第13話 住民達の来襲

「魔女は出て行け!」

「「「出て行け!!」」」

「早く賠償金払え!」

「「「払え!!」」」

「美しいビジャ湖を返せ!」

「「「返せ―!」」」


 凄い人数だなあ。


 沼地に訪れた住民達を家の中で画面越しに眺めながらげんなりする。声は画面からだけでなく直接外からも響いてくる。

 溜め池の周りを埋め尽くさんばかりの黒山の人だかり、幸い子供は居ないようだ。ウルバーノが自宅の周りに張ってくれた結界には人から見つかりにくくする効果もあるようで、住民達は私の家を素通りして沼地へ行った。


 それにしても、ウルバーノさんが居なくなった途端にすぐ来たな。


 彼を遠ざけるために、ウルバーノがこの沼地に居る限り住民達は怖がって近付かないなどと言ってみたが、あながち間違いでもなかったのかもしれない。

 防塵マスクをしている者、口や鼻に布を巻きつけている者、皆それぞれに沼の悪臭や瘴気の影響を少しでも減らそうとしているのか、彼らの顔はほとんど分からない。

 それでも「魔女はくたばれ!」「農地を返せ!」口々に叫びながらプラカードや旗を振りまわしている様子から彼らの興奮と怒りが伝わってくる。あまりはしゃぎ過ぎて沼に落ちなければいいが。

 特殊な魔法具でもなければ、瘴気に対してはほとんどのマスクは無意味だ。幸い彼らは浄化施設のすぐ傍で屯しているので、結界により瘴気の毒からは守られているはずだ。


 あ、でも、ちょっと結界からはみ出している人も居るな。まずい。


 毒に当てられて倒れられたりしたら厄介だ。そろそろ、姿を現すべきだろう。

 鏡の前でくるりと回る。

 この日のために学生時代に着ていた服を引っ張り出した。茶色い上着、薄紫のシャツ、足首の出るタイプの細い茶のズボン、黒い靴下、革靴。少し緩い。


 痩せたなあ。


 間違いなく心労のせいだ。着古しだが、いつもの作業服よりましだろう。

 まだ、吹き出物は完全には治りきっていない。


 知った事か!


 きっと鏡の中を睨むと緑の目の、痩せて大柄な女が見返して来る。

「おし! 俯いてんなよ!」

 パンッと自らの頬を両手で引っ叩いて気合いを入れ、肩をいからせて外へ出た。

 片手には武器である拡声器とビラ、それから金属製のゴミ箱の蓋。背中にはいつもの防護服を背負った。迷った末に、仕掛け弓は置いていく事にした。

 少し涼しくなってきた風が襟元を吹き抜けた。



 私が浄化施設の前まで行くと予想通り凄まじい罵声を浴びせられた。

「出てきやがった!」

「あの大女だな、薄気味悪い」

「やだよ、見てみなよ、あの顔! 恐ろしい! 変な病気じゃないだろうね」

「まともな服なんか着やがって、早く金払え!」

 それでも『沼地の魔女』であるらしい私が怖いのか皆遠巻きにして近付いてはこない。歩き出すと人が左右に割れて私に道を開ける。

 

 ちょっと偉い人になっちゃったみたいな気分。


 男達の中には鋤や鍬だけでなく槍や剣を握っている者もあったので冷や冷やしたのだが、この分だと少なくともすぐに直接殴られたりする事はなさそうだ。

 早速卵が投げつけられた。


 来た!


 持って来たゴミ箱の蓋を構えるが、卵は私まで届かずに目の前に落ちた。


 ……あらら、残念。


 しかしその直後、背中に衝撃を感じる。


 くそぉ、やられた!


 油断してしまった。背中には生ごみがべったりと染みを作っている。


 ああ、私の一張羅が……


 服に汚れの浸み込む嫌な感触があるが、無視して歩き続けた。その間にも小さな小石が目の上に当たる。


 危ないな。目に当たらなくて良かった。ちょっと血が出たかも。


 怯むな落ち着け、と言い聞かせて、とうとう群衆の真ん中までやって来た。竦みそうになる足を叱りつけ、仁王立ちになる。

 手が震えそうだ。拡声器を強く握って誤魔化す。

『み、みなさん!』

 ぐわわん、と大き過ぎる声が沼に響き渡った。


 やばい、緊張して声が裏返ってしまった。


 拡声器から出る声を、あちこちに仕掛けたスピーカーから流せるように細工したのが、やり過ぎたようだ。住民達もみな耳を押さえている。


 うわ、すみません。えっと、ちょっと小さめの声でと。


『この沼地で沼の浄化作業をしております、ドロテア・スニガです』

「うるせー! ひっこめ! 金払え!」

「てめえのせいでこっちは持ってた土地が値下がりして大損なんだよ!」

『父がこの沼地を汚したのは事実です。大変申し訳ありませんでした』

「謝って済むなら法律はいらねえんだよ!」

「気持ち悪い面しやがって! 顔見せんな!」


 うるさいな!こっちだって見せたくて見せてるんじゃないよ!


 野次は無視する事にした。

『そうなんです。この顔はこの沼の瘴気にやられたものです』

 私の言葉に群衆が色めき立つ。

「そら見ろ! 言ったじゃねえか! ここに居たら死んじまう!」

「爺さんの身体が悪くなったのもあんたのせいだろう!」

「やっぱり、魔女だ! 俺達を呪い殺す気だ!」


 しまった!


 完全にパニックに陥った群衆は我先にと森へ逃げ込もうとしている。慌てふためいて、沼に落ちそうになっている者も出る始末だ。

『お、落ち着いて! 落ち着いて下さい! 少し瘴気に当てられただけでは何ともありません。それにこの施設の周りには結界が張られています。皆さんの身体を瘴気から守る……』

 一割ほどの人間が逃げ帰ってしまったが、残った者は取り乱した事を恥じるように私を睨み付ける。

「う、嘘じゃねえだろうな!」

『本当です。足元に白線が敷いてあるでしょう。それより内側にお入り下さい』

 恐る恐る足元を確認し、慌てて白線の内側に走り込む住民達だ。ようやく話が始められそうだ。

 失敗したかと思ったが、どうやら先ほどの脅し(決して脅そうと思ったわけではないが)が功を奏したのか、主導権をとる事に成功したらしい。

『まず、皆さんが一番気にされている賠償金の件ですが、すでに私からカーサス領主への支払いは終わっています!』

「嘘吐くんじゃねえよ! なら、なんで俺らに金が入ってこないんだ?」

『賠償金の分配で、貴族議員達が揉めているからです。公式には発表されていませんが』

「貴族?」

「どういう事だい?」

 住民達がざわめき始める。


 よし、いいぞ。


『貴族議員達の中には大地主が含まれています。彼らが多額の賠償金をカーサ領主に要求しているんです。あなたたちへの支払いが足りなくなるほどの額を』

 悲しげに聞こえるように言う。

「なんだって!?」

「証拠はどこにあるのさ!」

「でも、あり得るよ。ごうつくばりの貴族ども!」

「トリスタン様はお優しいから私達のために貴族と戦って下さっているのかもしれないわ」

 

 それは違う!


 聞こえてきた女性の声に思わず叫びたくなるのをぐっと堪えた。そう勘違いしてもらえればありがたい。トリスタンに恩も売れるというものだ。感情的には全く嬉しくないが。

 まったく、顔がいいというのはつくづく得だ。

『それから、この水車と溜め池は沼を浄化するためのものです。決して沼地に怪物を呼び寄せるためのものではありません』

「信じられるか! 気味の悪いスライムがうようよしてるじゃないか!」

「沼だってちっとも綺麗になんかなってやしない!」


 そうだよな、説得力ないよな。


 こればかりは私も自分の不甲斐なさに泣きたくなった。せめて少しでも沼の状況が改善していれば言いようもあるのだが、沼を浄化する仕組みを作り上げ本格的に稼働させる直前で装置が壊れてしまったのだ。

 ぐっと詰まる私に群衆はさらに勢いづく。

「聞けば、瘴気が発生した原因は魔物のスライムだって言うじゃないか!」

「そうだ、そうだ! 信じられねえ!」

『た、確かに原因はスライムですが、今この溜め池に居るスライム達は私が品種改良した新種で前の種とは別の……』

「訳分かんない事を言ってんじゃないよ!」


 ……そうだった。


 いきなり専門用語を並べられても門外漢には理解が難しい。私の父もそれで失敗したのだ。彼らにとっては野生のスライムも父の作ったスライムも私の作ったスライムもみな同じ魔物だ。

「沼を浄化するための設備だってんなら、さっさと沼を元通りにしてみせろ!」

「いきなりやって来て、私達の美しい沼をめちゃめちゃにしてさ!」

 そもそも父が雇われたのは急激に産業が発展したこの地域の生活排水が湖に流れ込み、水質を汚染したからだ。父のスライムが暴走したのも、調子に乗った行政側が大量の汚水を湖に流し込んだからだ。

 だが、そんな事は一般市民の彼らにはどうでもいい事だろう。

「そういえば、あの獣人はどこへ行ったんだ! お前の手下だろう」

「そうさ、あの毛むくじゃら! どうせ私達を食べさせるために雇ったんだろ。聞けば真っ当な獣人じゃなく、混血の化け物だって言うじゃないか」

「きっと、私達をどこかで見張ってるに違いないよ!」

 怯える声に慌てた。

『違います! 彼は何のか……責任もない、ただの雇われ人です。先日解雇しました』

 関係もないと言おうとして、咄嗟に言い直した。言い直した後で、怒ってくれるはずに彼はここには居ないのだと気付いた。

 自分が滑稽だった。


 自分で追い払っておいて、なんだ。


『もう、ここには二度とやって来ません』

 今度こそ演技でも何でもなく沈んだ調子の声も、拡声器越しでは間抜けに大きく響く。

「信じられないよ!」

「知り合いの騎士に聞いたよ、このあたりに物凄い化け物が潜んでいるらしいじゃないか」

「あんたの親父が生きてた頃には居なかったのに」

 それについては、正直私にもよく分からないのだ。

『……それは……』

 なぜ、急に瘴気の量が桁違いに増えたのか。誰かが裏で糸を引いているとすれば一体何のために。

「親父のアルバロ・スニガはちょっと有名な魔法機械工だったけど、あんたなんか誰も知らないよ」

「だいたい、どうしてアルバロは死んだのさ?」

「親父の跡を継ぐなんて上手い事言ってるけど、アルバロ・スニガはあんたに殺されたんじゃないのかい!?」

『ち、違います! 私はアルバロの娘ですよ! 似てるでしょう!』

 あまりに酷い言いがかりに、つい声を荒げてしまった。

「あいつは魔女なんだ、見た目なんかいくらでも弄れるだろうぜ」

「水龍の沼の主様もこいつに殺されたんじゃねえだろうな?!」

 主様……水龍のグアルディオラの事か。私が彼を、あの気の好い竜を殺すと言うのか。言っていい事と悪い事がある。

『何を根拠に……』

 その時だ。


 ……っ!?


 尋常ならざる気配がこの沼地に居る生きとし生けるもの全ての注意を奪った。うるさく野次を飛ばしていた住民達も、濁った声で鳴いている怪鳥も今や死んだように静まり返り一つの方向を向いていた。


 ……ズズンッ


 地面の小石がカタカタと音を立てる。

「……!?」

 地鳴りの音はスピーカーからの私の声に比べればごく些細なものだった。だが、本能的な恐怖を呼び覚ますには十分だ。皆が今や一つの事を思っていた。


 何かがおかしい。


 沼の向こうに、何かが居る!


 強い風が沼からゴッと吹き付けてきた。靄に翳った沼の向こう側がぼんやりと黒く光っている。曇り空だったはずなのに、いつのまにか沼の上空だけが、ぽっかりと晴れている。

 作り物のように丸いその空の穴、青空として片付けるにはあまりに透明で深い青、宇宙の色だ。そこだけ、根こそぎ大気がなくなってしまったかのような。


 これと似た風景を私は知っている。


 幼い日に見た光景を思い出した。南からやって来る低気圧の化け物による暴風雨、その最中に嘘のような晴れ間が覗いた。

 父親は何と言っていたのだったか。


「嘘でしょ、台風の、目?」


 強い風に沼の汚水が巻き上げられびちゃびちゃと群衆に降りかかる。悲鳴を上げて逃げ惑う彼らを助けなければと思うが、あまりに強い風に顔を上げる事すら出来ない。

「……っ!!」

 一体何が起きているのだ。黒い光の向こう側を見ようにも、巻き起こる暴風が汚水を撒き込み竜巻を作っており、よく分からない。


 分からないが、一つだけはっきりしている事は、

 この厄災の気配、そのものが、


 これが、ウルバーノさんやトリスタンの言っていた……


 化け物!


 よりによってこんな時に出てくるなんて。甘く見ていた。迂闊だった。ウルバーノは何度も私に警告したのに。

 怪物の侵入を防ぐために強い結界を張ったりはしても、そんな大物が簡単に人前に姿を現すはずがないとどこかで、高を括っていた。悲鳴と怒号に包まれながら、急いで念のために持って来た防護服を取り出す。

「あ!」

 父の形見は吹き飛ばされてしまった。二着目を取り出す。


 こんな状況での初披露になろうとは……


 私が作った新作だ。これがあれば汚水も怖くはない。沼の淵へ走り、あらん限りの声で拡声器から呼びかけた。

『みなさん、落ち着いて! ここは危険です。私の家まで走って!』

「お前の家なんかどこにあるんだよ!」

『結界で隠されているんです。範囲は狭いけど、ここよりも強力な結界が張ってあります! 速やかに沼から避難して下さい!』

「死にたくないよ!」

「なんなんだ、何が起きているんだ! 魔物か?」

 逃げ惑う人々には私の言葉も届いていないようだ。

「こんなとこに来なけりゃ……何もかもあんたのせいだ!」

「死んでしまえ!」

「呪われろ! 魔女が!」

『みなさん、話を!』

「うるさい! お前に付いて行ったってどうせ死ぬんだろ!」

 いつの間にか風が止んだ。

「な、なんだ?」

 異様な気配がして振り向くと沼の水面が妙な具合に蠢いている。一人の老婆が確かめようと水面に近付いた。

『あ、駄目! 危ない!』

 遅かった。

 次の瞬間、私達が見たのは、目を疑うような光景だった。水面が重力を無視して盛り上がり、まるで巨大な蛸の足のように鎌首をもたげ、老婆に襲いかかったのだ。

 何も考えられなかった。

 気が付くと、ビラや拡声器を全て捨てて走っていた。

 鞭のようにしなる汚水の塊が迫る。

 老婆に手を伸ばす。

 怯える老婆を抱き込んで、転がる。


 駄目だ、捕まる!


 沼の中に引きずり込まれると思ったのだが、衝撃はいつまでたってもやって来ない。

「ひえええ!」

 老婆の悲鳴に目を開けると、そこには……


「な、なんで……」


「てめえは、どうしてそう無茶なんだ……!」


 どうして、あんなに酷い事を言ったのに……


「なんで!」

 それしか、言いようがなくて繰り返す。

「うるせえ馬鹿野郎! とっとと逃げろ!」


 黒い毛皮、大きな背中、不敵な光を宿す金色の瞳。


 背中の剣を抜いたウルバーノが沼の前に立ちはだかっていた。ほっそりとした刀身のそれは形状のたおやかさとは裏腹に重苦しい闇色をしている。一目でその危険さが見て取れた。

 見ると触手のような汚水の塊は不自然に断ち切られ、しばらくの間戸惑う様にふらふらと動いていたが、やがてただの水面に戻る。

 目の前の狼がその黒い剣で断ち切ったのだろうが、これで終わりでない事は誰の目にも明らかだった。

「で、でも……」

「ちっ! じゃあ、こう言やあいいか。足手まといだ! あいつら連れてとっとと逃げろ!」

 はっとした。

 こんな事をしている場合ではない。理由は分からない。だが、ウルバーノが来てくれたのだ。まさか、自分に仕返しをするためではないだろう。

 そうなれば、私がなすべき事は一つだ。

 腰を抜かしている老婆を素早く背負った。火事場の馬鹿力なのか、肉体労働の賜物か、軽々と背負う事が出来た。

「みなさん! こっちです! 私について来て!」

 目の前で自分達の仲間を庇うところを見たからだろうか、皆、素直に私の言葉に従った。

 家に向って走る。

「ここからはこの道を真っ直ぐ! 私の家の周りに居て! 絶対離れないで!」

「ああ! あんたは?」

 体格の良い男に老婆を預けて踵を返した。

「私は……」

「おい、まさか戻る気じゃ……! 待て!」


 私は静止の声を振り切り、荒れ狂う魔物に向かって暴風の中を駆け出した。


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