第7話 踏み出せ


「決めたわ! 私もっと人付きあ……じゃなかった、あやかし付き合いを積極的にするわ」


  胸の前で握りこぶしを作りながら、ゆかりはそう宣言した。

  目の前では蘇芳が目を瞬かせ、首を傾げてみせる。

「どうしたんですか? 突然」

  ゆかりは、あのね、と話し始めた。

「ここで暮らし初めて三日目だけど、いつも通りの生活しかしていないの。薬草を採ってきてそれを煎じるだけの生活。でもそれじゃ駄目なのよ」

  会うあやかしはこの蘇芳と夜に家にやってくる鴉だけ。彼以外のあやかしには最初の双葉と温羅ぐらいとしか顔を合わせていない。

「せっかく新しい環境で暮らし始めたのだから、今までと違ってもっと他の人と……あやかしとお話ししたりすべきだと思うの」

  これまでは必要最低限の付き合いしか他人とはしてこなかった。それはゆかりが気味悪がられていたからである。その一番の原因である顔の覆いもなくしてしまったのだから、これを機に自分を変えよう。と、ゆかりは意気込んでいた。

「俺だけじゃ駄目でしょうか」

  少し寂しげに蘇芳が視線を落とす。

「そんな、あなたが駄目って訳じゃないわ。あなたはとっても私によくしてくれるんだもの。そんな訳ないじゃない」

  この三日間、蘇芳は夜以外はずっと自分についていてくれた。洗濯の場所を教えてくれたり、一緒に薬草の採集にも行ってくれた。そんな彼を邪険にするはずがない。

「でもね、やっぱり助け合いって大切だと思うの。私のできる事と言えば薬を作る事ぐらいだから、その力であやかしの皆の生活を手助けしたい。でもまず最初は仲良くなって、馴染みになってもらわないと始まらないわ」

「そう、ですか。…………ゆかりを独り占めできてるようで昼も夜も楽しかったのですが、この辺りが潮時ですかね」

「ん? 何?」

  蘇芳の呟きは独り言のようでぼそぼそとしか聞こえなかった。

「いいえ、何でもありませんよ」

  そう言うと、蘇芳は顎に綺麗な長い指を添えて考え込んでしまった。

「皆と仲良く、ですか。少し難しいかもしれませんね」

「え? どうして?」

「実際に見ていただいた方が早いでしょうね。一緒にいらしてください」

「あ、待って」

  蘇芳が歩き出したのでゆかりもそれについて行く。

  真っ直ぐとした彼の確かな足取りは、どこか目的地があるようだ。

「どこへ行くの?」

  ゆかりの疑問に蘇芳は歩みは止めずに顔だけで振り返った。

「中央の広場です。今の時間なら子供達がそこに集まって遊んでいますよ。その母親達も」

「へぇ」

  という事はいよいよ他のあやかし達に会えるという訳だ。

  ゆかりは緊張半分、期待半分で広場まで歩いて行った。




「いいですか、最初はこの茂みから隠れて様子を見てください」

  広場に着いたようだ。

  だが何故か蘇芳はゆかりにしゃがむように言い、広場の中に入っていく様子がない。

  ゆかりは怪訝に思いながらも言われた通りにした。

「うわぁ! すごい、色んなあやかし達がいるのね!」

  そこには様々な姿のあやかしがいた。

 あやかし達は明らかに人と違う姿をしている。

  獣の耳や尻尾が生えた者。肌の色が青色の者。鱗に覆われた者。見た事のない生物の姿を持っている者。

  不思議とゆかりには恐怖は湧かなかった。「仲良くなりたい!」と意気込んでいたせいもあるが、あやかしは人と同じで、いや、人よりも優しい面を持っていると蘇芳達と接していて分かったからだ。

「話しかけては駄目?」

  蘇芳を見てお願いしてみる。蘇芳は困ったような表情を浮かべて口を開いた。

「いいですけど……。ゆかり、これからどうなっても貴女のせいではありません。悪いのは他の人間達です」

「え? それってどういう……」

「立ち上がって、話しかけてみてください」

  蘇芳が何を心配しているのかは分からなかったが、話してもいいというなら、とゆかりは立ち上がった。

「こ、こんにちは!」

  なるべく多くのあやかしに聞いてもらおうと、息を吸って大きな声を出した。

  そのおかげか、広場にいた者全員の視線かゆかりに向けられた。

  人とあまり話した事のないゆかりは固く緊張しながらも言葉を続けようとした。

「私、ゆかりと言い……」

  しかしあやかし達は顔をさっと青ざめさせ、そこかしこから悲鳴をあげた。

「にっ、人間よ!」

「早く隠れて!」

「うわぁ逃げろー!!」

「怖いよぉっ!」

  ゆかりを見たあやかし達は我先にとその場から逃げ出し、ついには誰も広場にいなくなってしまった。

「……え? どうして?」

「皆、人間が恐ろしいのです」

  後ろで蘇芳が立ち上がり、呆然としたゆかりの目の前に回り込んだ。

「それこそどうして? 人があやかしを怖がるのは分かるのだけど、あやかしが人を怖がるなんて……」

「最近、人間がよくこの森に入って荒らしていくようになりました。この森には資源が豊富にあり、人間にとっては珍しい物も多々ありますから、あやかしがいる森でも武器を持って入ってくるのです。人間に傷付けられたあやかしも多くいます。だからあやかしは人間を見ると襲われないうちに逃げ出してしまうんですよ。少し前ならそんな事もなかったので、皆貴方をすぐに受け入れてくれたのでしょうけど……」

「そう。そんな事が……」

  酷い話だった。勝手にあやかしの住処に押し入り、勝手に荒らして帰るなんて。

「私が言ってもなんの意味もないのだろうけど、ごめんなさい。私も、そんな勝手な人間の一人だから」

「貴女が謝る事ではありません。人間もあやかしも、良い者もいれば悪い者もいる。俺はそれを分かっているし、貴女もそうでしょう」

  蘇芳はそう言ってくれたが、ゆかりは心は落ち込んだままだった。

「このままじゃ仲良くなるなんてできっこないわね」

「……ゆかり、大丈夫です」

  ふわりと包み込まれるような声色にひかれて顔をあげる。ゆかりは蘇芳と目を合わせた。

「人間とあやかしが仲良くなるのは難しい事ですが、俺と貴女は親しくなれました。だから大丈夫ですよ」

「それはあなたが理解のあるあやかしだったし、温羅様から私の面倒を見るように言われたから……」

「確かにそれもあるでしょうが、俺が貴女と一緒にいるのは温羅様に言われたからではありません。貴女が良い人間だからです。貴女は優しい人です。他のあやかし達も、いつかきっとそれを分かってくれます。避けられるのは今だけです。だからこれから一緒に頑張りましょう」

「蘇芳……」

  蘇芳の言葉と、その柔らかな笑みに励まされ、ゆかりも笑顔になっていた。

(そうね、そうよね。住み始めたばっかりなのだし、まだまだこれからだわ!)

「ありがとう、蘇芳。励ましてくれて」

「貴女は笑顔の方が素敵ですよ。そのままでいてくださいね」

「ふふっ。ええ、分かったわ」

  道は険しい。高い隔たりさえもある。

  だが蘇芳が大丈夫だと言ってくれるのならば、本当に大丈夫だとゆかりには思えた。

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あやかしの森で ~薬師の少女は鴉とともに~ 加賀見 文 @mashiro-512

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