第9話 泥だらけの猫
第一章 泥だらけの猫
あの夜、アスファルトに激しく跳ね返る雨の中、私はずぶ濡れで這いつくばっていた。
ブラウスのボタンは腰の辺りまで飛び、スカートは捲り上げられ、それはまるで泥だらけの猫のようであった・・・
「隣部屋、何だかうるさいよね」
絵美佳がそう言うまで気付かなかった。
しかし、可笑しなもので、これまで気にならなかったものが他人から言われた途端、気になって仕方がないものに急変してしまう。
佐久間玲子の場合、まさしくそれであった。 隣部屋の音は一般的な生活音とは違っていた。
コンコンコン・・・深夜になると聞こえてくる音は、騒がしいというレベルでは無いが、耳障りこの上ない苛立ちを私に覚えさせてくれる。
つまり、私にとっては迷惑な騒音ということである。
この騒音の正体が何なのか、いくつもの妄想を立てたりもしたが、いつもそれはただの妄想の範囲で終わってしまっていた。
そして・・・・今夜もコンコンコンコン・・・・ 土砂降りの雨は私の視界を妨げた。
ポツンポツンと小さく見える灯も、それがどの程度の距離のものか、把握するにはこの雨は強すぎる。
傍らに横たわったハンドバッグに手を伸ばし、ズルズルと引き寄せると、地面を流れる雨水が一瞬だけ方向を変えた。
失意?後悔?何それ?
私自身、何故ここに居るのか。
何故に土砂降りの雨なのか。
何故、灯が小さく少ないのか。
何一つさえ分からなかった。
幸いにも立つことは出来そうであった。
私は捲れたスカートの裾を膝の上辺りまで戻す。
十分過ぎるほどに雨を吸い込んだ布地は使い古された雑巾を連想させ、私はそれを少しだけ搾ったりもしたが、大して変わるはずもなかった。
・・・・靴は?
手探りで辺りを探してはみたが、ある気さえしなかったし、勿論、あることも無かった。 私は手負いなのか・・・
全身を滝のように落ちる雨。
私は股間に手をあてがった。
・・・・・違和感あり。
・・・・・くそっ。
私は、暗闇の中、地面につばを吐きかけた。 このところ、隣部屋からの音が聞こえなくなった。
あのコンコンコンコンという騒音だけではなく、ドアや窓を開け閉めする音さえ聞こえない。
「引っ越したのかな・・・」
玲子は、それならそうでこの上ない幸せだと思った。
このアパートを住まいとして八ヶ月。一度たりとも隣部屋の姿を見たことは無かったが、見えない音に悩まされた日常とはこれでサヨナラである。
それにしても、朝からいったい何の騒ぎだというの?
インターホンのモニターには、自慢げに警察手帳。
はい、はい。今開けますって・・・
そんなに慌てなさんなや。
「警察です」
それは見たら判るって。
「で、何事なんですか?朝っぱらから」
流石に驚いた。
まさか、隣部屋の奴が死んでいたなんて思いもしなかった。
という事は、騒音が無くなったあの日にはもう死んでいたという事だろうか。
ただ単に、部屋で病死ならまだしも・・・・
他人から恨みを買って天罰が下ったか。
そうなると、あの騒音は何だったのだろうか。
警察は他殺だとも事故死だとも言わなかった。
ただ、隣部屋の奴が死んだ事に対して何か気付いたことは無いかと。 勿論、私は「無い」と答えた。
嘘でも何でもなく、これは真実として。
それから暫くは警察が出入りしていたらしく、人の気配に少々うんざりした。
いい加減、そろそろ幕を引いてほしい。
だって・・・・・うるさいから。 アスファルト道路の両脇は、腰辺りまであるような雑草で、とても夜中に人通りがあるような場所では無かった。
それでも歩き出すしかない。
あの小さな灯りを目指して。
雨は止むことを知らないかのように土砂降りのまま。
私は、目に流れ込む雨を時折拭いながらもユラユラと歩を進めた。 剥ぎ取られたストッキングのせいで地面の冷たさが足の指の感覚を奪う。
冷たさから痛さに変わったが、今はそれすらも感じなくなっていた。
空を見上げると、大粒の雨が放射状に落ちてきて、そのまま天に登っていくのではないかという錯覚に墜ちた。
いくら歩いても小さな灯りは遠くに滲むだけ。
近づいてるのかどうか、判断する気持ちも無いままに私は歩いた。 少しだけ広い道路に出た。
これだけでも随分と安堵した気持ちになる。
たまにヘッドライトが私の横を通り過ぎるが、道路の端に溜まった水溜まりを撥ねて私の身体に浴びせるだけで、停まるような様子の車はただの一台も無かった。
それはそうだろう・・・
こんな深夜に、それも視界も捉えられない土砂降りの中、ドロドロになった女が一人道を歩いている。
これは幻か、それとも・・・・ 私は新聞を取っていない。
だから、三面記事の類いの情報は全てテレビのニュースから流れるものばかりで済ませている。
だからと言って、毎日必ずニュースを見るかと言えば、決してそんなことは無い。
それは何故か。
簡単なことである。
生まれ持った性格。
そう。気まぐれなだけ。 今夜は気まぐれだった。
本日最後のニュースで切羽詰まった演技をしながら女性アナウンサーが口にした言葉は・・・・
・・・・・他殺事件
そう、隣部屋の奴は誰かに殺されたのである。
先日の頻繁な家宅捜索で何かが見付かったのか、はたまた、死体からそう断定したのかは分からないが、とにかく奴は殺されたのである。 しかし、隣部屋の奴が殺され、私が犯られた。
まさか、このアパートに何かがあるのではないのか。
この一つ屋根の下、人殺しと共存しているなど考えたくもないが、状況はその可能性を否定していない。
だとしたら、奴同様、私も知らないうちに誰かに迷惑を掛けているという事か。 私は静かに廊下を歩き、部屋では息を潜めるように暮らしている。
嫌という程に周囲に気遣いをしているのだ。
そんな私が恨まれるはずは無い。
・・・・・・・しかし。
狙われたのは確かなこと。
身に覚えの無いことで的にされたのなら、あれは警告ということか。
だとしたら、次は命を・・・・ 警察には何度言おうかと考えた。
しかし、タイミングが悪過ぎる。
いわれもない事で冤罪を掛けられてしまう事もゼロでは無いだろう。
おまけに、犯られたことを一部始終聞かれるのは分かり切っている。
それも事細かに・・・
そうなった場合、あの夜の記憶が定かとは言えない私は、道理に合わないことを言う不審人物と化し、喜ぶのは警察と犯人だけ。
とてもじゃないが、そんな残酷な結果は私は要らない。 この件については口をつぐむことを心に決め、胸のずっと奥にしまい込んだ。
犯人は、隣部屋と私の部屋の近くに違いない。
そうなると、やはり原因は騒音だということか。
・・・・・・真下?
この部屋の下か隣部屋の下の部屋の住人が犯人なのか?
どちらにせよ、面識はない。
男なのか女なのか、若いのか中年なのか、今の私には情報が貧し過ぎるのは明らか。
見えない人間ほど怖いものである。 翌日から時間を決めて張り込んだ。
一般的な出勤時間となる朝と帰宅すると思われる夕方の二回。
自分の出勤に影響を及ぼさない範囲で道路に立つ。
あくまでも自然体で。
しかし、どちらの部屋の住人もその時間帯には姿を見せなかった。
・・・・・・逃亡か
私と同じく警察から職質は受けてるだろう。
まあ、それならそれで私の疑いは消えて無くなるから好都合ではあるが。 その翌日、またもやインターホンが鳴り、またもや自慢気に警察手帳が画面に映し出された。
ドアを開けると、「警察です」と改めて言われた。
刑事は、この前と同じ人物であった。
「今度は何の御用ですか?」
さすがに私もうんざりとする。
「いや、何。今度は他の部屋の人が居なくなりましてね」
「それが私と何の関係が?」
「行方不明になったのは、この部屋の隣の人と真下の部屋の人なんですよ。何かね、貴女を残して周りの人達が殺されたり行方不明になったりで・・・・それで」
「それで?」「あ、いや。何か気付いたことでも無いかと思いましてね」
刑事はいかにもバツが悪そうに作り笑いをした。
「いいえ、何も」
「音とか声とかは?」
「いいえ、何も気付きませんでしたが」
私は考える素振りを見せるよりはハッキリと言い放ったほうが良いと思った。さっきの言い方だと私に疑いを掛けているのは手に取るように解る。いや、解るというよりもわざとカマを掛けて私の表情とか振る舞いを観察している。顔はニヤニヤしているが、目は狼そのものである。
「そうですか。付近を聞き込んだのですが、何せ情報という情報が何一つも無くてですね。では、何か思い出したら連絡下さい」
刑事は、浅村佳祐と書いてある薄っぺらな名刺を差し出すと、「では、また」と行って帰っていった。私は、部屋に入るなり浅村の名刺を丸めて部屋の角に置いた小さめの黒いゴミ箱に放り込んだ。
第二章 雨
「何が連絡下さいだ。バーカ」
それにしても、階下の住人が居なくなったと警察が知ってるという事は、捜索願いでも出ているのか。刑事は、あくまでも居なくなったというだけで、隣室の住人のように死体で見付かったとは言っていない。ならば、巷で耳にする夜逃げというやつなのでは無いのか。借金から逃れる為に人知れずに住まいを変える。この可能性も無くはないだろう。だとすると、これも私には無関係だ。何も気にする事は無い。
翌朝、出勤する為にアパートから出た瞬間、いつもとは違う違和感を感じた。足を止め、振り返ろうかとも考えたがそれは止めておこう。多分、あの浅村に違いないだろうし。昨日の今日で警察を気にする素振りは大きなマイナスとなる。そんな些細なことがキッカケで冤罪にでも持ち込まれたら堪ったものではない。 私は、他の人達の歩調に合わせ駅に向かった。
電車に乗る。同じ車両に奴が乗っているのは間違いだろう。私は、立ったままずっと車窓に顔を向けていた。
駅に着くと、いつものように通路がごった返す。尾行してくるという事は私の会社でも確認しようという事か。隣室の住人の死亡推定時刻辺りの私の退社状況でも会社に問い合わせるのかも知れない。そんな事でもされたらこっちは大きな迷惑だ。私は、あっちこっちから肩や背中を押されながらも巧みに人混みに紛れた。
駅を出て少し歩いたところで尾行の気配がしなくなった。だが、油断は禁物だ。あの角を曲がって奴がついて来ていない事を確認して会社に向かったほうが良いだろう。もしもの事を考え、角を曲がるとすぐに立ち止まり、スマホを取出し電話を掛けているようなマネをしよう。
腕時計を見ると二分が経過した。どうやら奴は私にまかれたらしい。
私は、スマホをバッグにしまうと会社へと向かった。
会社では何も不穏な事は起こらなかった。今日のところは先ずは一安心だ。私は帰宅の電車に乗り込んだ。毎日の事ではあるのだが、この時間帯の電車の混み様には閉口する。ただ単に混んでいるだけなら良いのだが、私の場合は高い確率で痴漢に会うのだ。尻だけならまだしも、見境もなくそれ以上の行為に及ぶ輩がいるから手に追えない。たまには触っている手でも掴んでやろうかと思うが、そんな汚らしい手に触れることのほうがゾッとする。そして今日もタイトスカートの上から私の尻を撫で回し始めた。私は、駅に停まる度に場所を移動し、相手が諦めるのを待つ。四つ目の駅を過ぎたところで痴漢の手を感じなくなった。毎度毎度のことながらホントに変態の多い電車だと逆に感心してしまう。 翌朝は尾行の気配は無かった。もしかすると他に容疑者が見つかったか。そうであれば私は救われるのではあるが、事が確定するまでは気を抜かずに生活するに越したことはない。
週末は午後から雨になった。天気予報には気を遣う私のバッグには折り畳み傘が待機している。出来れば、今夜の飲み会が終わる頃には雨も上がっていて貰いたいのだが、こんな事を願っても仕方がないことくらいは私にだって分かるというものだ。
飲み会での会社の連中のはしゃぎっぷりは見事としか言い様がないザマで、夕方以降もそんなに元気があるのなら、勤務時間内にもっと働けば良いのではないかと思うが、決して口にすることはしない私はお利口さんなのだ。
居酒屋での飲み会が終わるとカラオケに誘われた。だが、お利口さんの私は丁重に断り、家路につくことを選択した。雨はまだ降っており、幾分が雨粒も大きくなっている気がした。今夜の電車には痴漢は潜んで居なかった。他の女性の場合は知らないのだが、とにかく私は無事に駅に到着出来たのだ。
駅から外へと出た。雨は相変わらずであった。
目前の交差点の先の大橋では、傘をさしていてもこの横殴り気味の雨では恐らく濡れてしまうだろう。だが、後はアパートに帰るだけだ。濡れたってどうってことは無い。私は、橋に向かってサッサと歩きだした。
橋を通り過ぎると予想通り、腰の部分から下はびしょ濡れになっていた。会社へ向かう時ならいざ知らず、帰宅するだけの私にタクシーなどこの上なく勿体ない。橋の先を左折し、そしてまた右に折れる。ここまでくればもう少しだ。歩いてるせいか、今ごろ酔いが回ってきた気がする。アパートに着いたら今夜は早目に寝てしまおう。
最後の小さな交差点を右折した。暫くは暗い夜道だ。そう思った時、後方からニュッと腕が現れ私の顔を覆ってきた。上半身に回された反対側の腕と、押さえ付けられた顔とで身動きが出来ない。そう思うのもつかの間、私の意識は一瞬の内に飛んでしまった。 翌日、目が覚めると開いたままカ―テンの間から眩しい陽の光が射していた。
「今、何時だ・・・・」
小さな白いテ―ブルの上の時計を見ようと上半身を起こそうとした。
「痛っ・・・・」
身体のあちこちに強い痛みが走った。どうしたのだろうと思い身体を見ると、乱れて破けた服のままの格好が目に入り、私は仰天した。
「何なのよ、これ?」
乱れて破けた服は濡れに濡れ、おまけに頭は朦朧としている。上手く繋がらない思考回路で昨夜のことを思い出そうとしたが、歩いてる最中の記憶が途中から途切れていた。
第三章 ニュース 動くことが出来たのは夕方近くになってからであった。目が覚めてから何となく気に掛かっていたパンツを脱ぐと、半分乾きかかってはいたが、ぬるっとした液体が大量に付着していた。
「えっ?」
電車で痴漢に会った訳でも無い。ここの記憶は確かにあるのだ。となると、昨夜の空白となった時間に・・・・
私は急いでパンツを脱ぎ捨て、テレビのスイッチを入れた。夕方のニュースは既に始まっている。下半身裸のままテレビの前に正座して画面を凝視した。見始めてから二つ目のニュースだった。アナウンサーは男の変死体が発見されたと騒いでいる。現場はこの街だ。死体の男は、喉を鋭利な刃物で刺されており、出血死している。だが、可笑しなことに、上半身は服を着ているが下半身は裸だという。倒れている近くにイソフルランが入った小さなビンが落ちていたが、事件との関連性は調査中だが、凶器の刃物はまだ見つかっていないと伝えた。 動くことが出来たのは夕方近くになってからであった。目が覚めてから何となく気に掛かっていたパンツを脱ぐと、半分乾きかかってはいたが、ぬるっとした液体が大量に付着していた。
「えっ?」
電車で痴漢に会った訳でも無い。ここの記憶は確かにあるのだ。となると、昨夜の空白となった時間に・・・・
私は急いでパンツを脱ぎ捨て、テレビのスイッチを入れた。夕方のニュースは既に始まっている。下半身裸のままテレビの前に正座して画面を凝視した。見始めてから二つ目のニュースだった。アナウンサーは男の変死体が発見されたと騒いでいる。現場はこの街だ。死体の男は、喉を鋭利な刃物で刺されており、出血死している。だが、可笑しなことに、上半身は服を着ているが下半身は裸だという。倒れている近くにイソフルランが入った小さなビンが落ちていたが、事件との関連性は調査中だが、凶器の刃物はまだ見つかっていないと伝えた。 下半身裸って何よ?
イソフルランって聞いたこともない。
「えっ?」
ちょっと待ってよ。死体は下半身裸。私の状態と照らし合わせると・・・・
これって、私が係わってるってことになるの? でも、私は刃物なんか持って無い。
もしも死体の陰部のDNA検査でもやられたら、私の何かが出てくることも考えられるのだろうか。
確か、唾液でも反応が出ると聞いたことがある。それが本当なら私の液体が検査に反応してしまうのではないのか。
私はハッとしてバッグの中を床にばらまいた。だが、刃物は何処にもなく、血痕さえ付着していない。私、何処かに捨てたのだろうか。だけど、歩く範囲なんてたかが知れている。もしもその辺りにでも捨てていたら、もうとっくに発見されていても可笑しくはない。それとも、発見されないような場所を探して捨てたのだろうか。そう考えると何が何だか分からなくなってきた。
だが、きっと奴はまた私のところへ来るだろう。あの目は絶対に私を逃すまいとしている黒い光を放っていた。もしも、殺害された時間の直前に駅辺りのカメラにでも映っていたら最悪だ。それだけで私のアリバイは無くなってしまう。 そう思ってしまったら、何とか嘘のアリバイを作らなくてはならない。駅に居た時間は操作出来ないだろうし、何処かへ寄り道したと言っても証人は作れない。考えは行き詰まった。
翌日の朝早く奴はアパートのインターホンを鳴らした。
「毎度毎度ゴメンなさいね。それで、一昨日の夜ですが、貴女は何をされてましたか?」
露骨な質問だった。
私は、何時頃の電車で駅に着いた事を簡単に説明した。
「ほう、いつもそんなに遅い帰宅なんですか?」
恐らく、その前日も、そしてまた前々日の駅を通った私の時間でも確認したのであろう。その自信満々な口調はそれ以外には考えられない。
「その日は会社の飲み会に参加したものですから」
「ということは、普段はもっと早いと?」
「ええ」
浅村は、「なるほど」と理解したような言い方をしながらも手帳にメモしていた。
「で、駅からここまでは?」
「帰宅したに決まってるじゃありませんか」
「駅からそのまま帰宅したと?」
私は溜め息をついて見せた。
「あの夜は大雨だったんですよ。そんな中、帰ると思いますか?」
「では、タクシーか何かでも?」
「そんな勿体ない。小降りになるまで駅のトイレで雨宿りですよ」
「トイレで?どうしてまた?」
「立ち尽くしてるとキツかったから、トイレの便器に座ってました」
「どの程度でしたか?」
「そうですねえ。一時間は過ぎたと思いますよ。中で読んでいた本の区切りが良いところで外を確認してみたから、そんなもんだと思います」
「一時間ですか・・・・」
浅村は、このやり取りに納得出来ないようで、腕を組むと少しの間考え込んだ。そしておもむろにこう切り出して来た。
「そう言えば、その日に来てた服はありますか?あれば見てみたいのですが」
「昨夜洗濯して部屋干ししてるんですが、もう乾いてるかも」 私は、ハンガーから服を外すと浅村の目の前に差し出した。浅村は、触っても良いかと確認すると、服を頭上に広げた。勿論、裏も同様にしっかりと目を通している。私は、その様子を無言で眺めた。
第四章 偽証
「どうも」
「あの・・・・、服がどうかしたんですか?」
私はわざと聞いてみた。
「いや、別に」
そう答えると、浅村は顔の隅に少しばかりの残念さを浮かべながら私の前から消えて行った。
そんな背中を見て、私は可笑しくて大声で笑いこけたい気分になった。
「馬鹿野郎。お前の魂胆なんかお見通しなんだよ」
玲子は、昨日の朝イチで同じ店から同じ服を購入し、すぐに二度洗濯機に掛けていたのであった。
それよりも奇妙なことが夕方のニュースで流れた。 殺害された男は下半身裸であったが、何故だか陰部だけが切り取られており、それが付近の何処を探しても見つからないという。警察は、続けて90人体制を崩さずに捜査する方向だということであるが、そのニュースを聞いた私も首を傾げるしか無かった。
捜査は難航した。しかし、現実問題として隣室の住人が死体で見つかり、階下の住人が行方不明なのである。隣室の住人を殺した犯人も捕まっていないのに、今度はアパートの住人ではない男が変死体で見つかった。捜査本部としてもこれが同一犯人なのか別々の犯人なのか、どちらとも言えない状況に苦悩していた。 玲子にはどうしても引っ掛かるところがあった。
行方不明になった階下の住人のことである。
正確にはいつからなのかは分からないが、先日の事件の夜か、またはその少し前か。とにかく、その辺りで居なくなったという事は、今回の事件に何か関与している可能性も考えられる。もしかしたら、隣人の事件についても関係があるのかも知れない。
早速、管理会社に問い合わせてみた。だが、住人がいくつくらいの人間か。男なのか女なのか、何一つとして教えてくれなかった。よくよく考えてみれば、それも当たり前の事である。逆の立場であれば、他人においそれと情報を流してくれるアパートなどに住むのは常識からみて外れているのだから。
アパートの他の住人は階下の住人を見たことあるのだろうか。いっそのこと他の部屋の住人に聞いて廻ろうか。いや、ちょっと待て。浅村がこの部屋に来たという事は、他の部屋にも聴き込みしてることは十分に考えられる。もしも、再度浅村がこのアパートに来た時に他の住人から私が階下の住人について聞いて来たなんて言われたら最悪だ。 だが、浅村はまたやって来た。
「実は妙な事を聞いたんですが、もしかしたら下の階の男性とお知り合いじゃないんですか?」
「はあ?」
「お知り合いですよね?」
「お知り合いな訳ないじゃないですか。男だって事も今聞いて初めて知ったんですよ」
私はムカついた。
「まあ、落ち着いて下さいよ」
ヘラヘラした口調だったが、浅村の目はまたしても野蛮な獣を匂わせた。
「そうなると可笑しいですよねえ・・・・」
「何がですか?」
「いえ、それがねえ。貴女が部屋を出ると必ず彼が付いて歩いてるという目撃証言があるんですよ。それでもお知り合いじゃない?可笑しいですよねえ・・・・」
第五章 目撃者
恋は陽炎 ~道化師の初恋~ はるのれいん @kenmeriaso82
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