第21話 恋の効能

「や、やばい……」

 風呂から上がった私は身体にタオルを巻き付けただけの状態で、洗面所の大きな鏡にべたりと両手を突いた。

 まじまじと自分の顔を凝視する。


 いや、やばくはない。本当は凄く嬉しい。今ならエンリケにだって

「セニョール! 君はどうしていつもそんなに意地悪なんだい? たまには仲良くしようじゃないか、はははは!」

 とか、陽気に笑って、肩組んで無理やりグラスをカッチーンッ! 乾杯!

 みたいな、うざい真似が素で出来そうなくらい嬉しい。

 ……嬉しいは、嬉しいが、やっぱり、やばい。

 明らかにテンションがおかしい。


 鏡の中の私の頬をなぞる。


 いや、見間違いじゃないよね。

 やっぱり、そうだよ。


 目を擦った。


 吹き出物が、超良くなってない!?


 頬を触ると、数週間前までのざらざらブツブツした感じが消えている。何より、不快感がまるでない。少し、指にひっかかる部分が顎にあったので、ほんの少し擦ると、古くなった角質がポロポロと落ちた。


 げ、やり過ぎるとこれ痛いんだよな。


 慌てて、顎を鏡に近付ける。


 あれ? 赤くならない。


 痛みもない。皮が剥がれたその下から、さらにつるつるの肌が現れたではないか。近頃あまり吹き出物の痛みが気にならなくなってきたな、とは思っていたが、ここまでとは。

 ここ最近、スライムを使った魔力補充施設の建設準備で私は猫の手も借りたいほど忙しかったのだ。

 新種のスライムを発見した時は心が弾んだが、これでまた魔生物申請のためにお金がかかると、気が重くなった。

 しかし、ちょうどその日にトリスタンが取引を持ちかけてきたので、申請手続きに必要な費用を帳消しにしてもらったのだ。

 魔生物の許可をするのは領主、つまりトリスタンだ。彼の署名一つで手続きはなんとでも出来る。

 しかし、費用が掛からないというだけで、許可が降りるまでには時間がかかる。

 先日は小規模の実験だったので、待ちきれずにやってしまったのだが、本来ならば違法だ。大規模な施設を作り始めるならきちんと許可が降りてからの方がいいだろう。許可が降りるまでの間に出来るだけ父のスライムを増やして、新種のスライムの生態を詳しく調べておく必要がある。

 そんなこんなで鏡を見る暇もなかったのが一つ、そして自分の顔を鏡で見ると落ち込むので、あまり見ないようにしていたのが一つで、気が付くのが遅れた。


 これってやっぱり、これってやっぱり!


 振り返り、着替えの下からそっとある物を取り出す。ブリサに借りた雑誌だ。表紙を飾るのはエンリケだった。象牙色と錆色の細かな縞のシャツワンピースを着ている。肩を剥き出しにするデザインが、逆に甘さを抑えて、地味な色だが、エンリケの鮮やかな桃色の髪、真紅の瞳によく似合う。柄が細かいので派手には見えない。

 顎の下で手を組んで唇を突き出す扇情的なポーズ、咽喉仏は隠れている。

 当然、女装である。

 エンリケの脇に『この秋必須! アニタの着回し術一週間』『エンリケ/美し過ぎるホロス社CEO 綺麗の秘訣、全て聞いちゃいました!』などと書いてあった。

 もう、いちいち突っ込むのも馬鹿らしいぐらいに美しい。小さな膝小僧は愛らしく白い。色気があるのに上品だ。彼には煮え湯を飲まされてばかりだが、女装の美しさ、センスの良さには脱帽する。


 きっと、熱狂的なファンが衣装さんにもいるんだろうな。

 毎回、めちゃくちゃ似合う服着てる。


 それは、どうでもいいとして、問題は中身だ。


 この雑誌は今日、買い物のついでに組合事務所に立ち寄った際に、猫の獣人のブリサが貸してくれたものだ。ウルバーノも買い物について来たがったが固辞した。

 街の人にウルバーノを私の一味だと印象付けたくないのもあるが(せっかく印象が良くなったのだ、私のせいでまた評判を落とさせたくない)、この間、八百屋のおかみさんに汚水を浴びせられたのがばれたせいだろうか、ウルバーノの笑顔が怖かったのだ。

「い、いいです。一人で行きますから」

「まあ、そう言うなって、何もしねえから」


 ……語るに落ちてます、ウルバーノさん!


 銀色の目は全く少しも笑っていない。私の中の第六感が危険だと叫んでいた。口は悪いが曲がった事が嫌いで男気のあるウルバーノは、数を頼んで私に嫌がらせを仕掛けるクベタの住人達が許せないのかもしれない。

 組合ではダフネに木工店を探してもらっている件はどうなったのか聞くつもりだったのだが、生憎と彼女は不在だった。今の時期は傭兵達の資格更新やら、昇格やら、事務手続きが山ほどあるらしい。組合所長であるダフネは私と入れ違いに役所に向ったようだ。

「ちょうど今、出てっちゃったとこなんですよ」

 ブリサはすまなそうに白い耳をわずかに伏せる。檸檬色の大きな目がこちらを見上げている。


 うーん、可愛い。


 エンリケのファンだという事で少し苦手意識を抱いているものの、こんなに可愛い子に冷たく出来る人など居ないと思う。

「少し待てば来ると思うんです。中へどうぞ! 今、お茶出しますね」

「あ、いいんです、いいんです!」

 慌てて、首を振る。忙しそうだ。しかも、ダフネには厄介事を頼んでいる。急かすようで申し訳ない。

「……そうですか」

 勢いよく断ったせいだろうか、少ししゅんとさせてしまう。

「はい、大した用じゃないし!」

 安心させるように笑って告げると、ようやくブリサも微笑んでくれた。

「あの……、ドロテアさん、この間はすみませんでした」

「え?」

「あの後、ダフネさんに怒られちゃいました、急にあんな事言ったら失礼よって」

「ああ……」

 エンリケについて聞かれた時の事を言っているらしい。苦笑しながら答える。

「ブリサさんは全然悪くないですよ、ただ、仲良しってわけでもないから、雑誌に私の名前が出てたって聞いて驚いて……」

 本当に一体何を喋ってくれたのだろう。どうせ、いい事ではあるまい。見ても落ち込むだけなので、あえてその雑誌を探したりはしていなかった。

「変な事、書いてありませんでしたか?」

 急に心配になってきて、ついブリサに尋ねてしまった。

「全然! 数少ないお友達、みたいな感じの扱いでしたよ」

 晴れやかに笑うブリサに逆に不安になる。


 エンリケ、一体何話したんだよ……


 不安そうな私に気が付いたブリサは、ちょっと待っていてくれと言い置いて白くて可愛らしい尻尾を翻し、奥に走って行った。すぐに戻って来る。

「じゃん!」

「……!」

 手には件の雑誌があった。

「貸します。今度来た時返して下さい」

「あ、ありがとう……」

 恐る恐る、劇物でも扱うかのように雑誌を受け取る私を見て、ブリサは若い女の子らしい明るい笑い声をあげた。


 やだ、ドロテアさん可愛い! とか……


 なんだか、妬む気も起きない。帰り道を急ぎながらブリサの様子を思い出し、くすりと笑うが、慌てて顔を引き締める。住民達の私に対する目はまだまだ厳しい。変な因縁を付けられたくはない。ブリサがあまりに自然体なので、つい今の状況を忘れそうになってしまう。

 人気のない森の中の道に入ってから、おもむろに雑誌を取り出す。


 こういう雑誌って普段買わないから、新鮮。


 歩きながら、ぱらぱらとめくる。服、宝石、靴、鞄、どれも美しい。脚の長い美人達が完璧に着こなすそれらは、洗練されている。当然ながら、今、私が着ているような薄汚れた緑のスカートや前掛け、突っ掛けのサンダルは出てこない。


 あ、この靴は好きかも。

 でも、私がこんな踵の高いやつ履いたら大女になっちゃうな。

 ……それ以前に、履いて行くとこないけど。


 踵の高い赤茶色の紐靴だ。紐靴だが浅く作ってあり華奢な印象が良かった。

 やがて、エンリケの写真が出て来る。


 うわあ……口に椿の花とか咥えちゃってる。


 しかも、花柄ではなく、花托をすっぽり。濃い桃色の椿だ。赤い舌が少し見えるのがえらく卑猥だ。思わず、口が半笑になる。

「あ……あはは」

 違和感がないのがまた恐ろしい。気力がめげそうになるが、なんとか質疑応答の項に辿り着く。

『休日の過ごし方は?:普通ですよ、まあ、買い物したり人と会ったり、読書したり、ペットと遊んだり』

 このペットというのは彼が庭で飼っている元人間の巨大な硬骨魚類達の事だろうか、それとも私の事だろうか。


 いや、私の事は奴隷とか家畜とか言うから違うかな……


 一見すると実に爽やかな内容であるにもかかわらず、彼の内実を不本意ながら詳しく知っている私はつい深読みをしてしまう。

 昔から、まさに悪魔的な美しさで周りの人間を誘惑しまくっていたエンリケは、彼に恋い焦がれる者達を魔法で硬骨魚類に変え自宅の庭の池で飼っている。エンリケが彼らを煩わしがって悪どい手を使って無理やりそうしたのなら、どんなに良かっただろうか。全く救いようがない事に、彼ら自身の強い希望により、なのだ。

「僕も出来ればやりたくないよ。気持ち悪いし。だけど、しょうがないじゃない。君の事は愛せないって言ったら、それならせめて余計な事は何も考えず死ぬまで僕を近くで見ていたいって言うから」

 残酷なのか慈悲深いのかよく分からない。確かその頃は、雄が五匹の雌が六匹だったか。今はもっと増えているかもしれない。ご褒美、と称して、エンリケは定期的に自宅の生活排水をこの池に流してやるらしい。便所の水も彼らにとっては聖水というわけだ。虫唾が走る。

 昔、聞いてもいないのにエンリケにこの話を聞かされ、やめておけばいいのにラミラに確認してしまったりしたせいで、いまだに人面魚がエンリケに群がる悪夢にうなされる事があるくらいだ。


 やな事思い出しちゃった……


 目的の場所に辿り着かないうちに、心が折れそうだ。

『人と会うってご友人?:まあ、そんなもんかな。この間も一人と会いに行ってきました。そんなに友人が多い訳じゃないから、たまにですけどね。仕事で臭い沼に住んでるんですが、きっと僕ぐらいしか訪ねて行かないでしょうし』


 来た来た来た……!


 なんだか、これだけ読むとエンリケが友達思いの好い奴のようだ。冗談ではないと思いつつも読み進める。

『魔法機械工の方ですか?:そうです。父親が有名だから分かるかな? ドロテア・スニガって言って、同級生なんですよ。プレゼントを渡しに』


 ……なっ、簡単に個人名出すな!

 編集者もそのまま載せるとか何考えてんの?!


『誕生日か何かで?:そ、ま、全然、気付いてなかったけどね(笑)。悲しかったからちょっと意地悪しちゃいました。

切ないですね(笑):うーん、ね? 今頃サプライズ成功? かな? まだ、分からないけど』

 

 私の誕生日?

 ……まさか、あの黒いリボンは……


 わなわなと手が震える。激情のままに雑誌を引き裂いてしまわなかった私を誰か褒めて欲しい。


 ふざけんな!

 お前から誕生日プレゼントなんて誰が思うか!

 まあ、正直、忙しくて自分の誕生日とか、今の今まで忘れてたけど。

 つか、違法ぎりぎりの瞬間転送機使って突然人の家に、しかも入浴中に入ってきた上、汚いだの不細工だの悪口雑言吐きまくってやりましたってちゃんと言え!

 それに、あのリボンの事、実はここにばらしてあるじゃん。サプライズで意地悪って。

 これ、いつ出たんだっけ?


 急いで裏表紙を見る。


 ……うわ、二回目にエンリケが来てから、わりとすぐだよ。

 もしも、これ見てたら、あんなに苦労しないで済んだかも。

 ああ、最悪、何これ。

 私がリアルタイムじゃこんな雑誌は絶対読まない事もお見通し?

 その上でこれ答えてる?

 それともこれも嫌がらせ? 私が読むかどうか分からないのに? 


 ……いや、違う、名前を出せば、私の周りの人間のうちの誰かが絶対に気が付く。

 そして上手くすれば私に読ませてくれるだろう。

 それが、たまたまブリサだっただけだ。


 ……作り込み過ぎだよ、馬鹿野郎!


 確かに、酷い事は何一つ書いていなかった。変な事も。個人名を出すのはルール違反だが、いつもの悪意に満ち満ちた中傷はない。名誉棄損で訴えても許されるような内容ではなかった。いや、逆にそうであれば、どんなにかましだっただろう。


 効果抜群ですよ。認めますよ! ああもう!

 しかも、あれだ。たぶん、これだけ読むと、奴の好感度は上がると見た。


 溜息を吐いて、雑誌を閉じた。やはり読まなければよかった。半ば予想していた事だが、この数十分で、精神的にかなり疲弊した。

 表紙のエンリケを嫌々眺める。捨ててしまいたいが、そうもいかない。これはブリサの持ち物だ。


 家に置いておいたら運気が下がりそう。


 しかし、すぐに返すというのも何か感じが悪い気もする。気持ちを落ち着けて考え方を変えることにした。


 ……いや、こういうのが駄目なんだ。

 エンリケに心を乱されるから、簡単に相手の手の平の上で転がされる。

 怒るな、私。

 いまさら、怒っても役に立たない。

 不動心、不動心ぞ。

 たとえエンリケの写真が満載であっても、素直にこの素敵なお洋服達を愛でられるくらいでなければ。


 強く握りしめたせいで少し撚れてしまった表紙を丁寧に伸ばして、エンリケとは関係ない記事を半ば 意地になって読み耽る。


『働く女子のお財布事情/彼との食事代はいくらまで?』


 へえ、こんな記事も載ってるんだ。洋服だけじゃないんだな。


 ふんふんと読み進める。そして気になる記事を見つけた。


『恋して綺麗になるはもう古い、はもう古い! 男と同居で女度を上げよう』


 後ろの方の単色刷りの細かい記事だった。内容もかなり際どいものが含まれている。美しい洋服の事ばかり載せているかと思っていたので、いきなりの生臭い内容に戸惑う。

 要約すると、男性が近くに居る方が、女性が女性であるための身体の仕組みがより活発に働くようになる、という事のようだ。近年、実験的にこの事実が確かめられたと書いてある。かなり怪しげな気もするが、一応、学会で発表されたりもしているようだ。医者の発言も載せられている。

 女性の身体の仕組み、つまり月経、妊娠、乳房の発達などだが、その他にこの仕組みが順調に働くようになると肌が綺麗になるらしい。


 月経不順、肌の荒れ……


 確かに、最近は良くなってきている気がするが、結界の性能が上がった事、そして沼が浄化された事だけが原因だと思っていた。

『実験では、男性が傍に居るだけでも効果があったとされていますが、もちろん恋人なら効果はぐんと上がります。下着がきつくなってしまった人も居るそうですよ。みなさんも恋して綺麗になりませんか?』

 そういう人が出来ないからこそ綺麗になりたいと望んでいる読者が読んだら、泣いてしまいそうな内容だ。


 どうしろって言うんだ!


 勝手に憤慨する。しかし、だ。私はウルバーノとは恋人でもなんでもないが、なんの巡り合わせか同居中で、さらに言えば私はウルバーノに憧れている。


 憧れてるっていうか、もう……


 かぁっと身体が熱を持つ。

「……っ!」

 はっとして前を見るともう家の前だった。夢中で読んでいたせいかあっという間だ。


 まずい……


 顔をパタパタと手で仰いで熱を飛ばす。なんだか恥ずかしくて、雑誌は買い物かごの奥に仕舞い込んだ。自室に隠そうと思ったのだが、夕食の支度やスライムの世話に追われているうちに、なんとなく機を逸してしまった。

 入浴中、ウルバーノが居る場所に雑誌を放置したくなくて、服の下に隠して浴室に持ち込み、着替えの下に置いたのだ。


 もう一度鏡を見る。指で湯気を拭った。


 あ、いつの間にか瞼が二重に戻ってる!


 吹き出物が治り、顔の浮腫みが引いたせいだろうか、目が大きくなったように感じた。濃いモスグリーンの目も気のせいか前より澄んだ色をしているように見える。光の当たり具合だろうか。まだ少し吹き出物の跡が残っているが、毛穴も前ほどは目立たない。


 私、こんな顔だったんだな。


 痩せた首は白い。骨が浮いた胸元も。


 ん、胸?


 平均から見ればまだまだ小さい部類とは思うが、なんだか少し大きくなった気がしないでもない。そう言えば、ラミラにも前に言われた。タオルを脱ぎ捨てて着替えの中から下着を引っ張り出す。

 もともと風呂上りに下着を着ける習慣はないのだが、ウルバーノが来てから着けるようになった。正直、貧乳の私は着けなくても、寝巻の様なゆったりとした服を着ればそれで誤魔化せてしまうしかし、なんというか、そこは礼儀だ。

「ばんざい」

 おもむろに両手を上げる。


 おおお……!


 握りしめた拳を無言で頭上に力強く突き上げる。


 や、やった! 万歳しても下着がずれない!


 嬉しさのあまり泣きそうだ。胸の大きい人には分からないだろうが、胸が小さ過ぎると、腕を動かすたびに下着が上にずりあがるのだ。ひっかかりがないせいだ。下着がずれれば当然不快である。それに、ただでさえ少ない肉を押し潰してしまっているような気さえする。

 過酷な肉体労働をする事が多かったここ数年は、しょっちゅうこっそりと服の上から下着をずり下げる作業をしていたように思う。これがまた傍から見ると恐ろしく格好悪い仕草なのだ。誰も見ていなくても、やるたびに悲しい気持ちになってしまうほどに。


 この下着のずれ直しに私の人生の何割をつぎ込んでるのかなって思った事もあったけど、もうあんなにしょっちゅう下着を直さなくてもいいんだ!


 とても嬉しいが、同時に猛烈な恥ずかしさが襲ってくる。


 ていうか、私の身体正直過ぎじゃない!?


 顔を手で覆って一人下着姿で悶える。分かっている。今私はかなり怪しい人だ。


 いや、たぶん、ウルバーノさんのせいだけじゃないし……

 嬉しいけど、嬉しいけど!

 でも、そうですよ、私ウルバーノさんに恋してますよ!

 超好き! 大好き! 毎日どきどきしてます!

 なんなのこれちょっと! 恥ずかし過ぎるんですけど!


 そうなのだ、この間ウルバーノに私が考案した魔石への魔力補充を行う仕組みを褒められてから、私はおかしいのだ。まず、まともにウルバーノの目が見られない。少しでも指が触れようものなら過剰に反応して、皿を落としそうになる。


 これだから処女は!


 エンリケではないが、自分で自分をそう罵らずにはいられない。出来れば踏んづけて唾でも吐き掛けたい気分だ。ウルバーノはきっと私の態度を変に思っている。聡い彼がいつ私の気持ちに気が付くのだろうと、毎日戦々恐々としている。


 気持ち悪いって思われたらもう一緒に居られないよ……


「どうしよ……」

 ぽつりと鏡に向かって呟くが、情けない表情をした自分が見返して来るだけだ。

「おい、ドロテア!」

 その時、何の前触れもなく、浴室の扉が開く。ウルバーノだ。

「ぎゃあああああ!」

 咄嗟に身体の前を壁に寄りかからせ、顔も壁に突っ伏す。


 お、お尻!


 下着を着ているとは言え、醜いものをウルバーノの目に晒したくない。そろそろと顔と胸と腹を壁に向けたまま両の手で尻を隠す。

「わっ、なっ、てめえ、どうしたんだよ、いつもならもう着替え終わってるだろ?!」

 非常に慌てた様子のウルバーノだ。いろいろとおおらか過ぎて戸惑わされる事も多い彼だが、基本的にはとても紳士なので悪いと思ってくれているのだろう。驚かせて申し訳ない事をしてしまった。顔を眺めたり、下着姿で悶えたり、いろいろな事をしていたせいですっかり遅くなってしまったのだ、もしかしたら上せているのではと心配して見に来たのかもしれない。

「な、なんでもあにません!」


 か、噛んだった!


 恥の上塗りだ。

「す、すみません」


 うわああ、私が悪かったですから、もうとくかく早く出て行って下さい!


 扉の閉まる音がする。しかし、私の切なる願いとは裏腹にウルバーノが出て行く気配がない。急に暗くなる。肩にタオルが掛けられる感触があった。そのまま肩をタオルごと掴まれる。

「……へ?」

 思わず少しだけ振り返るとすぐ傍にウルバーノの秀麗な顔がある。野性味溢れる銀色の目とかち合う。少しだけ苛立っているようだ。

「風邪ひくぜ?」

 ぞくりとするような低音。


 総毛立った。


「来客だ。樵のコルテス、だとよ。お前に用だそうだ」

 濡れたままの頭をぐしゃぐしゃと乱暴にかき混ぜられるが、ろくに反応も出来ない。

「ちゃんと服着るまでは絶対出てくるんじゃねえ、いいな!」

 ウルバーノが出て行ってからもしばらく動けなかった。


 ずるずると壁を伝って、ぺたんと座り込む。


 たぶん、あれだ。

 私は今、私が男だったら確実に勃起してる!

 絶対してる!


 ちょっと涙が出そうになりながら、私はもそもそと服を着始めた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る