終章

 その日の天気は、あの日と変わらず晴天で、空を渡る恒星の睨みは痛々しい程だった。

 季節は夏。青空に浮かぶ高い雲の影の下、汗をにじませながらバス停のベンチに座っているふたりがいた。


「……ねえ、ルナ。」

「なに?」

「なんか、あの日が、すっごく前のことに思えるね。」

「うん。」


 あの日と変わらず制服姿のふたりは、あの日と同じ時間、あの日と同じバスを待っていた。

 今日は、学校の登校日ではない。ふたりが登校しようとする理由は、先生に呼び出しをされたからである。



     §     §     ★     §     §



 ふたりが無事にクラシキへと帰ってきたのは、クラシキの時間で昨日の早朝のこと。

 装置の光に包まれた直後、目の前に広がっていたのは、今まさに昇り始めた朝日と、それに照らされた夏祭り開場だった。しかし、スピルカで過ごした時間と同じだけ時が過ぎたこの場所は、すでに片付けが終わってしまって、ただの公園に戻っていた。


「帰って、きた…んだよね。」


 確認するようにあたりを見回す。何度見渡しても、そこは見慣れた、あの公園だった。


「帰って、きた…クラシキに……。」


 胸の奥から大きな安堵感が押し寄せて、溢れ出そうになる。そして、それが瞳から零れそうになった時、その声は聞こえた。


「影南! ルナミカ!」


 声の方向を振り返ると、こちらへ走ってくる先生の姿が確認できた。

 そしてそのまま先生は、人並みの速度で走ってきて、ふたりを抱きしめる。


「無事!? 無事なんだね!!」


 先生らしく、涙を滲ませたその目の下には、盛大な隈が刻まれている。

 どうやら、ずっとこの公園で影南たちの帰りを待っていたらしい。

 思いっきり抱きしめられた後、先生はやさしく微笑んで、こう言った。


「―――おかえり。影南、ルナミカ。」


 その言葉に、引っ込んでしまった涙が、一気に溢れ出てきた。

 止めようとしても止まらないその涙は、ほんのりとあたたかかった。

 しばらく、影南が落ち着くまで、誰も言葉を発せず、先生も黙って影南の頭を撫で続けた。


 やっとのことで落ち着いて、ゆっくりと影南が口を開く。


「あ、あの先生…。」

「ちょっと待った!」

「は、はい?」


 予想外に会話が断ち切られ、困惑する影南。


「積もる話はあるだろうけど、それはまた明日にしない? また明日、学校でね。だから、今日は、それぞれゆっくりと自分の家で休みなさい! そして私も寝たい!!」



     §     §     ★     §     §



 そんなことがあったのが昨日の早朝。そして、昨日一日はそれぞれの家で休み、今日この時間にルナと待ち合わせして、学校に行くことにしたのだ。


「でも、あの日とは、何も変わっていないんだよなぁ。」

「ボクのことはー?」


 左耳のすぐ側でいきなり声がした。まだあまり慣れていないため、いちいち驚いてしまう。


「よっと。」


 左耳に付けられた耳飾りスカートから、溢れる檸檬色と少量の黒色の光が放たれ、目の前にリノが出現する。

 その顔は、あふれんばかりの笑顔だ。


「そうだね。君がいたよ、リノ。でも、外では出てきちゃだめ。この《島》に精霊なんていないんだから、周りに見られたら大変なことになるよ。」

「むぅー。わかったよぉ。」


 おとなしくまた耳飾りスカートへ宿っていくリノ。宿るときは、リノの身体が光に変わり、結晶に吸い込まれていく。リノいわく、転送される感じ、とのこと。

 ちなみに、リノが宿っていない耳飾りスカートは無色透明で、宿っている時は、透き通った淡い檸檬色の結晶に小さく黒い光が閉じ込められているような色になる。

 どちらの色も綺麗で、装着も手軽なこの耳飾りを、影南はかなり気に入っている。

 猫村先生のあの髪色が許されている影南たちの学校では、これぐらいのアクセサリもまた、許されることだろう。だから、今日も影南は身につけていて、おそらく学校が始まっても身につけて行くだろう。


 そうこうしているうちにバスが来た。停留所で止まったバスに乗り込み、学校へと向かう。






「先生との話、思ったより早く終わったね。」

「うん。」


 学校の校門前で、またバスを待つふたりが、そこにはいた。


 職員室で、前と同じ蒼い髪色に戻っていた先生をあっさりと見つけ、その後放送室にて話が行われた。放送室が選ばれたのは、誰にも聞かれないようにするため、とのこと。

 基本的には、先生が飛ばされた後のこと。影南がマゼンタを倒したことには驚いて、頑張ったねと褒めてくれた。しかし、その後マゼンタを消し去った黒い光については、


「気にすることはないわ。悪いことをしたから、夜霊様に呑み込まれただけよ。」


 と、キークと同じように淡々とはぐらかされただけだった。


 一通り話し終わった後、先生は真剣な眼差しでこう切り出した。


「いい? 今言ったこと、というか、あの《島》で知ったこと、というか、他の《島》なんてものが存在するということとか、とにかく、クラシキの人が知らないことは、絶対に、絶対に言ってはだめだからね!」

「それは言えという前振りですか?」

「ばかあ!」


 そんなやりとりがあったが、結局、影南とルナは、この数日間のことは口外しないと、先生に固く誓った。いや、誓わされた。

 ちなみに、話はそれだけだから、もう帰ってもいいよと言われ、放送室を出ていこうとしたふたりに、もうひとつだけ、と、先生が恐る恐る声をかけた。


「ふたりは、さ。その、サックスが、その、亡くなってしまったことが、なにか、トラウマとかに、なってない?」

「……大丈夫です。ぼくも、ルナも。慣れていますから。」

「そっか。……ごめんね、変なこと聞いちゃって。」

「いえ、心配してくれて、ありがとうございます。」

「また、何かあったら、すぐに教えるのよ。」

「…はい。」


 そんな会話の後、ふたりはまっすぐに学校を出た。




 そして、バスを待つ現在に至る。


「そういえば、リノのことはあんまり言われなかったね。」


 確かに、リノを連れてきてしまったことに、先生から少なからずお叱りがあるだろうと覚悟していたが、「見つからないように気をつけなさい。」程度だった。きっと、事情を察してくれたのだろう。


「よかったね、リノ。」


 左耳へと声をかける。しかし返事はない。


「リノ?」


 耳を澄ませてみる。すると、かすかに寝息が聞こえる。


「また寝てる…。」


 昨日気がついたことだが、リノはよく眠る。耳飾りスカートに宿ると居心地がよくて、すぐ睡魔に襲われる、のだとか。


「まあ、いっか。」


 呟きながら、青空を眺める。

 そういえば、あの空色の子はどうなったのだろう。

 一瞬、大切にしまってある黒ローブの持ち主について考えたが、今度先生に会った時に尋ねることにして、思考を中断する。


 ぼんやりとしていると、ふと、あの日の自分と重なった。


「そういえば、あの日もこんな青空だったっけ。」


 隣にいる女の子に、自分の想いを伝えようと、躍起になっていたあの日の朝を思い出す。

 結局、夏祭りの途中で計画は中断され、台無しになったのだが。


「伝えられずじまい、かぁ…。」


 悟られないように小さくため息をついていると、遠くからバスがやってきた。

 しかし、やってきたバスは、影南たちの家がある方向ではなく、反対方向にある町の中心へと向かうバスだった。

 バス停に自分たちが立っている以上、バスも止まらないわけにはいかず、停車したバスの昇降口が開かれる。


 申し訳ないな、と影南が思ったその時、急に左腕が強く引かれた。


「ルナ? これ、帰るバスじゃないよ…?」


 腕を引っ張った張本人は、バスのステップを一段登って立ち止まり、少しだけ振り返って、呟く。


「おまつり、途中だったから………あそびに行こ?」


 バスのエンジン音でかき消されそうな小さい声だったが、影南にははっきりと聴こえた。


「……うん。わかった、行こう!」


 そのままふたりは、中心街行きのバスに乗り込んだ。


 おだやかな笑顔を、お互いに見せ合いながら。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

Sidus 銀礫 @ginleki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説