第8章

 無事にログハウスまで戻ったカナは、客室でぐっすりと寝込んでしまい、次に目がさめたのは、翌日の昼のことだった。どうやら、体力的にもかなり消耗していたらしい。

 ちなみにその一晩、ルナもカナと同じベッドで寝たことを、カナは知るよしもない。

 目が覚めて、リビングへと向かうカナ。


「おはようございます。もう身体は大丈夫ですか?」

「あ、おはようございます。はい、なんとか大丈夫です。ありがとうございます。」


 廊下ですれ違ったキークと軽く挨拶を交わす。イルクとメルクは昨日の朝には帰ってしまって、ルナがライフルを取りに来た時にはもういなかったらしい。


「おはよう、ルナ、リノ。」

「おはよう。」

「おはようっ!」


 リビングでくつろぐルナと、その膝の上に座っているリノにも声をかける。

 ルナの顔は、カナにはどこか嬉しそうに見えて、リノは会った頃のように元気そうだ。

 カナへと飛んできたリノを両手で受け止めていると、あのテレビのような機械から、ニュースの映像が流れ始めた。


 そのお昼のニュースは、先の議会襲撃の犯人が見つかるまで安全性に問題があるという建て前で、精霊の森開発計画が無期限凍結になったという内容だった。

 皮肉にも、マゼンタが撃ち込んだ火炎弾が、結果的に精霊の森を守るきっかけとなったのだ。

 そのことに何とも言えない違和感を覚えながら、解説者のコメントを聞き流していると、キークがリビングにやってきた。


「それで、これからどうするのですか?」


 その後からは、キークと長い話をした。

 先生に、何かあったらキークさんを頼れと言われていたので、カナたちはこの《島》に飛ばされたことからの全ての出来事を包み隠さず話した。

 しかし、その内容にキークが驚く素振りを見せることはなかった。流れで同席していたリノは驚きのあまり絶句していたが。

 そして、とうとう帰る方法の話となり、例の転送装置にロックがかかっている話までした。

 すると、キークは淡々と提案してきた。


「リノちゃんに頼んでみたらいいのではないのですか?」

「え、ぼ、ボク!?」

「ええ。だって、電波の精霊でしょう? それぐらいはできそうですけど。」

「あ、確かに。」


 あの広場で、飛行機械を次々と墜落させたリノの姿を思い出す。


「でしたら、これから早速向かいましょうか。」

「え、でも、場所がわからないです…。」

「大丈夫ですよ。導きを用意しますから。」


 導きとはどういうものなのか、その時のカナにはわからなかったが、とりあえず任せることにした。

 そして、本当の帰り支度が始まった。といっても、キークが洗濯してくれた、ふたりがこの《島》に来た時に着ていた服へ着替えるだけだったが。

 キークは、貸した服をそのままあげると言っており、現に一昨日の夜襲の際はその言葉に甘えていたが、本当に帰るという実感が伴うと、ふたりとも着てきた服で帰りたくなったとのこと。

 ちなみに、カナのシャツは、サックスがいつのまにかキークに渡していたらしい。


「だけど、これ……。」

「ちょっと、不格好ですね。」


 しかし、カナのシャツには、この《島》での初日に、ヴォルガに襲われた跡が残っている。

 つまり、背中に大きな穴が空いているのだ。


「でも、これ着て帰りたいなぁ…。」

「でしたら、あれを羽織りましょう。」


 そう言って、家の奥からキークが取り出してきたのは、クラルテが着ていた黒いローブ。


「それって、あの子の…。」

「何かに使えるかなと思って、取りに行ってきたのですよ。ちゃんと洗濯もしてありますよ。」


 いろいろと思うところがあったが、キークと、そしてクラルテに感謝しながら、そのローブを受け取り、羽織る。サイズに大きな違和感はない。


「では、行きましょう。」


 そうして、カナ、ルナ、リノ、キークの四人は森へと入る。


「で、導きってなんですか?」

「これですよ。」


 おもむろに指を鳴らすキーク。すると、どこからともなく赤、青、緑、枯草色をした泡が高いところに出現した。

 よく見るとそれは、等間隔に浮かんでいて、一本の道を示している。


「これ、知ってる。」

「あら、ルナミカさんは見たことがありますか?」


 静かに頷くルナ。


「なるほど。あのときどうやって家まで戻ってきたのか、少し不思議だったのですが、そういうことでしたか。」

「あ、あの、これって…?」

「深くは考えないほうがいいですよ。では、行きましょう。」


 先に歩き出したキークを慌てて追いかけるカナたち。結局、最後までこの泡の正体は教えてもらえなかった。


 あの地下空間までに辿り着くまでの間、こんな会話があった。


「あの、先生は、どうしちゃったんでしょうか……。」

「それはわかりませんね。ですけど、ネコムラさんの願いはあなた方ふたりをいるべき場所に帰すこと、ですよね。ならば、その意志を尊重しましょう。」

「……はい。」

「それに、あの人はそんなに簡単にくたばるような人ではなかったはずですよ。」

「え?」

「ほら、到着しましたよ。あそこですよね。」


 会話が遮られ、少し違和感が残る形になったが、無事にマゼンタのアジトまで辿り着くことはできた。あの導きは正しかったらしい。

 まだ焦げた匂いがする階段を下り、まだ灯っている燭台の明かりを頼りに、例の転送装置まで辿り着く。


「本当にあったのですね。《転送装置アルテライト》。」

「あーそうです。そんな名前でしたねこれ。………って、やっぱりキークさんいろいろと知っているじゃないですか。本当に何者なんですか?」

「女性には秘密がつきものですよ。さあ、リノちゃん、ロックを解除してください。」


 軽くあしらわれて、少し不満そうな顔をするカナ。

 そんなことを気にもとめず、リノが装置へと手を伸ばし、真剣な顔になる。

 しばらくして、浮いているモニターから鍵が開く音に似せた電子音とともに「ロック解除」の文字が浮かび上がる。


「やった!」

「これで帰れますね。」

「はい! やっと、やっと帰れます!」


 しかし次の瞬間、今度は鍵がかかる音がして、モニターに「ロックされました」の文字が表示される。


「え、リノ? どうしたの…?」


 先ほどからこちらに振り向きもしないリノへ声をかける。

 しばらくの沈黙の後、リノが声を出す。


「ボクも、連れてって。」

「え?」

「ボクも、カナたちの《島》に、連れてって!」


 急に叫びだしたリノは、そのまま次々と言葉を吐き出していく。


「ボクね、カナが寝ている間に、一回森へ行ったの。そしたら、他の精霊たちと鉢合わせしちゃって、だから、ボクは、ボクにもちゃんと力はあったんだって、出来損ないの精霊なんかじゃないって、言ってやったんだ!」


 黒と檸檬色の瞳から涙をこぼしだすリノ。その場の全員が、静かに次の言葉を待つ。


「でも、でもっ、こう、言われたんだ。「ふざけるな、人間の生み出した力なんて精霊の力じゃねえ! 偽物め、この森に入ってくるな!」って!」

「…確かに、電波というものは、人間が発明した機械が発するものですからね。」


 キークが静かに呟く。


「だから、もう、もう、この森に、ボクの居場所なんて、ないんだよぉ……ないんだよお! だから、連れて行ってよ! カナたちの居場所に!!」


 困惑するカナ。声を発せずにいるその様子を見て、リノの声はいっそう大きくなる。ぼろぼろと泣きじゃくるその顔はくしゃくしゃで、今までずいぶんと溜め込んできたのだろうとうかがえる。


「連れてってくれるって約束してくれるまで、このロックは解除しないんだからっ!!」

「え、えぇ…。」


 意見を求めるように、キークに視線を投げかける。


「いいと思いますよ。彼女が、そう望んでいるのなら。森の中でしか生きていけないわけではありませんし。」

「そう、ですか………。」


 しばらく考えこむカナ。ルナが心配そうに見上げてくるが、答えはすでに決まっていた。


「わかった。じゃあ、一緒に行こう、リノ。」


 そう言って、両手を差し出すカナ。その上に、リノが崩れるように倒れこむ。

 そして、一番の大声で泣きだしたリノを、落ち着くまでずっと、やさしく包み込んでいた。



 しばらくして、リノが落ち着いたあと、装置のロックは解除され、いよいよ転送の時がきた。

 ちなみに、装置の操作は当たり前のようにキークが行っている。もはや疑問を持つことすら野暮に思えてきた。

 ふと、キークがポケットから紙切れを取り出した。


「では、転送座標はネコムラさんのメモの通りに入力しておきますね。」

「え、い、いつのまに…?」

「一昨日の夜、いきなり家にやってきて渡されました。おそらく、あなた達の《島》の座標でしょう。」


 一昨日の夜といえば、広場の大樹の中、ルナとふたりで過ごしたあのときだ。カルチェはカナたちとはぐれた後に、一度ログハウスまで辿り着いたのだろう。

 そして、なにもかも先を見越して行動しているカルチェに、驚きを隠せずにいた。


「あと、これを差し上げます。」


 そう言って、キークは自分の左耳につけてあった、透明で水晶のようなもので作られた耳飾りを渡してきた。これは、金具を耳たぶに挟んでつけるものらしい。


「これは…?」

「精霊などを宿すことができる石で作られています。リノちゃんを隠すのに役立つでしょう。」

「あ、ありがとうございます。」

「ささやかな餞別ですよ。」

「はい。わかりました。」

「ちなみに、その耳飾りの名前は、スカートです。」

「え?」

「ですから、スカートです。私が名付けたのではありませんからね。」

「は、はい…。」

「では、起動しますよ。」


 そして、転送装置が稼働を始める。機械音が響き、足元からは光が溢れてくる。


「本当に、いろいろと、ありがとうございました!」

「ありがとう、ございました。」

「いえいえ、珍しいお客さんで私も楽しかったですよ。気をつけて帰ってくださいね。」


 カナとルナがお礼を言う。


「キークさん、イルクとメルクにごめんなさいって伝えて。……あと、ありがとうって。」

「いいですよ。遠いところですけど、元気でね。」

「……キークさんも。ほんとに、ありがとう…行ってくるね。」


 リノもまた別れの挨拶を交わす。


「それでは、行きますよ。」


 装置から放たれる光が強くなる。

 カナとルナは、本人たちも気づかぬうちに、自然と手を繋いでいた。


「あれ? そういえば、この装置、今は誰の魔力で動いているの……?」


 そんなカナの疑問を残しながら、光はカメラのフラッシュの如く一瞬で強くなり、それが消え去る頃には、カナたちもまた、その場から消えていた。



 急に静かになる地下空間。大きく息を吐いたキークは、その場から踵を返す。



「行ってしまったのう。」



 どこからともなく、老人男性の声が聞こえてきた。


「あら、マクスウェル。来ていたのですね。」

「導きを頼んできたのはお主じゃろうが。」


 キークが立ち止まると、いきなり小奇麗な民族衣装のようなものを着た神秘的な青年がその場に出現した。

 しかし、キークは特に驚くこともなく、淡々と会話を続ける。


「ああ、そうでしたね。それにしてもマクスウェル、やはりその姿でその口調は不思議です。」

「しかたがないじゃろう。何年生きていると思っておる。」

「私ぐらいでしょうか。」

「……そうじゃな。まったく、お互いに長生きしたもんじゃ。」

「そうですよ。おかげで有名になったみたいですし。」

「ん? どういうことじゃ?」

「あの空色の先生さんから、座標が書かれたメモを渡された時に、「あなたなら、これが示すものがなにかわかりますよね?『白夜の貴婦人』さん。」って言われたのですよ。」

「はっはっは、それはそれは懐かしい。昔呼ばれていたお主の通り名ではないか!」


 マクスウェルと呼ばれた青年は、快活だがどこか年寄りめいた笑いをする。

 その周囲に浮かんでいる、あの四色の泡を見て、キークが思い出す。


「そういえば、ルナミカさんを私の家まで導いたらしいですね。」

「ああ、あの金髪の子かの。可愛かったものでな。」

「あなたの趣味を疑います。いい年してあんな幼い子に…。」

「冗談じゃ。ちと、思うことがあってな、手助けをしたまでじゃ。」

「そう。ならいいでしょう。」


 青年はその後、キークの左耳を凝視する。


「あげてしまったのじゃな。」

「私達にはもう必要ないでしょう。」

「でも、のう。」

「あなたにはノスタルジーに浸る趣味でもありましたっけ?」

「普段はないが、お主との旅はいろいろと楽しかったからのう…。」

「今のあなたの居場所はここでしょうに。」

「……まあ、それもそうじゃな。」


 そんな会話の後、「あ、そうじゃ。」と付け加えて、青年は話し始めた。


「わしは、やっぱり隠居するだけではなく、この《島》の精霊たちの心を良き方へ導き、人間たちと対話をするつもりじゃ。」

「あらあら。放任主義はどうしたのかしら。」

「今回の一件で、わしもちゃんと働こうかなと、そう思ったのじゃ。」

「最初からきちんと働いていれば、今回の一件もなかったと思いますよ。」

「耳が痛いのう。」

「「放っておいてもなんとかなるじゃろ。」とか言っていたくせに。」

「人間の考えというものは変わっていくものじゃ。」

「あなたは人間ではなくて精霊でしょう。しかもかなり上位の。」

「まあよいじゃろう、そんなことは。」

「そうね。問題なのは、この《島》の精霊が人間に対して攻撃的な意思を持っている、ということですからね。」


 青年は頭を掻きながら話を続ける。


「まあ、この《島》にいる精霊は、《島》の外から来たわしを除いたらみんな人間の思念が生んだ、ある意味紛い物じゃからのう。人間的になってしまうのも仕方のないことじゃ。」


 その後青年は小さく、「だからこそ、《島》の人間たちに直接逆らえんのじゃが…。」と付け加えた。


「でも、人間的である分、人間たちとより深い関係になることができると、私は思いますよ。」


 転送装置を眺めながら、そう呟くキーク。


「付いて行ったあの小さな精霊のことかの?」

「その限りではないですよ。」


 そう答えながらも、微笑んだ視線は、転送装置の方を向いたままだった。


「まあ、よい。あの子は強い。なんとかなるじゃろ。」

「そうですね。」

「ところで。」


 青年がキークの視線の前へと移動する。足は動かしていない。少しだけ浮いているのだろう。


「本当にいつも目を閉じているのじゃな。」

「だって、見られたら怖がられるでしょう。髪と同じ色をした、この白い瞳は。」


 そう言いながらも微笑み続けるキークの目が開かれることはない。たとえ長い時間を共に過ごしたこの精霊の前であろうとも。


「そんなものは魔法でいくらでも誤魔化せるじゃろうに。」

「レルフとは元来、自分の色に誇りを持っているものですよ。」

「そういうもんかの。」

「あともう一つ。」

「なんじゃ?」

「面倒くさいので。」

「お主は変わらないのう。本当に魔法が面倒なのじゃな。わしにとっては、鉛球を飛ばすほうが面倒だと思うのじゃが…。」

「あれは趣味ですから。」

「それに、見えなかったら色々と不便じゃろうに。」

「大体のことは気配でわかります。」

「まだ感覚はあの頃から鈍っとらんのか、流石じゃのう。………嗚呼、なんか色々と思い出してしまったぞ。久々にお茶でもせんか?」

「仕方がないですね。」


 そのまま、ふたりは部屋を出て、外に出る階段へと歩いて行く。


「で、精霊たちを導くお仕事はどうするのですか?」

「あ、明日からやろうかの。」

「今日から始めてください。」

「……仕方ないのう。じゃが、まずはお茶じゃ。」

「はいはい。」


 ふたりはそのまま階段を登り、光り溢れる森の中へと消えていった。

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