第20話 魔法機械工の理
この世に満ちる魔力、そして瘴気の本質やその由来について人々は大昔から考察を重ねてきた。史実以前から魔力とは生命に備わっている力そのもの、と解釈されている。生まれつきの量の多寡はあるものの、魔力は万民に備わっている。人だけではない。動植物、菌類、地衣類など微生物に至るまで、生きているだけで生きとし生けるものは皆、魔力をある程度放出しながら生きていると言ってもいい。生命活動を行うだけで、そこに熱が生まれるように。
その事実が実際に実験によって確かめられたのは近代になってからであったが、大昔から人々はこの世に満ちる力の在り処、そしてその由来を肌で感じ取って来たのだ。
魔石が発見される以前から、魔力は人々の生活と密接に関わっていた。魔力を多く持って生まれた者達が扱う魔術、あるいは自然界に存在する魔力の強い場所に生まれる奇蹟、その残滓として満ちあふれ、大気へ還っていく力。
いわば、純粋な力の源である魔力を有効に活用するために、呪文や魔法陣、魔具が生まれ、それが発展したものが今の魔法機械である。
魔石の魔力を駆動力として利用する方法が確立されてから、その発展は特に著しい。今や魔力は限られた魔術師だけのものではない。誰もが利用する事の出来る動力源だ。
翻って、瘴気はというと、これは異界の生き物にとっての魔力、とされている。
異界の生き物、この世界に元々存在する生物とは進化の過程をどう辿っても絶対に交わらない一群の生き物達だ。一般に、魔獣や化け物と呼ばれている。
彼らがどのようにしてこの世界にやって来るのか、それは未だ明らかにされていない。
人為的に彼らの同族を呼ぶ魔術が召喚術である。人が異界の魔物を呼び出すことが出来るのだから、異界の住人がこちらにやって来る事もまた可能なのだろう。
異質なものであってもこの世界の生命と同じように生命としての柔軟さを兼ね備えている彼らは、この世界に適応出来るように進化し、ほとんどこの世界の生き物と変わらずに繁茂している者も居る。
スライムもそのうちの一つだ。
そして、交雑し適応に成功した種族として最も有名なのは悪魔だろう。彼らは他の種族に比べると格段に瘴気に強い。しかし、彼らが魔力に弱いかと言うとそんな事はなく、むしろ持っている魔力の量で言えば他の種族よりも魔力の強いものが多いのが実際のところだ。
だから、彼らが瘴気を苦にしない理由については彼らの祖が異界の住人である事を裏付ける傍証となるのかどうか、いまだ議論の余地がある。それを論じるには彼らの肉体はあまりにも強靭だ。
悪魔についてはさておくとして、この世界の住人が瘴気を毒と感じるように、異界の住人にとって魔力は有害なものであるらしい。ただし、彼らの身体はこの世界の脆弱な生き物とは全く異なっており、ある程度の逆境になら耐える事が出来る。そして、いささか強欲で攻撃的でもある。ある程度以上の知能をもった生き物は環境を自らに合わせて変えるために瘴気を生み出す量を調節出来るのだ。
これと似たような能力を持っている個体が勿論、この世界にも存在する。不死鳥や一角獣、古龍に麒麟、長い寿命を持つ彼らは主として山や森、湖に棲みつき、その場所自体を強い魔力で自らに適した環境に替えてしまうのだ。ビジャ湖の主のグアルディオラも古龍の一種である水龍で、この能力を持っている。しかし、異界のものと比べるとこのような生き物は圧倒的に少ない。
ガトス山が魔の山と化したのもある程度の力を持った魔獣が棲みついたからだと言われている。魔獣が出す瘴気は魔獣を呼び寄せる。呼び寄せられた怪物達が出す瘴気も加わり、さらに多くの魔獣が呼び寄せられる。こうして世界の各地には瘴気の満ちる場所が生まれた。
瘴気はこの世界の生物には有害なので、その場所にはもちろん人は住めない。実際、大昔には魔窟となってしまった領地を取り戻すために大掛かりな軍事行動がなされた時代もあったようだ。
今でももちろん人の立ち寄れない危険な場所である事は変わらないのだが、異界の生き物についての研究が進むにつれ、その有益性もまた明らかになってきた。
魔石はガトス山に生息する魔竜の頭の腫瘍から採取される。ガトス杉は瘴気の毒にこの世界の杉が対応した姿だ。魔獣のベヒモスの牙は硬度にすぐれ、金属や宝石を加工するには欠かせない。
もちろん、私の父がしたように、多くの人が生活している場所をいきなり魔窟に変えようものなら批難ごうごうであるが、今さらガトス山を魔獣達から取り戻そうとは誰も思っていない。いまやガトス山は魔獣の棲家というよりは魔石の産地としての方がよっぽど有名である。
交わり合い、利用し合い、煙たく思いながら、たまには相手を出し抜いて、どちらもあざとく生き残ろうとする、それが私達、魔法機械工だ。
偏屈な妖精の学者の中にはこの動きをよしとしない者も居る。異界の悪しき力を利用するなどけしからん、というわけだ。ほとんどの一般的な人々にとって、魔窟は依然として危険で悪しきものである。私達、魔法機械工の良く言えば柔軟な、悪く言えば奔放な善悪の観念が彼らには受け入れ難いのだ。
妖精の学者達の厳格な道徳性が、ともすると極端に走りがちな私達、魔法機械工の歯止めになってくれているとも言える。
絶対の善悪はない。誰かにとっての、という枕詞の付かない善悪は存在しない。
魔法機械工達にとって異界の生き物を平和的に利用する事は誇りである。当然、駆け出しの魔法機械工に過ぎない私にとっても。
瘴気と魔力の相同性については大昔から示唆されてきた。
異界の生き物達と瘴気、私達この世界の生き物と魔力、この二つの関係はあまりにも似ている。当然、魔力と瘴気の互換性についても今まで散々論じられてきている。何人の魔法機械工がこの命題に挑んだか分からない。
今までにも魔力を使う事が出来るとされている異界からやって来たとされる生き物は多数、発見されている。代表的なものが魔石の供給源である魔竜、そしてその傍系、交雑が生んだ様々な生き物も入れると膨大な数になる。
中には役に立つものも相当数含まれており、それを専門に研究する学問が魔生物学であり、魔法機械学の一分野として確立された地位を得ている。
しかし、彼らは瘴気を生み出すのとは全く別に魔力を利用する機能を持っているだけで、瘴気を魔力に変換しているわけではない。
大気中の瘴気と魔力の存在量が反比例するというのも、ただ単に瘴気の濃い場所はこちらの世界の生き物が生きるには適さないからだ、という結論が付けられていた。
瘴気と魔力は似て非なるもの、相容れない。
これが今までの常識だったのだ。
その常識が、今、私の家で覆されつつある。
先日、ようやく新種のスライムの正体が判明してから、数日が経った。
このスライムは瘴気を糧にしていたのだ。瘴気を魔力に変換する事でエネルギーを得ていた。魔力を持っているらしい事は、捕まえて来た時から分かっていたのだが、それが何に由来するのかまでは分からなかった。父の作ったスライムが放出した瘴気をこの紫色の新種のスライムがあっという間に吸収し、自らの魔力に変換した事で、ようやくその謎が解けた。
だから、瘴気を遮断する結界の中に連れてきた途端に、弱ってしまったのか。
今から考えるとこのスライムが溜め池から汚れた広い沼に逃げ出したがっているかのように、沼の境目に居たのもうなずける。沼の奥から発せられる瘴気、つまり餌を求めていたのだ。
おそらく濃い瘴気にさらされ、私の作ったスライムが瘴気を自らの糧とするように突然変異を起こしたのだろう。エンリケのリボンのせいで生まれた、スライム達が合体して巨大化したと思われる化け物、その性質の中で一つだけ謎のままだったものがある。
あの化け物からは強い魔力を感じた。
強大な化け物になる過程でその能力を手に入れたのかと思っていたが、このスライムの性質も持っていたというのなら辻褄が合う。おそらく、沼の奥へと逃げ出した新種のスライムはあの化け物に喰われたか、合体したかしたのだ。
そしてあの化け物は魔力と瘴気を自在に操る能力を持ち、強大な力を手にしたのだろう。
地下の作業部屋の中で顔を突き合わせて話し合った。
「門外漢の俺でも知ってるぜ。瘴気を魔力に変換って凄い事なんじゃねえか、これは」
ウルバーノが水槽を覗き込みながら言う。
「はい」
「瘴気の濃い場所に行く事が多い連中に売りつけたら売れるかもしれねえな」
「うーん、でもこのスライムが本当に無害かどうか分からないしなあ……」
「そうか、まあ、万能の空気清浄器ってわけじゃねえし、何が何でもガトス山を人の住める場所にしてやる! ってんでもなきゃ、一般人はあんまり使わねえかもな」
「そうですね、利用法を確立するにはまだ、ちょっと時間がかかりそうです」
残念ながら、これもすぐには金儲けに結び付きそうにない。
がっかりだ。
学術的に価値ある発見である事は確かで、将来的には大きな利益を生むかもしれないが、私にはすぐさま返さなければならない借金があった。
始めのうちは魔力を持つスライムという事で、魔力を使って攻撃される事も覚悟していたのだが、ずっと観察していてもその気配は全くなかった。
ウルバーノに協力してもらって、死なない程度に攻撃してみたりもしたのだが、防御に多少魔力を使うだけで、何が仕掛けてくる様子はない。
それどころか、どんなに瘴気を与えても彼らが体内に保有する魔力の量はあまり増えていないようだ。
一体、スライムの魔力はどこへ消えているのだろう。
あまりたくさんの餌を与えては危険だろうが、餌不足で死んでしまわない程度に瘴気を浴びせて(父のスライムの性質は好都合だった)注意深く様子をうかがっていた。
その謎はすぐに解けた。
定期的に行っている蓄力機の点検の時だ。
「あれ?」
始めは見間違いかと思った。
いままでずっと濃い瘴気の中で働かせていたせいで、私の家で使っている畜力機の畜力量はいつもぎりぎりだったのだ。それが、びっくりするほど回復していた。グアルディオラが帰って来た影響だとしても早過ぎる。これは異常だ。
「……」
何かの予感に導かれて、私は地下室へ走った。新種の紫色のスライムを入れた水槽を蓄力機の傍まで運ぶ。
「……うそ……っ!」
思った通りだった。スライムを近付けた途端にまたさらに蓄力量の目盛が上がったのだ。
間違いない。
このスライムは魔力を空間に放出している。
それも自然界に存在する魔力と極めて近い形で!
その時の興奮と言ったらない。すぐさま、ウルバーノに協力を頼んだ。家賃、食費は要らないから、もう一度私の助手になってくれ、と。
彼を巻き込むのは本意ではなかったが、背に腹は代えられない。これを逃せば私にはもう後がないのだ。ウルバーノはいちもにもなく頷いてくれた。
私が思いついた事業はこうだ。
まず、結界を張り、瘴気や悪臭が外部に漏れないようにする。その中で、父のスライムに汚水による負荷を与え、ヘドロと瘴気を生み出す生き物に変える。そして吹き出す瘴気を新種のスライムを使って魔力に変える。魔力は結界の中の大気中に放出され、魔石に吸収される。
こうする事で、自然界から少しずつ吸収するか、もしくはもともと魔石に蓄えられていた魔力を使い崩すしかなかった、魔力を安定供給する事が可能になるのだ。
さらに、私の作ったスライムにヘドロを浄化させる事によって父のスライムをコントロールする。スライムのパワーバランスを調節すれば、一緒に汚水処理まで出来てしまうという優れものだ。
これが実現すれば、動力源の確保は格段に容易になる。今まで、大きな工場などのたくさんの動力源が必要とされる場所では、魔石の数で出力を補っていた。
魔石は蓄力機の中で放っておけば、自然にその蓄力量を回復するが、それには長い時間が必要だ。それこそ数十年の単位で。魔力を使い尽くされて、出力が落ち、一般家庭で細々と利用するしかない魔石というのが巷には溢れ返っているいる状態なのだ。これを全て利用出来るとなるとしたら、大変な事だ。今まで、魔力の出力が足らずに普及を諦めた魔法機械がどれだけあることか。
身震いがする……
論理的には可能なはずだが、浄化するスライムの力が足りなければ、大惨事になりかねない。
現実には思いもよらぬ誤算が隠れているものだ。危険な実験になる。
「だから、俺がやってやるって!」
ウルバーノに話すと反対はされなかったが、案の定、危険だから自分がやると言って聞かなくなった。
「結界維持しながらスライム弄るだけだろ? 俺でも出来る!」
「駄目です! 万が一の事があったらどうするんですか!」
「万が一の事があるかもしれねえから俺がやるっつってんだよ!」
「く……」
怒鳴られて、怯むがこればかりは譲れない。
ウルバーノにもしもの事があったらと考えると怖くてたまらなくなる。
あの沼の化け物に彼が飲み込まれた場面が頭に浮かんだ。
「……もし、結界の中が大変な事になったら、ウルバーノさんが無事な方がいいです」
「で、お前は怪我して横たわってるって? 冗談じゃねえぞ」
ぐるぐると唸り声を上げるウルバーノだ。人型なのに。
うう、口でウルバーノさんに勝つとか無理……
「そ、それに、ゆくゆくは私みたいな一般人がやっていける事だって証明しなきゃ、事業の一般化が出来ません!」
「そんなの、予備実験の後でいいだろうが!」
「発案者が第一被験者なのは責任であると同時に権利です!」
「うるせえ、このマッドサイエンティスト!」
「だからってウルバーノさんを危険に晒していいわけないでしょ!? 私、ウルバーノさんに何かあったら……」
卑怯とは知りつつ俯いた。けっして、わざとではない。本当にその事を考えるだけで、何も出来なくなってしまう。ウルバーノがたった一人で沼地に現れた怪物に立ち向かった時の記憶が生々しく蘇る。あんな思いはもう二度としたくない。
私に絆されたわけではないだろうが、公正で男気のあるウルバーノは、それ以上私を追い詰めなかった。それをいい事にさらに言い募る。
「それに、ウルバーノさんを信用しているから頼むんですよ。私に何かあってもウルバーノさんなら絶対助けてくれるって」
これは本音だ。照れ臭いが、きっとウルバーノにも伝わる。そう信じて彼の銀色の目を見上げて微笑んだ。ウルバーノはうっと、顔を顰めた。
あ、すみません。
不細工がこういう事するときついですよね。
しまったと思ったが、やってしまった事は取り消せない。ウルバーノはそっぽを向いて頭をがりがり掻いている。そんなに掻いたら見事な銀髪がぼさぼさになってしまうんじゃないだろうか。そっぽを向く直前に彼の目じりが赤く染まって見えたような気がした。
「……しょうがねえな!」
そんな口論を経てついに今日実験に漕ぎ着けたのだ。
「ウルバーノさん、準備はいいですか?」
「ああ、いつでも行けるぜ」
私の家はビジャ湖の畔の森の中にある。空は良く晴れ、気持ちの良い風が吹き抜ける。主のグアルディオラが帰って来てから、この辺りは格段に住み心地が良くなった。
主様に感謝だなあ。
グアルディオラに許可は取ってある。瘴気に弱い水龍の彼には念のため湖の底に退避してもらった。
家の前の開けた場所で、ウルバーノは仁王立ちになり、結界術式に手をかざす。私は防護服を着込み、ウルバーノが作った結界の中に入る。私が入ると結界が作動したのが分かった。
こんな、気持ちの良い場所で防護服を着込む事になるなんて……
感慨深く思う。結局、あの化け物騒ぎのどさくさで父の形見である防護服はなくなってしまった。今、私が着ているのは私が作った改良版だ。暑苦しさもなく、臭いもほとんどしない。その上、軽い。喪失感はあったが、これで良かったのかもしれない。感傷であえて不便を選ぶなど、魔法機械工の風上にも置けない。父が生きていたら許さなかっただろう。うやくそう思う事が出来るようになった。思い出に浸ってもいられない。
「よし、じゃ、実験開始!」
私は強固な結界の中で、慎重に必要なものを背嚢から取り出した。実験のために家から持って来た蓄力機、スライム達の入ったいくつかの水槽、そして近くの工場からもらってきたとびきり有害な廃液。
ふと振り返る。
念のためウルバーノには獣型で来てもらった。大きな黒い狼は金色の瞳こちらを見張りながら、力強く頷き返してくれる。
それに応えて、深呼吸する。
吉と出るか、凶と出るか……
震える手で水槽を掴む。中には父のスライム、まだ瘴気とヘドロを生み出す能力を保っている。もう少しで完全に元の有益なスライムに戻れるところだったのを今日のために、あえてそのままにしておいたのだ。
有害な廃液を恐る恐る注ぐ。ごぉっと音を立てて爆発するように瘴気と悪臭が結界の中に満ちる。ヘドロが水槽から溢れ出た。とたんに視界が曇って薄暗くなる。
結界を使って限られた空間の中に瘴気を閉じ込めているせいだろうか、あまりに濃い瘴気に防護服を着ていても気分が悪くなりそうだ。
「おい、大丈夫か!?」
さすがにウルバーノも慌てて声を掛けてくる。すでにこちらからは彼の姿は見えない。
「大丈夫です! 予定通り!」
ここからが本番だ。
新種の紫色のスライムを数匹飼っている水槽の蓋を開けた。一匹だけだったものを、苦労して増やしたのだ。
変化は劇的だった。
「す、凄い……」
見る見るうちに彼らの身体が強い紫色の光を発し、漂う靄がどんどん薄くなっていく。
「わ、増えてる!」
それだけではない。餌を大量に貰ったからだろうか。水槽の中で紫色のスライムが弾けるように分裂を始める。しまいには水槽から零れ落ちた。
「わわ、死んじゃう死んじゃう!」
慌てて拾い上げ、水槽の中に戻す。
「ドロテア! 蓄力機はどうだ!」
ようやくウルバーノの姿が見えるようになる。
そうだった。
靄を手で払いのけながら、蓄力機を確認する。
「……!!」
蓄力量の目盛を確認するまでもない。魔石が光っている。物凄い勢いで魔力を吸収している証拠だ。目盛はすでに振り切れそうなほどに上がっている。
「や……」
思わず蓄力機を持ち上げて叫んだ。
「やったー!」
「成功か!?」
「はい! ありがとうございます!」
「やったな!」
「はい……っはい!」
咽び泣かんばかりに喜ぶ私にウルバーノが笑い混じりの声を掛ける。
「喜ぶのはいいけどよ、早くしないとヘドロの量がとんでもねえ事になるぜ」
「そうだ、やば……!」
「おいおい、大丈夫かよ……」
慌てて私の作った黄緑色のスライムを父のスライムの水槽の中に入れる。ヘドロを浄化させるために用意してきたものだ。
わわわ、ヘドロが溢れて蓄力機が汚れちゃう!
しかし、瘴気をエネルギー源として利用する紫色のスライムとの合わせ技だからだろうか、見る見るうちにヘドロが減り、父のスライムはついに、生まれたままの澄んだ青緑色に変わった。慎ましく、自分の出したヘドロを浄化する様は少し可愛い。可愛いが、目的のためにはもう少し公害の元のままで居てくれなければ困るのだ。
「ごめんね……」
父のスライムを水槽から掬い上げ、少量の廃液を浴びせる。やがて、元の茶色がかった緑色のスライムに逆戻りする。水槽に蓋をして、ウルバーノに呼びかけた。
「もう、大丈夫です! 結界消していいですよ」
「凄えじゃねえか、ドロテア……よく思いついたもんだぜ」
蓄力量が満タンになった蓄力機を叩きながらウルバーノも嬉しそうに牙を剥き出しにして笑う。
「えへへへへ」
防護服を脱ぎながら、素直に照れさせて頂いた。
今度こそ浮かれたっていいよね。
「やったー! 動力源の安定供給の確立、これはもはや永久機関と言っていい! 魔法機械工の永遠のテーマ!」
家に帰っても興奮冷めやらぬ私をウルバーノが生ぬるい目で見ている。
分かってますよ、マッドサイエンティストっぽいって言うんでしょ!
でも、今は喜びに浸りたいんだよ!
「この発明で、人類はあの化け物以上の強大な力を手に入れたのだ! うははははは!」
「お前、実はエンリケよりよっぽど危ない奴なんじゃねえか?」
「失礼な! ていうか、ウルバーノさんだって嫌いじゃないでしょ、こういうの」
「……ばれたか」
にやりと笑い合って、家の扉をくぐる。
「あー、腹減った」
「今、ご飯作りますね!」
さっそく人型になるウルバーノを尻目に食事の支度を開始した。
防護服を脱ぎ、ヘドロの臭いを洗い流して野菜を切る。手早くサラダを大皿に盛りつけ、玉葱のスライスを揚げたものを戸棚から取り出し振りかける。麺麭は朝に焼いたものを温め直す。それに作り置きの鶏肉の燻製を添える。乾杯でもしたい気分だが、生憎と葡萄酒は切らしていた。
「「いただきます!」」
それでも嬉しさが減る事はない。
「なあ、考えたんだけどよ」
もぐもぐと口を動かしながらウルバーノが行儀悪く切り出す。
「魔石が二つ入った畜力機って作れねえのか?」
「ええ、作れますよ?」
「いや……な、ちょっと思いついたんだけどよ」
先ほどの方法でも簡単かつ安全に魔力が満タンの蓄力機を作る事が出来るが、もっと効率的にやる方法がある。それは魔石を二つ搭載した蓄力機を作る事だ。
結界を作り、蓄力機に維持させる。その結界の中で先ほどの実験と同じ事を行い、蓄力機の中の魔石に魔力を吸収させる。そして限界まで蓄力された魔石を蓄力機から取り出す。この時、もう一つの魔石が結界を維持するので、中の瘴気や悪臭が外に漏れだす危険はない。そして、魔力が底を尽きそうな魔石を替りに入れるのだ。
こうする事で、ウルバーノのような自力で結界を張る事が出来る人間が居なくても、結界を維持したまま一連の作業を行う事が出来る。中のヘドロや瘴気の量が増えすぎないようにスライムの量を調節したりする人間が居れば、いくらでも魔力を供給出来るというわけだ。
質の悪い魔石を最高級の魔石にして返す。もちろん有料で。確かに、お金を儲けるなら、これが一番いいだろう。実は私もそれはすでに考えてあった。
「なあ、いい考えだろ?」
ウルバーノはとても楽しそうだ。銀色の目が少年のように邪気のない笑みを浮かべている。
人の事をマッドサイエンティストなどと言っていたくせに。
くすりと笑う。でも、こんなところが好ましい。
「とってもいいと思います。やっぱりそっちの方が現実的かな」
「そっちの方がって事は、他に何か思いついたのか?」
「えっと、実現は難しいと思ってるんですが……」
私が考えたのは、三種類のスライム達自体を結界も含めて蓄力機の中に組み込んでしまう事だった。
実験では安全面を考えるあまり、父の作ったスライム以外のスライムを多くし過ぎたのだろう。父のスライムはすぐに無害化されてしまった。父のスライムは負荷を与えて有害化させてしまえば、放っておいても半永久的にヘドロと瘴気を出し続ける事が出来る。彼らに必要なのはごくわずかな汚水だけ、そして自らもヘドロを作り出す事が出来るので、生きていくにはほとんど何も必要としない。まさにこの世を瘴気の渦に変えるためだけに生まれてきたかのような出鱈目な能力だ。
まるで、別の世界から瘴気とヘドロを連れてきているかのような……。
しかし、スライム達のパワーバランスを絶妙に調節する事が出来たら、どうだろう。持続的に微量のヘドロと瘴気を出す父のスライム、もちろん他のスライム達が生存するには足る、しかし他のスライムが増殖し過ぎて父のスライムを無害化するには足りない程度の。
アクアリウムの最小単位だ。だが、小さな世界の完璧なバランスは現実的には長続きしない。定期的な点検、汚水の量の微妙な調節が必要になるだろう。そうでなくても、機械は摩耗する。
使用経験がないので分からないが、おそらく魔石も自然状態ではありえない急激な魔力の出し入れに晒され変質してしまう気がする。
スライムも長い時を経れば、変異を起こすかもしれない。
厳密な意味では永久機関では勿論ないのだが、永久機関という言葉はもともと形而上学の中にしか存在しないと思っているので、それは今は脇に置く。
修理や定期的なメンテナンスは必須だが、魔石への魔力の補充作業に高い代金を払うよりは、ずっと楽なはずだ。しかも基本的に自己完結型の機械なので、ある程度の知識があれば、どんな場所にも持っていくことが出来る。人類の活動範囲は大幅に拡大するだろう。
バランスが少しでも崩れれば大規模な生物災害を招きかねないし、正直言って実現はかなり難しいとは思う。しかし、これこそ本来の意味での永久機関だ。最終的にはやはり、これを作りたい。
「スライムの管理のノウハウを一般に公開して、ある程度のところまでは一般の人でもメンテナンス出来るようにしちゃえば、ほとんどお金をかけず、かなり長く使えると思うんですよ」
今の段階では未知の部分が多過ぎて、魔生物学の知識のない人間にメンテナンスをさせるなどもってのほかだ。しかし、ある程度、使用経験を積んで安全性が確認されれば、夢ではない。
きっと、みんな喜ぶ。すごく便利になる!
「お前、そんなの作って、それが一般に普及したら、お前にはほとんど金が入って来なくなるんじゃねえか?」
呆れたようにウルバーノが言う。
「あ、そっか……そうですね」
良い考えだと思ったのだが、それでは借金が返せない。つい、浮かれてしまった。
「借金返し終わってからにしようかな」
「ったく、お前はよお……」
「すいませんね、どうせ私は抜けてますよ!」
「違う」
ウルバーノはフォークに刺した鶏肉で私を指す。
「借金、借金っていつも守銭奴みたいな事言って、目的のためには小狡い手も使うくせして、目の前に夢みたいな便利な道具が出て来たら嬉しくてそれだけで、自分の金儲けの事なんか忘れちまうんだな。商売人としてはどうかと思うぜ?」
……うう、返す言葉もございません。
「やに下がっちまってよ、他愛ねえ。やってる事はばりばりのサイエンティストだってのに、可愛いもんだぜ。正直、危なっかしいし、見てられねえ……けどな」
皮肉な笑みを口元に浮かべているが、ウルバーノの声はどこか優しい。
「尊敬に値する」
「……!」
正面から褒められて、咄嗟に反応出来なかった。
「てめえの事だよ、褒めてんだよ」
「……あ、ありがとうございます!」
顔が熱い。
どうしよう、泣きそう。ウルバーノさんの顔が見られない。
まだウルバーノさんが獣型だった時みたいになってる。
ああ、駄目だ、参った。
こんな美形な人に本気で恋したって何にも良い事ないのに。
本来なら外見で、この人には恋をしても大丈夫、この人はは駄目、って決めつけるなんて、おかしい。
しかも、失礼だ。
そんなの、分かってた。
やっぱり無駄だった。
諦められたって思ってたけど、止めるなんて無理だ。
だって、素敵な人だ。
私はたぶん、この人が、この人の何かを、じゃなく、この人が……
「ん? どうした?」
銀色の目が甘い光を宿して微笑んでいる。
ああ、この人が。
「……っ」
私は必死に俯いて麺麭を食べる事に集中した。
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