第15話 主の帰還

 その後、騒ぎを聞きつけたダフネが応援に駆け付けてくれた。

 浄化の雨を浴びて瘴気の影響が消えたはいいものの、突然の出来事に呆ける住民達に行き当たり、誘導して町に連れ帰ってくれたのは彼女だ。

 後から聞いて知ったが、ウルバーノは私に解雇されるよりも前に、私に内緒でダフネを通じてラミラに沼の主の水龍を連れてくるように頼んでいたらしい。

「怖かったわよ? グアルディオラの体調が良くないのはドロテアに聞いて知ってたから少し渋っただけなのに『なんの力もない人族のあいつがたった一人で頑張ってんのに、水龍が何甘っちょろい事言ってんだ! 瘴気が身体に触る?! 知ったことかよ、それでも主か! 首に縄掛けてでも連れて来い!』だって」

 ダフネはからからと笑って私の背中を叩いた。

「あなたに知らせたらまた遠慮して嫌がるに決まってるって言ってたわ。聖なる水龍様が顕現したら住民達も黙るだろうと思ったらしいの。まあ、妥当なとこよね」

 見抜かれている。

 私とてその手を考えなかったわけではないが、父のせいで体調を崩している水龍を争議の場に引っ張り出すのは気が引けて言い出せなかった。

 現に、かの水龍は本調子ではないのに、使いとして現れたラミラの話を聞くなり竜谷を飛び出し、そのまま三日ほどかけてビジャ湖まで駆けつけてくれた。

「頑丈な悪魔の私だから良かったようなものの、並の人族だったら死んでたかもしれないわよ」

 ラミラが乱れた髪を掻きあげながら溜息を吐いた。

「まあ結局役に立たなかったけどね……ふふ、いつもそう、私って肝心な時に間が悪いの……」

 彼女は徹夜明けにそのまま竜谷へ出向き、険しい山の中、グアルディオラを探し回ってくれたのだ。

 さすがに疲れたらしく、どんよりと自己嫌悪に浸るのもそこそこに、寝かせてくれと言って先ほど自分の家に帰って行った。

 彼女にもいくら感謝してもし足りない。


 あの化け物はなぜか沼の汚れを道連れにするかのように消滅したので、グアルディオラは再びこの沼で主として君臨する事が出来るようになった。体調もすっかり元通りだと言う。

 浄化施設が暴風雨に吹き飛ばされ瓦礫の山となった沼地を見てグアルディオラになんと言われるかと冷や冷やしていたのだが、気の良い主様は豪快に笑い飛ばした。

 彼が帰って来たからにはこの沼地はもはや魔窟ではない。瘴気もほとんど消え失せたので、沼に住み着いていた怪物達もやがて去って行くだろう。彼らは瘴気に呼び寄せられる生き物だ。瘴気がなければ強い力を振るうことが出来ない。


 住民達は訴えを取り下げた。

 ど派手なパフォーマンスが効いたのかもしれない。

 地道に沼を浄化するよりも、怪物から自分達を救ってくれた事の方がよっぽど印象的だったようだ。


 私の苦労はなんだったんだ……


 その日の夜、風呂上りのウルバーノは人型のまま風呂から出て来た。

 本人いわく、本当は風呂に入るのも食事をするのも人型のままの方が楽らしい。すでに私は彼の人型を目にしておりもう隠す必要もないという事だろう。

「当たり前ぇだろ! 毛にヘドロがこびり付いて面倒くせえったらありゃしねえ! 食事すりゃ口のまわりの毛も汚れるしよ」

 普段、獣型で過ごしているのはより個性を消しやすいから、という理由だそうだ。

 あんなに背が高くて逞しい黒い狼はなかなか居ないと思うのだが、それでも悪魔と見紛うほどの端正な顔立ちに丸い耳、白い肌、それに妖精の目と髪を組み合わせた容姿は恐ろしく目立つ。人型よりはまし、という事だろう。

 妖精と獣人の混血なのだから、人型の時には妖精のように褐色の肌と尖った耳を持っていそうなものだが、不思議なもので、そうはならなかったようだ。

 そうなってくれりゃまだ楽だったのによ、とどこか遠い目をするウルバーノだ。

 獣型の時は防御力が増すが、繊細な魔力の制御は苦手なのだという。苦手と言いながら随分と高度な魔術を事もなげに扱っていたような気がする。

 だが、確かに人型の時の凄味に比べると劣るかもしれない。

 なんでもない事のように畜力機に魔力を注入する様子を思い出した。

 あまりに手慣れた様子に私が、前にやった事があったのか、と尋ねると、あるわけねえだろそんなもん、眉を顰めて返された。

 攻撃力も人型の方が勝るらしいので、今回のような実力のぎりぎりを試されるような場合には人型になるらしい。

 人型の時はさらに狂暴になるという噂の出所はこれか。


 怪物の正体、そして沼が勝手に浄化されてしまった謎については、ウルバーノが沼の底から持って来たリボンの切れ端が教えてくれた。

 ウルバーノはタオルで髪の毛をがしがしと拭いながら、そういえば忘れていた、と言って私にそれを差し出した。千切れてはいるが、妙に綺麗なままのその上等な黒いリボンには見覚えがあった。

「……! これは!?」

「知ってるのか?」

 ウルバーノによると、このリボンが沼の底で濃い瘴気を発していたのだそうだ。まるで、あの化け物の核のように。

「触手に捕えられちまえば勝手に核に連れて行ってくれると思ってよ。そしたら核にはこいつがあった」

 その後、蓄力機のバースト機能を用いて核を破壊したのだという。

「何か嫌な感じがしたんでな。気になってきれっぱしだけ持って来てみたんだが……」


『これを君にあげるよ』


 エンリケの禍々しい真紅の瞳、そして憎たらしいほどに美しく艶やかな桃色の髪の毛に結ばれていた黒いリボンを思い出す。

 あのリボンを私は沼に投げ捨てた。

 彼はなんと言っていたのだったか。


『そう、だから何があっても自業自得、君が悪いのさ!』


 やられた!


 リボンを引っ掴んで地下室の工房に向った。すぐに分析を始める。巧妙な擬態が施してあったが、よく調べると悪魔の使う因果律の魔法の残滓がかすかに感じられる。

「なんてこったい……」

 迂闊過ぎるにもほどがある。

 あのエンリケがこの家に置いて行ったものがただのリボンな訳がない。なぜもっと良く調べなかったのか。あの時は裸を見られ、頭に血が上っていてそこまで考えが回らなかった。

 私の後を追いかけて来たウルバーノはまだ人型のままだ。

 体調も完全に復活したらしく、身軽に音もなく地下室へ飛び降りる。犬科の狼の癖に猫のようだ。呑気にタオルで水を拭いながら、私の肩越しにリボンを覗き込む。

「そいつは一体、何なんだ?」

「……持って来てくれて、ありがとうございました」

 がっくりと項垂れながら礼を言う。

「ちっとも、ありがたそうじゃねえな」

 その通りだ。知らないままの方がまだ幸せだった。

「呪いのプレゼントです」

 机の上に突っ伏す。

 エンリケが以前、私の入浴中にこの家に乱入し、私の髪の毛に無理やりこのリボンを飾って去って行った話をしてやる。

「悪魔がよく使う手です。呪われた人間にとって不利な現象が起きる確率を少しだけ上げ、自分が有利になるようにする……」

 このリボン自体の力はさほど強くない。私の部屋にあれば、せいぜい私が物に蹴躓いて怪我をする頻度が増える程度のものだっただろう。

 だが、この沼には人為的に作られた不安定なスライム達が山ほど生息していた。

 スライムはもともと個の自我に乏しく、頻繁に分裂や融合を繰り返す生き物だ。それゆえに突然変異も多い。全くランダムに起きるはずのそれが、このリボンによって方向付けられた。

 あの化け物は要するに私達親子が作ったスライムが融合して強大化したものなのだろう。

 ヘドロを糧に瘴気を出し、強大な力を振るう化け物。ヘドロを自らのエネルギーに変換するのは私のスライム達の性質で、ヘドロを取り込み過ぎると瘴気を出すのが父のスライムの性質だ。父のスライムが穢れを取り込み過ぎて瘴気と一緒にヘドロを出しても、私のスライムの性質を受け継いだ部分が体内でそれを無効化し、エネルギーに変え、さらに強大化する。

 さらにあの化け物には強い魔力も感じられた。これはさらなる突然変異だろうか。この点だけは推測に頼るしかない。繰り返すがスライムは突然変異を起こしやすい。ありえない話ではない。

 そして、最後にヘドロをエネルギーに変えて身を守ろうとしたが、耐えきれず死んだ。化け物の死とともに瘴気はなくなり、エネルギー源に使われてヘドロも減った。そう考えれば納得が行く。

「さすが、エンリケ! あははははは……笑っちゃうぐらい効率的な嫌がらせ!」

 壊れたように笑う私を余所にウルバーノは青筋を立てている。

「……おい、入浴中ってどういう事だ」

「私が怒って沼にリボンを捨てる事もお見通しって訳ですか」

「おい、答えろよ! まさか、裸、見られたのか?!」

「見られましたよ、見られて馬鹿にされましたよ! なんなの、エンリケ! 借金返して欲しくないのか!」

「なんだと!?」

 なぜか衝撃を受けているウルバーノだが、正直言って怒りでそれどころではない。

「本当に何考えてんの!? 何があっても自業自得?! せっかくのプレゼントを沼に捨てるような奴は報いを受けろって!?」

「お前、なんでそういう事を早く言わねえんだ!」

「すみません、私も分からなかったんですよ。エンリケに押し付けられたあのリボンのせいだったなんて」

 しかし、考えてみれば全ての辻褄が合う。この沼の瘴気が不自然に強くなったのはエンリケが訪れてからだ。

「違う! リボンの事じゃねえ! 入浴中にエンリケが来たって言ったな?」

「全て思い通りに行くと思うなよ!絶対借金返してやる! 浄化施設を売りつけて一山あてる計画はダメになったけど、結果的にこのリボンのせいでいろいろ片付いちゃったもんね! 結果的に住民達とも和解しちゃったし!」


 これしきの事でへこたれて堪るか!


 へっと下品に笑う私をウルバーノが怒鳴りつけた。

「聞け! んな事どうだっていいんだよ!」

「え? はあ……」


 どうでも、よくないよね? わりと重要な事を言ってたつもりなんですけど。


「いいから、行くぞ!」

 ウルバーノは踵を返し、ひょいっと一足飛びに地下室から出て行ってしまう。

「きゅ、急に、どうしたんですか?!」

 慌てて階段を駆け上がり追いかける。

「結界の張り直しだ!」

 ウルバーノが自宅用の蓄力機を抱えている。嫌な予感がした。

「あーっ! ちょっと待って!」


 ばつん……


 明かりが消えて家が真っ暗になる。

「ちょ、何も見えないじゃないですか!」

 蓄力機が維持しているのは結界だけではない。この家の明かりや湯沸かし器も蓄力機がなければ動かせないのだ。これでは風呂にも入れない。森に囲まれたこのあたりには町の明かりも届かない。

「呑気な事言ってんじゃねえよ! エンリケが来たらどうすんだ! お前、今から風呂入るつもりだったんだろ?」

 ウルバーノもやはりエンリケの訪問は真っ平御免らしい。当然と言えば当然だが。

「大丈夫ですよ。この間、エンリケが言ってました。この家にはどうやっても入れなかったって。ウルバーノさんの結界のおかげです。また、私の入浴中を狙ってたらしいですよ。馬鹿じゃないの……何が楽しいんだか」

「この前も……だと?」

 地を這うような低い声で怒りに火を付けてしまった事を悟る。


 なんで!? なんで怒るの!?


「あの変態野郎は前に一度この結界に入ってんだろ? 絶対、対策立ててまた来るぜ! 馬鹿正直に同じ結界張ってたらお前、寝込みを襲われても知らねえぞ!」

「大袈裟な……」

 さすがのエンリケも寝込みを襲ってまでわざわざ私なんかをからかおうは思わないだろう。第一、エンリケは楽しくなさそうな事は一切やらないのだ。


 ていうかさすがに、入浴中にこんにちは、はもう飽きたんじゃないかな。

 あのエンリケが私の裸を見るためにやってるわけはないだろうし。


 ウルバーノは私を説得する事は諦めたようだ。

「もういい、黙ってろ馬鹿が」

 いつもの様に舌打ちすると勝手にてきぱきと結界を直し始めた。

「ええ? ちょ、いいですよ! 今のままでも」

「俺が良くねえんだよ。安心しろ。料金取ろうなんて思っちゃいねえよ」

 意外と負けず嫌いなのだろうか。しかし、エンリケの挑発にも私の挑発にも簡単には乗らなかったこの人だ。見かけほど短気なわけではないと思う。

「いや、そいういう訳にはいかないでしょ……それよりいい加減、疲れてないんですか? ちょっとは休んで下さいよ」

「うるせえ、余計なお世話だ。借金まみれのお前に言われたかねえんだよ。ちったあ自分の事を心配しろ。人がせっかく給料まけてやろうとしても聞きやしねえし」

「ぐ……」

 そう言われると耳が痛い。


 そうでしたわね! ……本当にどうしたらいいんだ。


 住民達とこれ以上揉めなくて済むようになったのは嬉しいが、エンリケに借金を返すあては何もない。

「それにな、あんなのちょっと休みゃ充分なんだよ。なめんな」


 もう夜だってのに、元気だなあ。

 ちょっと走り回っただけの私が物凄く疲れているというのに。

 この人、たぶん私より年上だよね。傭兵さんの体力、半端ないわ。


 仕方なく、玄関先に腰かけて月明かりの中、半裸で作業する銀髪の男を眺める。向こうが私に許可を貰う事を放棄している以上、何を言っても無駄だ。下手に手伝って未完成の繊細な結界を壊してはいけない。


 それにしても。


 月の光を浴びて銀髪が輝く。精悍な雄々しい横顔には怒りが滲んでいる。それなのにどこか涼しげだ。見慣れない滑らかな白い肌、それに不釣り合いな隆々と盛り上がる筋肉。


 うーん、様になる。美形は得だ。


 獣人の姿でずっと生活をしていた名残なのか、彼はあまり服を着たがらない。今もいつも履いている黒い下履きとブーツだけで作業をしている。

 鑑賞に堪えうる機能美に溢れた裸体だ。しかも、いつもは毛皮に守られているせいか傷跡もほとんど見当たらない。

 が、二人っきりだと少し居心地が悪い。出来れば服を着て欲しい。


 もしかして、あんまり服持ってないとか……

 まさか、いつも獣型なのは服代が浮くとかそんな理由もあったり? 

 なら、獣型にすぐ戻るはずだし、違うかな。

 ていうか、なんでいつまでも人型なんだろう。

 もう、帰って寝るだけなんだし、戻ればいいのに。


 そんな事を考えながら口を開く。

「ウルバーノさん、あの時は失礼な事を言ってすみませんでした」

「……ああ?」

 私が彼を解雇した時の事を言っているのだが、本当に何の事だか分からないようだ。

 仕方なく、繰り返す。

「あの、狂犬だとか、血塗れだとか」

「ああ、あのちょっと聞きかじっただけのをそのまま真似したやつな」


 うっ、ばれてた。恥ずかしい! すみません、噂話に疎くて。


「今日も、もしかして見張っててくれたんですか」

「お前が出てった後、お前の家に居た」


 何、不法侵入か!?


「監視用の画面があったろ。あれを見たかった。それから、結界を張ったのは俺だからな。言っとくがお前の家でも、俺がお前を家から閉め出そうと思ったらもう簡単に出来ちまうんだぜ」

 にやりと人の悪い笑みを浮かべるウルバーノだ。こんな表情は狼の時と全く変わらない。


 それは、微妙だな……


 そう思いつつも、目の前の男が確かにウルバーノなのだと実感出来たのが嬉しくて笑った。

「お、ようやく笑ったな!」

 ウルバーノもつられて笑う。悪童のような笑顔も獣型の時と同じだ。

 だが、笑ってばかりもいられない。

「でも、結局助けて貰っちゃいましたね。なんてお礼を言っていいか」

「ああ、勘違いすんなよ。なんでSランク傭兵が無駄にいい年俸を貰ってると思ってんだ。Sランク傭兵にはな、ああいう危険生物が一般人に危害を加えそうな場合には人命救助の努力義務が課せられてるんだよ。あれはれっきとした仕事だ。大金貰って仕事しねえわけにいかねえじゃねえか」

 そっぽを向いて早口に言う。耳が少し赤いのが月明かりの下でも分かった。人型だとこんな事まで分かってしまう。

 くすりと笑う。彼は照れ屋だ。

「それでも、です。努力義務ですよね? 無視したって罰則はないはずです。それに、おじちゃん……沼の主のグアルディオラを呼んで来てくれたのは、それとは関係ないじゃないですか」

「呼べって言っただけだ。礼ならお前の友達のあの陰気な悪魔に言えよ」

 そんな事言って、自分がここから離れるわけにはいかないから、仕方なく……だろうに。


 ……なぜだろう。おかしい、何かがひっかかる。


「ん? Sランク傭兵?」


 そうだ。うっかり聞き流していた。

 おかしいじゃないか。


「あ? だからなんだよ」

「……ちょっと待って下さい。ウルバーノさんってSランク傭兵なんですか?」

「今までなんだと思ってたんだ?」

 怪訝な顔のウルバーノだ。

「Aランクじゃなくて?」

「Aランクじゃお前の依頼受けられねえだろ」

「Sランク昇格試験中なら受けられますよね?」

「受けられねえよ」

 何を言っているんだと言わんばかりの目で見られて狼狽える。どういう事だろう。

「Sランク昇格試験にカウントされるSランクの依頼は初期設定ランクがSじゃねえと駄目なんだよ。お前の依頼は正真正銘のSランク傭兵しか受けられねえ」


 なんですと。


「お前、馬鹿か。お前の依頼みたいな内容で合格者出してたら不正合格者が続出するじゃねえか」

 考えてみれば当たり前の話だ。依頼のランクは傭兵が遂行失敗するごとに上がっていく。このようにして難易度の低いSランクの依頼を意図的に作り出す事が可能なら、金を払って傭兵を雇ってでもそのような依頼を作り出す受験者が必ず出てくる。

 Sランク傭兵に対して払われる年俸にはそれだけの価値がある。

 私はなんという失礼な勘違いをしていたのだろう。

「えええええ!? じゃ、なんで私の糞みたいな依頼を受けたんですか!」

「お前、糞とか言うなよ」

「だって、おかしいじゃないですか! 自分で言うのもなんですけど、すごく、わりに合わない!」

「ああ、もう、うるせえな。さっきも言っただろ、義務! 本当のSランク依頼ってのはそんなに件数はねえし、Aランクの奴らが無理しても受けたがるから、奴らが失敗して値がつり上がってから受けてもいいんだよ。けど、お前の依頼みたいなのは誰も受け手が居ねえんだ。そういうのを片付けてやるのも一応Sランク傭兵の義務だ」

「そ、そうだったのか……」

 早く解放してあげられればウルバーノも喜ぶはずだと思っていたのに、完全に空回りしていた。

「何、落ち込んでんだ?」

「い、いいえ……」

 言っても分かるまい。

 しかし、Sランク傭兵には思った以上にたくさんの義務があるらしい。実力だけではなく、高い職業倫理も問われるのだろうか。それは素晴らしい事だと思うが、あまり話に聞かない事を考えると、守っているのはごく一部なのではなかろうか。


 やっぱり、立派な人なんだな。


 改めて、ウルバーノの凄さを思い知る。

「ちっ、駄目だな、この蓄力機の威力じゃ、この程度の結界が限界だ」

 作業の途中でウルバーノがとんでもない事を口走る。


 ……はあ?


 この家は工房も兼ねており、一般家屋よりは多少大きいが、それでも常識の範囲内の大きさだ。

 この程度の大きさの家で、そのごく普通の大きさの魔石が使われている蓄力機の出力が足りなくなるなんて事は通常は起こりえない。

「う、ウルバーノさん? どういう事ですか?!」

 まさか、エンリケへの妙な対抗意識から熱中し過ぎて暴走しているのか。どんな凄まじい結界を張ろうとしてるんだ。


 うちは城塞じゃないんだぞ!?


「まあ、いい。また獲ってくりゃいいよな、魔石なんて。魔竜はガトス山に行きゃ山ほど居るし」

「また!?」

 今、聞き捨てならない台詞を聞いた気がする。

 まさか、余っているから貸してくれると言ったあれは……

 自分の顔からさっと血の気が引くのを感じた。


 嘘だ。

 そんな借りどうやっても返せない……

 あの極上品の魔石も結局、化け物をやっつけるのに使って駄目にしちゃったし。

 何それ、酷い。しかも無自覚っぽい。


「あ、なんでもねえ。そ、それより、よ」


 今あからさまに誤魔化しましたよね?!


「……な、なんです?」

 彼に対する借りの莫大さに意識が遠のきそうになりながらやっと返事をする。

 しゃがんで、何やら複雑な術式をてきぱきと書きながらこちらも見ずにウルバーノが言う。

「その、どうだ、よ?」

「……?」

「予想と違ったか? 俺の人型は」

「……? ああ!」


 人型についての感想を求められているのか、もしかして。

 

 あの化け物の事でどたばたしていて、そういえば特に何も言ってやらなかった。あまりに美形なので、褒め言葉は聞きなれているだろうとは思うが、何も言わないのは失礼だったかもしれない。褒めてやるべきだろう。髪型を変えた時のように。

「素敵ですよ。格好良くてびっくりしました。狼の時から恰好良い人だって思ってましたけど、人型もやっぱり格好良いんですね。最初、悪魔が居るのかと思っちゃいました。男前なんですね、ウルバーノさんは……」

 自分の声ながら、心の底から本音なのにどこか薄っぺらに感じる。それもそのはずだ。


 Sランク傭兵で、とんでもなく強くて、優しくて、男気があって、美形とか……

 世の中は不公平だ。


 私はどっぷりと落ち込んでいてそれどころではなかった。


 そんな人に借り作っちゃって、どうするんだ。絶対返せないぞ?

 しかも、こんな人に憧れていたなんて、分不相応どころじゃない!

 うわあ、死にたい!


 美辞麗句を並べ立てながら自己嫌悪の渦に囚われ俯いていた私は、ウルバーノの白い耳や首筋までが真っ赤になっていたところなど、勿論見てはいなかった。

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