第18話 怪我の功名
「ふう……」
私は軍手をしたままの手で額の汗を拭いながら、ゴミ袋の山の間に座り込んだ。
目の前に広がる溜め池は、かろうじて溜め池としての原型をとどめてはいるものの、防護柵は木端微塵に吹き飛び、スライム達はほとんど居なくなってしまっていた。
昼下がりの陽光を浴びてビジャ湖の水面がきらきらと眩しい。散らかるゴミさえなければ、もうほとんど昔のビジャ湖と変わらないほどだ。
ウルバーノが我が家に引っ越して来てから数日が経った。
空き部屋の片付けをしたり、ウルバーノと家賃と食費の件で揉めたり(いつも思うがウルバーノは気前が良過ぎる気がする。Sランク傭兵の年俸というのは一体いくらなのか)がひと段落し、私は溜め池の周りの瓦礫の片付けに着手した。
私の可愛いスライム達は沼の水は綺麗にしてくれてもゴミの片付けまではしてくれない。
小さな木片がほとんどだが、中には水車を形作っていた骨組みなどの大きなゴミも含まれている。割れて尖った切っ先を持つ金属片もあった。一つ一つ分別しながら拾い集め袋詰めにし、重い物は台車で運んだ。
「疲れた……」
透き通った溜め池の水を覗き込むと、黄緑色のスライムが一匹漂っている。ヘドロを糧にする彼らはもうずいぶんその数を減らしていた。餌を求めて川を下って行ったのだろう。
それだけビジャ湖の浄化が進んだという事で、喜ぶべき事なのだが、少し寂しい気もする。ふと見ると、たくさんのスライムが寄り集まっている場所があった。
「……?」
ざぶざぶと長靴のまま溜め池の中を歩く。
何かに群がってるの?
素手でスライム達を除けてスライム達が群がるその物体の正体を見極めようとして、寸でのところで思い留まる。
……これは!
慌てて岸に戻り防護服を着込み、掃除用に持って来たバケツで群がるスライム達ごと掬う。
危なかった。触っちゃうとこだった。
群がるスライムよりも大きい、小さな枕程もある茶色がかった緑色のそれは、父の作ったスライムだった。
まだ、わずかにヘドロと瘴気を生み出す能力を保っている個体に私の作ったスライムが餌を求めて群がっていたのだ。
出す端からヘドロを浄化されてしまい、もうほとんど無害な生き物になりかかっているとは言っても、素手で触れば危険だ。
父が広大なビジャ湖に直接このスライム達を投入してしまったため、全てを回収するのは不可能と分かってはいるが、未曽有の生物災害を引き起こす可能性のある危険な生き物だ。回収出来る分は回収すべきだろう。
魔生物管理局にはもう随分前に危険な魔生物として届け出たので、見つかり次第、研究機関に保護されるか、場合によっては駆除される事になっているが、世に放たれる個体は一匹でも少ない方がいい。
それに……駆除されるのはやっぱりちょっと悲しい。
もちろん住民達には口が裂けてもこんな事は言えない。感傷と言ってしまえばそれまでだ。
「よしよし。もうちょっとでいい子になれるし、そしたらうちで台所の排水処理をしてね」
程度さえ間違わなければ、彼らは有能な浄化装置なのだ。バケツを覗き込んで話しかけるが、馬鹿にするなとばかりにボコボコと瘴気の泡を吹き出され、うっと顔を顰める。
くう、この臭い! やっぱ無理!
数日前まではこの悪臭が当たり前であったはずなのに、少し綺麗な空気に鼻が慣れただけで、臭いが目に染みた。
やはり、父の作ったスライムという事だろうか、性格が捻くれている気がする。
涙目になってそっぽを向き、深呼吸を繰り返しているとグアルディオラの声が聞こえてきた。
「おーい、ドロテア! ……? 何やってんじゃ、おぬし」
髭の巨漢は不審な動きをする私を心配そうに覗き込む。
主の水龍様は一人で作業する私を見兼ねてわざわざ沼の底から顕現し、人化して手伝ってくれているのだった。
「あ、ううん、なんでもない。おじちゃん、ありがとう。手伝ってくれて」
グアルディオラは自分の倍ほどはありそうな瓦礫を二つ担いで現れた。
「だいたいでいいぞ。金属類と樹脂のゴミだけで。木片は残しておいてもどうせ腐って土になる」
常識はずれの怪力をこれでもかと見せつけながら、大変もっともな事を言っている。
うーん、私、女としては割と力仕事が得意な方なはずなんだけどな。
近くで仕事をしているのがウルバーノやグアルディオラだと役立たず感が酷い。ダフネには瓶の蓋開けなどを頼まれるというのに。
「うん、大きくて人が怪我しそうなやつだけはやっちゃうね」
「おぬしが怪我せんようにな。ところで今日はダフネの甥っ子の小僧はどうしたんじゃ? ダフネにお前のとこに住んどるっちゅー話を聞いたんじゃが……」
「ああ、今日はね……」
Sランクの傭兵というのは永久資格ではないらしい。
更新するには既定の数のSランク依頼をこなす必要があるらしく、ダフネによればウルバーノはもうすぐ更新時期なのだそうだ。
「あと一個、足りてないわよ!」
今朝、我が家を訪れたダフネはウルバーノが最近こなした仕事の依頼書控えを束にして持って来た。
「うるせえなあ、年寄りは朝が早くていけねえ……」
起きたばかりだったウルバーノは大変不機嫌だった。
乱れた銀髪をがしがしと掻きながら毛布の中からむくりと起き上がる。相変わらず人型、そして半裸、目の毒だ。男らしく秀麗な造作であるがゆえに寝起きの顰め面の凶悪さもまた格別だった。
一緒に暮らし始めて分かった事だが、仕事には真面目で遅刻一つした事がなかったウルバーノは仕事のない日は実に寝汚い。
「なんですって!? あんたが寝坊し過ぎなのよ! ドロテア、こいつ蹴っ飛ばして起こしてやっていいからね。仕方ないでしょ、組合が本格的に混み始める前に来てやってるんだからありがたく思いなさいよ」
やって来た瞬間にいつもの喧嘩が始まる。
口を挟むのも野暮なので、黙って洗濯物を洗濯ばさみで吊るしながらやり過ごす事にした。
「……っと、ごめんなさいね、ドロテア。うるさくしちゃって」
いいんです、いいんです。
「Sランクじゃなくたって別に困らねえし、いいじゃねえか」
すっかりウルバーノ専用の寝床になってしまった居間の大きな長椅子(既製品のベッドでは足がはみ出すので寝台がないのだ。前の住居では床に寝ていたらしい)にしがみ付いて惰眠を貪ろうとするウルバーノをダフネが揺さぶる。
「何言ってんのよ! あんた今うちの組合のウリなんだから、Aランクに降格、じゃ恰好付かないじゃないの! 行ってきなさい! ほら、これ! 職権乱用してすぐ済みそうな適当なSランクの依頼を見繕って来てやったから」
今、職権乱用って言いましたか。ダフネさん。
ていうか、すぐ済みそうな適当なSランクって何!?
Sランクって基本は凄い大変な依頼なんじゃじゃないの?
いろいろと突っ込みたいが、私が首を突っ込んでも話が長くなるだけだ
「えーっと、第一級危険魔生物ベヒモスの駆除、牙の採取で賞与あり、だって! ねえ、魔石取ってくるより全然楽じゃないの! 行きなさいってば! 明後日までにもう一件やんないと駄目なんだから、もう今すぐにでも行かないと間に合わないわよ!」
「うるせえなあああ、Sランクったって俺には何もいい事ねえじゃねえか。Sランクの年俸なんて普通に依頼こなして稼ぐのに比べたら小遣いみたいなもんだしよ」
どんだけ稼いでるんですか、ウルバーノさん。
「それはあんただけよ! ていうか、あんたのために言ってんじゃないのよ、うちの組合のために言ってんのよ!」
ダフネさん、ついに本音出ちゃった。
「面倒臭えんだよ! 俺はSランクを維持するよりも今の睡眠を取る!」
ウルバーノさんも男らしく駄目人間宣言してる。
心の中で突っ込み祭をしていたのがばれたのだろうか、なぜかウルバーノが私に話を振ってきた。
「なあ、ドロテア、お前だって俺がSランクの傭兵であろうとなかろうとどうでもいいよな? な?」
「え……?!」
また、答え辛い事を……!
ダフネが縋り付くような視線を送ってくる。
ぐ……
「えっと、そうですね」
「ほらな! じゃ、俺はもう少し寝る! おら、婆あ、帰れ帰れ」
「ちょっとお! 困るわよ!」
もう用は済んだとばかりにもぞもぞと毛布を被るウルバーノだ。毛布の塊に私はゆっくりと言葉を選びながら話しかけた。
「……けど、資格って持っていると何で役に立つか分かりませんよ? 私も魔法機械工の資格を持ってて、来年更新なんですが、うっかり失効しちゃった先輩が、その事を忘れて魔石の加工を頼まれてやっちゃって面倒臭い事になってたの見て忘れないようにしなきゃって思いました」
魔石の加工は危険が伴うので、魔法機械工の資格を持たない人間がやると違法になる。
「あと、私は良く分からないけど、公共の瞬間転送機のとこに良く書いてありますよね。Sランク傭兵しか転送してもらえない危険地域とか……、Aランクになっちゃうとそういうのどうなるんでしょう?」
「……自力で行けんだよ、そんなもん」
不貞腐れたようにぼそりとウルバーノが言い返す。確かにそれはそうかもしれない。
「でも、今まで出来た事が出来なくなるって結構苛っとするんじゃありませんか?」
それでなくともウルバーノは沸点が低そうだ。
「ウルバーノさんが危険に晒されるのは嫌ですけど、ちょっと行って済む事ならやっちゃった方が後々楽なんじゃないかな」
ウルバーノの実力がどれほどなのか私には見当も付かないが、とにかく強い事は間違いない。ウルバーノを良く知るダフネが楽勝と太鼓判を押しているのだ。心配いらないだろう。しかし、ウルバーノはまだ動かない。
「それに、私がウルバーノさんに会えたのはウルバーノさんが真面目にSランク傭兵の義務を果たしてくれたからですよ? だから個人的にはSランク傭兵で居て欲しいかな……私の素敵なSランク傭兵さん」
なんちゃって! あはは……、と続けようとしたのだが、目の前で毛布の塊が起き上がったのでタイミングを逸した。
「そうだな」
「「え!?」」
「行くか」
長椅子から飛び降りて仁王立ちでのたまうウルバーノだ。
うん、長椅子の上で立ち上がったら頭を天井にぶつけますからね。
今まで、散々腑抜けていたのが嘘のようにきりりと引き締まった顔だった。
じゃなくて、ええええ? 何それ!
ていうか、あそこで切ったら私、とんでもない勘違い女だよ!
最後まで言わせて! せめて突っ込んで!
何を言ってんだ馬鹿か、とか!
恥ずかしいよう! 違うんです、冗談なんです!
一体何が彼をやる気にさせたのかさっぱり分からないが、恥ずかしさのあまり涙目になっている私に無駄に色気たっぷりの流し目を寄越すウルバーノだ。
「お前のために行ってくるぜ」
ご丁寧に私の頬を優しく指でなぞるという徹底ぶり。
あああああああああああ
完全にからかわれてる! 確信犯だわ、この人!
今や茹蛸のように真っ赤になった私にダフネまで追い打ちをかける。
「ドロテア! ありがとう、助かったわ! やっぱりあんたに頼ませるのが一番ね」
「ち、ちが、軽い冗談……」
「おし、行くぞ! よっしゃあ! やる気出た!」
大袈裟に準備運動まで始めるウルバーノだ。
「愛の力ね!」
「今日は俺最強伝説作って帰って来るから! 楽しみに待ってろよドロテア!」
さっきまで喧嘩していたくせに、今や完全にぐるになって私を全力でからかう二人から、私は涙をまき散らしながら逃げた。
「ち、違うって言ってるのに……酷い!」
洗濯籠を抱いて、部屋の奥へ。
というわけで、今ウルバーノは絶賛俺最強伝説作り中、のはずだ。
帰ってきても、まだあのネタ引っ張ってたらどうしよう……
ウルバーノさんは意外と意地悪だからなあ。
私も素直に赤くなったりするからいけないんだ。
「ほお、そうか。押しかけ婿もようやく仕事に行ったか」
「……おじちゃんまで、やめてよ」
どっと疲れが襲ってきてがっくりと肩が落ちる。
「それより、おじちゃん。ちょっと聞きたい事があるんだ」
「なんじゃ?」
「湖の周りの倒れた木の事なんだけど……」
「ドロテア、おぬしも気が付いたか……」
「うん、なんか変だよね」
湖の近くに生えていた木々はあの化け物のせいで薙ぎ倒されてしまったのだが、どうも様子がおかしい。一言で言うと妙に太い。そして、途中で折れるのではなく、根本から倒れてしまっている。さらに、その傾向は沼に近付くほど顕著だ。
始めは汚れた沼の水に長期間さらされて根が腐っているのかとも思ったが、無残に掘り返されてしまっているとは言え、根は案外しっかりしている。
何より、こんなにも太く立派に成長した木々の根に何か問題があるとはどうしても思えなかった。
「どういう事なんだろう……?」
訝しむ私の横でグアルディオラは静かに腕を組んで、顎髭をいじっている。
「ふむ……」
「何か知ってるの?」
「この木、ガトス山に生えている木に似ている気がするのう」
「ガトス山……それって」
「そうじゃ、あの高級材木じゃ」
魔石を産出する魔竜が多く生息する山岳地帯の中でも特に瘴気が濃く、危険とされているのがガトス山だ。かの山は最も魔界に近い場所と呼ばれており、ガトス山にしか見られない動植物や魔生物が多数存在する。
ガトス杉もそのうちの一つで、杉が濃い瘴気に適応するために進化したものと言われている。極めて成長は遅いが、瘴気から身体を守るために油分を多く含み、さらに瘴気を浄化する仕組みを備えているため、腐食に強く、とても丈夫で家具材にも建築材にも適している。
ただし、魔の山ガトス山にしか生えず、入手が難しいため、その値は通常の木材の何百倍にもなる。
ガトス山から持ち帰られたガトス杉の苗木を他の地に植林しても、生えてくるのはごく普通の杉である。濃い瘴気にさらされなければガトス杉の特性は発現しないのだ。つまり、安全な場所での植林は不可能、そうそう上手い話はないものである。
「根本から倒れるのはガトス杉の特徴と聞いた事があるな。つまり途中で折れるには硬過ぎるんじゃな」
「そういえば……」
ガトス杉の原木は見た事がないが、魔生物の授業で習った気がする。
「沼の瘴気のせいかもしれんな」
「ありうる……」
「凄いのお、魔界に一番近い場所、ガトス山と同じレベルとな……」
「……う」
「おぬし、よくこんな場所に一人で住んでおったの」
グアルディオラが呆れたような視線を寄越す。
「……ぐっ」
それを言われると痛い。危機感が足りないとウルバーノにも散々小言を言われている。
「けどさ、ガトス杉って成長が遅いんだよね?」
気になって聞いてみる。
「ああ、そのせいで中が空洞だったり、ひび割れがあったりして実際には使いにくいと聞くな」
「溜め池を作る前にここの周りをぐるっと見回ったんだけど、三年前はここにこんなに大きな木はなかったと思うんだ」
そのうちに沼の瘴気が濃くなり、沼の奥が危険地帯となってしまったために、この辺りには近寄ることが出来なかったので、気付かなかった。
成長の遅いガトス杉がこんなに早く育つものだろうか。
「そうじゃなあ、不思議じゃな。まあ、見てみりゃええ」
そう言うとグアルディオラは軽々と倒れた巨木のうちの一つを転がす。
直径が私の身長と同じぐらいのその巨木の端の部分を持って来た鋸で切ってみようとするが。
「……っか、硬い!」
「貸してみろ」
早々に白旗を挙げ、鋸を髭の巨漢に手渡す。
すみません。もう力仕事は任せました。
「お、こりゃなかなか……っ」
そう言いながらもグアルディオラはなんとか木片を切り出す。
「ふう、見てみろ、ドロテア」
「年輪が疎らだ!」
滑らかな美しい木肌に目を丸くする。年輪の詰んだガトス杉とは全く違う。やはり成長が早いのだ。
「じゃが、硬い。硬いという事はおそらく油分の多さはガトス杉と同じぐらいじゃろ。もしかしたらガトス杉より硬いかもしれん。しかも、成長が早いから空洞化やひび割れも少ない」
「これは……」
「うむ」
グアルディオラと頷き合う。
金になる。
「ドロテア、良かったの! 怪我の功名って奴じゃな」
「うん、良かった! これだけあれば、結構するよね」
ぐるりと見渡すと沼の周りにはまだまだこの種の木がたくさん生えている。濃い瘴気のせいでガトス杉が生えるのはいいとして、なぜ成長が早いのかは不明だが、とにかく今は金だ。
「もともとここは林業が盛んじゃったからなあ」
「そうだったよね」
上手くこの木を安定供給出来るようになれば、林業を生業としていた住民達にささやかながらお詫びが出来るかもしれない。
借金を完済するには全く足りないが、一歩前に進んだ事が嬉しくて、子供の時の癖でグアルディオラに抱き着いた。
「やった!」
「おお!」
グアルディオラは私の腰を抱き上げ頭の上でぐるぐると回す。
あはははは……お金、お金!
溜め池の畔で二人ではしゃぐ私達に「何してんだお前ら!」という怒鳴り声が降り注いだのはその数分後だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます