後編

 コアは走り続けた。目的も理由もなく、ただ逃げるように走り続けた。

 その道のりの中で、校門から学校の外へ出ようともした。しかし、校門には見えない壁が存在していて、そこから先へ進むことはできなかった。

 そして、コアは気づくことになる。自分は今まで、学校の外になんか出たことがないことに。


 下校して、校門を出ようとした瞬間に、次の朝が始まっていたことに。


 がむしゃらに走るコアは、他にもいろいろと「現実」では説明がつかないことを思い出し、実感していた。

 今現在、不自然なまでに他の生徒の姿が見えないことも、その思考を肯定していた。


 学校から出られないコアは、学校中を走りさまよう。

 どうしてか、学校がひどく狭く感じられた。


 そうしてコアは、屋上へとたどり着いた。

 ここに来たのは自分の意志であると信じながら。

 そこには、倒したはずだった戦闘員たちの姿はなく、その代わりに、まるでコアを待っていたかのように、突き抜けるような青空のもと、一つの人影が存在していた。

 それは、あの夕暮れの中で別れたはずの、コアが密かに想いを抱いて、密かに砕いていった、あの彼だった。





◆   ◇   ◆   ◇   ◆   ◇   ◆   ◇   ◆





「なんで……なんであいつがここにいる!?」

「俺じゃないっすよ!?」

「そんなことはわかっている! 私の完璧なプログラムコーディングをお前ごときが破れるわけないだろう! お前が書き換えた部分は、意図的に弱くしておいたのだよ!」

「そんな!?」

「でも、いったい誰が……まさか、上層部の連中か?」

「じょ、上層部?」

「ああ。この研究室の全てのメディアは上層部の監視下にある。それを利用してあの男子を、名前も与えられていない、ただのシミュレーションの一部を、あの場所に登場させた。」

「そんなことできるんですか?」

「ああ、不可能ではない。バグとして登場させるなら、私に気づかれずに仕込むことも可能だろう。」

「予定されたバグ、ですか…。」

「しかし、だとしたらまずいぞ。上層部は、コアを従順で冷酷な兵器にしたいはずだ。あいつが何をするのか、わかったものじゃないぞ。」

「な、なにか手は打てないんですか?」

「………無理だ。私達は、見守るしかない。」

「そんな……。」





◆   ◇   ◆   ◇   ◆   ◇   ◆   ◇   ◆





「どうして、君が、ここに…?」


 コアは、また一つ気がつくことになる。自分は、彼の名前を知らないことに。


「どうしてだ。」


 彼は質問に答えず、逆に質問してくる。


「どうして、刺さなかったんだ。」

「え、何を、言って…?」

「どうしてあの男を刺して、この世界を終わらせなかったんだ。」


 軽くもない想いを抱いていた相手に言われ、焦り、なぜか泣き出しそうになる。


「まさか、このちっぽけな世界を守りたいからだなんて、考えてはいないだろうな。」

「でも、ここで経験したことは、かけがえの無いものなんだし、それに…」

「いいか、よく聞け。」

「きゃっ!?」


 彼が、急にコアの肩を掴んでくる。


「君の、例えば五分前の体験が、君自身が本当に経験したものなのかどうか、証明できるのか? ただ無機質に記述されたプログラムなのかもしれないじゃないか。だったら、そんなものに固執する必要などない。さっさと消し去ってしまえ。」


 彼は言いながら、肩を掴む力を徐々に強めていく。


「……で、でも、あの人達は、やめてくれるって。」

「残念ながら他の生徒達の情報は全て消去されたらしい。姿が見えなかっただろう? つまり、君が攻撃をやめて、あいつらも活動をやめたところで、もう元の生活に戻ることなんてできないんだよ!!」

「そん、な……。」


 追い打ちを掛けるように、彼は叫ぶ。


「この世界を終わらせられるのは君だけなんだ! さあ!!」


 目の前でわめき散らされる大声に、コアは強く目を瞑る。そして、きつく掴まれた肩の痛みに、身体は萎縮して震えだす。


 その時間は、まるで洗脳をされているかのように、どこまでも辛いものだった。


 しかし


 ふと


 いつのまにか


 肩を掴んでいた手の力が、やさしいものへと変わっていた。


 コアもそのことに気が付き、ゆっくりと目を開ける。


「もう、大丈夫だよ。」


 そこには、捕まっているはずの少年が、やさしい眼差しとともに、コアを見つめていた。


「ど、どうして、あ、あれ…?」

「あの男の話を聞いていて考えたんだ。もしもあの話が本当だったら、僕自身もプログラムなわけだから、僕自身をコピーして、きみの隣に行くことはできないのかなって。で、ずっときみのことをイメージしていたら、なんか、ちょうど行けそうな隙間がみえて、そこに意識を飛び込ませたら、なんか、これちゃった。」


 コアは、少年の言葉があまり理解できなかったが、そこにいるのが少年だとは理解できた。

 それだけで、十分だった。


「こわ、かった……怖かった…よ……っ!」


 今のいままで我慢していた涙を、コアは流し始めた。そしてそのまま、少年の胸に抱きつく。

 少年も黙ったまま受け入れ、泣き続けるコアの髪を、静かに、やさしく撫で続けた。


 長いようで短かった時間が流れ、コアはようやく落ち着きを取り戻していた。

 その様子を察して、少年は話し始める。


「ひとつ、きみに言いたいことがあったんだ。」


 その言葉に驚いて見上げてくる少女に、少年は苦笑いをしながら続ける。


「こんなときに伝えるのは、すごくずるいと思うけど……でも、こんなときしか、タイミングがないっていうか……」

「いいよ。だいじょうぶだよ。……なに?」


 許可をもらい、なんとか言葉を紡ぎ出そうとする。だけど、うまくいかない。

 喉まで出てきているのに、なぜかつっかえてしまい、音にできない。

 その気まずさに、少年は少女の方を見る。

 目が合った。

 その瞬間、少年の思考は、ある結論を導いた。




――――ふいに、だけどやさしく、少年は少女と唇を重ねる。




 これが、少年のみつけた、想いを伝える方法だった。

 少女は、他の思考をすべて投げ出して、感覚の渦に溺れていった。

 あたたかい感触や、渦巻いている感情が、全て真実であると信じて疑わずに。


 やがて少女の方からも、少年に迫っていく。


 そうしてふたりは、お互いの想いを、お互いに感じ取ることができた。


 それだけで、この世界は、絶対的な意味があるものになった。


 とても短く、でもそれ以上に長かった時間が経ち、ふたりはどちらからでもなく、同時に離れた。

 すると、急に、少年の身体に小さなノイズが表示された。


「ああ、コピーだから、かな。もう時間切れらしい。」

「そっか…。」


 うつむいた少女は、しかしすぐに顔をあげて、少年に訴える。


「私、どうすればいいのかな。わからない、わからないよ。でも、もう、このままじゃ、だめなんだよね。皆いなくなっちゃったから。でも、なにもかも消えるのが、きみの存在が消えるのが、すごく、怖くて…」

「大丈夫。」


 少年の声は、どこまでもはっきりと聴こえた。


「僕は、きみとずっといっしょだから。他の誰がどうなろうと、きみがきみでいるかぎり、ずっと。」


 そして、どこまでもやさしかった。


「だから、僕の夢を叶えて欲しい。この世界の外にある、どこまでも広い世界に、僕を連れていってほしいな――――」


 その言葉を最後に、少年の姿は、一瞬のノイズに包まれた後、その場から消え去った。

 残された少女は、伝えられた言葉をゆっくりとかみくだいて、大切にのみこんだ。


 そして、勢いよく顔をあげたコアは、次の瞬間にはもう走りだしていた。





◆   ◇   ◆   ◇   ◆   ◇   ◆   ◇   ◆





「驚いた……名も無きプログラムの一部が、ここまで成長するなんて。」

「あの少年は、成長するプログラムではないですよね。」

「ああ、そのはずだ……あれもある意味ではバグのひとつだろう。このシミュレーションの様々な要因が重なったことで、単純なプログラムが意図しない進化をした、か。」

「つまり、このシミュレーション世界だからこそ、こういうことが起きたということでしょうか。」

「そうだな。たとえ名も無き存在であろうとも、それが何に影響を受け、どういう変化をしていくのかは、計り知れないものだ。」

「なにひとつ、無駄なことなんてないってことですね。」

「まあ、そうとも言えるな。」

「……これから、どうなりますかね。」

「まだわからない。だが、おそらくもう大丈夫だろう。」





◆   ◇   ◆   ◇   ◆   ◇   ◆   ◇   ◆





「ほらみろ、戻ってきた。」


 コアは、まっすぐに体育館へ走ってきた。不思議と息は乱れていない。


「どうだ? 俺と取引する気になったか? まあ、それしかないだろうがな!!」


 ステージの上、縄に縛られたままの少年の隣、男は声高らかにコアへと叫ぶ。

 コアは、その声を気にする様子もなく、先ほどと同じ位置に刺さっていたナイフを抜いて、手にとった。

 そして、走りだす。


「お前、正気か!? 本当に消すつもりか!? なにもかも消えちまうんだぜ? このガキのことだって、跡形もなく消えちまうんだぜ!?」


 コアは叫ぶ。力の限り。


「消えなんかしない! ずっと、ずっと私の「こころ」に残る! そして、いっしょに、外の世界を旅するんだっ!!」


 ステージの上へ飛び乗り、その勢いのまま男に突っ込む。


 瞬間、隣にいた少年と目が合った。

 その視線は、どこまでも穏やかだった。


 それだけでよかった。


「ああぁあぁぁああぁぁぁあぁっ――――!!!!!」





◆   ◇   ◆   ◇   ◆   ◇   ◆   ◇   ◆





「おめでとう、ミッションコンプリート。これにてシミュレーションは終了だ。あとは実践を頑張ってもらいたい。これで、私の仕事も終了となる。これからはきみが、きみ自身の力で、どこまでも成長していってほしい。きみは、それを支える大切なものをみつけたのだから、きっと大丈夫だ――――」





◆   ◇   ◆   ◇   ◆   ◇   ◆   ◇   ◆





「ここは…?」


 コアは、何も感じない、何も存在しない、真っ暗な空間を漂っていた。

 いや、「空間」という概念ですら、そこには存在し得ないのかもしれない。

 しかし、コア自身は、そう考える自分の意識が確かに存在しているため、自分という存在もまた、確かに存在しているのだと感じていた。


「これから、どうなるんだろう…。」


 漠然とした不安が襲いかかる。だが、ふいに、何かこみ上げてくるものがあった。

 その何かに意識を集中させると、自分の身体の輪郭が、不思議とはっきりしてきた。


「でも、だいじょうぶ、だよね。私には、これがあるんだから。」



 コアは、優しく胸に手を当てて、呟いた。



「――――きみは、ここにいるんだね…っ!」

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コア 銀礫 @ginleki

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