその頃好きだったアイドル・グループの歌を歌ったり、バトンのようにその大輪を振り回したり。家までは持って帰られないから、途中の側溝で手を放した。

 ひまわりは力を失い、水に流されていった。それを見下ろして笑ったこともあった。

 あたし以外にも同じようないたずらをした人がいたから、悪いことをしている気分には少しもならなかった。


 何年か経って、もう花壇には新しい花が芽吹かなくなった。「子どものいたずら」で片づけられてしまうだろうこともわかっていたし、何を今さら、謝りに来た、というわけでもなかった。

 ただ、左手でみずみずしい、青緑の茎を握った感触と、右手の爪の間にはさまった草の汁のくささ――それだけは、今でも思い出すとあと味が悪い。

 たまに夜の番組で、『昔のゴメンナサイ体験』みたいなメッセージ特集があっても、自分からこの話を笑ってすることはできずに、いつもリスナーのハガキを読んでは上滑りした笑い声を出していた。



「あいすんません、」

 やっと外にいた駅員さんが戻ってきてくれた。片手にカードを持っていることに気づき、

「精算機にかけんとあかんので」と、小走りに駅員室へ入って行った。一瞬だけ、向こうの顔が見えて、あたしはうつむいたまま、ガラス戸の前にカードを置いた。――この人、ずっといたんだ。

 ひまわりを折った時の、駅員さん、いや『駅長』に間違いなかった。白髪とか、しわとかは、もちろん増えているけれども。さすがに向こうは、化粧慣れしたこの顔までは覚えてはいないだろう。


「お待たせしました。ここに、『精算』と書かしてもらいました」

 うやうやしくカードを差し出す手に、「どうも」と小声で答えて、早足で駅舎をぬけた。そして、花壇の横で予想もつかなかった光景を見た。


「あ……」


 木のはしとビニールひもで柵が作られていて、『ひまわりを植えています、踏まないで下さい』と書いたダンボール紙が端に挿してあった。


「ま……蒔かはった蒔いたんですか」

「もうすぐ芽が出ると思うんやけどな――」

 ちょうどもう片側の花壇にも同じように柵を作るところだったらしい。汚れた軍手やら、スコップやらが散らかっていた。へりには小さな足跡。もちろんあたしのではないが、一瞬息をのんでしまった。

「あたし、また見に来るわ。今年くらい満開のところ見たいし」

「んあ……?」

 一本ずつ箸を挿して回っていた手を止めてくれたが、駅長は視線を土に落としたままだった。

「ほんまにここへ来るのは『ついで』でええよ。バスで『ニュータウン』か『桜丘』へ回った方が速う帰れるで速く帰れますよ


 左手で茎にふれた感じと、右手に残ったきついにおいは、たとえここに再び、きれいに花が並んだとしても一生忘れることはないだろう。

「いや、あたしな、センターラジオでDJやってますねん。今度番組で、ここのこと絶対言うし。しゅ、取材とかそんな、かたくるしいやつともちがいますよ?」

「はぁ……」

せやけどねでもね、」と言葉を続けそうになって、あたしは はっとして飴をかみ砕いた。

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