Episode5 審判



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 二〇一三年十二月三十日―。

 今年もあと残り二日で終ろうとしているにもかかわらず、東京東光撮影所では相も変わらず『スカイフォース』の撮影は続いていた。一応、今日が年内最後の撮影ということになっている―いや、絶対に終わらせないといけない。東光には労働組合ユニオンが結成されていて、その協定で昔と違い、大晦日と正月三が日はいっさい労働をさせてはならないという取り決めがあった。これは別に『スカイフォース』チームだけでなく、全てのテレビ撮影班に当て嵌まる取決めであった。なので、今日中に年内の予定スケジュールを全て終わらせる必要があった。……もっともそれは撮影所のスタッフに限った話で、真由香は明日大晦日も造型スタッフとの打ち合わせ、本社で予算の承認申請を行うなどスケジュールは目白押しなのだが。

 現在二〇一四年三月に放送予定の第八話・第九話の撮影を行っているも、制作部からは「まだ予定を消化していない」との連絡を貰っている。長門のこだわりが強いせいもあるのだが、先日天候が崩れてロケが数日中止になったことも響いていて、このままでは年明けの次の組に皺寄せが行くのは必至の状況であった。

 戦軍シリーズを取り巻く状況は厳しいものがあった。シリーズ第三十三作目の『稲妻戦軍サンダーフォース』はつい先日、一年間に及ぶ放送をフィニッシュしたが、最終的には平均視聴率はシリーズ年間平均ワーストの4.1%。また肝心要の玩具の売上も不振のまま終了した。クリスマス商戦の数字においても、全国の玩具屋、流通販路より「不調」との回答が多く寄せられていて、担当者は現在お詫び行脚で日本国中を飛び回っている状況であるという。


 

 撮影所内で夜二十時から大納会が行われるということもあって、この日は東光側のプロデューサーである真由香、東條、槇、小曽根と全員揃って東光テレビプロの第二会議室に集まっていた。ただ主目的はその納会目当てというのではなく、脚本家の能勢、監督の北村と頭を突き合わせて、第十話・第十一話のホン打ちだった。

 時刻は十五時過ぎ。

 北村尚哉は四十台後半で、ほぼ東光のテレビ特撮一筋のキャリアの持ち主だった。今から十年くらい前に監督に昇進し、コンスタントに本数を撮っている。頭髪がやや薄くなっているが、若々しい顔つきの演出家である。

「まあ、長門組のスケの尻拭いはこっちで引き受けますよ。一日くらいはね、減らしてくれてもいい。……でも、北村の力量も試されるなんて、カントク言いたい放題だよなあ」

 年明け一月上旬発売予定の『特撮NEWHERO WAVE』の記事を見ながら、北村が苦笑する。北村は若き頃、長門の下で助監督を務めていた経験もあり、長門の性格は知り抜いているようだった。

 ちょうどホン打ちの合間の休憩時間、モナカを頬張りながら雑談のひとときだった。

「一言では言えないくらい、僕のキャリアに影響を与えた人ですね」

「申し訳ないですとしかいいようがないです」

 真由香は北村に頭を下げる。『特撮NEWHERO WAVE』の対談の記事は、特撮ライターの福岡健太がコンパクトに纏めてはいるが、ほぼ一方的に長門が喋りまくっていた。マシンガンボイスとでもいうのか、長門のトークは言いたい放題で止めようがなかった。北村と阪口のくだりについては本当は二人の悪口をもっと言いまくっていたのだが、そこはバッサリとカットされている(というより、ゲラの段階で真由香が指定してカットさせた)。当然そんなことを北村本人に言えるわけもなく―。

「―ヒーローは眠らない、ね」

 東條がメガネをずり上げると、そう呟いた。「ちゃんと太字になってるね」

「本当に眠らないでほしいよ。こっちのおまんまが食い上げになってしまう……まあ、そうならないためにベストは尽くしますけどね」

 北村監督が咳払いをすると、気を引き締めるようにそう言った。

 ヒーローは眠らない、という言葉はあの場で咄嗟に出てきた。急に頭に浮かんだフレーズだった。自分の仕事は言うまでもなく、現在の担当番組『飛翔戦軍スカイフォース』を成功に導き、東光はじめ協賛各社に利益を齎すことではあるが、それだけではない。もし番組を失敗させ、三十年以上続いたシリーズを途絶させるような事態になれば、日本のテレビ史に綿々と続いてきたヒーロー文化までをも終焉させてしまうことになる。所詮はショービジネスと揶揄されようが、時代遅れの遺物と後ろ指を指されようとも、やはり「ヒーロー」を眠らせてはいけないのである。子供たちが毎週日曜一七時三〇分に心躍らせるひとときに自分がピリオドを打つわけにはいかない。

 そう、強く思う。

「あいつらも、頑張ってますよ。だいぶ、演技がサマになってきてます。今日も長門監督のシゴキに必死に耐えていました」

 そう報告するのがアシスタントプロデューサーの小曽根卓だった。主役の五人と年齢差が一番ないので、兄貴分的存在で彼らと接していると聞く。

 ただその感想は真由香自身も感じていることだった。先程、撮影現場をちらと見学したがメインキャストの五人の動きが見違えるようになっていた。これは何もスーツアクターを含めた出演者だけに限らず、スタッフの動きも洗練されていた。以前真由香に文句を垂れていた照明マンの河野圭介も、長門のこと細かな指示に従順に耳を傾けていた。

「あの人の言うとおりに芝居をしていれば、自分たちを綺麗に、カッコよく画面に切り取ってくれることは確実なわけだからね。パイロットの撮影の時はなんじゃこのシジイは、なんて内心反発してたんだろうけどさ」東條が椅子に深々と身を預けた。「完成品を見て確信したんじゃないの。このジジイに身を任せていれば、自分たちを格好良く映像に切り取ってくれると。役者たる者、どんなに無茶でワガママで人間的にはどうしようもない奴であったとしても、有能な演出家には絶対的な信頼を置くものだよ。楽団員は才能ある指揮者を無条件に崇拝する」

「随分好き勝手言ってますね。僕は長門信者なんで、そんなこと口を避けても言えませんけど」

 能勢は苦笑しながら、チョコモナカを口にする。無論ライターなんて、現場での苦労を知る由もない。そのかわりにこの男は、一人脳内でいろいろなものと戦っているだろう。

「ところで宮地さん、あの24ちゃんねるの魚、あれからどうなったの?」

 話題を変えるように槇が発言する。天敵長門の話題になると、無意識に話題を変えたくなるのだろうか。ぎこちないながらも最近では長門との距離は縮まっているように思えたのだが。

「それがですね」うーん、と真由香は思わず唸る。「最近はとんと。忙しいのか、飽きたのか、まったく姿を表わさなくなって」

「まあ人騒がせな魚だったけど、消えたのなら何よりだよ」

 東條がそう決めつける。「残念ながら、そういった不届き者が身内にいたというのは至極残念ではあるけれどもね……あなたも、そう気になさんな」

 老プロデューサーが慰めるように笑いかけたので、曖昧に笑っておくことにする。

 結局魚の目的とは何だったんだろうか。最初は制作の裏側を暴露することに始まり、やがては真由香を中傷する目的にシフトしつつ、今はすっかりなりを潜めている。東條は消えたと断定しているが、まだ真由香自身は安心していない。ただ、せっかくの年の暮れにわざわざこんな辛気臭い話題で頭を悩ますのも面倒だったので、とりあえず棚上げすることにする。

 しばらく雑談が続いた。東條が明日から夫婦でフランスに二週間旅に出るというので、ひとしきりその話題で盛り上がった。「来年で嘱託契約が切れるので有給を使い切らないと損じゃない」とのことだった。そのあとようやく、ホン打ちが再開された。

 時計の針は十八時を過ぎたが、長門組の制作進行からは本日の撮りが終了したとの連絡はまだ入って来なかった。



●●●●●●



 ある人物はじっと息を潜めていた。あの材料を使うタイミングは今ではない。

 あとだ。もう少し、あと。

 魚はじっと深海の底で息を潜める。

 爆弾を仕掛けてやる―。



16



 そして二〇一四年―。

 この年は、真由香にとっては『飛翔戦軍スカイフォース』の幕開けの年でもある。

 元旦だけ実家に戻った。宮地家の正月は全国各地から親戚一同が集まるいつも賑やかなものになる。大広間で皆で歓談していた時に真由香の現在の仕事の話題に及ぶとパパは途端に不機嫌になった。普段はそんなに怒らない人なんだけど。

「どうして休みが殆どないんだ。東光の社長に苦情を言ってやる!」と怒り出したので、まあまあと宥めた。ただ横でママも渋い顔をしていたので、親不孝な娘なんだなと自覚した。

 また、横浜から五歳の姪っ子純ちゃんが来ていたのでお年玉渡しがてらに、「戦軍見てね」とアピールしておいたが「何それ?」と怪訝な顔をされた。やっぱりこういう世代はプリキュアシリーズとか妖怪ウォッチに心を奪われているのだろうか。もっと、子供たちにアピールするような宣伝活動を行わないとなあと溜息を吐いた。



 短い正月休みが終わると、連日撮影所や本社に交互に足を運んで各セクションの担当者との打ち合わせや調整に時間を費やした。時間など、いくらあっても足りなかった。

 最善は尽くした。内容に自信もある。各部署の関係者を掻き集めて細かな試写も行ったが評判は上々。だが、前年度の作品は数字の上では最低最悪で、マイナスからのスタートだった。どれだけの視聴者が戦軍を見放さず、今年の作品についてきてくれるのか……。

 


―一月十二日曜日夕方五時半、放送開始。

 『飛翔戦軍スカイフォース』、第一話「たちあがる英雄」。

 多くの地域で明日から学校の入学式が始まるところが多い中、どれだけの視聴者を取り込むことが出来るのか。

 その放送開始の時間、真由香は自宅マンションでひとりテレビの前にいた。何のアクシデントもなく、番組は始まる。もう何十回も見た内容である。台詞であるとか、画面の構図、何もかも頭に入っていて、そらでイメージが思い描ける。

 それでも異様に興奮した。日本全国の家庭でこの放送が流れている。何百万人の視聴者が今番組を見てくれているのだろうか。これは映画やVシネマなどの作品とはまた違った感慨だった。放送が終わり、後番組が始まった後もしばらくテレビの前でじっとしていた。知らないうちに掌の中に少し汗が滲んでいた。

 


―一月十四日火曜日午前九時。

 東光本社制作第二部のスタッフルームに真由香をはじめとして、槇、小曽根、堤谷部長がFAX機の前で腕組みをしていた。もうすぐ一通のファクシミリが届く。ビデオリサーチ社から先週金曜日から昨日月曜日までの番組の視聴率表が到着する予定だった。通常日曜日の数字は月曜日に届くのが通例ではあったが、昨日が祝日の成人の日だったので一日遅れたのだ。

 昨年のシリーズ第三十三作目『稲妻戦軍サンダーフォース』第一話の視聴率は4.8%だった。この数字は歴代の戦軍シリーズ第一話の中では史上最低の立ち上がりだった。結局低視聴率の連鎖はそれがはじまりとなって綿々と続き、年間平均も最低という結果に留まった。

 今はフランスに滞在している東條と以前視聴率についての話題になったことがある。視聴率は、これまで映画やVシネマに軸足を置いていた真由香にとっては未知の座標軸である。何十年もテレビの世界でこの魔物と戦ってきた東條は「視聴率なんてものは、高い数字なんて欲しいと思ったことは一度もない」ときっぱり言い切った。

「数字はほどほどあればいいんだ。高い数字をとりゃ、そりゃみんな喜ぶよ。でもそのぶん、よそからの干渉が増える。関係のない奴らから口出しされて面倒なだけ。そして少しでも数字が落ちりゃまたごちゃごちゃ騒がれる。煩わしいだけ。ただ当然数字が低けりゃ、それはそれで問題で。番組が路頭に迷えばそれに携わるスタッフが不安に思う。必死になって番組に尽くしてくれなくなっちゃう。……目立たず、他局からもマークされず、スポンサーや局からも怒られない、ひっそりやれるだけの細々な数字さえあればいいんだよ。ただ問題なのは、最近は戦軍でこっちが狙うほどほどの数字が取れなくなってきていることなんだけど」

 真由香の考えは違った。数字は高いに越したことはない―そう考えている。いままで映画やVシネマで興行成績やセールスといった評価基準でやってきた実績が大きく関係していると思うが、数字は高く狙わないと意味がない。自分自身ハイアベレージが狙えるのなら、それは取りにいかねばならないと考えている。

 目の前のFAX機が唸りを上げた。そして紙が数枚吐き出される。代表して、槇がその紙を手に取り、数字を確認する。

 いや、今はごちゃごちゃ考えるのはよそう。とりあえず5%。5は最低あってほしい。そこからなら何とか戦える。5パーセント、5パーセント、5パーセント……真由香はそう心から祈り続けた。

 槇の顔から表情が抜け落ちた。「うーん」と何とも形容しがたい唸り声をあげる。

「どうだ?」

 堤谷もその紙を横から覗き見る。やがて、溜息を吐きながら「厳しいな」と呟くと、真由香に紙を示した。

「―4.1だよ」

 思わずその紙を上司からひったくった。数字を自分の眼で確認した。間違いなく、4.1とあった。

 4.1―。

 『飛翔戦軍スカイフォース』第一話は、戦軍シリーズ史上ワーストとなる視聴率からのスタートとなった。しかも、前年度最低だった4.8を、大きく大きく下回るマイナスラインからのスタート。脳裏にテレビ太陽の大澤編成局次長の顔が思い浮かんだ。このままでは七月から日曜朝六時半のローカルセールス枠に時間枠が変更になる―。

「本当にすまない」槇は何故かそう言って真由香に頭を下げた。「こっちが最悪な状態でバトンを回したせいだ。本当に悪い」

「数字がそのうちに、内容に伴っていけばいいんだが」

 傍から見て真由香の態度が尋常なものではなかったのか堤谷もそうフォローしたが、その言葉は耳には届かなかった。



 関係各所への数字の報告は小曽根卓に任せることにして、真由香は堤谷と槇と共にテレビ太陽に向かった。本日は局プロの海老沢孝夫と堀江津子と今後の打合わせの予定だった。しかしそれに向かう真由香の足取りはだるくて、重い。

 ただ局に着くと、真由香たちを出迎えてくれた海老沢たちの表情も冴えなかったのだった。東光アドエージェンシーの利根川研も先着していたが、同様に表情が暗い。みんな、スポンサーなどへのお詫び行脚のスケジューリングが既に頭の中を駆け巡っているのかもしれない。当然それにも真由香たちはついて回ることになるのだが。

「局内でも、内容の評判はいいんですけどね」

 腕組みしながら海老沢がぼつりと話す。「うちの大澤もね、第一話を見てああいいんじゃない、原点回帰大いに結構なんて言ってたんですけど。宮地さんやるよね、って褒めてもいたし」

「大澤さんがですか? まさか」

 真由香は思わず首を振った。出会いは最悪で、今も印象は最悪。どうせ感情が籠っていない、ただの空虚な感想だろうと思っていたが……。

「いや、宮地さんは誤解されているかもしれませんが、うちの大澤は嘘は吐かないんですよ。心にも思っていないことは絶対口にはしません。いつも本音で勝負……つまり、逆にいうと、そりゃひどい感想の時はけちょんけちょんに評しますよ」

 海老沢は苦笑する。「まあ、開幕は最悪な出だしになりましたけど、自信持ちましょう。僕が言うのも何なんですけど、内容は間違いないので、いずれ数字がついてきますよ」

「今が底なら、あとは上がっていくだけでしょう。暗くなってもしょうがないや」

 踏ん切りをつけるように利根川が何度も頷く。ただそう言ってる彼自身の顔色が冴えなかったが、前を向こうとする姿勢は感じられた。

 そして、それまでずっと黙っていたアシスタントプロデューサーの堀江津子が励ますように、真由香を真正面から見据えて口を開いた。

「―私は大好きです、『スカイフォース』。長門演出、本当に素晴らしかったです」

 真由香は小声でありがとう、と礼を述べる。


 

「厄病神なんだろうな、俺が」

 局での打ち合わせの小休憩のとき、真由香は長門の携帯に連絡した。電話口の向こうの老監督は珍しく、自嘲的に笑った。今現在は先日クランクアップした第八話・第九話の荒編集と次週放送の第二話の仕上げのため、編集プロダクションで作業の真っ最中だった。

 もう視聴率4.1の内容は小曽根から伝わっていたそうで、「エイプリルフールだな」なんて気楽に言っている。

「監督の作品の評判はいいんですけど」

「結果がすべてだよ。数字を取らなきゃ、意味がない」

 ぴしゃりと長門が言う。「とにかく、俺は俺でベストを尽くす。お前はお前でベストを尽くせ」

 まだまだ未熟だなと真由香は思わずにはいられない。肩肘張ってプロデューサーだなんて言ってはいても、いろんな人たちに心配されて、励まされてばかりいる。

 携帯電話を切り終ると、しばらくじっとその態勢のまま十分ほど思いを馳せた。

 開き直るしかない。真由香は肚を括った。

 ただ黙って前を向くしかないか―。ただのカラ元気かな。



●●●●●●● 



 おそらく、宮地真由香は現状のこの結果にショックを受けているのだろう。

 4.1ショック。

 数字が高ければ撮影現場は盛り上がる。数字が低けりゃ士気が下がる。

 では、ここでもう一つショックを与えてやろうとある人物は行動を移すことにした。

 あの材料を使う。

 この爆弾、不発に終わるかもしれないが、それでも一部の頭のお固い連中には、それなりにショックな結果として影響するのではないか。

 果たして、どういった化学変化をもたらすことになるのか……。

 これからの行動を頭に思い浮かべ、ある人物は都内の某ネットカフェに急ぐことにした。



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 二週目の数字が出た。

 4.1%。前週と何も変わらず。

 数字が減らなかったことを喜ぶべきなのか、上昇しなかったことを嘆くべきなのか。

 ただ視聴率が不調に終わったとしても、雨が降っても、雪が降っても、それでも今日も現場ではカメラは回り続ける。

 撮影所とはそういうところだ。

 東京都内は一週間ぶりの大雨だった。本来なら『スカイフォース』第十話・第十一話の北村組はロケに出る予定だったが、雨により中止。急遽、スタジオ撮影に切り替えている。この雨が週末まで長引いて、日曜の在宅率が高くなってなんとか視聴率が少しでも上がらないだろうか……真由香はそんな気持ちにもなる。

 この日は撮影所で北村組を軽く見学した後、テレビプロで制作部と今後の撮影スケジュールの打ち合わせをしていた。このあとライターの能勢朋之と監督の阪口大輔と東光本社でホン打ちの予定があるので、もうすぐ銀座に戻らなければならない。アソシエイトプロデューサーの東條信之は一昨日フランスから日本に帰ってきているので、本社で合流予定だ。

 打合せが小休憩になったので同行していた槇憲平がiPhoue5Sを掌でいじっていた。先日までガラケーだった槇は先日スマホに機種交換し、「こっちのほうが全然いいなあ」と言いながら嬉々として画面を操作していたが……。

「これ、見てみ」といって、真由香にスマホを見せた。「何か変な書き込みが増えてる。もしかして久々の魚登場じゃないの?」

 24ちゃんねるの『スカイフォース』ネタバレスレッドだった。魚は久しく沈黙していたが、また再始動したということなのか。

 そこにはこう書いてあった。



拡散希望! 長門清志郎のウィキペディアに注目せよ! 拡散希望! 拡散希望!



「イミわかんない」

「魚が、今度はウィキ荒らしでも始めたんかね」

 真由香は首を振った。いったいそれを見て何があるっていうのよ―。自分のスマホで長門清志郎のウィキペディアのページに繋ぐ。

 しばらくざっと閲覧する。何も変わったところがないじゃないか……なんて思っていたが作品リストにひっかかるものがあった。異様に目を惹いた。確か以前閲覧した時に、こんな記載はなかったはずだ。

「……ナニコレ?」

 


作品(ビデオ)

・性感戦軍エロフォース(二〇一一年、ピンクロダン ※浦志郎名義 以下同)

・性感戦軍エロフォース2(二〇一一年、ピンクロダン)

・性感戦軍エロフォース3(二〇一一年、ピンクロダン)

・性感戦軍エロフォース4(二〇一一年、ピンクロダン)

・性感戦軍エロフォース5(二〇一一年、ピンクロダン)

・性感戦軍エロフォース6(二〇一二年、ピンクロダン)

・性感戦軍エロフォース7(二〇一二年、ピンクロダン)

・性感戦軍エロフォース8(二〇一二年、ピンクロダン)

・性感戦軍エロフォース9(二〇一二年、ピンクロダン)

・性感戦軍エロフォース10(二〇一二年、ピンクロダン)

・性感戦軍エロフォース11(二〇一二年、ピンクロダン)

・性感戦軍エロフォース12(二〇一三年、ピンクロダン)

・性感戦軍エロフォース13(二〇一三年、ピンクロダン)

・性感戦軍エロフォース14(二〇一三年、ピンクロダン)

・性感戦軍エロフォース・ファイナル(二〇一三年、ピンクロダン)



 エロフォース、エロフォース、エロフォースと単語が並べられている。ナニ、このヘンな言葉の羅列。ネット荒らしだとしか思えなかった。

「いや、コレ聞いたことはあるんだけどさあ」槇が困惑したように首を捻る。「確かアダルトビデオだよ。戦軍をパロディにしてアダルトモノとしてパッケージ化して売られているんだけど。それこそ絡みがメインで……いや、僕はこのシリーズ見たことないんだよ。ただ相当エゲつないことをしてるらしくて。それこそヒーローものを面白おかしくおちょくったアダルトもので。イヤ、本当に僕は見たことないんだけども」

 いや、あんたが見てようが見てなかろうが今はそんなことどうだっていいよ、と真由香は心の中で呟く。

「そもそも戦軍という言葉自体、東光が商標登録しているから本来ヨソの会社では使えない。一度ウチの商品版権部と知的財産室がコレは違法だから告訴しようかという動きにもなったらしいよ。ただ結局こちらが本格的に動き出す前に昨年シリーズが何故か打ち止めになったんで、その動き自体が立ち消えになったんだけど」

「で、どうしてそのシリーズの名前が、何故長門監督のウィキペディアに載ってるんですか?」

 監督の名前が浦志郎とある。何となく、意味深な名前ではある。

 ピンクロダンとは、中堅どころのアダルトDVDメーカーで、いろいろなジャンルのAV作品を世に送り出しており、ただ―当然真由香はそんな作品なんて一本も見たことがない! ―槇と違い、こういった戦軍のパロディ的なものを世に送り出していることまでは知らなかった。

 去年までは真由香もVシネマの制作現場に身を置いていたから事情が分かっているつもりだが、ああいったアダルトDVDの監督で還暦過ぎた演出家なんて殆どいない。いや百人いたら一人いるかいないだろう。たいてい、二十代からせいぜい四十代くらいまでである。

 浦志郎なんて意味ありげな名前も、ただの偶然。いやもしかしたら、脚本家の能勢朋之のように熱心な長門信者がアダルト制作者の中にいて名前を拝借してやろう、と考え名前をでっち上げた可能性がある。

「いや、これは荒らしでしょ、さすがに。長門監督は厳格な人だから、こんなアダルトものには手を出さないよ。いや、そりゃピンク映画上がりの人だけどさあ、こう言っちゃなんだけどピンク映画とアダルトモノとはやっぱり別物なわけでしょう。まあ、荒らしさんはご苦労様って感じだね……誰かに言ってすぐ直させるから」

 槇はそう言ってへらへらと余裕の構えだったが、しかし真由香の心は晴れなかった。以前長門清志郎が、去年六月のドトールで言っていたあの言葉が急に思い出されたからだった。

 まさか。

 あるいは。 

 もしかして。

 ひょっとして―。



「うん、撮ってたよ。俺がね。でもこっちの戦軍に戻ってくることになったから、あっちの戦軍とはオサラバさせてもらうことになったわけ。なんかマズイ?」

 電話越しに悪びれもせず長門清志郎はあっさりとそう認めたので、真由香の頭は一瞬にして真っ白になった。銀座に戻ってきて、能勢や阪口とのホン打ちや営業との話し合いを終えた後、第八話・第七話の編集仕上げ作業のスケジュールを決めておこうと思い、単身社内喫茶の『ジャンヌ』の片隅に落ち着くと、長門の携帯に電話した。その時に世間話の一環として、カントクのウィキペディアにヘンな項目が追加されていたんですよ、笑ってしまいますよね……なんて二人して笑おうと思っていたものの。

 なんということだ!

「浦志郎って名前は安易だと思ったが、まあさすがに俺の名前を表に出すのはマズイってことで、変名にさせてもらった。裏で撮るから浦、というわけだ。浦と清の字面も似てるし。でも別に裏ビデオを撮ってたわけじゃないよ。映倫通してるし、ちゃんとモザイクかかってるから。ピンクロダンのプロデューサーがどうしても長門清志郎演出でAVを世に出したいって粘ったんだけれども、そこはこちらとして譲れない一線ということでカンベンしてもらった」

 真由香が何も口を出せないまま、電話口の向こうの老監督は一人延々と話し続ける。「……オイ、聞いてる?」

 真由香の脳裏には去年のドトールでの会話が今更のように甦った。第一回目の長門との対面。確かあの時、長門はこう言った。

―ただ、まだ俺はやれる、と思う。早い話が消化不良なんだな。テレビの仕事はまた機会があればやってみたいなあ、と考えているんだが

 いや、何の変哲もない台詞だと思う。だからあの時は何の違和感も感じなかった。しかし、今思うと少し違和感の残る台詞ではなかったか。あの時までで、長門は今は特に映像の仕事はしていないと思っていた。ただし、児童劇団でワークショップの演技指導の仕事は行っていた。となると、テレビの仕事と表現するのはおかしくなかったか。たとえばドラマの仕事とか、映像の仕事とか、はたまたそのものスバリ戦軍と表現するだけなら違和感がない。しかし、長門はテレビの仕事と言い切っている。つまりあの時点でビデオの仕事や映画の仕事は行っているが、久しぶりにテレビの仕事に戻りたいという意味であのセリフを口にしたというのなら、遅まきながら腑に落ちるのである。長門はつまり、五年間映像の仕事を沈黙していたわけでなく、テレビの映像の仕事はやってはいないが、他媒体での映像の仕事には関わっていたということになる。

 もっとも、そういうふうに今更ながらに納得できるのも、長年長門と仕事を共にしていた撮影監督の植田章弘のベテランならでは勘や感性から溢れ出た「長門は本当にこの五年余り、何も仕事してなかったのかねえ。あまりに指示に迷いがないからつい錯覚してしまうが、本当はどこかの現場で何か撮っていたんじゃないか」という感想とセットにしてからだった。ビデオ撮影にすんなり長門が馴染んでいたのも、そりゃそうだろうなとぼんやりとしか思えない。当然、AVの現場がフイルムで撮影されているはずもない。

「―作品の依頼はどういった形で行われたんですか」

 頭の中身は真っ白だったが、ようやく絞り出すようにしてゆっくりと問いかけた。一応、真由香は長門を『スカイフォース』に引っ張り込んだ責任者なので、話の流れを抑えておく必要があった。

 意味なく、腕時計の時刻が目に入る。もうすぐ十八時になろうとしていた。

「いや二〇一〇年に入ってからだな。俺はフリーの監督だから、仕事の依頼がなくなればチョンだよ。ギャラはないし、退職金もない、国保だけだし。そりゃ今までの蓄えがあるから、しばらくは平気だが次第に貯金も底をついてくる。山根みたいに、駐車場経営が主な仕事で監督が副業替わりみたいな悠悠自適な暮らしをしていれば別だが、こんなフリーで使えない五十台後半の監督なんて、もう他からもお呼びがかからない。言っちゃ悪いが戦軍のような特殊な現場を主戦場にしていた監督が、今更他の刑事ドラマや別の会社で監督としてやっていけると思うか? 無職確定だよ。いや、ホント惨めなもんだよ、監督の末路なんてものは。ただそれでもこれまでの数十年のキャリアは消えてなくならない訳だから、静かに待っていれば、いつかはどこかからお呼びの声がかかるだろうとずっと待っていた。結局待ち続けて一年、どこからも御座敷の声がかからなかった」

 老監督は一人滔々と捲くし立てる。

「それでもなんか仕事はしなきゃ食っていけない。老体に鞭打って、遅ればせながら映像プロダクションに営業回りすることにした。ただいきなりマスコミ住所録調べて電話かけても門前払いだわ。ようやくアポがとれて会ってくれる担当者には、必死で売り込みをしなきゃいけないと思い、履歴書を書いて、スーツ着て、丁重にお願いにあがると。しかしそれで仕事なんて簡単に決まるわけじゃない。映像の仕事といってもドラマや映画やVシネマなんてとても無理。ホラ、たとえばカラオケボックスで、曲に合わせてテレビに映像が流れるだろう? ああいう制作プロに売り込みに行くわけだ。ところが、ああ、ウチは監督の下で動くスタッフはずっと求めてるけど、監督自体はもう既にいるんで結構ですとお断りされる。つくづく感じたよ。監督ほどツブシがきかない仕事はないと。こういう場合助監督とかの方が小回りが利くんだ。助監督は現場の宝だから、いろいろと仕事に困らない。分かりやすく言うと、たまにしか仕事のない監督より、いろんな現場を器用に行き来するチーフ助監督の方がずっと年収が良い。……まあ、そんなことくらいはお前も事情よくわかってるはずだ」

 テレビ特撮の監督ほどツブシのきかない商売はない―以前東條が言っていた言葉をふと思い出した。

 電話の向こうの長門の語りは延々と止まらない。その口調に少しずつだが悲哀であるとか、自虐であるとか、諦念であるとか、いろいろな感情が混じっているようにも感じられた。

 真由香は何か口を挟もうと思ったが、その勢いに呑まれ、何も言いだせない。

「俺の人生終わりだなと。あとは細々一人生きていくしかない、監督の仕事は諦めた―そう踏ん切りをつけることにした。幸いなことに俺は独身で妙なしがらみもないから、仕事へのこだわりさえ捨てれば、何とか食っていける。そう思ってハローワークに行って仕事をなんなりと紹介してもらった。当然正社員じゃない、派遣というか、パート扱いでとある商業ビルの警備員の仕事をね。そこは二十四時間監視体制が必要だから、人手はいつも常に求めていた。若い奴らは夜勤をやりたがらないから、俺は夜のシフトに回された。まあ、監督の仕事は時間が不規則で編集作業などで徹夜することも多いから、そういう夜型のシフトを任されても俺は一向に平気だったな。昼間よりも給料もいいし、すぐに慣れた。誰とも顔を合わせなくてもいいし、気楽な仕事だった。……いや、簡単に気楽なんて一言でかたづけられないな、あの仕事を。何せ今までは自分は監督で現場の最高責任者だったから、自分が司令塔で常に周りが動く。しかし今後はこっちが一番の下っ端で新人なわけだから、警備会社の若僧にエラそうに指示出しされながらハイハイ動く。いやはや、キツくて慣れるのにどれだけ苦労したことか……そんな仕事を三か月続けていて、俺は知らないうちに六十になっていた」

 真由香はずっと、長門の言葉に耳を傾けている。

「そんなある時だ、俺の携帯に一本の電話がかかってきた。草加という男で、ピンクロダンというアダルトモノのプロデューサーからだった。もし休みの日で時間が空いていれば、是非監督に読んでいただきたい企画書があるという。そりゃ最初は躊躇したさ、俺はピンク映画上がりだがもうそれは何十年も昔の話で、遠い昔の過去のことだ。ただ、俺は耳にある言葉がずっと残った。監督、という言葉だよ。もう一年以上もその名前で呼ばれなかったからな。とにかく会うだけ会おう、ということになり駅前のデニーズで企画書とサンプルの台本を読まされた。草加は特撮マニアだが、アダルトDVDを作っているという男だった。監督の作品には随分勇気を与えられたと散々褒められたよ。メガネをかけた陰気な奴で、槇みたいなヘロヘロ野郎だ。まあ、あいつは特撮オタクでマニアックなところまで覚えているものだから、こちらもつい嬉しくなった。俺も業界から忘れられたんじゃないんだなあと感慨深かった。企画書自体は噴飯ものだったな。要は戦軍のエロパロディを作りたいと。長門演出で是非エロの世界に新たな一ページを刻みたいのだと。男三人女二人は地球を守る正義のヒーロー、常に悪と戦う五人の戦士。……しかし、その題材からはエロものはいかようにも作れるわな。たとえば悪に凌辱される、レイプされる。たとえば身内同士の組合わせもあっていい、レズのバリエーションだって作れる。マスも撮れる。たとえばその他……」

「もうそれ以上聞きたくありません!」

 本当にもうそれ以上、何も聞きたくなかった。真由香は思わず叫び、長門の語りを制止した。店内のウエイトレスとお客さんがびっくりしているのがわかる。しかしこちらに心の余裕がなくなっていた。構っている暇もなかった。

 電話の向こうの老監督は沈黙した。しばらく間があった。いい加減にしてくれ、本当にそれ以上何も聞きたくない……。

 知らないうちに真由香の頬を涙が伝っていた。自分の作品を見て心から感激しても泣かなかったのに、こういった話で涙を流すなんて。

 自分でも尋常な気持ちでなくなっているが、とにかく気が昂ぶっていた。肩を震わせながら、今この時間が夢であってほしいと願わずにはいられなかった。

 しかし夢ではなかった。

「―俺はな、嬉しかったんだよ」

 長門清志郎はまた語り始めた。「たとえそれが戦軍のパロディで、エロDVDでどうしようもない台本、低予算、短いスケジュール、少数のスタッフ、劣悪な撮影環境であったとしても、もう一度映像の現場で監督として仕事が出来るということが。撮影自体は三日で一丁上がりだ。カントク、ココはどうしましょう。カメラはどこから回しますかとスタッフから聞かれて、いちいちそれに指示を出す。……夢のような時間だった。濡れ場も絡みも必死になって撮った。ジジイだから古い感性のまんまだと現場のスタッフに舐められちゃどうしようもないと思ったから、無我夢中でビデオに収めた。幸いセールス自体が好調で、続編の話が来た。俺はまた夢中で取り組んだ。再び監督と呼ばれて、天にも昇る気持ちだった。俺は草加のいいなりにシリーズを撮り続けたよ。全部で十六本。そのうち児童劇団で講師の話も来てそれはそれで充実した仕事だったが、俺にとって、ピンクロダンでの仕事は第二の青春だったんだ。それは間違いはない。悔いもない」

「……じゃあ、わたしから戦軍復帰の話を貰った時も、まだその仕事は続けていたということですね」

 懸命に自分を奮い立たせて、そう質問する。もう涙は頬を伝ってはおらず、すっかり渇いている。

「そういうことだ。セールス的にも幸い好評で、シリーズ自体はまだまだ続けられたが、今度数年ぶりに戦軍復帰の話を貰ったと草加に言ったら、あいつは俺以上に喜んでいた。よかったですね監督ってな。シリーズ打ち止めの話はあいつから提案があった。やはりそのまま続けていくのは差支えがあるでしょうと言って、シリーズは打ち止めだ。誰か俺以外の監督で続けりゃいいじゃないかといったが、このシリーズは長門清志郎が監督することに意味があるので、他の監督ではシリーズは続けられないし、類似作品を今後は作らないとなってシリーズはチャンチャン、だよ」

 電話の向こうで長門が咳ばらいをした。「―で、何か問題があるか?」

「問題大ありですよ!」思わずスマホを固く握りしめた。「これがどういう状況かわかってるんですか! そのアダルトDVD社にウチは裁判沙汰を起こそうとしてたんです。結局その話はペンディングになりましたけど、いわば敵なんです。こともあろうにそのアダルトメーカーで戦軍を愚弄したパロディ作品を長門清志郎が別名義で監督していたなんて、あまりにも情けない話じゃないですか! 百歩譲って、ただ単なるAVなら許容できても、ヒーローをちゃかしたAV撮るなんてナニ考えてんですか!」

「俺は職業監督だ。プロデューサーの意図を組んで、最大限の自分の仕事をする。金を貰って、シャシンを撮る。それの何が悪い? 情けない仕事をしたつもりはない」

「いいや、わたしは情けなくて情けなくて涙が出てきました!」

 もう真由香も精神状態のバランスが崩れかけているのか、ここが喫茶店であるということも忘れ、思い切り大声で叫んだ。もう周りの視線なんて気にしてられるか。

「わたしはね、この仕事に命を賭けてます。いや最初は子供モノなのかってちょっとビビッたし、躊躇もしましたけど、今は胸を張って言える。命賭けてます!」

 まさか日常会話で命懸けてます、なんて人に言うなんて夢にも思わなかった。

「長門演出、本当に最高でした。ラッシュを見て、この作品のパイロットをこの監督に託して本当に良かったと心底思いました。製作発表のあと対談したのを覚えていますか? 雑誌の企画です。戦軍を絶対に守りつづけなければならない、ヒーローを眠らせてはいけない……わたしはそう誓ったんです。それなのに、メイン監督という絶対的な身内に裏切られて、わたしの心はもうズタボロです!」

「そりゃ、おかしいだろ。別に裏切ったつもりはない。嘘を吐く必要もないから、この数年間どんな仕事してましたかと聞かれりゃ、普通に近況を答えていたさ」

「仕事ならどんな内容でも構わないと言うんですか。監督という職業に誇りや矜持もないんですか」

「それはお前差別だよ。AVをバカにしちゃいけない」

 真由香は一瞬ひるんだが、すぐに態勢を立て直した。「さっきも言いましたが、戦軍は東光以外が名前使ってはいけないことになってます。もしかしたら裁判沙汰になってたかもしれない。軽率な仕事をしたとしか言いようがない」

「軽率とは聞き捨てならないな。お前も一度『エロフォース』見てみたらどうだ? 俺の傑作だぞ」

「開き直らないでください!」

「疾しいことをしたつもりはいっさいないからな」

「それは嘘です」真由香はぴしゃりと言う。あまりの長電話で携帯電話の充電がそろそろ切れかかっているが、構わず続ける。「だったら本名の長門清志郎名義で作品を発表していたはずです。そうやってヘンに名前を拵えてビデオを作っている時点で申し訳ないですけど、その言葉を信じることが出来ません」

 電話の向こうの長門の言葉に一瞬間が空いた。

「……東光に義理立てしただけだ。差支えがあると思って」

「違います。あなたは恥ずかしかったんです。これを長門清志郎の仕事として世間から見られるということに、耐えられなかっただけです」

 これまで常に長門のことをカントク、と呼んでいたが敢えてあなた、と言ってみた。自覚はしている。ただ、もう止めようもなかった。携帯電話の電池は残り五パーセントを切っている。もう切れかけ、危険領域。『スカイフォース』の視聴率と同じじゃないか……そんなことを虚ろな気持ちで考えた。

「―まあ、なんだな。今更言うのもなんだがお前の気持ちもすごく理解できるんだ、俺」

 長門はそうしみじみと言う。急にしみじみとなるなよおっさん、と真由香は口に出さずに毒づいた。

「ああ、わたしの気持ちわかってくれましたか。それはありがとうございます」胸の奥からこみあげてくるものを懸命に抑え込んだ。「あなたは子供たちの憧れのヒーローを作り上げる番組のメイン監督です。去年の雑誌の対談で言いましたよね? ヒーローものは子供たちの心や記憶に何十年も残り続けるって。おっしゃる通りです。だからこそ、戦軍のキャストもスタッフも、一シーン一カットの一瞬だって疎かに出来ない。その映像に魂と情熱を傾けるんです。あなたはその番組のメイン監督なんですよ!」

「……みんな、作品の監督の名前なんていちいち覚えちゃいねえよ」

 遂に自虐的な事を言い始めた。自棄になっているのか、意外に混乱しているのか。

 真由香は構わずに続ける。

「それにひきかえ、あなたが浦志郎名義で発表した作品はヒーローの姿勢を根本から否定するものです。そこにどういう理屈があろうと、そこにどういう思想があろうと、あなたのその仕事と考え方は間違っている。わたしは全力であなたのその作品を否定します」

 電話口の向こうの男はそのまま黙り込んでしまった。携帯電話の残り電池がいよいよやばいので、これからのことを矢継ぎ早に頭の中で計算した。

「今夜と明日でわたしが関係各所に今回の件で報告を行わないといけないので、とりあえず次の組の編集作業はペンディングです。一旦ストップしてください。そして、明後日十三時に銀座に来てください。これは絶対です。……では今夜は失礼します」

 そう言い切って、向こうの返事も待たずに電話を切った。ちょうど携帯電話の電池残量もゼロになった。

 本当は今夜、特撮監督の津島律夫から昼に連絡を貰っていて、スタジオでのミニチュア撮影予定の打ち合わせのためにまた大泉にトンボ返りする予定だった。しかし、とてもそういう心境ではなくなっていた。キャンセルの連絡を入れないといけないが、体が石のように固まって動かない。

 アイスレモンティーは一口も呑めないまま、氷がすっかり溶けていた。



●●●●●●●●



 ある人物の目論み通り、長門清志郎の裏の仕事ぶりについては見事に各方面に広がりを見せているようだった。反響は上々で、ネタバレスレから作品そのものの内容を論じるスレッド、はたまた24ちゃんねるのみならず、個人のブログ、ツイッター、フェイスブックにまで情報は拡大している。

 深夜0時過ぎだった。ある人物は東京東光撮影所での『飛翔戦軍スカイフォース』の北村組の撮影の帰り、自転車で自宅に戻るまでの帰り道にあるネットカフェに立ち寄った。昼間は大雨だったが、今は雨上がりの夜空だった。相も変わらず凍てつく寒さが身に沁みる。

 情報のチェックを逐一行う。自宅にはパソコンはなく、また携帯電話はガラケーなのでこういったネットサーフィンも面倒なのだ。

 ここまでは予想通りの展開だった。あとはこの内容を、東光、テレビ太陽、スポンサー、視聴者、そして―宮地真由香がどう判断するかである。

 自分でネタをばら撒いておいてナンだが、長門清志郎は誰に雇われているわけでもない、フリーランスの監督である。仕事を依頼されて作品を撮る―なんら問題のない行為で、誰にも責められるべき行動ではないと思う。それがたとえ、アダルトビデオであろうが、戦軍をネタにしたエロモノであろうが。だからこのまま引き続き『スカイフォース』の監督であり続けても何の支障もないと思うのだが、ある人物のこういった考えは恐らく少数派であると予想される。

 まず、世間に嫌悪される。ヒーローものの監督がアダルトものを撮るとは何事かと。しかしもともと長門はピンク映画上がりの監督であるし、実際長門のようなピンク出身の監督がヒーローものに携わっているケースはある。たとえば金子修介は東宝で映画『ガメラ』、黒沢直輔は東映で『仮面ライダーW』を撮っている。また、最近のアダルト業界では有能な監督もおり、そこから一般の商業映画に転身するケースも少なくはない。アダルト業界とは違うが、ピンク映画上がりの監督が普通に大監督になる例だってある。若松孝二、周防正行、森田芳光、滝田洋二郎、黒沢清といった面々がそうだ。

 ただ、現役の監督が別名義でアダルトものを撮っていた、というのは確かに前代未聞だろう。

 長門が戦軍を降板する可能性は五分五分と踏んでいる。

 長門清志郎は確かに厳しい監督だ。普段は比較的温厚な雰囲気を漂わせている。ただ、サングラスにオールバック、古き良き活動屋といったイメージで周囲の人間に近寄りがたいオーラを発しているのは間違いなく、撮影が始まれば即、野獣と化す。還暦過ぎているにもかかわらず、そのパワーは周囲のどのスタッフよりもたくましく、もしかしたら現場で一番元気なのはこの男じゃないのかと錯覚させるようなところもある。そして、演出に対するその鬼軍曹ぶりにはもう誰も太刀打ちできない。スタッフもキャストも、みな、けちょんけちょんにされる。

 ある人物も当然やられた。

「バカヤロウ、てめえこの現場で何年働いてるんだ! このクソボケッ!」

 当然口応え出来るわけもなく、すみませんと頭を下げて現場を走り回る。しかし感情というのは内面で抑えきれないもので、一人撮影所のトイレに入るとこらえきれなくなって涙を流すこともあった。なんだあのクソじじい、と内心口汚く罵った。

 しかしながら、別段ある人物は長門のことが嫌いではなかった。長門は誰彼構わずに厳しい。依怙贔屓は一切なし。つまり裏を返せば誰に対しても分け隔てなく厳しく接するということだ。ある人物はこの男に対してある種の興味を持ちはじめた……。

 そして、作品の出来は素晴らしいの一言に尽きた。昨年スタッフキャスト一同を掻き集めた第一話の上映会で見たあの映像美を忘れることが出来ない。繊細なカット割り、巧みな構図、意味を持たせるシーン作り……現場での長門演出では「そこ、柔らかく」「バーン!」「ドギャン!」などといった感覚的な指示が多く、多くのスタッフが混乱させられることになったが、ちゃんとそれらには意味があったのだと多くの制作者が試写のあとようやく納得した。画の力で捻じ伏せられた。それまではスタッフキャストの多くが陰で「長門死ね」「暴走老人」「プッツンロートル」の大合唱だったが、皆翌日以降は黙り込んでしまった。長門清志郎は優秀な監督なのだと再認識した。

 それはともかく、長門降板はある人物の本意ではなかった。自分で燃料を投下しておきながら、できれば長門には戦軍でメガホンを執り続けてほしいとは思う。つぶさにその仕事ぶりを観察したいと願っている。そういった思いであるにもかかわらず、何故ある人物は長門のウィキペディアを編集したのか……。

 それはやはり宮地真由香に対する憎しみからなのだった。

 その思いが何よりも優先した。長門清志郎や『飛翔戦軍スカイフォース』がどうなろうが知ったことではない、宮地真由香さえ苦しめればそれでいい。おそらく、あの女の性格上、女プロデューサーは長門の裏の仕事を許容することは出来ないはずだ。今頃事実関係を把握し、東光の上層部を含めて今後の対応の協議に終われているはずである。

 宮地真由香を憎む理由―。

 自分でも本当に下らない理由だと思う。思わず、笑ってしまう。でも世の中って結局、そういう大したことのない、些細な出来事が積み重なって形成されるんじゃないだろうか。太陽が眩しいから人を殺す、パチンコで負けたから人を殺す……世の中って、所詮そんなもんじゃないのか。

 『飛翔戦軍スカイフォース』では毎週毎週最後に自分の名前がテロップで表示される。初めて見たのは件の上映の時だ。あの時、スタッフは皆どよめいた。ある人物もその中に自分の名前を見つけて感慨深かった。間違いなく、自分がこの現場の制作者として現場に立っていると思いを新たにした瞬間でもあった。その後、テロップのアイデアは宮地真由香発案によるものだとスタッフの誰かから聞いた。

 そしてその瞬間、ある人物は宮地真由香に、より憎しみを募らせることになったのである。



18



 真由香と槇は会社の小会議室を借り切って、重苦しい雰囲気のまま先程から無言のままじっと待っている。時刻は二十三時を過ぎていた。普段撮影やホン打ちや編集、合成作業で徹夜なんて全然珍しいことではないのだが……。

 長門との長電話の内容を槇に伝えると、短い相槌を打ちながら「そうか」とだけ言った。

 小曽根卓が紙袋を手に疲れた顔で部屋に戻ってきた。

「秋葉原まで行ってきましたよ。これって会社の経費で落ちるんでしょうね」

「当たり前でしょう。さっさと出しなさい」

 真由香の言葉に、「―シリーズ全部は揃わなかったんですけどね」と頭を掻きながらもDVDソフトの束を取り出した。

 ピンクロダン制作の『性感戦軍エロフォース』シリーズだった。パッケージには五色のスーツを身に纏った男性と女性。ただ当然、そのスーツは本家のものと比べるべくもなく、チャチな出来である。ケースの裏には裸の女性が何人にも映っている。

 真由香の古巣のビデオ制作部の後輩だった野田に電話で聞くと、ピンクロダンは浮き沈み激しいアダルト業界の中でも、業績は平均的に安定しているメーカーであるとのことだった。「なぜ急にそんなこと聞いてくるんですか?」と不審がられたが、言葉を濁して電話を切った。

 小曽根がデッキトレイにDVDを入れる。シリーズ第二作目の『性感戦軍エロフォース2』だった。

 お前も一度『エロフォース』見てみたらどうだ? ―長門が電話で言った言葉が頭に浮かんだ。

 仕事とはいえ、何故会社で先輩後輩とアダルトビデオを見なければならないのか―そんな情けない気持ちでひたすらDVDを見続けた。何とまあ、こういうことを考えるオトナがいるんだなあと妙に感心しながら、ひたすらチェックを続けていった。一応戦軍のパロディモノというふれこみなので、アクションであったり、カメラワークであったり、台詞もそうだが本家に対するオマージュっぽいシーンもあるにはあった。

 ただ、絶対に面白いとは口が裂けても言えない。そして視聴しているうちに、何となくもやもやした気分が内に募ってくるのが自分でもわかった。男と女の絡みのシーンになると、槇に「早送りしてください」と頼んだ。槇は黙ってリモコンのボタンを押した。

 こうして一二〇分の本編が終了した。見ている間、ずっと三人は無言だった。

「次は4を見ますか?」

 小曽根がトレイからDVDを取り出す。

 だが、槇は「……もうその必要はないよ」と腕を組みながら重く言う。「宮地さんも僕と同じ意見じゃない?」

「そうですね」真由香は小さく頷いた。「この浦志郎監督のビデオは……間違いなく長門清志郎作品ですね。カット割りもテイストも何もかも、どこを切っても長門節でした」

 長門はややこしい性格の男だから、実は自分が作っていなくても「俺が作った」と言って真由香を混乱させた可能性をあらかじめ考慮したのだ。なので念のため、実際にその作品を視聴してみたのだが……。

 たとえ内容は見るに堪えない愚劣なものであったとしても、低予算が透けて見えるチャチな作りであったとしても、見る者が見ればわかる、これは長門清志郎作品そのものであった。逆に今まで誰も気づかなかったのが不思議なくらいだった。長門清志郎と浦志郎はイコールだった。

 なんなんだろう、この虚脱感。時刻は〇時三〇分を回っている。とっくに終電もなくなっている時間だった。

「―僕のせいかな」槇がぽつりと言った。「あの人がそんな思いでこの五年間を生きてきたなんて夢にも思わなかった。僕が五年前に戦軍のローテから外して、あの人もいろいろと心境の変化があったのかな。昔のあの人ならば、たとえどれだけの好条件で、たとえどんなに大金を積まれたとしても、アダルトものに手を出さなかったと思う」

「槇さんのせいじゃありません。そこはきっぱりと否定しておきます」

 真由香は首を振った。「職業監督は常に仕事がなくなるリスクと背中合わせで仕事をしなきゃならないんです。そんな覚悟がないならハナから監督なんて仕事をしなきゃよかったんです。長門清志郎はただ単に現状に甘えているだけです」

 常に長門を擁護してきた真由香がそういう言葉を口にしたのが意外だったのか、槇は何度か瞬きをした。

 小曽根は「……キビシイすね、先輩」と短く言う。

「詳しくはまた明日いろいろな部署と細かいところを詰めていきますが、現状長門組は第二話まで放送済み、第三話は細かな仕上げを残していますが、明後日テレビ太陽に納品予定です。あとは先日クランクアップした第八話と第九話。これに関してはまだ荒編集も終わっていない。合成も音入れもアフレコもまだまだここから仕上げに入るところで、作品の完成具合としてはまだまだ三割程度といったところです。……わたしの個人的意見を言わせてもらうなら、長門さんにもうここからの演出権限を手渡すつもりはありません」

 槇は上目遣いになってこっちを見返してくる。「―番組を降りてもらうということ?」

「当然そうなります。本当は第十四話・第十五話も撮ってもらう予定だったし、この夏の劇場版もお願いする予定でしたが、それも白紙」

「じゃあ第八話と第九話は。誰が演出を引き継ぐの?」

「鹿島さんですね。わたしの構想としてはあの方が適任です」

 鹿島とはチーフ助監督の鹿島忠司のことで、助監督とはいえ既にこの数年のシリーズ作品でも助監督の傍ら、年間何本かの演出を行っている。全くの演出素人というわけでもない。実は「早い、安い」で戦軍の現場では御馴染みのサンコンさんこと山根正幸に依頼することも考えた。サンコンさんならこちらの依頼に「いいですよ」と安請け合いしてくれそうだとの思いもあった。ただそれだと、去年の『サンダーフォース』の監督ローテと同じ顔ぶれになり、結果的に旧態依然の監督体制に戻ることを懸念しその考えは打ち消した。

「さすがに新規のヨソの監督であとの残りの仕上げだけ行ってもらうというのは難しい。その点、鹿島さんなら第八話と第九話の撮影現場にも知悉しているし、最適でしょう。長門さんの代わりの監督はまた考えます」

「八話九話の監督クレジットはどうするの?」

「四パターンありますね。第一は連名にする、第二は監督長門・監督補鹿島と表記する、第三は鹿島さんは完全に黒子で単独長門名義、第四は単独鹿島名義にして長門さんの名前は外す」

「宮地さんの希望は?」

「二つ目ですね。監督長門・監督補鹿島。長門さんに払うギャランティは五〇%」

 槇はふう、と大きな溜息を吐いた。横にいる小曽根は秋葉原のビデオ屋の領収書を整理するのに余念がなかった。申し訳ないがこの場ではアシスタントプロデューサーには発言の権限はない。そしてそのことは、小曽根卓自身がよくわかっているので、自分の立場を弁えていて偉いと思う。……小曽根君、あなたがチーフに出世したら、その時はあなたの権限でなんでも物事を決めていきなさい。

 ぽつり、槇が口を開く。「宮地さん、卓袱台ひっくり返していい?」

「どうぞ」

 真由香は軽く頷いた。

「長門さんは戦軍を絶対に降板しなきゃダメ?」

「当たり前です!」

「そうだよね」槇憲平は首筋をポリポリと掻く。「じゃあ、せめて撮影済みの八話九話の仕上げまではあの人に最後まで委ねるというのはどうだろう。長門の魔術は最後の仕上げ込みで完成するわけだから」

 真由香はゆっくりと首を振った。

「もう今輪際、あの人には東光の撮影所の敷地内にすら入って来て貰いたくない心境なんです。それこそ、ヒーローという聖域を土足で掻き乱したあの人には戦軍には関わってほしくありません」

「仕上げを最後まで長門さんに委ねて、表面上は鹿島忠司監督名義にするというのもダメ?」

 真由香には些かの躊躇もなかった。「―ダメです」

「意外だな」槇が小さく笑みを浮かべる。「なんだか半年前とあべこべの展開になってる。長門起用を主張するのが僕で、反対するのが宮地さんで」

「意外なのはわたしも同じ気持ちです。あんなにそりが合わなくて、喧嘩もして、さんざんぶつかってきたのに、どうして今更あの人の演出に固執するんですか?」

 手元のペットボトルのお茶のキャップをキュッキュッと外し、槇は一息にそれを飲み干したあと「理由は三つある」という。

「一つはシンプルな理由で、撮影を行ったのは長門清志郎なんだから、最後の仕上げまであの人が関わるのが自然な流れじゃないかということ。二つ目はもう二度と長門演出の戦軍は見られない。あの人は自分で自分にとどめを刺したんだから、それは仕方ないことなんだが、だからこそ、あの人には悔いが残らないよう最後まで監督をさせてやりたいという思い。そして最後の三つ目は……単純に僕自身が、長門演出を見てみたいから」

 槇の言葉に真由香は敢えて口を挟まない。

「やっぱり長門清志郎は職人だよ。特にパイロットの三本はキラリと職人芸が冴え渡る、傑作揃いだ。僕はああこういう出来る監督を数年前に手放したのかと、今更ながらに自分の見る目のなさに後悔する思いだった。まだ数字はついてきていないけど、長門演出の『スカイフォース』をもっともっと見てみたい……心からそう思うんだな」

 でもそれは叶わなくなったのか、と槇は呟いた。

 そう、長門の手掛ける映像にはそれだけの魅力があった……。

 しかし、真由香の肚は決まっていた。首をゆっくりと横に振る。

「残念ですけど。―あと、繰り返し言いますが、槇さんは何も責任を感じる必要はありませんから。ほんとうに。絶対ですから。わたしが全力で言います」

「―そうか」と槇は小さく頷いた。

 隣にいる小曽根はうーん、と唸って天を見上げる。彼が何を考えているのかはわからなかったが、とにもかくにも長門清志郎が戦軍を更迭されることだけは決定した。



19



―一月二十三日木曜日。

 真由香は諸々のスケジュールの予定をすべてキャンセルして、関係各署に一日中説明に回り続けた。最初に堤谷と東條に事情を説明した。東條は「……はあ」と口をポカンとさせ、堤谷は眉間にいつもよりも深く皺を刻ませて一言「それはダメだよ」と吐き捨てた。真由香としては二人に返す言葉もなく、「申し訳ございません」と詫びるしかなかった。

 そしてその二人に同行してもらい、メインスポンサーのMANDEIをはじめとするスポンサー各社、放送局のテレビ太陽にアポをとって事情を説明に回った。

 テレビ太陽には海老沢や堀の他に、何故か編成局次長の大澤信孝まで待ち構えていた。長門清志郎の裏の仕事について説明が及ぶと口をあんぐりと開け、「ありえない、ありえない」と何度も言って首を振った。

「普通身辺調査しませんか? そりゃそれまでずっと戦軍を撮ってたベテランかもしれませんけどね、仕事を頼む側の態度として脇が甘いとしか言いようがない。それともなんですか? そちらにいらっしゃる女プロデューサーさんは、全てを知ったうえで敢えてそんなワケアリのロートルにパイロットを撮らせたんですか? とにかくこんなことは前代未聞。今週の第三話だって納品を拒否したいくらいだ!」

 そこはまあまあと皆で宥めて何とか事なきをえたが、大澤の一言一言に真由香達はただひたすら頭を下げ続けた。

 ネット上の一部では、長門の裏の仕事に対する噂が面白おかしくやりとりされていた。長門清志郎のウィキペディアは「確証がない」ことを理由に、『性感戦軍エロフォース』の下りが何者かによってカットされた。しかしまた別の誰かが記事を差し戻し。そしてまた別の誰かが記事を削除……遂には編集合戦が始まり、結局は保護扱いになった。



―一月二十四日金曜日。

 その日指定の時間通りに、長門清志郎は東光本社にやって来た。驚いたのはいつものハンチングでラフな格好のサングラス、といった出で立ちではなく、どういった心境の変化なのかワイシャツにネクタイ、チェックのジャケットという長門らしからぬ格好だった。そして極めつけはサングラスをかけてこなかったこと。目は小さな奥目で、優しそうな瞳をしていた。真由香はそのギャップに大いに戸惑った。

 違和感しか感じない。どうしてサングラスを外してきたんだ?

 小会議室には、真由香以外に堤谷、東條、槇と揃っていたが、彼らもその長門のい出立ちに戸惑いを隠せないようだった。長門は部屋に入って来るなり、「ああ、みんな揃ってるのか」と呟いたが、特に謝罪らしい言葉は聞かれなかった。

 真由香は椅子に座るよう促すと、大きく息を吸い込んだ。

「『スカイフォース』の立ち上げには長門さんの力をものすごく頂戴しました。ほんとうに感謝しています。ですが、昨年まで数年間携わっていた長門さんのビデオのお仕事の内容については、やはり見過ごすことは出来ないという結論に達しました」

 しばらく間を置いた。目の前に座る長門は「当然の結論だろうな」とまるで他人事のように言う。

「これは決定事項なので、よく聞いてください。必要とあれば、あとで書面にて内容を記載することもできますので、必要とあれば申し出てください。……『飛翔戦軍スカイフォース』の二月第四週と三月第一週放送予定分の第八話・第九話については、申し訳ないですがこちらで預からせていただきます。長門さんには降りて貰います。同時に今後の長門さんの起用予定も白紙にします。撮影分の仕上げはチーフ助監督の鹿島さんにお願いします。番組でのクレジット表記の扱いは、監督長門清志郎、そしてエンディングで監督補鹿島忠司とします。あと、東光から長門さんにお支払いするギャランティについては、所定の金額をいつもの振込口座に入金させていただく予定です」

 長門は意外そうな顔になり、「いいのか?」と聞いてきた。真由香は黙って頷いた。

 当初ギャランティは半分と主張した真由香だったが、「カントク、これから生活大変になるかもしれないから」と東條が提案し、槇や堤谷もそれに賛同した。そうなると、真由香が反対する理由はなかった。

「撮影所に置いてある私物とかありますか? もし何か残されているなら、これから撮影所まで同行しますけど」

 撮影所には常駐するスタッフ専用のロッカーが設けられており、確か長門専用のものも用意されていたはずだった。

「……椅子くらいじゃねえかな。ディレクターズチェア。別にいいよ、適当に処分しておいて」

「何かほかに言っておきたいこととかありますか?」

「特に何もない」そう言って、長門清志郎はのっそりと立ち上がった。「……世話になったな」

 これまで黙っていた槇憲平が手を挙げた。「僕から一つ、いいですか?」

 長門は黙って槇を見つめる。

 槇はやや躊躇ったが、咳払いを一つすると意を決したようにこう言った。「……『スカイフォース』、一年間撮ってもらいたかったです」

 真摯な眼差しを槇は長門に向けた。「皮肉でも社交辞令でも何でもなく。これは本音です」

「……そうか」

 しばらく間が空いた後、長門が無表情でぽつりと言った。

「それと!」槇が慌てて続ける。まるで自分の言葉のテレ隠しのようでもあった。「監督は心当たりがありますか? 今回24ちゃんねるに書き込みをした人物に対する心当たりです。投稿者名は魚。たぶんウィキペディアを編集した人物と同一人物だと思いますが、いわばカントクの裏の仕事に知悉した人物についての心当たり」

 そうだった―真由香は迂闊にもそのことに全く頭が働かなかった。この数日間の騒動の影響で、そこまで考えが及びもしなかった。結局こうやって、長門清志郎が戦軍を去ろうとしているのは、魚がウィキペディアを編集し、24ちゃんねるに「情報拡散」といってネタを撒き散らしたことが起因している。そう考えると、真由香は改めて、魚に対する怒りが込み上げてくる。

 長門はうーん、と唸る。「そりゃ、知ってる奴というなら、ピンクロダンの草加かな。だが、あいつは違うはずだ。あとはAVの現場のスタッフとキャスト」

「ほかに心当たりはありませんか。それはおそらく、いままで戦軍の現場の裏側をネタバレしていた奴と同一でしょうから、おそらくは撮影所で勤務しているスタッフだと思われますが」

「……心当たりはある」

 意外な答えだった。「ホントですか?」と槇が訊き返す。

「こんなところで嘘を吐く理由がないだろう。……そいつが、俺に言ってきたんだ。カントクの家には長門コレクションがあるって噂、ホントですかってな。みんな怖がって俺には話かけてこないのに、そいつは平気なようだった。俺のデビュー作のピンク映画がどうしても見たい、って言ってきた」

 長門清志郎のデビュー作品はピンク映画『燃える女教師・禁断の音楽教室』というタイトルだった。

「撮影の終わりにそいつを家に呼んで上映会と相成ったわけだ。で、気が付けば終電を逃してしまい、そいつはそのまま泊まっていった。朝になってそいつが帰ったあと、自分のコレクションを整理していたら、どうもコレクションラックに違和感があった。そこに置いてあった『エロフォース』のDVDの陳列の順序が入れ替わっていたんだな……もしかしたらその時に、そいつは俺が浦志郎名義でビデオの監督をしていたことに気付いたのかもしれない」

 真由香はだんだん苛々してきた。そもそもこちらの機嫌があまりによろしくないにもかかわらず、目の前の老人の喋りっぷりがどうにもまどろっこしく感じられた。

「さっきから意味ありげにおっしゃってますが、そいつっていったい誰なんですか?」

「あまり言いたくはないな」

「お願いします」

 長門は咳ばらいをしたが、やはり首を振った。

「無理だ、断る」

「言ってください!」

 真由香はつい声を荒げてしまう。

「拒否。黙秘権だ」

「わかんないねえ、カントクなぜそこまで頑なにナンのよ?」

 東條が横からフォローするように口を挟む。

 長門は深い溜息を一つ吐くと、しぶしぶ、その人物の名を口にした。そして言葉を続ける。

 


 瞬間のそのことを、真由香は記憶していない。

 気が付けばその場を立ち上がっていて、長門の元までつかつかと歩み寄り老監督の頬にビンタをしていた。自分でも抑えきれない衝動だった。槇と東條に慌てて取り押さえられてから我に返った。

 長門を殴ってしまった―。

 娘ほど歳の離れた女に殴られた長門清志郎は実に冷静だった。こちらを見ると「―今日、俺がサングラスをかけてこなかった理由を教えてやろうか?」と言った。

「こうやって、お前に一発殴られるためだよ」



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