第22話 樵のコルテス
服を着て風呂場から出ると、ウルバーノが風呂場の前の廊下で待ち構えていた。
「……っ!」
さっと、目を逸らす。ついでに廊下の壁に張り付いてウルバーノから距離を取る。先ほど、下着姿を見られた恥ずかしさも手伝って、いつもの三割増しで挙動不審になってしまう。
「ど、ど、どうしたんですか? お客さんですよね? すみません、対応して下さったんですね」
玄関先はウルバーノの大きな背中に隠されている。背伸びをしてなんとか玄関先を垣間見ようとするが、あからさまに阻まれた。ウルバーノが私の動きに合わせて身体を動かして視界を遮るのだ。
と、通せんぼ!?
「え、ちょ……どいて下さいよ! 待ってるんでしょ?」
「待たせときゃいいんだよ。それより、とっととこれを着ろ!」
ぐいぐいと何かを押し付けられた。
……ヘドロ臭い?
防護服だった。
「え? なんで!?」
「……いいから、着ろ」
驚くが、薄暗い廊下の中で炯炯と光る銀色の目に気圧されて、何も言えない。
なんなの、怖い……!
父の作ったものではなく私が作った改良版なので使用回数はまだ少ないとはいえ、もうすでにヘドロの洗礼を浴びている(まさに言葉通りに)。間違っても風呂上りに着たいものではない。反論したい気持ちは山ほどあったが、私の中の何かが今のウルバーノには逆らわない方が身のためだと告げる。
「……は、はい」
不承不承、寝巻の上から防護服を着込む。仕方ない。眠る前にもう一度、身体を洗おう。
樵のコルテス、私の記憶違いでなければ、先日、抗議行動のために大挙して訪れた樵や不動産関係者の中心人物であるはずだ。
何を言われるんだろう。
不安と緊張で、風呂から上がったばかりなのに、指の先が冷えていくのが分かった。沼を汚した件で彼らに恨まれているのに加え、先日は彼らを追い払うために私は邪悪な怪物を作り出したと勘違いされているようなのだ。
険しい表情で玄関先を伺うウルバーノの精悍な横顔をちらりと見遣る。ひょっとしたら樵の元締めであるコルテスは怒り狂っていて、今にも私に殴り掛からんばかりなのかもしれない。
この防護服は魔竜の皮を加工した作ったものだ。寝巻よりはるかに高い防御力がある。客人が突発的に暴力行為に及ぶ可能性を考慮しての措置なのだろうか。
しかし、そんな私の不安にはお構いなしで、ウルバーノはずんずんと玄関に近付いて行く。扉が目の前だ。
「それから客の前で俺の名前は呼ぶな」
「え……?」
「いいから言う通りにしろ!」
わあ、待って待って! 心の準備が!
バン!
「待たせて悪かったな」
「いや、こちらも夜遅くにすまない」
意外にも愛想良く応するウルバーノの態度にまた驚く。しかし、良く見ると彼の目が全く笑っていない事が分かる。客人に対する敵意が剥き出しだ。
なんでそんなに臨戦態勢なんだ!?
「あんたは……」
声を掛けられてようやく客人に注意が向く。
「あ、どうも。ドロテア・スニガです」
客人の思ったよりも冷静な様子に気が抜けた。どうやら問答無用で殴られるという事はなさそうだ。となるとなぜ私はこのような防護服を着せられたのだろう。全く謎だ。
「クベタの樵の元締めをやってるアンヘル・コルテスだ。……そころで、あんた、いつもそれ着てるのか?」
「違いま……」
「そうだ」
「……!?」
なぜか、ウルバーノに言葉を奪われて目を剥く。
自分で「着ろ」って言ったくせに!?
勝手に人に変な設定を付け加えないで欲しい。
「そうか、まあいい」
だが、目の前の客人はたいして気にしていないようだ。
あれ、納得? どうなの、それ? もっと怪しんでいいですよ?
ウルバーノの意図は相変わらず分からない。しかし、今はそんな内輪揉めをしている場合ではない。
硬い表情でこちらを見ている人族の男には見覚えがあった。
「……あ、あなたは!」
硬そうな黒い髪、背は高くないが厚みのある身体付き、浅黒い肌、少しぎょろりとした意志の強そうな黒い三白眼。
『おい、まさか戻る気じゃ……! 待て!』
あの時の!
「お婆さんを背負うの代ってくれたくれた人ですよね! 先日はどうもありがとうございました」
一人だけ、私を気遣うような言葉をかけてくれた樵だった。化け物の沼へ引き返す私に、待て、と言ってくれた。
「ほとんどあんたが背負って走ったんだろ!? ……って、違う! 礼を言うのはこっちの方だ。マヌエラ婆さん、あんたが背負ってた婆さんだがな、俺達がいくら危険だって言って止めても聞ききやしない、あの魔女に一言言ってやるんだって言って無理やりついて来て……」
そこで、樵のコルテスは苦笑して言葉を切った。
「結局、その魔女に助けられちまった、このままじゃあたしゃ死んでも死にきれないよって、毎日のように言っている。まあ、それは俺達も同じだが」
彼はすっと居住まいを正すと真っ直ぐ私を見た。目線の高さはほぼ同じだ。
「ああ、その、なんだ、ドロテア・スニガ、いやドロテアさん。あんたとあんたの父親が俺達の森を奪ったのは確かだ。だから俺達は謝らない。けど、あんたは身を挺して俺達の仲間を守った。樵は必ず借りを返す」
「……!」
てっきり、あの場に居た人達は皆、私が化け物をけしかけたのだと勘違いしているものだと思っていたのに。
それを指摘すると、忌々しげに吐き捨てられた。
「あんた、俺達を舐めてるのか? 咄嗟に赤の他人のために身を投げ出せる人間が、そんな真似するなんて誰が思う? 臆病な奴らは、あれも演技だったに違いないなんて馬鹿な事を言ってるが、俺達の目はそこまで節穴じゃない。噂を流してるのは不動産屋の奴らだ。我先に逃げ帰って、化け物の姿すら見ていないくせに……」
そういえば、私が最初に顔を見せて、この顔の吹き出物は沼の毒のせいだと言ったら、逃げてしまった人達が居た。
あれは不動産関係者だったのか。
そっか……
みんながみんな私が害意を持ってあの化け物を作ったと思ってるわけじゃないんだ。
分かってくれる人も居たんだ。
良かった!
潤んでしまった目を誤魔化すために何度も瞬きを繰り返す。防護服を着ていて良かったかもしれない。
「あいつらは、あんたからふんだくりたいだけだ。地主の貴族どもの犬だよ。まあ、商売人としては正しいのかもしれないがな。商店街の奴らも商店街の奴らだ。不動産屋は信用ならないと言って、俺達がどんなに頼んでも抗議活動に参加してくれなかったくせに、奴らの流す噂はあっさり信じる」
「お前らだって同じだろ。したり顔で何言ってんだよ」
それまで黙って聞いていたウルバーノが地を這うような低い声で言った。
「う……」
とっさに、ウルバーノさん、と窘めそうになってしまって口ごもる。
そうだ、名前言っちゃいけないんだっけ。
コルテスはそれに暗い表情で応えた。
「そうだな、同じだな。返す言葉もない。何か恨む対象が欲しかったなんて、あんたらに言うべきじゃないのは分かってるが……」
声を掛けるのも戸惑われるほどに肩を落として俯いている。
彼の気持ちは分からないでもない。愛した森をある日突然、瘴気漂う魔窟に変えられてしまったのだ。長年、築き上げてきたものを全て奪われ、食い扶持も減り、どれほど苦しんだだろう。
「いえ、あなた方の怒りは正当なものです。私も事情を分かってもらう努力を長年、怠ってきました。恩を笠に着て頼むようで気が引けますが、良かったら事情を聞いて頂けませんか?」
あの時、賠償金の支払いが遅れている件については少し話すことが出来たが、父はそもそもこの沼地を浄化しようとしていた事、それは領主に依頼された公共事業だった事などは話せずじまいだった。
「いや、結構」
こ、断られた!
衝撃を受けていると、樵のコルテスは苦笑した。
「ダフネの姐さんに詳しく聞いたよ。だからここに来た。あんた苦労してるみたいだな。借金があるんだって?」
そして、樵のコルテスはにやりと笑った。
「もしかして……」
「ああ、ガトス杉に良く似たおかしな木が見つかったって聞いたぜ? 樵にとってガトス杉は憧れの材木だ。協力させてもらう」
「え!?」
「ああ、借りは返すって言っただろう。どっちにしろ、このあたりで林業を本格的に再開するには時間がかかる。植林しながら、例のガトス杉もどきを伐採するのは可能だ。仲間にも話した。馴染みの木工店にももう声はかけてある。上手くすれば金になる上に、俺達は木に飢えてるんだ。こんなに美味しい話はない」
「ほ、本当に!? やった!」
この辺りの林業関係者には嫌われているから遠方を攻めようと思っていたのに、まさか本丸を落とせるとは。
ダフネさん、ありがとう! さすがです!
買い物に行った時の八百屋での事がつらくて、なんとなく全ての住民がまだ私を恨んでいると思い込んでいた。
何でも思い込んじゃ駄目なんだよな。
気が付いた時には両手で樵のコルテスの手を握りしめていた。
「ありがとうございます! 本当にありがとう!」
「お、おお……」
コルテスも顔を引き攣らせながらも笑って返事をしてくれた。少し頬が紅潮している。きっと彼も喜んでくれているのだ。
クベタの人達とこうやって何かを喜び合うなんて、絶対無理だと思ってた。
少なくとも、ずっとずっと先の話になると。
とても、嬉しい。
「そこまでにしとけよ」
ぐいっと引き離されて、たたらを踏んだ。
「わ……っ」
見るとウルバーノが体格の良さを大人気ないほどに駆使して真上から樵のコルテスを見下ろしているところだった。しかし、樵のコルテスも三白眼の大きな目で負けじとウルバーノを睨み上げる。
「あんた、さっきからなんなんだ? こっちが下手に出てるのをいい事に……」
「下手だと? どの口が言うんだ? てめえこそドロテアが阿呆みてえに甘いのに感謝しろよ? 何を言ったって、人に生ごみや石を投げつける言い訳にはならねえんだ。俺はドロテアと違って公明正大だからな。お前らを許したわけじゃねえ」
「名乗りもしない奴にそこまで言われる筋合いはない。許してもらう必要もない。だいたい、あんたドロテアさんとどういう関係だ? なぜこの家に居る?」
「分からねえのか?」
そう言って、ウルバーノはぐいっと私を引き寄せ、銀色の頭をすり寄せる。
ち、近い!
赤くなるやら青くなるやらである。
「そういう事かよ……」
樵のコルテスは心底嫌そうに顔を顰めた。
「さすがは、沼地の魔女さんだ。若い綺麗な男を囲ってるってわけか」
蔑むような目だった。一瞬何を言われているのか分からない。
まさか……
私はこれと似た表情を知っている。ラミラの父親がエンリケに懸想していると知った時のラミラの顔だ。彼女はこれとそっくりな顔で一言「不潔」と言った。
その時は、こんな表情で実の娘に罵られたら、私なら立ち直れないな、などと思ったものだが。
えええええ? ……ええええええ?!
「な、ちがっ」
冗談ではない。というか、何をどうしたら、そんな勘違いが出来るのだ。私とウルバーノでは釣り合わないし、夫婦や恋人ではない、と思ったのだろう。
そこまではいい。
しかし、だ。
いや、確かに、ウルバーノさんは無駄に色気あるけど、私今防護服着てるんですけど!
絵的にもおかしいだろ!
そもそも、色っぽい関係を連想するのが間違いだと思う。反論しようとしたらウルバーノにまた口を塞がれた。防護服ごしに大きな手が顔を覆う。
ちょっとウルバーノさん? こうやって私を黙らせれば何でも通ると思ってない!?
ん? 私、もしかしてウルバーノさんよりだいぶ年上だと思われてる?
一応、彼とは防護服脱いだ状態でも会っているはずだが、かなり落ち込む。
しかも、ウルバーノさんを囲う?! 何それ、羨ましいよ!
ていうか、そんなお金ありませんし!
全く、そんな事実はないのに、ふしだらな女だと思われてる!?
むしろそっちの方面が駄目過ぎて(いまだに処女だ)自分で自分を心配してるくらいなのに……理不尽過ぎる!
暴れる私を意に介する様子もなく、ウルバーノはコルテスの言葉にいっと歯をむき出しにして笑いながら切り返す。とてつもなく不名誉な事を言われていると思うのだが、むしろ嬉しげなのはなぜなのだろう。
「野暮な事言うんじゃねえよ。分かったら、とっとと帰れ。これからお楽しみなんでな」
顔を晒してしまった以上、沼地の魔女の若いツバメとして通すつもりなのかもしれない。彼は住民達との関わりを厭っていた。傭兵ウルバーノとしての素性は隠したいのだろう。
分からなくはない、が。
こんな、無駄に強そうなヒモが居るか! 無茶だろ! どっちかっていうとハーレム持ってそうな側だよ!
「ああ、ああ! 悪かったよ! だが、帰るのは実物を確認してからだ」
しかし、樵のコルテスは実に素直な人らしい、疑う様子はなかった。
「ああ? 何言ってんだ。もう遅いだろ、明日にしろ。暗い中、こいつを連れ回す気じゃねえだろうな?」
「残念ながらその通り。俺は昼間、工場に勤めてる。夜しか時間がないんだよ。食い扶持を稼がなきゃ生きて行けない。まだ、金になるかどうかも分からないのに、昼間に仕事を休んでクビになるわけにいかないだろうが」
「……」
その言葉に一瞬だけウルバーノの力が緩んだのを私は見逃さなかった。戒める手をのけて急いで叫ぶ。
「……っぷは! 行きます、行きましょう! 今すぐ、ええ!」
青白い月明かりに照らされる湖は美しかった。静かな水面は奈落のように黒く、刃のように白く輝く。巨木は倒れたまま放置されているものもあるが、太い木々が湖畔に並ぶ様は壮観だ。
樵のコルテスは持って来た自前の鋸で、あっという間に倒れた木から木片を切り出した。多少は手こずったようだが、グアルディオラと二人がかりであんなに苦労をしたのが嘘のような手際の良さだった。さすがのウルバーノも玄人の技術には黙って見入るしかない。
私とウルバーノが見守る中、樵のコルテスは木片を撓ませたり、叩いたり、木肌を鉋で削ったりして木の性質を見極めている。
「ちょうどいい具合に乾燥してる。確かにガトス杉並みに硬い。粘りもある。だが、木目はクベタ杉とそう変わらず美しい。しかも、ガトス杉のように曲がりくねったり、中が空洞だったりしないわけか。真っ直ぐだ。太い」
舐め回さんばかりの勢いだ。
「建築材にも、家具材にもなる。すごいな。しかも、最高級の。俺が保証する」
彼はこちらを見向きもせずに言った。頼もしい樵の声だった。
「しかし、なんでこんな木が出来たんだ? ガトス杉は瘴気に対応した結果だと言われているが、その代り成長が遅くて、木の形も悪い。だが、これは成長の早い木の木目だ」
ようやく、彼は大きなぎょろ目をこちらに向ける。目には憑かれたような光があった。よほどこの木が気に入ったようだ。
「それが、分からないんです」
「全然、全く、か?」
「いえ、当たりはつけてあるんですが、まだ確かめていないというか……」
ガトス山になくてこの沼地にあったもの、それは汚水と特殊なスライムが作り出すヘドロだ。おそらく、これらのうちのどれか、もしくはこれらの組み合わせが木に特殊な作用を及ぼすのだと思われた。それは沼に近ければ近いほどこの種の木の出現頻度が増える事実からも伺える。
「この沼にはもうそのヘドロはないんだよな?」
「ええ、はい。浄化されてしまいました。水質も前より良くなっているはずです」
「じゃあ、今、生えている分を伐採したら終わりか」
彼は途方に暮れたように呟く。心なしか、影も薄くなったように感じる。今までは散々そのヘドロに苦しめられてきたというのに、この木の生長に関わると知った途端にこれだ。この木をよほど気に入ったらしい。
うーん、どうしよう。がっかりしてる。
言うべきか、言わざるべきか。確かに、この沼からヘドロはなくなった。だが、ヘドロを作り出す事は可能だ。可能どころか、もはや沼に流れ込む事はないにしろ、近いうちに大量生産される予定だ。
私、個人の金儲けのために。
父の作り出したスライムのせいで、クベタの林業に壊滅的打撃を与えるほどの生物災害を招いたのに、性懲りもなくそのスライムを使って、今度は事業を企んでいると知ったらどう思うだろう。
我ながら、なんて節操のない。
節操のなさは魔法機械工にとっては褒め言葉のようなものだ。しかし、実際に被害を受けた人々にとって、そんな理屈は唾棄すべきものでしかない。万全を期するつもりだが、一歩間違えばこの沼は魔窟に逆戻りする。そんな事を私が計画していると知ったら、彼はどう思うのか。
けど……
もしも、彼に協力を仰ぐとしたら、スライムを使った畜力機への魔力補充事業を隠しおおせるのは不可能だ。
今までも、ある意味私が彼らとぶつかり合う事を厭ったからこそ、ここまで拗れてしまった、という要素がないわけではない。
協力を仰ぐからにはこちらも扉を開かなければ。互いの腹の内が見えないうちは何も始まらない。
「実は……」
覚悟を決めて借金の事、厄災の元となった父のスライムを使って事業を始めようと計画している事を打ち明けた。
ただ、具体的なスライムの使い方については秘密にさせてもらった。
うう、ごめんなさい。腹の内を見せるとか言いながら、いや、言ってないけど。
複数の種類のスライムの能力を組み合わせる方法は余りに手軽で便利なので、情報を盗まれたら商売あがったり、というのももちろんある(何しろ、スライムの他には結界と汚水さえあればいい)。
しかし、何より私自身が怖いのだ。父のスライムを使う事が。
誤解を恐れずに言えば、この沼を魔窟に変えるほどの強い力を持っているから、ではない。あのスライムの出す瘴気やヘドロ、その出所が分からないからだ。
今までは、意図せずに生まれた厄介者として忌み嫌っていれば良かったので、深く考える事をしなかった。しかし、益するために使うのならば責任が生じる。大量の瘴気を出す事が出来る魔獣はそれに見合った強大な力を有している事が多い。
しかし、父のスライムは私のスライムに比べれば怪物としての性質を多く残しているとは言え、一般的に危険とされている他の怪物達と比べると弱く、小さい。害獣と化した父のスライムが出すヘドロや瘴気は、スライムがそれまでに浄化した汚水の量を鑑みても理不尽なほどに多い。
簡単に言えば、割に合わない。
魔法機械工は職業柄この世界の大いなる辻褄合わせをその身をもって常に感じている。代償に見合わない結果は警戒すべきだ。常に対価について注意を払う必要があるのは、何も契約で異界の魔物を呼び出す召喚術士に限った話ではない。
借金を返すためにはある程度は急いだ方がいいけど、簡単に使っちゃ駄目な気がする。
私の逡巡を感じ取ったのかもしれない。意外にもコルテスの反応は穏やかだった。
「へえ! じゃ、この木を継続的に育てる事も可能になるかもしれないんだな?」
「え、いいんですか? 父のスライムをまた使うんですよ?」
「いいも何も、お前の親父さんの作ったスライムはもう野に放たれているんだろ? 有害だからって、すぐに絶滅させるなんて不可能だ。だったら、せめて有効活用でもしなきゃな」
苦笑するコルテスだ。
「よ、良かった」
力が抜けた。
「ある意味ここは実験場としちゃもってこいだしな。なんたってちょっと前まで魔窟だったんだ。人がほとんど住んでない。もし魔窟に逆戻りしても、この木が生える魔窟だろ? この木を知らなかった頃よりずっといい」
にかっと悪餓鬼のように笑う彼は、清々しいほど利己的だ。瘴気に弱いビジャ湖の主の水龍グアルディオラの事など全く考えてもいないように見える。
だが、その利己心に逆に救われる。
そうだな。何度間違っても前へ進むんだ。そうやって私達は生きてきた。
「ははは、来てくれたのがコルテスさんみたいな人で良かった」
「おお、よろしく頼む。そうか、そういう事なら、利益の配分は半々にしよう」
「え? そんなに!?」
多過ぎではないのか、実際の作業は全て樵達がやるというのに。
「何言ってんだよ、最初は、七三くらいを考えていたんだ。あんたが七割、俺達が三割。償いとしてここの木を売り払ったら終わりのつもりだった。だが、話を聞いて気が変わった」
コルテスは私に向き直ると、さらに続けた。
「俺達は木の専門家だ。あんたはスライムの。この木の生態を調べるなら協力した方が早いに決まってる。木の性質は数年じゃ分からない。長い付き合いになるが、いいか? 俺達と一緒にこの木の植林を可能にするため、ひと肌脱いでくれ」
特徴的な三白眼が月明かりに輝いている。力のある目だった。
「もちろんです。よろしくお願いします」
月明かりの下で硬い握手を交わす。防護服越しだが暖かかった。
家に帰り着くと待ち構えていたかのうようにウルバーノが嫌味を言う。
「ずいぶんと、お優しいもんだなあ? ドロテア」
「……」
後ろ手に扉を閉め私を見下ろす銀色の目は不機嫌だ。
ウルバーノの言う通り、私だって、何をもってしても寄ってたかって卵や石を投げつける行為を正当化する事は出来ない、と思いたい。
けれど、樵のコルテスの気持ちも分かる。彼は謝らないのではない。謝れないのだ。もし謝ってしまったら、謝るぐらいならなぜやった、その様な行いが卑怯だと知ってなぜやったのだ、という自己矛盾が生じる。だから彼は謝るかわりに、私達親子に対するわだかまりを飲み込んで歩み寄る事にしたのだろう。
謝罪にかわるだけの何かを返す覚悟を決めて来たのだ。
私がもし同じ状況に陥ったとして、同じように出来るかは分からない。自信の無い私はきっと謝る事を選ぶだろう。
謝る事が出来ない人を私はもう一人知ってる。
結局その人は娘の手を振り払い一人で背負いこんで沼地の毒に蝕まれこの家で死んだ。
「優しくないですよ」
知っているだけだ。
好きか嫌いかは別にして。
「協力してくれるって言うんだから、それでいいんです。謝って貰ったって腹が膨れるわけじゃない」
我ながら性格の悪い発言だ。仮にも好きな人に対してなんて事を言っているのだろう。
「それに、謝られたら許す努力をしたくなる」
でも、だからこそ、止められない。
「許さなくてもいいというのは案外、楽なもんです」
心の内をそのまま話したくなる。受け入れてくれるのかどうか確かめたくて堪らなくなる。人に好かれた事もないくせに、傲慢な衝動だ。
引いちゃったかな?
ちらりと見ると、ウルバーノ引くどころか笑っていた。
「っくくく、そうか! 許さなくていいから楽か!」
え、笑うとこ?
私がきょとんとしていると、今度はそれが爆笑に変わる。
「いつもいつも、私が悪いので仕方ありません、みたいな顔してるから心配だったんだよ! お前ちゃんと怒ってたんだな」
「え……?」
言い当てられて顔が赤くなる。
「いや、安心したぜ! お前も人の子だな!」
ばんばん背中を叩かれて、よろめく。
痛い痛い!
「な、何言ってるんですか! 人の子どころかかなり私は打算的ですよ! ちょっと下手に出れば協力してくれるなんてお得じゃないですか!」
無理に謝らせる事で、芽生えかけた可能性を潰してしまう方が怖い。
「あ? あの態度は作ってたって言うのか? 馬鹿言ってんじゃねえよ。あんなにはしゃいでたくせに何言ってんだ? 説得力ねえな」
く、完全に見抜かれている。
嬉しい事があると、いろいろと忘れがちになってしまうのは私の悪い癖だ。悔しくて反撃を試みる。そうだ、私は彼に言いたいことが山ほどあるのだ。
「そ、それより! 私に防護服着せたり、人型で私の愛人のフリしたり、あれ何のつもりなんですか?! 『英雄の傭兵ウルバーノ』の居場所を隠すだけなら、居留守でも使えばいいのに! おかげで私は完全に勘違いされて……」
百歩譲って私の愛人だと騙るのは素性を明かせないためだからいいとしても、防護服を着せるというのはどうしても納得出来ない。
「うるうせえなあ。俺をヒモにするなんて光栄だろ?」
「ぐ……」
ここぞとばかりに色気のある流し目を貰っては反論も出来ない。
悔しいけど、間違ってないです!
というよりも、正直言ってなんという惨いことをするのだ、という気分だ。
人の気も知らないで……
なんだか、悲しくなってきた。
「ちっ、冗談だよ。あとな、防護服着せた理由は自分で考えろ」
「はあ?」
彼はゆっくりと私に近付いて来た。怠そうな仕草なのに、やたらと威圧感がある。背の高い彼に部屋の明かりが遮られ、急に暗くなったように感じた。短く刈った彼の銀髪が光に透ける。表情は逆光で良く見えない。
意外にも静かな声に促された。
「いい加減、それ脱げ」
防護服の事だろうか。
自分で着ろって言ったくせに。脱ぐ暇もなく嫌味言ってきたくせに。
「言われなくても、脱ぎます」
さすがに少し腹が立った。防護服を脱いで顔を出すと、悲しそうな顔で微笑んでいるウルバーノに見下ろされていた。
この人もこんな顔するんだ。
驚きのあまり怒りもどこかへ飛び、心配になる。
「どうしたんですか?」
「ん? いや、な、甘かったな……と思ってよ」
「え?」
「防護服着てりゃ、安心だと思った俺が馬鹿だった。お前は……」
「え?」
「なんでもねえよ」
優しく、前髪を掻き上げられて、かっと全身が熱を持った。銀色の目が苦しそうに細められる。
「自分が滑稽だって事くらい、分かってる。あの婆あもたまにはいい事言うぜ、まさにツケを払わされてるとこだ」
そのまま、縋り付くように肩口に顔をうずめられた。
……!
「あんまり外で嬉しそうにすんな。泣かせてやりたくなる……」
完全に思考が停止する。声も出せない。
「……のにな」
「え?」
低過ぎて聞き取れなかった。やがて、ふっと肩の温もりが消える。
「悪かったな、風呂入れよ。俺はもう寝る」
硬直したままの私の頭をぐしゃぐしゃとかき混ぜ、そのまま彼はこちらを振り向きもせずに一階の空き部屋に入って行った。
その部屋は彼のために掃除して空けてあるが、寝台もない。彼が普段そこを使う事はめったにない。
風呂入れ……臭いって事か? もしかして、避難した!?
いや、そうだとしても、さすがに彼の態度はおかしい。
「ウルバーノさん……?」
呼びかけても、返事はない。閉じられた扉は静かに私を拒絶しているようだった。
どうしたんだ、ウルバーノさん。
彼がさっき言った言葉。聞き間違いでなければ、こう言っていた。
『お前が泣けば、また、お前に触れるのにな』
前に、悪ふざけで涙を舐められた時の事を言っているのだろうか。そんな馬鹿なと思いながらも、どうして私は何か悪い事でもしたかのような気分になっているんだろう。
それでも……
何だか悲しい顔をしてたから、私まで……
きっと、彼が寄る辺ない子供のような顔をしていたからだ。さっき彼が私に縋って来た時に彼を抱き止めてあげれば良かった、なんて、後悔しているのは。
嫌がられて突き飛ばされても、気持ち悪いと言われても、思い切り抱き締めてやれば良かった、なんて。
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