第9話 無能:009「蛙に教えられた現実」

こっちの世界の俺が幼い頃、一族の総帥である曽祖父が会食中に言った。


「スミス家の一員たる者、利用できるものは何でも使え。自分自身の分で無く、一族の分で財を成せ」


前世では平凡な日本人だった俺は、反射的に嫌悪感を持った。

曽祖父の笑顔を1度も見たことが無かったことも、反感の一因かもしれない。

可愛がられた記憶がないことで、子供である俺の体が自動的に反発したのだろうか。幼さは時として罪である。


商会総帥である曽祖父が言いたかったことは理解できた。

その言葉そのものには、あまり意味が無かったのだ。


まず、その時、スミス家の全体的活力が低迷しかけていた。

一族の過半数にあまり成果が見られず、衰退期と言ってよかった。

事業が上手くいかないのは、景気のせいだ。

見る目が無い貴族のせいだ。

あいつのせいだ、こいつのせいだ。


そんな空気が、商会幹部の過半数に蔓延していた。

自分の分で仕事をしてると思うから、誰かのせいにしてしまう。

自己正当化の最も原始的な、そして幼稚な感情に囚われた逃げ精神の発露である。

だから、曽祖父は『各人が一族全体の看板を背負ってることを強調し、それに相応しい行動をしろ』と言ったのだ。

優秀なやつは、即座に気づいた。

多分、あいつらは言われるまでも無く気づきかけていたし、気づいていたやつもいたかもしれない。

平均的なやつらは、優秀なやつらの背中を見て気づく。つまり、後から気づいた。

無能な俺は、つい最近まで気づかなかった。ただ、内心で嫌悪感をもち、反発してきただけだ。

何かをするのに、自分自身だけでやる必要はない。

むしろ、数こそ力であり、そこに少しだけ運と実力があれば目的は達成されるのだと。

どこかの誰かが利用されてくれるかどうかは、その目的の内容と状況の流れ、つまり運次第でもある。

言葉にすれば簡単だが、実行するとなると『はるか地平線の先まで歩かなくてはならない、先の見えない億劫さに萎える』と『やらずに済むイイワケ探し』が始まってしまう。そう、ビッグマウスのニートのようにだ。

仕事より趣味に時間を使いたいとか、もっと優秀なやつがやるだろうとか、そういう方向に自分の意識が流される。

そこそこの財産を稼いだら、あとはハッピーリタイアでもいいじゃないか、とかな。

曽祖父は鋼鉄のように堅く冷たかったが、一族の者に対して直系・傍系の区別以外の不当な差別をしなかった。

入り婿だろうと入り嫁だろうと、養子だろうと実子だろうと、悪人だろうと善人だろうと、能力があり財を成せば相応の地位につけた。

好き嫌いや相性、そんな基準で選り好みして歩けるほど、この世界はヌルくない。

清濁好悪、全部呑みこむ者が、最も目的達成に近づける。生きる目的を喪失した抜け殻にならないための、たった1つの実践的方法。

多分、そういうことなのだろう。

曽祖父は、それを実践していた。


***


だから、なんなのだ?

なぜ、今こんなことを思い出す。わけがわからない。

目前のおぞましい状況、現実に存在する『世界の別の切り口』の凄惨さ。

人が鹿を狩る時と同様に、カエル人間が人を狩るという現実だ。

俺は、勘違いをしてきた。人間は万物の頂点で、集団としては決して狩られる側ではないのだ、と。

だが、現実はこうだ。目前で、ヒル・ブロッカーの群れに人の集団が狩られ、食われている。

それを前に怯え、震え、慄いて何もできない俺に、どうしろと言うのだ。

こっちの世界では、それなりに高度な社会を作っている人種でも、生態系の中に埋没した1つのか弱い生物に過ぎない。

頭では分かっている。だが、体で実感したのは、今日が初めてだろう。

そりゃ、冒険者など存在できるはずもない。

俺が想像する数人の冒険者がこの状況に放り込まれたら、高名な魔道の使い手であったとしても、どうにもならない。

カエル人間を駆逐する前に、丸呑みされてしまうだろう……。

結果的に、ここで起きていたことは戦闘ではなかった。

ただの、生態系の食物連鎖、その一様でしかなかった。

難民は老若男女区別無く、全てカエル人間の腹におさまった。

そして、数日後には排泄されるのだ。

排泄物は、地に吸収され、植物や虫の養分となる。一部は、大気中の元素と反応して別の養分となる。


***


満腹になっただろうヒル・ブロッカーの群れは、俺に気づいていたのに、無関心だった。

そのまま赤いヤツに従って、別の丘陵を上っていく。おそらく、その方向に巣があるのだろう。

俺は、ヘナヘナと地に腰をつけてしまう。

『どうして、あなたのような人が、そんなに強くなれるの?』

『強くなれなければ、生きてこれなかっただろう。優しくなれなければ、生きている価値もないだろう』

有名なある小説の名文句と、その直前の問いかけが一緒に頭に浮かんだ。

だが、俺は……。

「……た、助かった」

情け無い話だが、俺の口から漏れたのは限りなく無様に近い、醜悪な言葉だった。

人類は、その文明圏でのみ偉そうにしている。

俺もその一員だ。

生態系最強の種族だから、内輪揉めして暗殺とか虐殺をしていられるのだと無意識に思っていた。

文明こそが、人類の生存圏であり、他の種族を超越する証なのだと思っていた。

しかし、そこから一歩でも外に出れば、捕食者じゃなく獲物でしかない。

衝撃だった。

俺個人の無能さとか、そういう次元の話ではない。

この現実は、生態系が少しでもバランスを崩せば、人類は滅びてしまうことを意味している。

しかも、荒唐無稽な話ではなく、例えばヒル・ブロッカーという種1つが何かの間違いで大繁殖してしまった場合、この辺り一帯の人類は食われ尽くすと言うことだ。

増えた分だけ、食い扶持を確保しなくてはならないのだから。

モンスターの中の、たった1つの種の生態均衡が崩れるだけで、一瞬にして世界の様相が変化する。

ここは、そういう世界なのだ。

主人公無双で殺戮しまくっても、生態均衡の崩れにはなんの意味もない。

大自然の所行――大津波や大地震、地殻崩壊――に、無双勇者がなんの役に立つというのか? 何の役にも立たないのだ。

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