第14話 沼に潜む怪物

 汚水混じりの横殴りの風の中で駆けつけて一体どうするつもりだと自問した。

 私は攻撃力など無いに等しい一介の魔法機械工だ。何の役にも立たない。ウルバーノの言う通り足手纏い以外の何物でもないだろう。


 死にたいのか、馬鹿、とか怒鳴られそう。


 あの化け物、全容すら掴めないほどに巨大な生き物とたった独りで対峙していても、きっと彼はいつもと同じように私を叱る。

 場違いにも、そんな彼を想像すると笑いが込み上げてきた。

 なぜか、一緒に涙まで。

 死なせたくない。

 私が行っても無駄かもしれない。


 だけど……


「はぁ、はぁ……」

 目に汗が入って痛む。拭うこともせず、ひたすら駆けた。近付くごとに風が強くなる。

 渦巻く瘴気、そして強い魔力。


 あれだ!


 ウルバーノはまだ水の鞭と戦っていた。

 黒い剣は印象通りの鋭さで次々と太い触手のような物を切り落としていくが、ものがものだけにすぐに再生し埒が明かない。沼から蛸の足の様に何本も生えてくる巨大な触手を、ウルバーノも攻めあぐねているようだ。


 良かった、生きている。


 彼が簡単に死ぬとは思えないが、無事な姿にひとまず胸を撫で下ろした。

 ごうごうと木葉と汚水が舞う向こう側に浄化施設の装置が見えた。その向かいには溜め池、取水口の柵の傍のわずかな赤紫色の光。

 蓄力機だ。

「……っ」

 あえて、声は掛けずに蓄力機に向って走り出した。怪物の注意を引いて彼の手間を増やしても、いい事は何もない。

 早く仕上げるために蓄力機の機能を出来るだけ削った私だが、一つだけ、蓄力機に付加機能を付けた。魔石の力があまりに強大だったために思いついたのだ。ごく単純な機能なので、大した手間がかからなかったというのも大きい。


 珍しく出来心が役に立ったな。


 防護服の腰にぶら下げていつも持ち歩いている工具で畜力機の固定を外す。強い風によろけながら、畜力機を持って走り出した。

「ウルバーノさん!」

「……このイソギンチャク野郎、くたばれ!」

 ちょうどウルバーノが火炎系の大掛かりな攻撃魔法で沼の水面を全て凪いだところだった。爆音とともに熱風が吹き付ける。

「わぶっ!」

 一瞬これで終わりかとも思ったが、沼の中心では水面がじくじくと波打っている。復活するのは時間の問題だろう。

 するとウルバーノがこちらに気が付いて駆け寄ってきた。

「ドロテア! てめえ、何やってんだよ! 死にてえのか、馬鹿! 今のうちに早く戻れ!」

 思った通りの台詞を言うウルバーノのせいで、こんな時だというのに嬉しくて笑ってしまう。こんなに清々しい罵声は聞いたことがない。

「へらへらすんな! 何考えてやがる」

 防護服を着ているのに私が笑っているのが分かったらしい。そして、私が持っているものを見て驚愕に目を見開く。

「おい、結界はどうした!」

「消しました。触手は結界の中に居た私達を平気で襲ってきた。あの怪物には無意味です」

「だからって……」

「ウルバーノさん、聞いて下さい。この蓄力機にはバースト機能が付けてあります」

「バースト?」

「魔石の持っている魔力を一気に放出する機能です。私がこれを使ってあいつをやっつけます。ウルバーノさん、私を沼に向って投げて下さい」

 城一つ、場合によっては山一つ消し去るほどの威力が出せる。要は自爆に近い。

 防護服を着ているから死ぬ事はないだろうと踏んでいるが、確実ではない。しかし深く考えていたら動けなくなる。

「魔力砲、もしくは爆弾ってとこか……」

 さすがはウルバーノだ。話が早い。

「蓄力機と魔石は使い物にならなくなりますし、一回しか使えませんが、かなりの魔力量です」

「物騒なもんを作ってやがる……気に入ったぜ。確かにあいつを殺るにはもってこいだな」

 にやりと不敵に笑うウルバーノだ。

「だが、お前と一緒にこれを投げる案は却下だ」

「ちょっ!?」

 ずしりと重い蓄力機を軽々奪うと、目の前に持ち上げて仕組みを確認し始めた。

「おい、この魔石、まだ魔力を溜め込む余地はあるか?」

「え?」

 勿論ある。だが、畜力機に入れられた魔石は自然界に存在する魔力を吸い取るようにしか作られていない。それすらも、本来もともとの主である魔竜の魔力しか受け付けない魔石を、先人達が失敗を積み重ねて今の形に加工する方法を編み出したのだ。人間が魔石に魔力を直接投入するには針穴を通すような魔力の調節が必要だ。

「あります、が……ちょっと返して!」

「そうかよ」

 手を伸ばして奪い返そうとあがくが、長身のウルバーノが頭の上に掲げたものを私が取り返せるわけもない。

「ここが吸収孔で、ここが放出口か? バーストは……この取っ手か?」

「そ、そうです……でも、私がやりますから!」

「駄目だ、お前はそこで見てろ。ここに手を当てて魔力を注入すれば俺でもこの蓄力機に魔力を足せる……そうだな?」

「理屈上はそうですけど、そんなの人間に出来る訳が……」

 つい魔法機械工の癖で考え込んでしまってはっと我に返る。

「いやいや、冗談じゃないですよ私がやります! 本当にもう返して下さい!」

「ああもう、うるせえな。早くしねえとあのイソギンチャク、また襲ってくんだろ」

 防護服のガラス越しに金色の目で覗き込まれた。

「……んな、顔すんじゃねえよ」

 ウルバーノがふっと優しく微笑んだ。こんな表情は初めて見た。

「だって……!」

「心配すんな。お前は俺が守ってやる。契約した時に約束しただろ?」

「そんなのいらないですよ! 契約は終了してます! 私が何のために走ってここへ来たと……私はウルバーノさんを……! ウルバーノさんが……っ」

 湧き上がる怒りにまかせて叫んだ。もう、何を言いたいのか自分でもよく分からない。頭の中も顔もぐちゃぐちゃだ。

「そうだったな、もう俺は一回クビにされてんだったな。じゃあ、逆にお前の言う事を素直に聞く義理もないわけだ」

「わ、私の言う事を素直に聞いた事なんか、なっない、くせに!」

 しゃくり上げてしまってまともに喋れない。

「そうだったか?」

「嫌です! ウルバーノさん、その蓄力機を作ったのは私です。私が一番扱いに慣れています。私にやらせて下さい!」

 防護服越しに頭を掴まれてよろめいた。

「……っ?!」

 違う、どうやら乱暴に頭を撫でられているらしい。

「……お前ようやく、『ウルバーノさんは関係ない』って言わなくなったな」

「え?」

「そこで大人しく見てろよ。俺は今、かなりいい気分なんだ」

 大きな手に視界を塞がれて彼の姿が見えない。

 けれど、彼の姿が変わった事が気配で感じ取れた。

「俺がなんでいつも獣型で居るのか、その理由を見せてやる」

「どういう……?」

「大丈夫だ。今の俺は無敵だぜ?」

 頭から手を離され、咄嗟に彼を追いかけようとしたが、見えない壁に阻まれる。

 結界だ。ごくごく狭い範囲の、それゆえに超強力な。私の周りに人一人ようやく入る程度の空間の檻が作られている。

 出られない。

 この短い間にウルバーノが張ったのか、信じられないほど高度な魔法だ。いくらウルバーノでも出鱈目だ。悪魔にだって、高度な結界術をこんなに短時間で完成させられる者はいないだろう。

 けれど、今はそんな事には構っていられない。

「ウルバーノさん、出して! やめて! お願い行かないで!」

 あらん限りの力で見えない壁を拳で叩くがびくともしない。


「……!」


 最初に視界に入ってきたのは鋼のように鍛えられた太く長い腕だった。肌色の、人間としては色白の部類に入るような。そして滑らかで広い裸の背中や太く逞しい首。短く刈った髪は人族にはあり得ない金属的な輝きを放ち、無造作に風に煽られている。

 耳や尻尾は見当たらない。

 斜め掛けにした皮紐に剣の鞘が括りつけられ、手には漆黒の刀身がある。これらはウルバーノが手にしていたものだ。

 眼を見張るような素晴らしく均整の取れた大きな体躯もウルバーノと同じだが、それ以外はほとんど共通点が見つけられない。

 男がこちらを振り返る。


 悪魔……?


 いや、違う。

 精悍に整った顔は野性味と端正さと色気を兼ね備えている。鋭い瞳には見覚えのある知性の光。あまりにも魅力的な容貌と耳の丸さ、色の白さに、咄嗟に悪魔かと思ったが、決定的に悪魔と違う点がある。その瞳も髪の色と同じ鏡のような銀色だった。妖精のような。

 その人物は呆然とする私を一瞥すると、ふっと微笑んだ。

 口の形だけで、そこに居ろ、と言った。


 信じ難い光景だった。


 彼の腕の中で魔石が強く輝いている。魔力を察知する能力があまり高くない私でもそれと分かるほどの物凄い勢いで魔石に魔力が吸収されていく。


 人間業じゃない……!


 魔力の蓄積が終了したのだろう。銀髪の男は無造作に蓄力機を担ぐと、すたすたと沼の淵まで歩いて行った。沼の水面は不気味に蠢いて、今にも触手が伸びてきそうな気配だ。

 私には結界の外の空気の流れは感じられないが、どうやらまた風が強くなってきたようだ。

 もう時間がない。

 男は気負いのない動作でぐるりと沼を見渡して何かを確認すると沼に背を向けた。

 その途端……


「あ!」


 水面から現れた触手に男があっさりと攫われた。そのまま男は沼に飲み込まれ跡形もなくなった。これに力を得たように何本ものうねる蛸の足のようなものが一斉に生え始める。

「ウルバーノさん!? ウルバーノさん!!」

 半狂乱になって見えない壁を何度も叩いた。


 嘘だ!

 嘘だ嘘だ嘘だ!

 ウルバーノさん!

 嫌だ!


「ウルバーノさん!! ウルバーノさん! 嫌だ! 死なないで! ねえ! ウルバーノさん!」

 声も枯れかけた時、唐突に沼の水面が赤紫色の光に包まれた。


「……っ!!」


 私には音は聞こえず、衝撃も感じなかったが、沼の周りの木々が倒れそうなほどにしなって、怪鳥達が一斉に飛び立った。

 正直言って、これほどの威力とは思わなかった。

 

 そうか、ウルバーノさんが魔力を満タンにしたから……


 もしも私が請け負っていたら、この衝撃を防護服だけで防ぎきれたかどうか分からない。それほどのものだった。しばらく衝撃は続いた。


 ウルバーノさん……

 

 彼は毒も瘴気もものともせず、この沼に生身のまま浸かってもけろりとしている身体の持ち主だ。自信があるからこそ彼はこの役目を買って出たのだろう。そう信じたい。

 

 だけど……


 いつのまにか強く手を握り締め過ぎていたようだ。がくがくと手が震えている。慌てて、自分で自分の腕をつかむ。情けない。やがて光が消え、静寂が訪れた。

「うわ……っと」

 急に寄りかかっていた壁が消えてたたらを踏んだ。

「ウルバーノ、さん……?」

 返事はない。

 沼はしんと静まり返っている。触手が飛び出してくる気配はない。

 さらに、どういうわけか沼の汚れがだいぶ目立たなくなり、瘴気がかなり薄くなっている。気を付けて探らなければ、ほとんど感じられないぐらいだ。

 しかし、そんな事が今は少しも嬉しくない。

「ウルバーノさん!」

 大声で呼んでも虚しくこだまするだけだ。

「嫌だよ……」


 嘘だ。

 どうして。

 ウルバーノさん。


「そんなの嫌だ……」


 ウルバーノさん……


 いつの間にか霧も晴れ、沼には真昼の光が差し込んでいる。まだ少し汚れてはいるが、水面が光を反射してキラキラと美しく輝いている。


 だけど、ウルバーノさんが居ない。


 たとえどんなに湖が美しく蘇ってもウルバーノが居なかったら意味がない。嬉しくもなんともない。

 目の前が真っ暗になった。

「無敵だって言ったくせに! ウルバーノさん! ねえ!」

 分かっている。無敵で不死身のヒーローなんて物語の中にしか居ないって事は。私の結界が先ほど急に消えた。


 それは、つまり……


 力が抜けた。へたりと座り込む。

「馬鹿! 馬鹿馬鹿馬鹿! なんで! 私なんか、どうなったっていいよ!」

 身よりもない、無能な女だ。ウルバーノに比べれば何の価値もない。

 蹲ってめちゃくちゃに地面を拳で叩いた。

「ウルバーノさんの馬鹿!」

 防護服越しでも手が痛い。でも止まらない。

「ウルバーノさんが居なかったら、生きていたって……」

 二人で過ごした日々を思い出す。一緒に居た時間は短かった。一か月にも満たない。なのに、一生分の幸せが詰まっていたような一か月だった。ずっとこんな日が続けばいいのにと何度も思った。けれど、それが無理な事は端からわかっていた。


 それでも、せめて、

 せめて彼がどこかで笑って生きていてくれたなら、それで耐えられると……


「ウルバーノさんの馬鹿!」


 叫んだその時だった。




「ったく、こんなに健気な男を捕まえて馬鹿だと?」




「…………へ?」

 じゃぼじゃぼと水音を立てて大柄な男が湖から上がってくる。

「人の名前大声で連呼しやがって、水の中からでも聞こえたぜ」

 溜息交じりの低い声、いつもと変わらないへらず口。まだ決して清水とは言い難い沼の水に塗れても輝きを失わない銀髪は見慣れないものだ。瞳の色すらもあの金色ではない。


 けれど。


「ウルバーノさん……?」

「ぼけっとしてねえで、手伝ってくれ。力が入らねえ。人型でこの沼に浸かるのはさすがに結構しんどいな」

「あ……!」

 こけつまろびつ走り寄る。急いで彼の鋼のような身体を支えた。見慣れない白い肌、しかし、低く笑う声は聞き間違いようがない。

「つ、捕まって!」

「はは、この俺がよ、お前に支えてもらうとはな。情けねえ」

 濡れてずっしりと重い身体を地面に横たえる。私まで地面に転がってしまった。

「ああーっ! 久々だぜ、ここまで体張ったのは」

 ぐぐっと伸びをしながら大の字で寝そべってのたまう彼には深刻さの欠片もない。今まで死闘を繰り広げていたのが嘘のようだ。

 私は起き上がり、膝立ちになって彼の身体を確認する。見たところ目立った外傷はないようだが、彼がだいぶ弱っている事は分かった。半ば魔物と一体化した沼に生身で飛び込んだのだから瘴気が彼の身体を蝕んでいるはずだ。

「ど、どうしよう、待ってて下さい、すぐに綺麗な水のあるところに……」

 彼は駆け出そうとする私の手を掴み、引きとめた。

「ああ、待て待て、その必要はねえよ」

「え?」

 彼がくいっと顎をしゃくる。上空を指しているのか。見上げると晴れた空に白い紐のようなものが見える。

「……!」

「ようやく来やがった。……ったく、遅せえんだよ」

 見る間に近付くと、その白い紐は巨大な竜になった。


 まさか、瘴気に身体をやられて竜谷で休んでいるはずじゃ……


 白銀の鱗を煌かせながら舞い降りる竜の角の脇には象牙色の髪をなびかせた女の悪魔が居た。

「ドロテア―!」

「おじちゃんに、ラミラ!?」

 長い身体をくねらせて空から降りてきた巨竜はしずかに湖の上に降り立った。湖が波立ち、ふわりと空気の輪が広がり、通り抜ける。私の太ももほどありそうな髭がゆらゆらとたゆとうている。

「どうしてここに……おじちゃん、身体はもういいの?」

「んん? その声はドロテアか? また、けったいなもんを着とるのお。無事で良かったわい」

「ラミラまで! どうしたの!?」

 ラミラは鮮やかな身のこなしで竜の頭から飛び降り、駆け寄ってくる。

「ダフネさんに頼まれたのよ。ビジャ湖の主のグアルディオラを竜谷から連れてきてって」

 仕事から直行よ、人使いが荒いわよね、言いながらもラミラは艶やかに微笑む。

「ドロテアがピンチよって言ったら、グアルディオラさんったら病気でふらふらのくせに凄い勢いで飛ばすんだもの、眼鏡がどこかへ飛んじゃったわ」

「おお、すまんの、綺麗な姉ちゃん」

「いいんです」

「俺が頼んだ」

 ウルバーノがラミラを遮って話し出す。

「住民達と一戦交えるなら使える権威はみんな使った方がいいだろ。結局、間に合わなかったが……んな事より、グアルディオラっつったか、主さん、早いとこ頼むぜ。浄化は本来、水龍の得意技じゃねえか。俺だけじゃなくて森の中にゃ瘴気の塊みてえなヘドロをかぶっちまった一般人も居るんでな」

「ほお、お前さんがダフネの甥っ子か。言われてみりゃガエルとペネロペに似てるわな」

「いいから早くやれ!」

 しかめっ面になって吠えるウルバーノにビジャ湖の主である水龍、グアルディオラは青い目を細めて家よりも大きな口で豪快に笑った。

「まだ本調子じゃねえが、ここに来る途中に急に体調が良くなってな。お前さんのおかげじゃろ? これなら力が使えそうだ」

 巨大な竜が空に駆け昇る。風が吹き付けた。先ほどまでの禍々しい暴風雨ではない。爽やかで香しい風だ。

 見上げると、晴れた空から細い雨粒が一粒降りてきた。見る間に土砂降りに変わる。輝く水滴が湖とそれを取り囲む森を洗い流す。日の光を反射して眩しいほどだ。

 私やウルバーノと違い汚水に塗れているわけでもないラミラは慌てて木の陰に身を隠す。

「きゃっ! ちょっと待って!」

 私はそれを見て少し笑った。


 綺麗だった。

 昔のビジャ湖、いやそれ以上に私には美しく見えた。


 急に視界が曇った。防護服のガラスが濡れたせいだろうか。ごしごしとガラスを擦るが、一向に改善しない。

「おい、こういう時くらい、それ脱げよ。顔見せろ。つか、この雨お前も一応浴びておいた方がいいぞ。なんたって水龍様の浄化の雨だからな」

 ウルバーノに促されて慌てて防護服を脱いで、ようやく自分が泣いているのだと気が付いた。

「なんだよ、笑えよ。少しは俺にサービスしやがれ! ありがたがってキスでもしろ!」

 気持ちよさそうに雨を浴びて、腹が立つほど男前な顔で笑うものだから、弱って寝そべっているのも忘れて目の前の男を殴りつけたくなった。


 サービスって何だ。馬鹿な事を。そんなの嬉しいたまじゃないくせに!


 けれど、涙が溢れて止まらない。彼には言いたいことが山ほどあった。

「な、なんだよ……おい、大丈夫か?」

「……っ」

 心配した。

 ウルバーノが沼に飲み込まれた時は心臓が止まるかと思った。

 人をなんだと思っているんだ。

 もう、二度とあんな事はしないで欲しい。



 けれど、生きていて嬉しい。



 それだけでいい。



 慌てふためくウルバーノを尻目に、慈雨を顔中に浴びながら私は大声で泣き続けた。

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