第10話 領主からの忠告
一日の作業を終え、ウルバーノが浴室を使っている間に、地下室に様子を見に来た私は作業台の前に座る。
「あと、もうちょっと……かな」
蓄力機の中をそっと開けて魔石を確認した。普通のサイズの魔石であれば、蓄力機に馴染むまでは数分あれば良い。これほど大きな魔石になると、馴染むにはなかり時間がかかるが、これなら早くて数日で蓄力機が稼働できるようになるだろう。
そうしたら、ウルバーノさんとは……
頭を振る。
何を考えているんだ。
いい事づくめじゃないか。作業は順調! ウルバーノさんを解雇すればお金も浮くし!
しかも、今日は収穫があった。
蓄力機の隣に置かれた水槽をちらりと見る。良い収穫かどうかはまだ分からないが。
先日、自分が妖精と獣人の混血である事を告げた後、なぜか機嫌が悪くなったウルバーノだが、夕飯時に彼の好物と思われる猪豚の骨付き肉を山ほど出すと、しぶしぶ食べ始めた。翌日には機嫌も直ったようだ。餌付けは案外有効らしい。覚えておこう。
今日はポンプの修理中に面白い物を見つけた。
いつものように水車の上にまたがって作業をしていた時だ。浄化槽の縁の防護柵にひっかかって紫色に光る部分が目についた。
「なんだろ……」
水車から降りて、近づく。救い上げてみると、スライムだった。
「……!?」
まさか、突然変異種か。
背筋がぞっとした。
元々父が使っていたスライムよりも自然の生き物に近い存在になったとは言っても、立派な魔物だ。どんな危険な突然変異が起きてもおかしくはない。すると、手の中でスライムが紫色に発光し始めた。
うっすらと魔力を感じる。
しまった、あまりにも無防備に手を出してしまった!
攻撃される!
「……っ」
スライムを放り投げ身構えるが、何も起こらない。
「どうした!」
ウルバーノが異変を察知して駆け寄って来てくれた。
「だ、大丈夫です。ちょっと変なスライムが居て」
「何だ? あ、こいつか、何だか色が他と違うな」
ウルバーノは私が放り投げたスライムを無造作にひょいと素手で掬い上げてしまった。
「あ、素手で! 危ないですよ!」
まあ、私もやったが。
「ああ、心配すんな。こういう時のために居るんだからよ」
「でも……、ちょっと待ってて下さい。今、捕獲用の籠を持って来ます」
「こいつはなんなんだ?」
「分かりません。たぶん突然変異種でしょう」
よく見ると溜め池のあちこちに紫色の点が認められる。
それも、溜め池の縁、ヘドロの沼との境界線に多い、防護柵にひっかかっているのも居る。今までは気が付かなかった。
一体、いつからこいつはここに居たのだろう。
「持って帰って調べてもいいですか? どんなものか分からないままなのは危険ですから……」
「ああ、待ってるから籠持って来い」
「ありがとうございます!」
そして、そのスライムは今目の前の水槽の中に居る。種の保存用に黄緑色のスライム達の水槽も置いてあるのだが、それとは別の水槽に入れることにした。
透き通った美しい赤紫色は魔石とよく似ている。私の掌にちょうど収まる大きさは溜め池で飼っている品種改良済みのスライムの大きさは変わらない。
だが、心なしか元気がない。
「おい、大丈夫?」
つんつん、と水槽をつつく。
弱い種なのかなあ。
心配だ。
「何、やってんだ?」
突然、耳元で低音が囁く。
「うわあ!」
ぞくりと鳥肌が立つ。
飛びのいた……つもりだったが、がっしりとした黒い毛むくじゃらの腕に肩を抑え込まれ、椅子から立ち上がれない。
「おいおい何だよ、傷付くじゃねえか、失礼な奴だな。逃げんなよ」
笑い交じりの低い声はそれだけ聞くと、物騒極まりない響きだ。幸い私はもう危険はない事を知っているので、笑って返す事が出来る。
「す、すみません、びっくりして」
風呂上がりのウルバーノが私の肩を抱きこむように後ろに立っていた。
にやにやと機嫌良く笑っている。逞しい肩や胸の毛皮はまだ湿っていて、湯気が出ている。石鹸の良い匂いがした。
そこで身体があまりに近い事に狼狽える。
「……~~っっ!?」
最近、私はおかしいのだ。殴るぞと脅されたって何ともないのに、こうして彼が笑って近くに居るだけで、みっともないほど動揺してしまう。
やばい、変な女だって思われる!
「なんだ?」
「い、い、いえ! あ、ウルバーノさん、せっかく綺麗にしたのに、私にくっつくとヘドロの臭いが付いちゃいますよ?」
へらへら笑って誤魔化した。顔が赤いのに気が付かれないように前を向く。私はまだ身体を洗っていなかった。きっと臭いだろう。なのに、ウルバーノは離れない。からかうように鼻先を耳の近くに寄せてくる。くすぐったい。
「そうか?」
「か、かかか嗅がないで下さい!」
心臓に悪い!
「確かにちょっとはヘドロの臭いがするが」
「ほらあ!」
「けど、お前自身を臭いと思った事は一度もねえよ」
……え?
散々、臭いだの汚いだの言われた気がするが。
「ヘドロは臭いけどな」
「はあ……?」
それは、私が臭いって事じゃないのか?
「お前はむしろ……」
「……?」
何を言いたいのか分からず、ウルバーノの金色の目を凝視していると、ウルバーノの顔が近付いて来た。鼻先が触れそうだ。 かあっと顔が熱をもった。頭が真っ白になってしまう。
「……お前、怖くないのか?」
「な、何がです?!」
怖くはない。怖くはないけども!
「いや……」
照れたように下を向くウルバーノだ。
「あ、ああっ! スライムですか? 確かに嫌いな人が多いかもしれませんね」
「違う! つか、顔色一つ変えずに猪豚の解体しちまう女が今更スライムごときで騒ぐとは思わねえよ! そうじゃなくて……」
「すみません、ドロテアさん! いらっしゃいますか!」
その時、玄関先から声が聞こえてきた。来客だ。
「……だっ誰だろ? すみません、私出てきます!」
「おい……」
ウルバーノは何か言いたそうにしている。少し気になったが、逃げるチャンス……ではない、今は来客に対応しなくてはならない。
「お、お待たせしました」
地下室からの階段を駆け上って扉を開けると、夕闇の空を背に役所の制服を着た屈強な男が二人と、
「いやあ、いつ来てもここは臭いね!」
食えない笑みを浮かべた身なりの良い若い男。
「ドロテア・スニガ殿、カーサス地方領主、トリスタン・コジャーソ様をお連れしました」
制服のうちの一人が宣言する。
本人が直接お出ましとは驚いた。だが、怒りが先に立つ。
「あ、あなたは、どの面下げて……!」
「ご婦人、どうか落ち着いて!」
食ってかかろうとしたが、途端に脇に控えた屈強な男達に取り押さえられる。
畜生、まさかこのための護衛か!?
用意周到なトリスタンにますます苛立ちがつのる。トリスタンは涼しい顔で品よく整えた金髪を額から払いのける。
「なんだい、君、いきなり失礼じゃないか、一応、僕は領主だよ」
笑い交じりに告げられていきり立つ。
「領主だからですよ! なんで賠償金の支払い早くやってくれないんですか! おかげでこっちはある事ない事いろいろ言われて、嫌がらせされて……あ、そうだった! ガラス代も払え! 弁償してください!」
激昂する私にも目の前の男は全く動じない。榛色の瞳が意地悪く細められる。
「その件に関しては本当に申し訳ないと思っている。ただねえ、支払いの額の事で地主の貴族達がいろいろ揉めているんだよ。こちらも苦しいところでね」
甘いマスクを心底悲しそうに歪めてトリスタンは滑らかに言い募る。下級貴族出身のこの男は、この顔で女性票を集めまくって領主に就任したのだ。
「だったら、それを早く住民に公表して下さい!」
「それが出来れば苦労はしないよ。でもね、君、考えても御覧よ? そんな事公表したらもの凄い貴族バッシングが始まるよ? 反乱が起きちゃったらどうするの? 欲の皮の突っ張った貴族同志のいがみ合いのせいで、庶民の自分達への賠償がなかなか進まなかったのか……って」
「よく言いますよ! 私から支払われた賠償金の配分を多くする事を餌に貴族議員達から自分への支持を取り付けたんでしょ? 自分で引っ掻き回しておいて……」
「ほぉ、いつも思うけど、本当に君はいろんな事を良く知ってるね。顔さえもうちょっとマシなら、僕の秘書になって欲しいくらいだよ」
「え、マジでそんな事情ですか!?」
見目の良さによる女性からの人気で領主の座についたはいいが、古参の貴族議員達には舐められっぱなしだったトリスタンが、いつの間にか当然の顔をして幅を利かせているから、おかしいと思っていたのだ。
さらにトリスタンの味方についた議員達の顔ぶれは見事に大地主の金満貴族ばかり。彼らが手の平を返したようにこの若造を支持し始めた時期はちょうど、賠償金の支払いが決定した直後だった気がする。
気が付けば、領主になって三年以上、来年は任期満了と来た。
絶対に何かあると踏んでかまをかけてみれば……
っとに、ろくでもないな!
「あ、もしかして当てずっぽう? 僕とした事が……しまったな。内緒ね? ていうか君、凄いよ。実は僕より腹黒いんじゃないの?」
「あなたに言われたくありません!」
あんまりな言いように、屈強な男に羽交い絞めにされながら喚き散らす。
ええい、離せ、この野郎!
「その威勢の良さもね。君、男だったら良かったのに。背も高いし」
「はあ?!」
「男だったら、別に顔がどうでも気にしなかったのになあ……、本当に残念だよ。せめて、お肌のお手入れくらいしたら? その顔のぶつぶつ、見ているだけでちょっと……ねえ?」
「……~~っ」
うるさいな! これでもちょっとは良くなったんだよ!
お肌のお手入れなんかしてるよ! めちゃめちゃしてるよ! してこれなんだよ、悪かったな!
女だと顔が綺麗じゃなきゃ駄目だってか。
たとえ、どんなに有能でも近くに置く女は美しい方が良くて、男なら醜くてもいいと。そういうセリフを支持者の女性の方々に言ってみろよ、この俗物が!
とは思うものの、言えない。
自分が不細工なのは本当の事だからだ。こういう所が駄目なのだと思う。本当にそう思うなら自分が美しかろうが、醜かろうが、正しいと思った事は言えばいい。
しかし、出来ない。醜く生まれ、愛されて育ってこなかった自分は心も醜い。醜くて弱い。エンリケは私のこういう所が気に食わないのだろう。知っている。分かっているのだ。
悔しくて歯噛みするが、口からは何も出てこなかった。その時だ。
「死にたくなかったら、そこまでにしとけよ」
後ろから聞こえてきたのは、血も凍るような低い声、本能的な恐怖を呼び覚ます響きはまさに獣の唸り声そのものだ。
「う、ウルバーノさん」
思わず縋り付くような声になってしまった。
「女一人にご大層なこったな」
強い風が私のすぐ脇を通り抜けた気がした。
いつのまにか両手が自由だ。
見ると、トリスタンも私の脇に控えていた屈強な男達も突き飛ばされたのか、床に座り込んでいる。
素敵過ぎて痺れます!
不思議だ。女一人に……なんて、聞きようによっては、トリスタンよりも女性蔑視な感じなのに全然嫌な感じがしない。
「何しに来た? 要件を言え。場合によっちゃ『強制退去』だ」
「いたた、乱暴だな。あ、君か! 最近来たっていう噂のでかい狼は。僕はカーサ領主をやっているトリスタン・コジャーソだ」
トリスタンは腰を摩りながらも全く動じない。この若さで領主をやっているだけあって肝は据わっている。対するウルバーノは眉間に皺を寄せたまま、握手に差し出された手を取ろうともしない。
「そのくらいは知ってる」
「なんだい、噂通り失礼だなあ。まあ、いい、僕も知ってるよ。ウルバーノ・ベラスケス君、傭兵の世界じゃ有名らしいね」
「うるせえ」
舌打ちしながら答えるウルバーノは威嚇するように歯を剥き出した。
「おお、怖い! 残念だなあ。仕方ない、君とも仲良くしておきたいんだが」
「…………もう一度言う、要件を言え。次はねえ」
噴火前の地響きのような低い声に、さうすがのトリスタンも姿勢を正す。
「そうだったね、本題に戻ろう。ドロテアさん」
「……?」
急に真面目な顔になるトリスタンだ。
「賠償金が支払われていない理由は先ほど君が言った通りだ。本当に申し訳ない。カーサ地方も財政難でね、貴族達と上手くやらないと回って行かないのさ」
「……」
知っている。一見、軽薄そうに見えるこの男が実は思慮深い為政者だという事も。だから、心底は憎み切れない。
「その上で、こんな事を言うのは本当におこがましいと分かっている。だが、言わせてくれ、君の安全のためでもある」
「何があったんですか?」
「近いうちに、住民達が君のところへ大挙して押し寄せるだろう」
「……!」
恐れていた事がついに現実になってしまった。
「浄化設備を壊すと言って君の立ち退きを迫ってくるはずだ。人族の庶民層がほとんどだろうが、鋤や鍬でも……」
自転車の車輪や鉄筋が食い込んだ歯車を思い出して、胸が苦しくなる。
「機械は……簡単に壊せる」
「そうだ」
「そんな……じゃあ、なぜ賠償金の支払いの事を住民に知らせてくれないんです?!」
必死でトリスタンに詰め寄った。
「すまない! だが、今、貴族達に反旗を翻されたら抑え込める力が僕にはないんだ」
この時ばかりはトリスタンも心底苦しそうな表情だった。
「情けないだろう? 領主と言ってもこんなものだ。人族は何だかんだ言っても舐められるのさ。特に妖精や悪魔の上流階級にはね」
自嘲されては何も言えない。そもそもの原因は私の父だ。本来ならば謝るのはこちらの方である。
「だが……」
にやりとトリスタンは笑う。ようやくいつも彼らしい表情になった。
「僕からは言えない、というだけだ!」
「つまり、私から住民達に真相を言え、と?」
「そう、話が早くて助かるよ」
「行政側が住民から恨まれる事もなく、貴族達には言い訳が立つ、さらに上手く行けば、厄介な貴族議員どもから住民の支持を奪える? 」
「その通り! 君、ちょっと本気で僕の秘書にならない? マスクでもしてさ。そしたら僕も耐えられるから! 考えておいてよ」
調子を取り戻したトリスタンの上着の襟をウルバーノが軽々と掴みあげる。
「おい! てめえ、さっきから聞いてりゃ、なんだそりゃ? 何が『君の安全のためでもある』だ! 結局ドロテアに丸投げするって事じゃねえか!」
「痛い痛い痛い! だ、だから、申し訳ないって言ったじゃないか! さすがに悪いと思って、わざわざこんな臭くて危険な場所に直接出向いて来たんだよ」
「当たり前だ馬鹿!」
ウルバーノはぐるぐると唸りながらトリスタンの首根っこを持ち上げて睨み付ける。もっとやってやれ! と言いたいところだが、さすがに大事な助手がお縄になったらまずい。
「ウルバーノさん、あんまり揺さぶると死んじゃいますよ?」
「ちっ、てめえ、次ドロテアに何か言ったら殺すからな」
どさっとトリスタンを床に放り投げる。トリスタンは首を摩りながら息を吐いた。
「ふぅ、助かった。ドロテアさん、貴女は賢いだけじゃなくて優しいね。不細工なのが心底惜しいよ!」
「だから、黙れ!」
「何か事があってからじゃ遅いから、この沼地の周りに何人か監視をやったんだけどさ」
それで最近よく人影を見かけたのか。
「治安維持のための騎士団から結構な腕利きを選んで派遣したはずなのに、みんな逃げ帰って来るんだ。全員が口を揃えて言ってたよ。あの沼には化け物が居る、死ぬのはごめんだ、自分じゃ力不足だから無理だって……君、よくこんな場所に女の子一人で住めるね?」
ウルバーノもこれには真剣な表情だ。だから言っただろう、と私に冷たい視線を寄越す。
「まあ、正直言って僕の忠告が君にとってそれ程足しにならない事は分かっているよ。だけど、じっとして居られなかった……。本当にすまない。一度、きちんと謝りたかったんだ」
「随分、しおらしいじゃないですか」
今までの扱いが嘘のようだ。そんな私にトリスタンは偉そうに溜息を吐く。
「政治家にはいつでも正直でいる贅沢は許されていないのさ! まあ、君らだって同じだろ? 全く生き辛い世の中だ! 何にせよ僕は君に期待している。これは誓って本音だ。本当は恩も売りたい。何か困った事があったら言ってくれ」
「はあ……」
一番の困った事はこの男のせいで起きているというのにこの言いぐさ。狡猾でずうずうしいのになぜか憎めない。ある意味、政治家に最も向いている人種なのかもしれない。
けれど、黙って利用されるのは癪に障る。こちらはこちらで利用するとしよう。
にやりと笑う私にトリスタンが目を見張る。
「何でも? ですね?」
「あ、ああ」
「じゃあ…………」
耳打ちすると、トリスタンの顔がさっと青くなった。
「…………君、僕より政治家に向いてるよ。保障する」
トリスタンは力なく項垂れて吐き出すように言った。
「ありがとうございます。光栄ですわ」
わざとらしく、おほほと上品に微笑んでやった。つられるようにしてトリスタンも笑う。
「さっき、言った事は撤回するよ。惚れそうだ」
「どうぞ、ご勝手に! 残念ながらタイプじゃありませんがね!」
それを高らかに笑い飛ばしてやる。
「憎らしいな! それじゃ、失礼するよ」
「気を付けて」
「君もね。僕、本気だから、秘書の件考えておいてね!」
「さっさと帰れ!」
ウルバーノの吠え声が夕闇の空にこだました。
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