第2話 落ちてきた鴉


 バサバサッ!


「ん?」


 ゆかりが薬草をすりつぶしていると何かが小屋の屋根に落ちてきた音がした。鳥だろうか。

  バサバサバサッ、バサ、バササ! ……ボフッ。

 音は鳴りやまずしばらく屋根の上で暴れた後、どうやら小屋のすぐ横に落下したようだ。

「鳥かしら。怪我をしてるかも……」

 この小屋は村の領主の館の敷地内にある。敷地内と言っても端の端。日当たりの悪い所で、ゆかりから薬を買いに来る者以外はほぼ誰も来ない。その上五年前に唯一の家族であった祖父を亡くしてからはずっと一人で暮らしている。そんな生活だからかゆかりはどうも他の人間と比べて独り言が多いらしい。

 外に出て鳥らしきものが落ちたと思われる所を覗き込むと案の定そこに居たのは一羽の鴉だった。しかし━━。

「鴉にしては大きすぎるわね」

 空へ帰ろうと必死に、しかし弱々しく地面に打ち付ける翼は完全に広げればゆかりの背丈より少し小さいくらいだろう。

「羽も真っ黒で艶々と輝いていて羨ましいくらいだし……」

 とにかく手当てをしようと近付くと鴉と目が合った。

「っ!」

 思わず体が硬直する。と同時に鼓動が早鐘を打ち始めた。

 深みのある透き通った赤がじっとゆかりを見つめていた。

 赤い瞳の鴉など存在する訳がない。ならばこの鴉はただの鴉ではないのだ。


「あやかし……?」


 あの人を食らうというあやかしが今、目の前に居る。驚きと恐怖で握りこんだ両の手の平に汗がにじむ。

 ( 食べられてしまう!)

 逃げよう、と踵を返そうと足を動かそうとすると瞳とは違う赤が目に入ってきた。血だ。それも大量の。あやかしが他の生物の枠に収まるのかどうかはいささか疑問ではあるが、このまま放置すれば死に至る程の量だ。

 普通の人間であれば好都合と思うかもしれないが、祖父に『誰であろうと目の前で苦しんでいる者がいたらそいつを救う為に手を尽くせ』と叩き込まれているゆかりはそうにもなかった。

「……ここで放って置いたら薬師の看板を下ろさないといけないわ」

  恐れが全く無くなったという事ではないが薬師の矜持を勇気に変えて、そっと鴉を腕に抱いた。

 鴉は襲ってくる様子も反抗する様子もなかったが、警戒したように体を硬くした。

「大丈夫よ。あなたに危害は加えないから。傷の手当てをするだけよ」

 そう声をかけながら腕の中の鴉の怪我を観察する。片羽に裂傷をいくつも作り、所々に火傷も負っていた。

「酷い傷……。すぐに手当てしないと」

 一瞬だけ眉をひそめたゆかりは着物が血で汚れるのにも構わずその大きな鴉を抱え直して小屋へ連れて入り、薬やら包帯やらで怪我の治療を始めた。最初はゆかりを行動全てに用心していた鴉も、ゆかりが本当に手当てをしているだけだと理解したのか徐々に警戒心を解いていったようだ。



「よし。血も止まったし、もう大丈夫よ」

 先程までの恐怖心など何処へやら。むしろ「ほんと、羨ましいわあ~」と言いながら怪我をしていない方の羽を撫でまくるという馴れ馴れしいといってもよい程の様子である。対する鴉の方も気持ちが良さそうに力を抜いている。

「でもまだ薬を塗ったり包帯を清潔なものと交換したりしないといけないの。しばらくここへ居てちょうだいね」

 そういうと鴉は返事をするように「カア」と一声鳴いた。

「あら、私の言ってる事がわかるの? あやかしってとても賢いのね、すごいわ。あなた名前はあるの?」

「カア」

 この問いかけにもあたかも肯定するように返事を返す鴉に笑顔を向ける。

「そっか。どんな名前かって聞いてもそこまでは答えられないわよね。名前があるのに勝手に私が名前をつけちゃうのもおかしな話だから鴉さんって呼びたいのだけどいい?」

「カア」

「ありがとう。私はゆかりっていうの。これから宜しくね、鴉さん」

 

 そうして五年間ずっと一人しか住んでいなかった小屋に、一羽のあやかしが加わった。





 ▼▽▼



 鴉の怪我は三日もするときれいさっぱり消えてしまった。普通であれば完治しても傷痕くらいは残るはずの翼は、まるで濡れているかのように羽に受ける光を反射していた。さすがあやかし、やはりそんじゃ其処らの鴉とは格が違うようだ。


「鴉さん。ごはんができたから食べましょう」

「カアッ!」

 翼の傷が治っても鴉はゆかりの元を離れようとせず、この小屋に居ついていてしまってもう一月ひとつき程経った。今まで一人ぼっちだったゆかりはその居候との新しい生活が楽しくて嬉しくて仕方がなく、以前よりも笑顔でいる事が多くなっていった。

「鴉さんの瞳ってとても綺麗ね」

 箸を止めて何の気なしに呟くと、粟の粥をつついていた鴉は「何をいきなり」とでも言いたげに首をかしげる。

「ずっと思ってたの。鮮やかで澄みきっていて本当に綺麗な赤。私、人とあまり会わないから珠

宝石

って見せてもらった事がないけれど、 本で読んだ紅玉ってこんな感じなのかな」

 いくら村領主お抱えの薬師と言ってもただの平民の少女だ。珠を買えるような金などない。

 それに珠を見せてくれるような人どころか、普段から他愛のない話をするような相手さえもいないゆかりには珠など所詮は字の中の存在でしかないのだ。

「なんでお祖父様は人前ではこんな被いをするように言っていたのかしら」

  (これさえなければまだ人付き合いがあったかもしれないのに……)

 畳んで帯に挟んでいる薄い布を指先で摘まんでぼやくゆかりを鴉は不思議に見つめる。

「あ、そうか。お客さんがいらしている時は鴉さんには小屋から離れてもらっているから、私が人前では顔を隠している事を知らないのね」

 少し行儀が悪いかなとちらっと考えつつも椀と箸を置き、いつも人と会う時のようにその薄布を頭に被せて額の辺りで紐で結んで固定する。布はゆかりの胸元程の丈があり、すっぽりとゆかりの顔を隠してしまった。

「この布は特殊な織り方をしているらしくて、こうしてやると外側からだと私の顔は見えないけれど、内側から見てみると外の様子が布に透けて見えるの。物心つく前の小さな頃からお祖父様に人前ではこの布で顔を被いなさいって言われててね。ある時外して小屋の外へ出ようとしたら物凄い剣幕でお祖父様に叱られてしまったの」

 当時はいつも温厚な祖父に怒鳴られ、怖くて泣き出してしまったが、今となっては思い出の一つだ。懐かしさに目を細めながら話を続ける。

「お祖父様は亡くなられたし、もうこの被いを捨ててしまっても私を叱る人などいないのだけど、これもお祖父様との思い出だなって思うとなかなかこの謎の習慣をやめられなくて。まあそもそもお祖父様が亡くなられる前から『顔なし』と呼ばれて遠巻きにされていたから、今さら被いを取ってしまったって友達やお仕事抜きの話し相手ができるとは考えられないけど」

 紐をほどいて被いを取り去り、苦笑の浮かぶ表情を露にする。すると突然鴉が羽をはばたかせてゆかりの肩にとまった。

「え? 鴉さんどうしたの?」

 鴉の意図が掴めず狼狽えるゆかりの頬に鴉は自らの頭の艶やかな羽を押し付けるように滑らせる。一般でいう頬擦りというものだ。

 なんとなくだが「今は自分がいる」と伝えようとしているように思えた。

「うん、そうね。今は鴉さんと一緒にいられて。毎日がとても楽しいわ。ありがとう、鴉さん」

 もうこの優しいあやかしのいない生活を前の自分はどうやって過ごしていたのか思い出せない。

 しかしこのあやかしにも本来の住むべき場所がある。それに名前があるということは、誰かその名を呼ぶ者達がいるのだ。今はゆかりの側に居てくれているが、いつかは仲間達の元へと飛び去ってしまう存在だ。

(またあの寂しい日々に戻ってしまうのは嫌だな……)

 だがこんな事を言っては鴉を困らせてしまう。

 ゆかりは切なさを胸に押し込んで、肩にとまる鴉を優しく撫でる。

 このあやかしがいなくなってしまった後の自分が少しでも孤独を紛らせられるようにと、せめてこの滑らかな感触を指に残しておきたかった。


「あ、そうだわ鴉さん」

「カァ?」

「今日こそ一緒にお風呂へ入りましょうよ!」

「カアッ!?」

 途端に鴉がゆかりの肩から逃げようとした。しかしゆかりは鴉の足を逃がさまいと掴む。

 この小屋には小さいながらも祖父お手製の風呂がある。祖父曰く、『薬を作る者は清潔第一だ』とのこと。

「鴉さんが川で水を浴びている事は知ってるけど私はあなたとお風呂へ入りたいの! そのつやっっつやな羽を私が調合した美容薬入りの石鹸で洗ってもっと滑らかな指通りにしたいの。 あなたならそこら辺の貴族の姫君達よりもずっと美しいになれるわ! 頂点を目指しましょう!!」

「カアカアカアッッ!!!」

「なんでいつも逃げようとするのよ! 別にお湯が嫌いな訳ではないでしょう?」

 しんみりとした感情はゆかりの心の奥深くへ隠れてしまい、いつも通りの賑やかな夜になっていった。


 ちなみに、結局今晩も鴉とはお風呂へ入れなかったとゆかりは湯船に浸かりながら「次こそは逃がさないわ!」と一人歯ぎしりをするのであった。

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