第23話 銀髪の愛人

「もうちょっと右! 右! 止まれ! そうだ、そのまま降ろせ!」

 数日前までは時折聞こえる鳥の声以外は何も聞こえないほどに静まり返っていたビジャ湖の畔に、魔法機械の音がうるさく響き渡る。

 何人もの樵達がビジャ湖の周りの森の中で巨木を伐採している姿がそこかしこに見られた。


 賑やかだな……


 巨大な丸太は魔法機械を使って釣り上げられ、台車に載せられる。

 静かに降ろしているように見えるのだが、地響きが伝わってきた。

 屈強な男達が台車に飛び乗り、縄をかけ始める。

「コルテスの旦那! もう運んじまいますよ!」

「ああ? 何言ってんだ! まだ余裕があるだろ?」

 台車にはまだ数本の丸太が載せられそうに見える。

 しかし、台車を操作する男は首を振った。

「駄目でさ、旦那。この木は一体何なんです? これ以上載せたら重過ぎて台車が凹んじまう」

「……仕方ねえか、おい! お前ら! 台車が出るぞ、離れろ!」

 浅黒い肌をした三白眼の目立つ男が今度は上に向って叫ぶ。樵の元締めのコルテスだ。

「主様! もう載せられないみたいです!」

 彼は、今度は頭上に浮かぶ巨大な白銀の水龍に呼びかける。

 水龍は鉤爪にそれぞれ四本の丸太を掴んで、器用に空中で静止していた。

 巨大な丸太もこの水龍と比べると随分小さく見える。

「そうじゃったか」

 真っ青な瞳を瞬かせて水龍が応えた。

「はい、すみません。それはちょっと元のところに戻して下さいませんか?」

「これを運ぶ先はブルガジャ製材所じゃろ? 場所は知っとる。このまま行って置いて来るかの」

「え? さすがにそれはちょっと……」

 聖なる水龍様に恐れ多くてそんな事がさせられるもか、と慌てるコルテスだがグアルディオラは頓着しなかった。

「いいんじゃ、いいんじゃ、どうせ次の台車が来るまで儂の手伝える事はないからのう」

「ああ! 待って!」

 白銀の巨竜はすでに青空に長い尾をはためかせて元気に泳ぎ出していた。

「はあ……」

 疲れた顔で溜息を吐くコルテスに私は声をかけた。

「お疲れ様です。コルテスさん」

「ああ、あんたか」

 コルテスは力なく微笑む。

「手伝ってくれるのはありがたいんだが、主様にあんな事させていいもんか……」

 樵達はいわばこの美しい湖水地方の恩恵を最も受けて来た人々だ。

 その分、沼の主である水龍グアルディオラに対する畏敬の念も強い。


 おじちゃんが手伝うの、なんか逆にストレスになってる?


「おじちゃん、いや、主様は喜んでらっしゃるようなので、もし良かったらこのままお手伝いさせてあげてくれませんか?」

「正直ありがたいけどなあ……」

 まだ、煮え切らない態度のコルテスに畳みかけるように言ってみた。

「むしろ、主様が大量の材木を空輸出来るように鋼索で出来た網とか作ってあげたらいいんじゃないですか?」

 我ながら良い案だ。

「何、言ってんだ、あんた!」

 罰当たりな! とんでもない! と目を剥くコルテスだが、すぐにぶつぶつと呟き始める。

「けど、そうだな、もしそうなったら凄くありがたいが……いやいや……」

 主様を敬うのは習慣と化しているようだが、この間は林業の助けになるならまたこの沼地が魔窟になっても構わないというような趣旨の事をちらりと言っていたぐらいなのだ。


 根っこの部分は、私と同じで打算的なはず。


「ね? いい案でしょ?」

 にやりと笑ってやる。

「全くあんたには敵わんな。あんたのくれる魔石も凄い威力だ。伐採がはかどる」

「そう言って下さると私も嬉しいです」

「あいつらも、なんだかんだで楽しそうだ。普段、と言っても数年前までの、だが、俺達樵の仕事の大部分は間伐、下草刈り、つる切りだ。主伐と丸切りをひたすら……なんて祭りみたいなもんだからな」

 コルテスは言葉を切って、あたりを見渡す。

「それより何より、やっぱり樵に戻れて嬉しいってとこか。これに関しては領主のトリスタンに感謝だな」

「まあ、そうですね」

 それについてはいろいろと言いたい事があるが、口を噤んでおく。

「にしても、あんた、ずっとその恰好か?」

 コルテスは怪訝な顔で私の防護服をちらりと見る。

 魔竜の皮で作ったそれは頭まですっぽりと覆う構造なので、一見すると私は何か新種の怪物のように見える。

「いや、ずっと、というわけでは……」

 伐採現場からは少し離れたところで、ウルバーノと一緒に作業をしているのだが、ヘドロが飛び散る可能性もあるので、結果的にコルテスの前ではこの恰好を通してしまっている。

 あれ以来、ウルバーノは私に防護服を着ろとは強要してこない。なので、ただ単に巡りあわせの問題だ。見せても構わないと言えば構わないのだが、素顔をあえて意識されると気まずい。


 まあ、顔が吹き出物だらけで汚いっていうのはもう噂で聞いているだろうから、変にハードル上がったりはしてないと思うけど。


「実は、前にここに来た時は遠くてあんたが良く見えなかったんだよ。どういう顔してんだか気になってな。あんた女なんだよな?」


 ……そこから!?


「……ドロテアは女性名ですよ」

 多少、恨みがましい声になってしまったのは許して欲しい。

「分かってる、冗談だ!」

 豪快に笑い飛ばされて少し苛立つ。

「見ても面白いもんじゃありませんけどね」


 まあ、いいか。許してやろう。彼も嬉しくて浮かれているんだ。


「おい、ドロテア! 何してんだ!」

 そこへ、怒ったようなウルバーノの声が飛んで来た。

「ははは! 怖い怖い愛人さんが呼んでるな」


 あ、愛人……!


 訂正したいのをぐっと堪える。見るとウルバーノが怖い顔をしてこちらを睨んでいる。相変わらず人型だ。

「あの銀髪の愛人さんもずっと上半身裸なんだな。あの夜だけかと思ったが……」

 微妙な顔のコルテスだ。もっと言ってやってくれ。

「ええ、はい。彼はずっとああです!」

 これに関しては力強く同意してやった。


 私が行くと、ウルバーノはさっと踵を返す。

「くず魔石が大量に届いたぜ。とっととやっちまうぞ」

「はい」

 森を抜け、開けた場所に出る。るとウルバーノは獣型になった。


 今までと逆だな。


 この作業を行う時には彼も私と同様に瘴気やヘドロを浴びる可能性があるので、私と二人きりで仕事をする時には獣型(人型と比べて防御力が増すらしい)で、樵達の前では人型だ。傭兵のウルバーノ、として認識されたくないのは分かるが、徹底している。

 目の前には巨大な靄の塊のような半円形の構造物がある。視認出来る構造物は最も内側の結界である。内部に可視化するほどの濃い瘴気が渦巻いているのためだ。結界の境界部分にはたくさんの蓄力機を円形に並べてある。魔石を二つ搭載出来る構造の蓄力機だ。結界内に吸収孔を向けた作りになっている。

 その外側にさらに二つの結界があるはずだが、その輪郭を目で見る事は出来ない。結界の境界を示すのは地面に置かれた蓄力機だけだ。

 最奥の結界の中には三つに区切られた浅いため池が作ってあり、そこには三種類スライム達が棲息している。

 ようやく役所から魔生物実験の許可が下り、本格的にスライムを使った魔石への魔力補充施設を稼働出来るようになったのだ。先日行った実験と同じ事があの中では行われている。

 それぞれの溜め池は、基本的には網で仕切られ異種のスライム達が混じり合わずに、水やヘドロだけが移動する仕組みになっている。

 エンリケの呪いがなくても、スライムは元々突然変異や融合を起こしやすい魔生物なのだ。危険は減らしておくに越したことはない。

 私の作ったスライムへの餌は近所の工場からの排水を使っていた。ビジャ湖に流れ込む川の水域にはもともと工場が多く存在している。そのせいで水質汚染が進み、行政が父に水質浄化を依頼したのが全ての始まりなのだ。少し手を加えただけで、かなり汚染度の高い水をこのプラントに引き込むことが出来た。

 汚水を引き込むための水路にも何重にも水門が設けてある。

 そしてこれらの結界で守られた溜め池をまとめて覆うような形でさらに大きな結界を一つ敷いてある。中で行われている事が外部に漏れないようにするための、隠蔽用の結界だ。ここへは私とウルバーノしか辿り着けない仕組みになっている。これらの高度な結界術式は全てウルバーノが組んでくれた。

 当初、施設を作るのには相当な時間がかかるだろうと私は予想していた。しかし先日の実験で、かなり簡単に魔石の魔力を回復させる事が可能だと分かった。そのため、工事を行う動力源には事欠かなかった。さらに、樵達と協定を結んで和解したので彼らから重機を借りる事が出来た。そして、今までの常識ではありえない程に贅沢に魔力を使って突貫工事を断行したおかげで、想定していたよりもはるかに短時間でこの施設を完成させる事が出来たのだ。

 あとは、ある程度の目算で父のスライムと私の作ったスライム、そして新種の瘴気を魔力に変えるスライムを結界の中に放り込み、ヘドロが増えれば私のスライムを、瘴気が増えれば新種のスライムを、そして随時汚水や父のスライムを足して微調整を行った。調整の末に、かなり大きな施設になってしまったが、これでいいと思っている。閉鎖系を作り出す時の基本だ。大きければ大きいほど崩壊までの時間は長い。それだけ、有事の際には外部から調整をする余裕もあるという事だ。

「ぼけっとすんな、行くぞ」

「はい」

 ウルバーノとともに魔石を運ぶ。魔力を使い果たし輝きを失った魔石だ。くすんだ濃い紫色をしている。小さなものもかなりある。これらは近隣の工場から依頼されて預けられたものだ。


 うーん、いつの間にか大量になってるなあ。


 始めは一つの魔石から始めた。汚水を分けて貰ったお礼にと、工場で使われていた魔石に魔力を補充してやる事にしたのだ。

 一般家庭の使用に耐えられるようになるまで、ですら数年単位で時間がかかると判断されるほどに、その魔石は空っぽだった。

「そんな、くず魔石、一体どうするんだ?」

 その製鉄所の工場長は魔法機械工の壮年の男だった。直接の知り合いではないようだが、父の事も知っている。同業者のよしみで話しやすい。私に反感を抱いているクベタの住民の中では、ダフネと同じように例外的存在と言ってもいい。当たり前の話だが、工場から出た排水がビジャ湖を汚していた事も知っていた。

「これに魔力を満タンに補充してお返しします。明後日ぐらいには……」

「そんな事、出来る訳ないだろうが!」

 彼は突き出た腹をゆすって大笑いした。

「まあ、いい。そのままじゃ、どうせ二束三文でしか売れない。あんたがそんなものをネコババするとも思えんし。全く、あんたは汚水だとか、くず魔石だとか変なものばかり欲しがるんだな」

 予告通りにその魔石を魔力に満ち満ちた状態にして返したところ、仰天された。

「な、あんた、何者だ!? アルバロの娘だって言ったな?」

「はい、アルバロ・スニガの娘のドロテアです」

「これを、どうやって!?」

「危険な方法なので明かせません」

「頼む! 金は出す! 方法は教えてくれなくてもいい! これと同じ事をやってくれないか?」

 彼は縋り付かんばかりの勢いで、手を合わせた。

「この通りだ!」

「ど、どうしたんですか?」

「実はな、最近入れた新型の魔法機械がとんでもなく魔力を食うんだよ。このままだと溶鉱炉も止めなきゃならん」

 溶鉱炉は一度火力を落とすと回復が面倒だ。その間、工場は完全に停止してしまうし、下手をすれば大赤字になる。

「売り上げは悪くないんだが、なんせ魔石の球数自体が足りないんだ。助けると思って!」

「分かりました。でもお代は頂きますよ」

「助かった! もちろん、いくらだ?」

「えっと……」

 魔石の相場の半分ほどを提示してみた。


 高過ぎかな?


 しかし、ウルバーノにも下手に安くすると客が押し寄せて大変な事になるから控えろと言われていたのだ。私も、まだ使用経験が浅いうちにあの施設をフル稼働させたくはなかった。


 安全性が確認されてから安くすればいいよね?


 恐る恐る工場長の顔色を伺うと、彼は酷く驚いていた。

「そんなもんでいいのか!」

「は、はあ」

「一つサービスしてくれた事だし、先払いでもいいぞ。じゃあ、さっそく今日から頼む! おーい、誰かこのお嬢さんに台車を貸してやれ! 君、くず魔石を積むのを手伝ってあげて」

 その日のうちに大量の魔石を渡された。数日後に魔石を返しに行くと、工場長は固唾を飲んだ。

「美しい……」

 私が袋を開けると赤紫色の光が部屋に溢れ出す。

「ドロテアさん」

「はい」

 工場長の小さな目は潤んでいた。

「どうか、これからもよろしく頼む」

 なんとなく、嫌な予感がする。あの魔力補充施設はまだまだ未知の部分が多い。いつ何時突発的な事態で魔力を供給出来なくなるか分からないのだ。出来れば、あまりこの話を広めないで欲しい。慌ててその事を伝えると、工場長は笑った。

「はははは! そんな事は分かってる。私も魔法機械工の端くれだよ」


 ……って、言ってたくせに、これだから魔法機械工って奴は!


 自分にもそういうところがあるだけに、余計に忌々しい。便利な物があると分かったら使わずにはいられないのだ。数日後には周辺の工場から、魔石の魔力補充の依頼が山ほど舞い込んできた。

 あの工場長がばらしたに違いない。こんな事ならば、もっと値段を釣り上げておくべきだった。


 貧乏暮しが長過ぎて、なんか、そのへんの相場が分からなかったんだよな。


 魔力という今まで誰も商品化して来なかったものを商品化したのだから、ある意味しかたないのかもしれない。不安は残るが、とにかく現金収入があるのはありがたい。早速その収入でくず魔石を買い集め、結界の周りに置いてある、魔石を二つ搭載出来る畜力機を増やしていった。これにより、一度にたくさんの魔石に魔力を補充する事が可能となった。

 そして、樵達が使う自走台車や魔力で動く鋸の動力源を提供することで、林業の方の経費削減も図っている。


 いや、本当に良かった。人が集まって。


 今でこそ、大勢の樵達に木の伐採を手伝わせているが、始めの頃は全く人が集まらなかったのだ。元締めのコルテスの呼びかけとは言っても、数年前にこの辺りの林業は壊滅的な打撃を受けた。樵達は林業に別れを告げ、生活のために工場で働いている者がほとんどだった。コルテス自身も例外ではない。新種の材木がどんなに素晴らしかろうとも、すぐに現金収入を望めるわけではないのだ。

 工場を辞めて、林業に戻るにはかなりの勇気が必要だ。

 グアルディオラは手伝うと申し出てくれたが、人手が足りない。

「儂を仲間外れにせんでくれ!」

 髭の巨漢は叫んだ。聞けばどうやらグアルディオラはずっと寂しかったらしい。思い出してみると、確かに最近はあまりグアルディオラと会っていなかった。瘴気に弱い彼を気遣ってスライムの実験は沼から離れた場所で行っていたせいだ。

手伝わせるなどもっての外だ、許可してくれただけでもありがたいのに、この上、迷惑はかけられない、と思っていたのだが、逆効果だったようだ。

「木を切って運ぶだけじゃろが! なあなあ、いいじゃろ?」

 気持ちは嬉しいが、完全に構ってちゃんになっている髭の巨漢は見るに堪えない。そして、悲しい事に彼の手伝いだけではどうにもならない。

 途方に暮れる私の前に現れたのが、領主のトリスタンだった。ある日突然、我が家を来訪したトリスタンをウルバーノはなぜか人型のまま私の横に立って無言で威嚇した。


 どうでも、いいけど近いよ!


 さりげなく肩に手まで回して来る。どうやら彼は人型の時は「私の愛人」という立場を貫く事に決めたらしい。もう、どうにでもしてくれという気分だ。

「どうしたんです? 何か御用ですか?」

 トリスタンはなぜか、玄関先で絶句している。口から先に生まれてきたようなこの男には珍しい事だ。

「き、君、ドロテア・スニガ? さん?」

「え、そうですけど」


 え? 何?


「はあ……見違えたよ! やれば出来るんじゃないか!」

 ずうずうしく家に上がり込んで、私の顔をまじまじと見つめてくる。榛色の目が好色そうに光っているのが、なんとも胡散臭い。ウルバーノがぎりっと歯を噛みしめたのが分かった。

「あの、近付かないで下さい」

 つい、思い切り嫌そうな顔をしてしまった。横でウルバーノの笑う気配がする。

「ん? 誰だい、この凄まじい美男子は!」

 そこで、トリスタンはようやく私の横に居る銀髪の男に気が付いたようだ。

「どうも」

 ウルバーノは優越感たっぷりにトリスタンを見下ろし、爽やかに笑う。いっそ艶やかと言ってもいいほどの色男っぷりだ。トリスタンは私とウルバーノを見比べて、がっかりしたように溜息を吐いた。

「なんだい、そういう事か。ドロテアさん、君は酷い女だ」

「何がですか!」

 相変わらずの失礼さだ。

「男に縁遠いふりしてちゃっかりしてるな、君のヒモだろ?」


 ……あんたもかい!


 どうやらトリスタンもウルバーノを私の愛人か何かだと素直に勘違いしているようだ。一体、私はどういう風に思われているのだろう。


 若いツバメなんか囲うような器の大きい女じゃない事は見れば分かるだろうに。


 しかし、あえて訂正はしない。訂正すれば、ウルバーノが困る。もう、勘違いされるのにも慣れてきた。

「……それで! 何の用なんです?」

 苛々しながら再度、尋ねる。

「何の用も何も、ご機嫌伺いだよ」

 トリスタンはしれっと言い放つ。

「ご機嫌伺い!?」


 いらんわ! 帰れ!


 顔に出ていたのだろう。トリスタンが、やれやれと溜息を吐きながら話しだす。

「君のスライムの書類を通すために僕は結構、無茶したのさ」

「どういう事です?」

「まあ、簡単に言っちゃうと『この魔生物はとてつもなく人類の役に立つ可能性があり、行政が援助する価値があるんです! だから、申請も無料にします!』ってとこかな」

 つまり、私の事業が失敗して、もし万が一、再び生物災害を起こす羽目になったら、今度はトリスタンも一蓮托生、というわけらしい。

 いい気味だ。

「間違ってないですよ!」

 意地悪く笑う私を恨めし気に見ると、もう一度溜息を吐いた。

「だから、君の事業の成功に僕の進退がかかっているのさ。議会で大風呂敷広げちゃったよ。将来は必ず税収に大きく関わる産業に発展するはずだって」

 自信たっぷりに大言壮語するトリスタンが目に浮かぶ。

「だからせめて、この沼地を頻繁に視察して置かないと、信憑性を疑われちゃうだろ?」

「信憑性……」

 ちらっとウルバーノを見遣る。愛人のふりに徹しているらしく、彼はさっきからほとんど何も発言していない。しかし、知性溢れる銀色の目は「そこだ、行け! 攻めろ!」と言っていた。


 分かってますぜ、兄貴!


「信憑性を確保する方法、ありますけど?」

 私はにっこりと笑って申し出た。沼の特殊な土壌(スライムが関連しているらしい)を使った林業、という事で公共事業として行政から援助を受けられるようにしてもらいたいと頼んでみたのだ。

「無茶だよ! カーサス地方は財政難だって言っただろ?!」

「ああ、はいはい。聞き飽きましたよ。でも正直言ってあなたは今、自分の支持率の方が大事でしょ?」

 トリスタンの任期はもうすぐ終わる。次は領主に再選されるか分からない。

「これは一挙両得の名案ですよ? これ以上ないくらい信憑性が上がりますしね。あのスライムはクベタの林業の復興にまで関わってるのか! だから、ちょっと強引にでも申請を通したんだな!? 不遇の樵達に愛の手を差し伸べるためだったとは! えらいぞ領主トリスタン! 凄い! さすが! 住民達の支持もうなぎ上り!」

 一応、嘘ではない。

「それに、私、今はもう樵のコルテスさんとは和解しています。私が、彼らにあの事ばらしたらどうなるでしょうね?」

 わざと、優しく囁いてやった。

 あの事とは勿論、トリスタンが地主の貴族へのゴマすりのために、賠償金の支払い額を貴族達に多く振り分けると約束し、そのせいで、賠償金の分配の話がこじれて、支払いが滞っている件についてだ。

 トリスタンの顔が真っ青になる。

「ここで、恩を売っておけば、万が一、後で真相がばれても傷は浅くて済むかもしれませんよ? 何より彼らの現金収入が上がればそれだけで賠償金への執着は薄れます」

「ま、負けたよ……」

 がっくりと項垂れるトリスタンに慰めの言葉をかけてやる。

「大丈夫、悪いようにはしません」


 ……ん? 慰めじゃないな、これ。完全に悪役の台詞だ。


 さすがに苛め過ぎたかと思ったが、転んでもただでは起きないのがトリスタンだ。

 数日後、ビジャ湖の畔の森で樵達を大勢集めての大々的な説明会が行われた。

「なんで、俺達があの女好きの糞野郎のために拡声器の準備までしてやらなきゃならねえんだ!」

 ケーブルを担いで文句たらたらのウルバーノだ。

「まあまあ、そう言わず、これで樵さん達のお給料が出るんですから。ていうか、別にウルバーノさんは手伝わなくっても良かったのに……」

「そういうわけにいかねーだろ!」

 笑いながらウルバーノを宥めていた私だが、すぐにそれを後悔する事になった。

『みなさん、今日はお集まり頂き誠にありがとうございます。こんにちは、カーサス領主のトリスタン・コジャーソです』

 演説するトリスタンを見るといつも思う事だが、この男は外面だけは最高にいい。

 誠実な若き政治家そのものだ。

『この美しいビジャ湖は悲しむべき厄災によって魔窟に変えられてから数年が経ちました。本来ならば行政はすぐにでも皆さんに手を差し伸べるべきだった、だが出来なかった! カーサス地方は財政難、みなさんも知っての通り、僕は下級貴族出身で領主になったばかりの頃は力がありませんでした』

 くっと悔しそうに顔を歪めるトリスタンだ。

『全て僕の不徳といたすところです。僕は議会を説得出来なかった。僕は何度も言いました。収入だけの問題ではない。あの美しい森は樵達の誇りなのだ、命なのだ、と。それを奪われる事は騎士が剣を奪われるも同じ!』

 ここで拳を握りしめて男泣きまでしてみせる芸の細かさだ。見ると聴衆の樵達の中にも泣いている者が何人も居る。


 いやいやいやいや、単純過ぎでしょう!

 もったいない! 涙がもったいないから!


『今ようやく、今ようやくです。皆様からの暖かい支持により、僕は領主としての義務を、いや本当の仕事をする事が出来る!』

 野太い歓声が上がる。私とウルバーノは顔を引き攣らせる事しか出来ない。

『あなた方にとってこの美しい森が誇りであるように、僕にとってはあなた方のような勤勉で賢明な領民たちが誇りなのです』

 トリスタンは激した自分を恥じるかのように、小さく微笑んだ。


 うわあ、なんだあのくさい演技!


『生まれ変わったこの森で、一日も早くあなた方が林業を再開出来るよう、行政も精一杯、協力いたします。この僕が、トリスタン・コジャーソが領主である限り!』


 しかも、最後はあからさまに宣伝入れてきた!


 トリスタンの面の皮の厚さに絶句する私とウルバーノを完全に置き去りにして、森は大歓声に包まれた。トリスタン万歳、などという声まで聞こえてきてぎょっとする。

「……なあ、ドロテア」

 妙に平坦なウルバーノの声に反射的に答える。

「駄目です」

「まだ何も言ってねえだろ?」

「駄目です!」

「いや、あれはもう殴っていいって!」

「駄目ったら駄目です!」

「俺の目を見て言え、ドロテア! お前の目は殴ってよし、むしろ殴れって言ってるぜ!?」

「駄目なんです……っ!」


 トリスタン……

 相手が自分には非がないと思ってくれるであろう状況に限って、いくらでも誠実な謝罪の言葉が出てくる男!


 とにかく、これにより樵達には給料が出せるようになり、工場勤めに固執する理由はなくなって、今の状況が実現したのだ。

 良質な材木とは言っても知名度は高くないので、競りにはかけず直接、木工店に卸し、まずは家具を作ってもらっている。すでにいくつかの家具が売れ、好評だそうだ。新たに協力を申し出てくれてた木工店も数軒ある。さらに、領主の官邸を一部補修する際に、内装の一部にこの木を使ってもらえる事が決定している。多くの要人が訪れる応接間をこの木で飾ろうと言うのだ。宣伝効果は高いだろう。

 この分だと近いうちに、競りに出せるかもしれない。


 その前に、早く生態を解明しなきゃなんだけどね。


 袋から魔石を獲り出し、蓄力機に設置する。横を見ると、ウルバーノももくもくと魔石の設置作業を続けている。地面に膝を突き、紫色の魔石を丁寧に蓄力機に据える彼の、狼になっても端正な横顔は凪いだように冷静だ。


 なんだか、あの夜の事が嘘みたいだ。


 初めて樵のコルテスが私の家に訪ねて来た日の夜、ウルバーノは少し落ち込んでいたようだった。いつもは強気な彼が、まるで子供のように不安に銀の瞳を揺らして、私に縋りついたのだ。

 私の勘違いかもしれない。だが、彼は確かに弱っているように見えた。翌日、彼が部屋から出て来た時にはもうすでにいつもの彼に戻っていて、その件に関しては言葉を掛けそびれてしまった。彼自身が蒸し返して欲しくなさそうに見えたというのも大きい。


 このまま、放っておいていいのかな。


 下手に刺激して彼を怒らせたくなかった。せっかく、良好な関係に戻ったのだ。何も自分からそれを壊すことはない。


 だけど。


 以前、エンリケにも指摘された事がある。

「自分に非があるかもしれなくても、それを改善する過程すら面倒くさがって、甘んじて受け入れるんだ。醜いなあ、君は。賢い馬鹿、怠惰で、ストイック!」


 ……悔しいが、その通りだ。


 私は人間関係に無精なところがある。このままでは、駄目だ。それも自分で分かっている。

 傷付きたくない。拒絶されたくない。自分が持ち得るものの少ない人間だと言うのは知っているのに、どうしてそれをさらに思い知らされるような事をしなければならないのだろう。

 あの夜、ウルバーノは私に何かを求めてくれているように感じた。それが、何かは分からない。けれど、彼が何かを欲しがるのなら、本当はなんだってしてあげたいのだ。以前、彼は私に何かくれ、と言った。そして、冗談のように私の涙を舐め取った。これをくれ、と言ったのだ。だが、いくら頭の悪い私でも、彼が本当はそんなものを欲しがっているのではない事くらいは分かる。


 なんだってしてあげたい、なんて……


 この気持ちを打ち明ければ、ウルバーノも私の彼に対する好意がただの好意ではないと気が付くかもしれない。醜い女に情けをかけてしまった事を後悔するのかもしれない。


 けど、それがなんだって言うんだ。


 彼が私にくれたものを思えば、そのくらい何でもないような気がした。私が彼を見ている事に気が付いたのか、ウルバーノは金色の目を瞬かせた。

「どうした? 疲れたか?」

「いいえ」

 慌てて、下を向き、作業を開始する。

「疲れたら言えよ。お前、最近働き過ぎだぜ? こんな作業、俺一人だって出来るんだからな」

「だ、大丈夫です」


 ウルバーノさんが、私を気遣ってくれる。

 ただそれだけの事なのに、どうしてこんなに胸が熱くなるんだろう。


 ウルバーノさん、私ね、

 ウルバーノさんになら心を蹴っ飛ばされてもいいんです。


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