第11話 召喚術士のラミラ

 私は作業台に置いた四角い枠の前に座った。枠の中には液体が入っている。 だが、その液体のように見える物質は枠をほとんど直立させても流れ出ては行かない。映像を映すための特殊な物質なのだ。

「よし」

 わずかな魔力を込めて手をかざすと、ブィンと音がして四角い液面が明るくなり様々な角度からの沼の様子を映し出す。そのうちの一つで突然、狼の顔が大写しになった。

 「あははは! 映った!」

 金色の目が画面いっぱいに映ったので笑ってしまった。

『おい、どうだ?』

 聞きなれた低い声が画面から聞こえてくる。私はそれに応えるために扉を開けて外に飛び出し、沼の向こう側に居るウルバーノに大声で呼びかけた。

「大丈夫でした! ありがとうございます!」


 カーサス領主トリスタン・コジャーソの忠告を受けて私達は怪物だけでなく、近隣住民によるゲリラ的な破壊活動(おおげさだが)にも対策を講じる事にした。

「で、具体的にはどうすんだ?」

「……」

「悪いが、俺もこういう民事紛争っぽいのは良く知らねえぞ」

「……よし、専門家を呼びましょう!」

 私だって、魔法機械以外の事はよく知らない。三秒で諦めた。

 幸い、うってつけの知人が居る。

 私の数少ない専門学校時代の友人であるラミラ・バハモンテは召喚術の専門家である。

 私やエンリケが所属していた魔法機械科が理工学系とすると、召喚術・契約科は文系の学科だ。学科ごとの授業に分かれる前の必修授業で私達は出会った。

 エンリケにボロクソに言われる私を見兼ねて声を掛けてくれたのだ。

 召喚術と法律、一見何の関係もなさそうに見えるそれらは実はとても近しい関係にある。召喚術ほど厳密に契約に縛られる魔法もないからだ。

 異界の魔物は桁違いに強いが、狡賢く悪意に満ちている。彼らは契約の文面の穴を巧みに突いて召喚術士を屠ろうとする。悪魔の祖先も異界から召喚された魔物と物好きな人族が交わった結果生まれた存在だと言われているが、とりあえず今は脇に置く。

 悪魔は元来、契約に強く縛られる生き物で、それゆえに取引や騙し合いを好む。召喚術の専門家も圧倒的に悪魔が多い。悪魔は強い魔力を持つだけでなく、肉体も非常に頑強だ。

 もっと言ってしまうと、悪魔を確実に殺せるのは契約だけだとされている。


 彼女、ラミラ・バハモンテも悪魔なのだが……


「ラミラ、久しぶり! 忙しいのに、こんなところに呼んでごめんね」

「いいの、丁度今は仕事の合間だし。私も召喚術士の端くれよ。移動は得意。それより……」

「あ、この人は私の手伝いをしてくれている傭兵のウルバーノ・ベラスケスさん」

「よ……よろしく」

「どうも、はじめまして。召喚術士のラミラ・バハモンテです。こちらこそ、ドロテアがいつもお世話になっています」

 さすがのウルバーノもラミラ相手にはいつもの毒舌が飛び出さないようだ。心なしか、顔も引き攣っている。

 丁寧に頭を下げる彼女の様子は折り目正しく、とても悪魔には見えない。美しい象牙色の髪の毛をひっつめて、臙脂色の地味な上着に艶めかしい肢体を包み、シャツの釦を几帳面に一番上まで留めている。革製の地味な鞄を小脇に抱え、足を揃えて立つ様はそこらの役人よりも真面目そうだ。外枠の無い眼鏡(どうせ伊達だろう、彼女は悪魔だ)の奥には悪魔の証である夾竹桃のような鮮やかなショッキングピンクの瞳が鋭く光っている。そして勿論、悪魔のご多分に漏れず非常に美しい顔立ちをしているのだが、表情は硬く、ほとんど笑わない。

 ウルバーノは説明を求めるように私を見るが、私は苦笑しただけに留めた。

 つまり、彼女は

「ふっ、悪魔らしくない? ですか、よく言われます」

 エンリケとは正反対の悪魔らしさの欠片もない悪魔なのだ。

 自嘲気味に笑う様にもどこか血の通った翳りがあり、悪魔特有の底の見えない明るさがない。

「エンリケとは従姉弟同士なんですが、いつも比べられて……」

 そして血縁関係をあまり気にしない悪魔、という典型例のとは真逆の性質で、身内であるエンリケに対するコンプレックスを隠そうともしない。

「もっと、悪魔らしくしろ、悪魔らしくしろと言われて育ちました。私、悪魔としては欠陥品なんです」

 いつでも楽しそうな悪魔、とも勿論真逆だ。

「欝気質のくせに、『死の契約』は怖くて未だに出来なくて、周りの悪魔達からはいつも半人前扱い……」

 放っておくと果てしなく落ち込んで鬱々とする。部屋の空気まで暗くなりそうだ。私なんて……と、俯いて呟き始めるラミラの肩を叩く。

「何言ってるの! ラミラが悪魔らしい悪魔だったら私達友達になれなかったよ、きっと。ラミラが死の契約なんかしたら悲しいよ」

 優秀な召喚術士のくせに妙にお人好しなラミラは「白雪姫」の愛好者に狙われそうな気がして危なっかしくて見ていられない。出来ればこのまま私が生きている間は死の契約などしないで欲しいくらいだ。

 ちなみにエンリケもホロス社の大株主である人族の男に「白雪姫」として狙われているらしい。海千山千のエンリケを狙うとは天晴れな心意気ではある。相手がエンリケだと思うと、逆にその男の方が心配になる。

「ねえ、それより一緒にご飯食べよう! ラミラの好きな洋梨を白葡萄酒で煮たの、作ったよ」

「あ、ありがとう、ごめん、私またやってた? こんな私の友達で居てくれて本当にありがとう」

 美しい瞳に涙をいっぱい溜めて私を見上げる。


 うっ、久々にこのテンション……

 最近、強気でずうずうしい人達に囲まれてたから、なんだか、調子が狂うなあ。


「それは、こっちの台詞。頼ってごめんね」

「いいのよ、ドロテア、私なんかで役に立てるなら嬉しいわ」

「元気そうで何よりだよ」

「ふ、私はいつも元気よ。身体だけはね。悪魔だもの。本当にそこだけしか悪魔らしくないの……ふふ」

 綺麗で、恐ろしく優秀な法律学者であり、召喚術士でもある彼女にこんなに落ち込まれると、ぺーぺーの魔法機械工である私などどうしていいやら分からない。

 まあ、これも彼女の個性だろう。

「何言ってるの、召喚術なんて悪魔の専売特許でしょ?」

 細い彼女の肩を支えながらテーブルに連れて行く私を、ウルバーノはどこか気の毒そうに見ている。

「ドロテア、お前も相当暗い奴だと思ってたけど、上には上が居る……」

「ウルバーノさん!」

 とにかく食事だ。



「……だいたいの事情は分かったわ」

 恐ろしい速さで帳面に何か書きつけながら彼女は静かに言った。私のたどたどしい説明を聞いただけで、彼女はすでに考えをある程度まとめたようだ。仕事モードの時の彼女(欝とは無縁の時の彼女)は驚くほど有能だ。

「まず、やるべきは浄化施設の周りの監視ね」

「と言うと?」

 私とウルバーノは机に身を乗り出した。浄化施設を壊されないようにという事だろうか。魔力の強い怪物は結界で防げても一般人の侵入は防げない。

「それもあるけど、浄化施設の安全よりも、どちらかとういと侵入者の安全の方が大事なの」

 ラミラは鼻の上をくいっと押して眼鏡を直すと言った。

「どういう事だ?」

 ウルバーノが怪訝な顔をする。そんな無法者は怪物に喰われてしまえばいいとでも言わんばかりの表情だ。

「はっきり言ってドロテアとウルバーノさんの印象は最悪だわ。事実はどうであれ周辺の住民にとっては沼地を魔窟に変えた悪の親玉の魔女とその手下の獣人ってとこでしょうね。もし万が一浄化施設の周りの敷地に侵入した人が沼に落ちたり怪物に襲われたりして怪我でもしたら大変な事になる」


 それ見た事か、魔物の仕業だ、魔女め、手下の魔物に我々を襲わせる気だぞ!

 ここから出て行け!


 旗を持って押し寄せる住民が目に見えるようだ。

「相手に付け入る隙を与えるようなものよ」

「どうしたらいいの?」

「結界でも何でもいいけど、とにかく住民の安全を守る事ね。少なくとも誤解が解けるまでは」

 ラミラはウルバーノをちらりと見る。

「無理だな。結界は中の安全を守るもので、侵入者の安全を守るものじゃない」

「……やっぱり監視するしかないでしょうね」

 監視、それならば、なんとかなりそうだ。

「分かった。工房にあるもので監視するだけの道具ならすぐ作れると思う」

「本当!? さすが、ドロテア! こういう時は頼りになるわ」

 というより、それしか能がないのだが。

 文系人間のラミラからすると、人工頭脳を活用する事すら高度な魔法の一種に見えるらしいので、私など別世界の人間のように扱ってくれる。

「あとは?」

「住民の安全を確保した上で、冷静に話し合う場が設けられれば一番いいわね。正直に今までの経緯を話すのよ。お父さんのアルバロ・スニガさんの失敗やあなたの努力、それから賠償金の支払いについて」

「そうだね」

「ドロテア・スニガは……まあ、エンリケに借金して、だけど……すでに行政側に賠償金の支払いを済ませていて、賠償金の支払いが遅れているのは行政側の責任だって事」

 そんなに簡単に行くものだろうか。

 石や卵を投げられた記憶が蘇る。そんな私を見てラミラが苦笑する。

「まあ、冷静に話し合うのは相当難しいでしょうけどね。こういう時の相手を良識のある人間だと思わない方がいいわよ。集団心理って怖いから」

 これを聞いてウルバーノが渋面を作る。

「飽くまで丁寧に、礼儀正しく、今までの事を説明する努力はすべきだと思うけど、面と向かって何か言っても伝わるのはごく一部と考えた方がいいわ。その替りにビラを作りましょう。大袈裟に考えなくてもいいの。簡単な事情と、そうね、今沼で使っているスライムがどういうものかも書いた方がいいかしら。見た目は不気味だけど、ヘドロを食べて浄化する良い生き物だって。頭から決めつけて信じない人も居るかもしれないけど、ないよりはましよ」

 その手があったか。簡単な事なのに、思いつかなかった。専門家に聞いてみるものだ。もっと早くに聞けばよかった。

「行政と貴族議員の癒着の話はビラには載せない方がいいかもね。それは後で考えましょう」

「確かにな。そこまでおおっぴらにやるとドロテア個人が貴族どもに睨まれる可能性がある。そんな事になりゃ、あの糞領主が喜ぶだけだ」

 ウルバーノが心底嫌そうに吐き捨てた。

「あとはもう根気ね。いろいろ嫌な思いをするだろうけど頑張って。どんなに酷い事を言われても絶対に手を出しちゃ駄目」

 ラミラは私の手を握りしめて言った。ショッキングピンクの美しい瞳が真剣な光を帯びている。

 そして彼女はなぜか今度はウルバーノの方を見て繰り返した。

「絶対に反撃はしないで下さい。出来れば防御もあまり好ましくない。下手に防御すると相手の神経を逆撫でします。つらいでしょうが……。それから、暴力を振るわれた場合には記録して下さい。これは最悪の場合ですがもう一度裁判をする事になった時に有利に働きますから」

「なんだと? 黙って見てろってのか……」

 ウルバーノがラミラに向って歯を剥き出し、ぐるぐると唸る。

「ウルバーノさん、ラミラは私のために助言を……」

「……ちっ、仕方ねえ。ならドロテア、お前は人前に出るな」

「え?」

「全部俺がやる。俺が奴らと話をつける」

「「絶対駄目です!」」

 ラミラと私の声が綺麗に重なった。

「ぁんだと?」

 凄むウルバーノだが、負けてはいられない。

「何考えてるんですか、ウルバーノさんが怪我したらどうするんです! それでなくてもたくさん迷惑かけてるのに、この上、何の関係もないウルバーノさんに負担を……申し訳なさ過ぎて私の胃に穴が開きます。大丈夫です。依頼内容には抵触しませんよ。そもそも住民との争議の調停なんて最初の依頼に含まれていないし、これで私が怪我したって死んだって失敗って事にはなりませんから」

 腕に包帯を巻いていたウルバーノを思い出した。どんなに強い人だって怪我をする。無敵で不死身のヒーローなんて絵空事だ。本来私に向けられるべき悪意でウルバーノが傷つけられたらと思うとそれだけで、胸が締め付けられる。それが嫌で夢中で言葉を重ねた。

 なのに、いきなりぐいっと肩を掴まれて驚いた。

「……っ!?」

 目の前に怒りに顔を歪ませたウルバーノが居る。今まで、口ではどんなに酷い事を言っても一度も手を出して来なかったのに、よほど頭に来たのだろうか。

「なんでお前は、いつもそうなんだ! 関係ないって言うんじゃねえっつっただろうが! しかも、死んでも大丈夫って何だよ! 俺をなんだと思ってやがる!」

 今度こそ殴られるかと思ったのだが、悲痛な響きに戸惑う。

「だ、だって……!」

 実際、関係がない。彼は金で雇われて、さらに言えば昇格試験のために仕方なく協力してくれているだけなのだ。

「ちょ、ちょっと!? ウルバーノさん、落ち着いて!」

「てめえもてめえだ! 友達じゃねえのか! 俺は頑丈なのが取り柄なんだよ。任せとけばいいじゃねえか。こんな細っこい奴が怪我したらそのまま死んじまう!」

 今度は止めに入ったラミラに喰ってかかるウルバーノに慌てた。しかし、ラミラは冷静だった。

「すみません、私も言い方が悪かったわ。何も酷い私刑を黙って見てろってわけじゃありません。正直、こんなに取り乱すとは思わなくて……ウルバーノさん、聞いて下さい。目に余るようなのは防いでもらって大丈夫。ただ、正当防衛が成立しそうな場合でも相手を傷つけるのはやめた方がいいけど」

「んなの、当たり前だろうが。一般人相手にやるわけねえだろ!」

 鼻息荒くウルバーノが言った。凶悪な形相だが、おそらく真実だろう。何せ彼はエンリケにすら無暗に暴力を振るったりはしなかったのだ。

「それからウルバーノさんが一人で住民と対決するのは駄目だと私が言った理由はドロテアとは違いますよ。あなたが怖過ぎるから、です」

「ああ? だから、なんだよ」

 さすがに自覚があるらしい。

「ウルバーノさんが一人で出て行った時点で住民達は帰っていくでしょう。傭兵でなくたってあなたが凄まじく強い事くらい分かるんです。相手は一般人、群れていれば、か弱い女一人相手に強く出る事が出来ても、命のやり取りをする覚悟なんかしていない。怖がって何も言ってこないはず。逃げられて終わり。あなたとじゃ話し合いは成立しない。鬱屈して余計にドロテアへの憎悪が増すだけ」

 苦虫を噛み潰したような顔で黙り込むウルバーノだ。

「下手したら、自分達に対する用心棒を雇ったのだと思われてしまいます。彼らはそのぐらい臆病なんです。でも、それが普通なの。どうかご理解を」

 舌打ちしてそっぽを向くウルバーノだ。相変わらず物凄く感じが悪い。

 聡いラミラはウルバーノの性格を見抜いているとは思うが、はらはらしてしまう。


 ラミラは売れっ子の召喚術士なんだよ、忙しい中、来てくれてるんだよ。

 お願いだからあんまり、感じ悪くしないで!


「お気持ちは分かります。私だって出来る事ならドロテアに変わって彼らとの遣り取りを引き受けたいですよ。だけど駄目。出来損ないとは言っても私も悪魔ですからね。彼らにとってもは私もウルバーノさんもそう変わりません……ふふふ、本当に何の役にも立たない。親友がピンチだって言うのに……せっかくこんな私を頼ってくれたのに……」

 気を悪くさせたんじゃないかと心配する私を余所にラミラがまたどんよりとした空気を発し始める。

「ラミラ?!」

 

 ああ、また始まった! せっかく仕事モードで格好良かったのに!


「自分では結局何も手伝えないのにえらそうに指示して、ドロテアに見捨てられたって文句は言えないわ。ああ、もう私なんか、この世に必要ない……死んだ方が世のため人のためなのに、『死の契約』も怖くて出来ないから死ねない……っううっ」

「ちょっと、ラミラ! ラミラってば!」

「お、おい、俺はそこまで言ってねえぞ!?」

 あのウルバーノまでフォローらしき事を言っている。


 凄いな、ラミラ……


「ラミラ、聞いてよ! 凄く助かったよ? やらなきゃいけない事柄がはっきりしたし、覚悟も出来た! そ、そうだよ、ラミラは治癒魔法も得意だったじゃない! ねえ、ウルバーノさん、ラミラって何でも出来ちゃうんですよ? ラミラ、もし私が怪我したらまた、呼んでいい?」

 実際にはラミラは国を渡り歩いて仕事をしているのでダフネに頼む事になるとは思うが、それを今口に出すほど馬鹿ではない。

「あ、ごめんなさい。私ったらまた自分の世界に……気を遣わせて悪かったわ。いつでも呼んで。ありがとう」

 鼻をぐすぐす言わせながら答えるラミラだ。私は彼女にちり紙を手渡す。

「あ、あと、今言った内容をだいたいまとめておいたから、確認のために渡しておくね。忘れちゃいそうな事とかいろいろ書いておいた。参考文献もつけておいたわ。必要なら見て」

 彼女は私から受け取ったちり紙で鼻をちーんっとかむと、赤い目でてきぱきと書類を整えてくれる。

「「……」」


 さすがは悪魔。有能ですね。



 かくして沼の周りには監視用の魔法機械が設置されたのだ。先ほど、ウルバーノに手伝ってもらって動作確認も終えた。ラミラは家でビラの文面を考えてくれている。

「すぐ出来ちまうもんなんだな」

 監視装置を繋ぐのに使ったケーブルの余りを背負いながらウルバーノが私の家まで帰ってきた。

「ああ、所詮はありものの組み合わせですから」

 画面は出来合いのものだし、作業のほとんどは配線だった。沼の周りに首尾よく監視地点を設置して帰ってきたウルバーノはなぜか、家の前で仁王立ちになり軒先を見上げている。

「……どうしました?」

「こんなに簡単に作れるんだったら、玄関先に同じもの付けときゃ良かったんじゃねえか?」

「……」

「そしたら、エンリケの野郎を不用意に家に入れちまうなんて事もなく……よ」

「……!!」

「いや、んな『目から鱗!』みたいな顔されてもな!」

 私は作業室に走った。



 その夜、ラミラは私の家に泊まる事になった。

 ウルバーノのおかげで臭いはだいぶましになったとは言え、まだ臭いだろうから、はじめは町の宿を勧めたのだが、

「まだ話したい事があるし、ドロテアさえ良かったら泊めてくれない?」

「いいの?」

「頼んでるのよ!」

「やった!」

 幸い、部屋は余っている。友人と話したいのは私も同じだ。ウルバーノはスライムへの餌やりを手伝った後で、女二人がキャッキャとはしゃぐのを横目に居心地が悪くなったのか、いつもより早めに帰って行った。

「ウルバーノさんに悪かったかしら……」

「たぶん大丈夫だよ。いつもだって、ただ単にシャワー浴びて夕食食べて帰るだけだもん」

 居間で洗濯物を畳みながら応える。


 ウルバーノさんが居ると下着はさすがに畳めないけど、今日は女の子しか居ないから早く仕事が済むなあ。


「……ドロテア、余計なお世話かもしれないけど、ウルバーノさんにちょっと冷たいんじゃないの?」

「えええ!?」


 最大級の敬意を払って接しているつもりなのに、冷たいとはどういう事だ。


「そうかなあ、そんな事ないよ」

「そうかしら、今日だって『ウルバーノさんは関係ない』ってちょっと言い過ぎよ」

 眉根を寄せるラミラは風呂上りで象牙色の艶やかな髪の毛を降ろし、眼鏡もしていない。アーモンド形の大きな瞳がこちらを見上げている。少し動くと私の貸した大き目の寝巻の胸元から完璧な形の乳房の深い谷間が覗いた。実に羨ましい。ラミラのような美女にお前は無関係だと切って捨てられたら悲しいかもしれない。


 けれど、私は……


「しれっと関係者扱いするのも、なんだかずうずうしい気がしてさ……」

 確かに、ウルバーノは自分も関係者なのだから遠慮するな、と言ってくれる。しかしそれに甘えてしまっていいものか。どうせ、もうすぐ彼との雇用関係はなくなるというのに、住民との揉め事などという厄介極まりない事態に巻き込むのは気が引ける。

 きっとウルバーノは文句を言いながらも協力してくれるだろう。だから、嫌なのだ。

 ランク昇格のために仕方なく協力してくれているだけなんだと言い聞かせても、もう私は狼の毛皮に隠された彼の優しさを知ってしまっている。私の顔を見ても態度を変えたりしなかった。困った時はいつだって助けてくれた。


本当に……本当にいい人なんだ。


 惹かれない方がどうかしている。

 ラミラは何も言わない私に何か勘付いたかもしれないが、それ以上は追及してこなかった。

 ラミラも優しい。優しくて大人だ。

「それよりさ、ラミラこそウルバーノさんが怖くなかったの? 私はもう慣れちゃったけど、言葉がきついでしょう?」

「全く平気。だいたい、ドロテアの事をあんなに大事にしてくれる人がどうして怖いのよ」


 ……だ、大事って!


 かぁっと顔が熱くなった。ラミラはそんな私の顔を覗き込むと面白そうな顔をした。

「ふふふ」

「な、なに?」

 感じが悪い。

「何でもない。それより、ドロテア、顔の吹き出物が良くなってきたんじゃない?」

「本当!? そう思う?」

 それを聞いて、一気に気持ちが上向いた。

「ええ、お父さんが亡くなられたばかりの頃は心配になるくらいだったけど」

「そっか、そうだよね。あの頃が一番酷かったかも」

「それに……ねえ、ちょっと立ってみて」

「うん……?」

 膝の洗濯物を脇に置いて、素直に立ち上がる。ラミラは私の向かいに立つと、私の胸元を凝視ている。私の方がだいぶ背が高いので少し屈んだだけで顔が胸の前にやってくる。

「やっぱり」

 ラミラが頷いた。

「なに?」

「ドロテア、万歳して」

 言われて両手を挙げた。

「降ろして」

「はい」

「ドロテア! ちょっとだけだけど、胸大きくなったんじゃない!?」


 ラミラさん!? 一体何を見ているんですか!


 咄嗟に胸を手で覆って隠してしまった。

「……っ!?」

「恥ずかしがる事ないじゃない。女同士なんだし」

「そう言われましても!」


 ラミラはボンキュッボンだからいいけどさ!


「前に生理不順が酷いって言ってたじゃない。あれはどうなったの?」

「そういえば……」

 言われて気が付く。このところ順調になってきた気がする。

「凄いわねえ! ウルバーノさん効果かしら!」

「そうかも、結界変えてもらってから凄く調子がいいんだ!」

 家に居る間、主に眠っている間に瘴気や悪臭を吸い込まなくて済むようになるだけで、こんなに違うとは。


 しかも、胸の大きさまで……


 だが、生理不順が良くなっているのだ。ありえない話ではない。

「……ちょっと違うんだけど、まあいいわ。……私だって、あなたのために化粧水やら石鹸やら飲み薬やらいろいろ持って来ていたのに、こんなにあっさり……ふふふ、所詮、女友達なんてそんなもんよね……」

 どんよりし始めたラミラに慌てる。

「ちょっと! ラミラ! ラミラさん?!」

「友人の事を素直に喜べないなんて性根が腐っている証拠だわ、だからモテないのね……」


 いや、ラミラ、もてるよね!? 

 いつも、告白されても勝手に後ろ向きになって「あなたに私は相応しくない」とか言って、自分から振っちゃってるよね?!


 真実もてない自分からすると、なんだか居た堪れない。

「ラミラ! 違うよ、ちょうどそういう時期だったんだよ。ラミラは私が一番辛い時もよくここに来てくれたじゃない。ラミラが居なかったらもっと酷かったよ。きっと」

 これは、本当にそう思う。

「あ、ごめんなさい、またいつもの悪い癖が出てしまったわ」

「ま、まあ、ラミラにもちょっとくらい欠点があった方がいいよね」

「ふふふ、ドロテアが女の子で良かったわ。あなた男だったら凄い女ったらしになってたかも」

 ラミラは悪戯っぽく笑う。それだけの仕草も溜息が出るほど色っぽい。さすがは悪魔だ。

「そうそう、時々でいいから笑ってよ。無理して笑わなくてもいいけど」

「ドロテアも、ね。ドロテア、エンリケに何を言われたか知らないけど、あなた自分で思うほど酷い顔じゃないのよ。作りは整っている方だと思う。目も綺麗なモスグリーン。最近は顔の腫れが引いてきたじゃない。ちゃんとすればちゃんとするわ。住民と対決するには外見も大事なの。自分なんかって思わずに、きちんとした格好をしてね」

 自分の顔はたとえ出来物が治ってもそう美しくもない事は知っている。だが、諦めていたら何も始まらない。

「そうだね……頑張ってみる」

「はいはい、暗い顔しないの! 美容のために早く寝ましょ!」

「暗い顔ってラミラだけには言われたくないからね」

「そうだったわね!」

二人で笑った。

 ラミラに促されて寝室に入った私は、その日ラミラが夜通し何かを見張るように沼にじっと目を凝らしていた事を知る由もなかった。

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