第10話 無能:010「ハイエナ作戦」
1時間だろうか、2時間だろうか。
俺は、その場で腰を抜かしたままだった。
あと数時間で、夜明けだろう。やや、東の空が明るくなってきている。
俺は呆然としていたが、大して皺のない脳だけはフル回転していたようだ。
無能でバカだからこそ、頭だけはフル操業させないといけないのかね?
体が言うことを聞くくらいには、緊張状態から回復している。
多分、足は頼りなく地をふわふわと踏み、体はふらふらと揺れるだろう。
しかし、ともかく動くしかない。
動け。
そう決めただろう。
***
俺は思いの外、楽に立ち上がり、難民集団の残骸に向けて丘陵を下る。
浮遊感覚。踏みしめている実感がない斜面。それでも、俺は足を進める。
ヒル・ブロッカーは、金品には興味が無いのだろう。
道具にも、無関心だった。
あの惨状に怯えながらも、俺の頭は目から取り入れた情報を……あれ?
「……なぜ、見えた?」
俺はつい呟いてしまう。
あの場には、難民たちが持つ少数の松明程度の光源しかなかった。
ヒル・ブロッカーたちはそもそも光源を持っていなかった。
なのに、『俺は見えていた』のだ。それも、詳細に、だ。暗闇に邪魔されずに、だ。
甲冑ごと丸呑みされる男や、四肢を解体されて美味しく食べられる少女まで、全てが鮮明に見えた。
思えば、今だってそうだし、この道中もそうだ。
森の中を抜けるのに、あるところまでは光源もなく苦労したが、どこかの時点からは楽になっていた。
あっという間に森を抜けたし、その後も順調にこの場まで来た。
丘陵の地形的な意味で視程を制限されたが、暗さは問題にしなかった。
なぜなら『見えていた』からだ。
「……」
じっと手を見る。
よく見える。
今までの商会の生活とは縁遠い、汚れきり、大小さまざまな擦り傷だらけの手だ。
今は、明け方ちょっと前の暗闇である。
光源は月明かりのみで、他には何も無い。その月明かりも、丘陵の窪地ゆえに光が遮断されている。
難民たちの松明も、とうの昔に消えている。
暗視?
いつのまにか、クリムゾンアイズのように暗視の体質になったのか?
不思議現象過ぎる……。
生物は、適応進化により云々……いやいや、それ数世代重ねて淘汰されてだから。
突然変異?
いやいや、そんなこと聞いたことも無い。
自分が知ってること以外の世界が大量にありまくりで、この2日の間に一挙に降りかかって来たことは置いといて、とりあえずだ。
「バカなので、考えてもしょうがない」
よし、こうしよう。
決めた。
***
さて、今後のためにその1。
「ハイエナ作戦開始」
俺は、難民たちの残骸を漁ることにした。
暗視のおかげで暗闇でも作業は楽で、次々と価値のある物、役立ちそうなものを見つける。
便利な背嚢や臭くない旅装束まで揃っていた。
ここは、俺が今後を生き抜くために必要な宝の山なのだ。
***
「短い間だったが、今までよく頑張ってくれた。休むことを許可する」
俺はそう述べて、自称森の主の小屋から借りてきたものの大半を、大地に返すことにする。
「そして、諸君。新たな仲間を紹介しよう。難民たちの部下だったが、数奇な運命からわが軍に参集した精鋭たちだ」
と、俺は演説する。やっぱ、士気高揚には勇ましい演説だな。
こういう演説のチャンスは、別れと新しき出会いの時だ。
よし、俺様、士気回復。回復した。大丈夫だ、わが軍はあと10年は戦える。何と戦うのか分からないが、大丈夫だ。問題なし。
参集した部下の中で最も目を惹くのは、戦斧だ。
使い込まれていないほぼ新品。
斧は便利だ。
木を切れるし、杖にもなるし、ハンマー代わりにもなる。斧1つで、家が建つと言っても良い。
勿論、武器にもなるが、俺は戦闘などしたことがない。訓練も受けてない。よって、そっち方面は用途として考えない。
難点は重心が不均衡なので持ち歩きに不便なことだが、これは斧頭を上にして杖にすることで解消する。
ベルメという男が持っていたのはもっと戦闘を意識した肉厚の戦斧だったが、こっちのだって悪くない斧だ。
戦闘は二の次どころじゃなく、全く考慮しないからな。
次に、ロサルツ金貨5枚、表面が削れて出所が不明になった使い古された銀貨と銅貨が小袋3つずつ。
ある事情から金貨のほうは安易に使えそうもないが、銀貨と銅貨は新しく換金すれば使えるだろう。
ロサルツ金貨は魔導具であり、所有者を固定する機能が施されている。このせいで、盗んでも容易に使えない。
しかもこの金貨、レンズ王室保証金貨であり、レンズ共和国では没収対象になっている。
おいそれと使ったり見せびらかすと、今の情勢ではろくな事態を招かないだろう。
かといって、置いていくのは惜しい。この金貨1枚で、質素に暮らせば2年は生活できる。つまり、10年分の生活費に相当するのだ。繰り返すが、わが軍はあと10年は戦える。
所有権を俺に変更する手段が無いわけじゃないし、俺はバカなので持っていくことにする。
「ま、人類が10年先にも存在するとは限らないけど、さ」
受けた衝撃は柔らいでも、それによって生じた痕は残る。益体も無い愚痴を、時々言葉にして排出でもしないと参ってしまいそうだった。
しかし、現在、自分がボッチで良かったと思う。
誰かがいたら、こんな風に自主的になれたとは思えない。なんとなく状況に流されたり、誰かの後をついていくだけになっていただろう。無能ゆえに、だ。
今の自分が有能で、ポジティブとは思えない。
だが、以前よりは『分を弁えずに進めている』とは思う。
まぁ、蛮勇、いわゆるバカとも言えるけどな。
しかし、バカゆえに、幸運に恵まれているのかもしれない。
俺は、まだ生きているのだ。
***
ハイエナ作戦は完了した。
周囲を見渡す。
難民たちの残骸には、血糊しか残ってない。
ヒル・ブロッカーたちは、人間の体を骨まで食ってしまう。
礼節とかそういうのじゃない。
生きる糧を奪うことの贖罪とも違うし、後ろめたさでもない。
彼らは死に、俺は生きている。だから、そういうのじゃない。
だが、俺はその残骸に向けて頭を下げた。
何に対して、どんな理由で、とか、そういう理屈はつけない。
バカだからな。
何かをもらったら、頭を下げる。感謝する。率直で単純でいい。
東の空に太陽が昇りつつある。
しばらくして頭を上げたら、綺麗さっぱり難民たちのことは忘れる。
俺は、踵を返して東北東に針路を取った。
***
目標は支線街道。
さて、進むぞ。俺。
無能男の異世界人生。 @SABAR
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