第3話 自分との再会
改札前で取ってみたポケットサイズの時刻表には、きゅうくつそうに「ひまわり台駅」ゆきのダイヤが押しやられていた。
「ひまわり台駅」はこの夏、閉業する。
みんながオオサカ行きの超快速電車に乗るために、ここへ、「ニュータウン駅」へ回ってしまうようになったからだ。花もないさびれた駅だったから、閉業も仕方ないのだろう。
「ニュータウン」駅から「ひまわり台」に向かって電車に乗るのは本当に久しぶりだった。毎日帰りが深夜近くになる僕にとって、最終電車が21時30分というダイヤは致命的だった。いつもは僕も、マウンテン・バイクで「ニュータウン駅」に出て来ている。今日は雨がひどくて、親父の車で送ってもらった。
その雨は、もうすぐ梅雨入りやで、と言い残したそうにだけ降って、ちょっと前に止んだ。ついでに、昨日ちょっと険悪気味になった美里との事も流してくれたらなんて期待しつつ、さっき携帯(電話)にメールを送ったが、返事はなかった。ふう、とため息をついて、タバコに手を伸ばす……ホームは禁煙だったか。
まだ折り返しの電車が来るまでに余裕があったから、ホームの果てにある灰皿へと向かった。喧嘩の原因もこれだった。僕のタバコが増えてきて、あいつがヤニ臭いとか、昔は吸わなかったのにとか、ぐたぐた言ったから腹が立って、結婚式場のパンフレットを投げてしまったのだ。それで彼女は泣き出してしまった。
煙を吐いたが、後味がまだねっとりして気持ち悪い。湿度もだんだん高くなっているのだろう、鼻のあたりがべたべたしてきた。しわくちゃのハンカチをあてたら、目元にシワを感じた……。
美里とはつきあいはじめてもう5年くらいになっていた。彼女に、「お腹出てきたんとちゃう? もう、おっちゃんの仲間入りやなぁ」と言われて、急にプロポーズしようと思ったのは変だろうか。結婚するんだったらあいつがいいな、とはずっと前から考えていたが。
「あたしは--ええけど、これからが大変よ?
恋人づきあいと、夫婦のつきあいはべつもの、やで」
仕事もなんとか続けられそうだし、休みの日には趣味でプログラムも書けるし、どれもこれもそつなくこなせていると思っていた。でもそれだけじゃ男としてというか、挑戦するというか、そのままあたりさわり無く過ぎてゆくのではないかと不安になってきた。何か忘れてるような、やり残しているような気分が抜けなかった。結婚したからっていって、すぐに解決しないかもしれないし、もっと物足りなくなって何かを求めるかもしれない。
「どこで結婚式するにしても、
美里は目を潤ませて、冗談を言おうとしていた。そういうところもすごく可愛かったし、なおさら早めに機嫌をおさめて、安心させてやりたいなあ、と短くなったタバコを銀の鉄板にすりこんだ。
数年前よりも確実に、ニュータウン駅から乗る人は減っていたし、皆弱々しそうに見えた。
電車は小高い丘をゆっくり登る。遠くを弾丸のように超新快速が駆け抜けて、こっちまでぐらぐら揺れるようだった。本を読むにも中途半端なので、ぼおっと外に目をやった、その時、である。
--嘘だろっ?!
斜めに傾いてカーブを通る、古い古い2両編成の列車。船底の、紐が切れた積み荷みたいに--僕は流れに従ってどたどたと足踏みした。
目はずっと、くすんだガラスの向こうだけを捉えていた。なだらかな丘になっている単線の側の道に--夏服姿の、僕がいたのだ。
--あれは、何だ?!
彼は--高校生の制服姿の彼は、数名の同級生たちと歩いていた。何か話しあっているようで、大げさすぎるほど笑っていた。動き(動作)のひとつ、ひとつが、ばさりと翼を広げる大ワシみたいに、疲れきった肩の僕を
流れ星のゆくえを探すかのように窓にへばりついて鼻息を荒くしたから、スーパーの買い物袋を持ったおばさんは、荷物をすぐさま自分のほうに引き寄せていた。怪しい人にでも見えたのだろう。気にも止めなかった僕は、彼らも--彼も、もう見つけることができなかった。
『ひまわり台、ひまわり台。つぎは桜丘…』
愛想のないアナウンスに現実を取り戻し、扉から転がり出た。異様に大きなスチーム音のあと、列車はゴトゴトと次の駅を苦しそうにめざす。
あれは確かに、僕だった。高校時代の。
……高校の頃話していた夢の名前を、かすかに思い出した。
「僕はパソコン使えるエスイーになって、なんかすっげえパソコンソフト作って、そのバージョンアップ代だけで一生食っていったろうと思うねん。ひまわり台にでっかいビル建てて暮らすんや」
今思えばかなりあいまいな言葉だ。とりあえずパソコンが触れそうな大学や学部を探していたっけ。
今、僕は、彼が言った通りに、システム・エンジニアとなり、パソコンをいじって給料を稼いでいる。まあまだ受注どおりにプログラムを組むだけのかけだしだけど。
--じゃあどうして、彼より何歩も先にいて、夢を叶えているはずの僕が、
彼の姿におそれおののいたのだろうか?
どきり、とした。
いちばん最初に思ったことを、
それが心の底にあるから、
今生きていることを、忘れてかけていた--
何かが足りないと思っていたのは、このこと、だったのだ。
改札には誰もいなかった。改札機すらなかった。カバンを持ち直した時、確か外に出たところにある花壇のあたりで、傘をたたんでいる駅員が見えた。
「ああー」
駅員はようやく僕に気づいたようだ。
「すみませんなあ、--昼過ぎまで、けっこう降ってたでしょう。大粒やったから心配になって、傘を立てとったんですわ」
僕はその手つきをぼーっとしたまま見ていたと思う。目にはまだ、彼の残像がちらついていた。
駅員によって護られている花壇のなかをうつろに見た。芽吹いてこれから葉が大きくなるかどうかくらいの、ひまわりがあった--ひまわりを植えてるんだ。
「ニュータウンからは180円ですわ」
「あ」
駅員がゆっくり手を出してきたのに、僕は身を引いてしまう。
「あああああの、この切符もらってもええんかな?」
「?」
美里にこれを渡して、今のことを話したら、あいつは笑ってくれるだろうか。いや早めに会いにいって、もう一回謝ってみよう。
花壇に立てかけていた傘がぱたりと倒れて、雨粒が割れた石だたみに散った。
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