第9話 父の功罪

「おい、落ちねえようにしろよ」

「大丈夫です。こういうのは得意で」

 ウルバーノが珍しく心配そうな声を出す。

 小山程もある水車の軸の部分に跨って、壊れた個所に釘を打っていく。細かな作業でもあり、それなりの専門知識が必要とされるので、私が一人でやるしかない。

「すみません、その六角形のやつ取って下さい」

「ああ」

「どうも」

 防護服越しに螺子を口に加え、歯車の中に頭をくぐらせる。

 身体を捻って軸に近い部分の歪みを直す。


 くそ、暗いな。

 あ、見えた見えた。


「お、おい」

「らいじょうぶれふって!」

 柵の設置は順調に終わったが、水車の修理はやはりそれなりに時間がかかった。

 すぐに水車本体の修理が出来るかと思ったのだが、歯車の部分に引っかかった粗大ごみを取り出す作業に二三日食われた。

 この作業はほとんどウルバーノがやってくれたので、私は実際には脇で見ていただけだったのだ。

 彼は目を疑うほどの器用さで歯車に引っかかった車輪や鉄筋、壊れた農具、大きな瓦礫などをてきぱきと取り除いてくれた。事もなげにこれらの巨大な廃棄物を繊細に動かすものだから、見た目には重そうだけれど実は軽いのだ ろうかと、ウルバーノがポンプから取り除いたそれらをまとめてゴミ捨て場に運ぼうとしたのだが、 早々に断念した。


 お、重いっ!

 ウルバーノさん、これを微妙にこう、斜めに持ったりしてなかった!?

 どんだけ怪力なんだ……

 

 結局、ひとつずつ、苦労しながら台車に載せて運んだ。ほどなくしてウルバーノが撤去作業を終え、瓦礫の運搬作業に加わると、まとめてどんどん持って行ってしまうのですぐに終わった。

 私の苦労は一体なんだったのだろうか。

 それが昨日だ。

 だから、実は働けるのが少し嬉しい。

「楽しそうだな」

「え? えへへ」

 役に立っている実感というのはいつだって嬉しいものだ。

「ちっ、いいけどな、気ぃつけろよ」

「はい」

 板を当て、溶接し、釘を打ち、凹みを直す。慣れたものだ。

 ウルバーノは手持無沙汰になったのか、沼から出て、ポンプのすぐ脇に腰かけている。

 暇そうだ。

 ほどなくして目を閉じ、船をこぎ始めた彼だが、急に目を見開く。

「ん……?」

 ウルバーノがピクリと耳を動かした。

「どうしたんですか?」

「いや、今、人影が……」

「ああ……」

 最近よくあるのだ。特に何をするわけでもないのだが、沼の近くまで人がやって来る。住民、ではなさそうだ。しかし、姿を確認する前に去ってしまうので、確認も出来ない。

 怪物や魔法による攻撃以外に対して、実は結界というのは驚くほど無力だ。魔力を使ってここに侵入するのは無理でも、歩いて近付いてくる一般人を遠ざけるのには役立たない。もちろん例外はある。しかしその場合には特殊な術式を必要とする。

 瘴気が濃くなってからは近隣に住む住民がここに近づくことも稀になり、嫌がらせは減った。それはただ単に沼に近付くと危険だからだろう。当然ながら和解は全く進んでいない。

 賠償金の支払いは行政側からされる事になっており、私はすでに支払いを終えている(そのかわりエンリケから多額の借金してしまっているのだが)。

 だから、私が彼らに対して出来る事は沼を浄化する以外にない。事情を話そうとした事もあるが、話しかけると私の顔に怯えて皆逃げて行ってしまうのだ。

「お前も大変だなあ……」

 ウルバーノは他人事のように言うが、最近人が良く見に来るのはウルバーノのせいではないかと思っている。

 ある日突然出現した大量のヘドロと強い瘴気は住民達の心に恐怖を植え付けた。

 何か変化があれば不安にもなるだろう。急に現れた獣人を警戒しているのかもしれない。

 ただでさえ私は沼地の魔女と罵られ、不気味な外見も手伝ってか、いつの間にか沼を汚した張本人、悪の親玉という事にされてしまっているようなのだ。完全に間違いとは言い切れないので、あえて訂正していないけれど。

 しかし、今も沼地の浄化ではなくて、沼地を魔窟に変えるために作業をしているのだと誤解されたら、堪らない。


 住民達が浄化のための溜め池と水車を悪い魔女の作った怪しげな装置だと勘違いして壊そうとしたら……


 苦労して直したのに、また壊されては困る。考えただけでも身震いがする。一度話し合わなければならない。

 こんなにも周辺住民との関係が拗れてしまったのには理由がある。

 ひとえに私の父であり前任者のアルバロ・スニガの対応が悪かった。突然沸き起こった酷い悪臭とヘドロ、怪物を呼び寄せる強い瘴気に住民達は父に説明を迫った。

 当然だろう。

 完全にこちらが悪い。

 この時に真摯に対応していればまだましだったかもしれない。だが、父はもともと人当たりの良い方ではない。さらに言うと、この頃の父は自分の失敗のせいで酒に溺れ、酒に溺れるせいでさらに失敗するという悪 循環に陥っていた。責任の所在を明確にせよと迫る住民代表に対して、素人は黙っていろ、などという最悪の返答をしてくれたのだ。

 悪評は瞬く間に広がった。

 住民グループの結束は恐ろしい。

 結局、制裁の意味も兼ねて賠償はかなり広範囲に渡って行われる事となり、周辺に土地を持っているだけの不動産屋から、湖に繋がる河川の周辺の住民(なんと上流に住む者にまで!)にいたるまで賠償金が支払われる事となった。

 私が跡を継いだ時には今更話し合いをしてもどうにもならないほど、拗れるところまで拗れてしまっていたのだ。

 だが、そうも言っていられない。やはり直接話し合った方が良さそうだ。このままでは、ウルバーノも魔女の一味と誤解されて迷惑がかかってしまうかもしれない。


 巻き込まないように、早く解雇してあげなくちゃ。


 実は蓄力機作りはもう終わっている。使えればそれで、と言うような簡素なものだが。

 あれだけの上物の魔石だ。勿体ないとは思う。しかし、早く結界を使いたいし、ウルバーノに引き渡すのはどうせ先になる。その時にまた改良すればいいだけの話だ。魔石の魔力が蓄力機自体に行き渡り蓄力機が実際に稼働するにはもう少し時間がかかる。結界が使えるようになり次第、ウルバーノとの雇用契約は打ち切るつもりだった。


 意外と短かったな。


 一日中一緒に居るせいで、なんだかもの凄く長い間一緒に居るような気になっているが、考えてみれば、まだ出会ってから一月も経っていないのだ。


 上出来だよね。


 いろいろと迷惑もかけたが、予想よりも遥かに短い期間で済ませられた。水車が稼働し始め、しっかりした結界さえあれば、沼でする仕事は細かなメンテナンスだけになる。一人でも大丈夫だろう。

「なあ、前から聞こうと思ってたんだが……」

 唐突にウルバーノが口を開いた。

「なんですか?」

 作業の手を止めないまま応える。金槌の音が響く。

「お前、何で一人でこんな沼に居るんだ?」

「前に言いませんでしたっけ? 父が……」

「ああ、聞いた。だけどな、別に親の借金返すだけなら、ここで働かなくたっていいだろ? 沼の浄化まで引き継ぐ必要はなかったんじゃねえのか?」

「確かに法律上はなんの義務もないです。借金さえ返せれば」

 釘を打ちながら答える。

「じゃあなんでだ? こんな所好き好んで住みたい場所じゃねえだろ?」

「そうですよね、ウルバーノさんにもご迷惑を……」

「そんなのどうでもいいっつってんだろ。それよりさっきの質問だ」

「まずは、ここの主の水龍が父の友人で、小さい頃にとても優しくしてもらった事があって、このまま泣き寝入りじゃあまりに申し訳ないというのが一つ」

「それだけじゃねえんだな?」

「この沼がこんな風になってしまったのは私にも責任があるから……です」

 あまり、話す事でもないのかもしれない。

 けれど、ウルバーノは先を促すように黙っている。

「少し長くなりますが……」


 母を小さいうちに亡くした私は男手一つで育てられた。

 父アルバロ・スニガは厳しい人だった。

 それでも母を亡くして寂しいのか酒を飲んでは暴れた。憎いと思わなかったと言えば嘘になる。だが、酔いが覚めた父が、翌朝に母の墓前で佇む姿を見てしまうと何も言えなかった。

 父に褒められた事はほとんどない。

 お前は器量も悪い、身体も貧弱で、性格も暗い、だから嫁いで楽をしようなんて甘い考えは捨てろ、せめて勉強でもしなければ独りで生きて行ける人間にはなれない、と繰り返し言い聞かせられて育った。

 母の記憶はほとんどないが、写真の中のその人は私とは似ても似つかない美人だった。

 私は父にそっくりだった。

 父は、今は亡き最愛の妻の面影のない私を厭っていた。

 それでも、魔法機械工としての父はそれなりに優秀であったので、私は私なりの父への尊敬の証として魔法機械工の道を選んだ。もともと魔生物が好きだった事も手伝って、私はすぐにこの世界にのめり込んだ。

 さらに、学校に入りエンリケに散々罵られ始めたていた私は女らしい恰好をほとんどしなくなっていた。

 父の教え通りに育ったはずなのに、父はそんな私を見ていい顔をしなかった。

 男親というのは勝手だ。

 思春期らしいお洒落への憧れを見せれば、そんな事にうつつを抜かさずに勉強しろと言い、年頃になったらなったで期待通りに美しくならない事を不満に思う。

 ちょうど私が魔生物学の専攻を決めた頃、父は仕事に限界を感じ始めたようだ。

若い頃は奇抜な発想でいくつかのヒット商品を飛ばしていたが、その才能は翳りを見せ始めた。ある程度の年齢に達すれば、誰だって若い頃ほどには新しい発想は生まれなくなるものだ。皆、自分の中で折り合いをつけて諦める。

 だが、父は焦っていた。

 酒の量が増え、言動も荒いものになっていった。

 ちょうどその頃、私は学校の課題で魔石の研究をしていた。

 一般に出回っている赤紫色の魔石の成分を分析すると、魔竜の組織らしきものが見つかる。そのため、その頃から魔竜の一種が魔石を作るらしいという説はあったが、確信は得られておらず、また、どの魔竜が魔石と関係があるのかも特定できてはいなかったのだ。

 魔石が魔竜の身体のどこに出来るかも分かっていなかった。

 あるものは胆石だと言い、あるものは尿管結石だと言った。あるものは特殊な歯や骨だと言った。そのどれもが裏付けのあるものではなかった。

 どうして特定できないのか考えて、私はある仮説を立てた。魔石は一種の腫瘍なのではなかろうか。だから、見つかる組織片も魔竜のものと全く同一ではない。成分を分析してみても、既知のものは出てこない。さらに結晶の中に残される組織は細切れで、全容の把握が難しい。

 そこまで、書いたレポートを机の上に置いていた。

 父がこのレポートを読んでいるのは知っていた。だが、いつものように馬鹿にされるのが嫌で何も言わなかった。


 それからしばらくして、父が魔石の供給源となる魔竜を特定したと報道された。


 その方法は一学生には到底真似できないような力技だった。

 大勢の傭兵を雇い、身体に腫瘍を持つ魔竜を見つけ出し、片っ端から屠ったのだ。その結果、成年に達すると頭部に腫瘍を生じる魔竜が発見され、魔石がこの魔竜由来だと証明された。

 愕然とした。

 平然と私の説を横取りして、にこやかに報道陣に応える父が信じられなかった。

 横取りされた事実が、ではない。

 どうせ、学生が何を言ったところで世間は本気にしないだろう。父が動いたからこの研究は実を結んだのだ。それはいいのだ。


 ただ、たった一言

 たった一言、言ってくれれば

「お前の説は面白い、研究チームに提案してみる」

 そう言ってくれたなら、私は……


 それから父はますます私につらくあたるようになった。

 何も言わない私に苛ついたのかもしれない。無言で自分の卑劣を責める娘の目が怖かったのかもしれない。

 酒に溺れては、俺を馬鹿にしているんだろう、その目はなんだ、親が子供のものを奪って何が悪い、この世に生まれてきたのは誰のおかげだと思っている、怒鳴り散らした。

 きっと父は最期まで私が父に褒めて欲しいと思っているなんて分からなかっただろう。


 父がスライムの品種改良をした時にも私は何度も言ったのだ。

 このスライムは危険だと。

 処理速度は速いが目的に特化し過ぎていてストレス耐性があまりに低い。過度の負担をかければどんな生き物に変わるか予想もつかない。

 父はにべもなかった。


 お前のような青二才に何が分かる。ちょっと学校で習っただけの知識で知った口をきくな。何様のつもりだ。


 私が言ったのでなければ結果は違ったかもしれない。いまさら言っても仕方がない事だ。

 結局、父は失敗した。そしてその数年後には床に就いた。

 父がもう長くない事を悟った私は父に、跡を継いでこの沼を浄化すると言った。

 父は激怒した。


 最期まで俺を馬鹿にするのか。

 忠告を無視した罰だ。

 馬鹿な奴だと言えばいい。

 どうしてだ、最期まで俺はお前に尊敬されなかった。

 どうして罵らない。

 お前の事など知らない、親でも何でもないと言って捨てて行けばいい。

 頼むから俺を娘にヘドロの沼しか残せない男にしないでくれ。

 この毒の沼から出て行け。

 二度と戻って来るな。


 身も世もなく泣き喚く父の背中は痩せてあまりにも小さかった。

 父は小さな声でもうここには来るな、と言った。沼の脇を通る時にはせめて防護服を着ろ、たぶん俺はもう二度とあれを着る事はないだろう、そう言って魔竜の皮で作った瘴気の悪影響を防ぐ防護服を指した。


 翌朝、父は冷たくなっていた。

 ヘドロの臭いの漂う、ひんやりとした朝だった。


 そこで私はもしかしたら父も私に尊敬されたかったのかもしれない、と今更ながらにその可能性に気が付いて奈落の底に落ちたような気分を味わっていた。


 だって、もう、死んでしまった。


 違うよ、お父さん。

 私はずっと、ただ「良くやった」って頭を撫でてもらいたかっただけなんだよ。

 尊敬なんて、当たり前だ。

 小さい頃に良く言ったよね。

 お父さん凄いって。

 だって、尊敬していない人に褒めて欲しいなんて思わない。

 尊敬よりも何よりもお父さんだもの。

 たった一人の私のお父さんだもの。

 そんなの……


「もっと、考えれば良かった。父の性格から言って、私が何を言ったって聞くわけがありません。誰か知り合いに頼んで忠告して貰えば、素直に聞いたかもしれないのに……」

 言いながら、それも現実的ではなかったかな、と思い直す。あの頃の父は本当に荒れていて、ほとんど友人との交流もなくなっていた。仕事で名を上げようと無理をして、酒に逃げるだけの日々だった。

「……長々話しておいてなんですけど、理由になってませんね。なんだろ、自分でもよく分かりません。私、実はこの沼の事、結構好きなのかな?」

「俺が知るか」

「そうですね」


 ただ、この沼がもし昔のように綺麗になったら、父に対するこのわだかまりも消えるんじゃないかと……


「お前が、あのボロイ方の防護服をいつまでも着てるのは親父の形見だからなんだな」

「え?」

 ウルバーノは納得したように頷く。

「人がせっかく着ないでやってんのに、いつまでも新しい方を着ようとしねえから、おかしいと思ってたんだ」


 新しい方?


「最初に渡した防護服が私が着てるのと違うって気付いてたんですか!?」

「なんで、そっちに驚くんだよ!? 俺の気遣いに驚けよ!」

 怒鳴られた。

「いや、だって、ウルバーノさん、本当に戦闘が専門ですか? どっかで魔法機械の事かじってません?」

 確かに、使わずに取ってある方の防護服は今、私が使っている旧型よりもはるかに高性能だ。しかし外見はほとんど違わないはずである。それを、一目で見抜くとは侮れない。

「馬鹿にすんなよ。使われてる仕組みが全然違う事ぐらい、魔力の流れを見りゃ分かんだよ。って、んなの、どうでもいいだろが! 俺がヘドロなんか全く平気だっていくらなんでももう分かっただろ? 形見って事に拘りがねえんなら、とっとと新しいの着ろっつー話だ」

「形見……か」

 そう言われてみると確かにそうだ。今まであまり意識しないで使っていたが、なんとなく手放せなかったのは心のどこかでそれを意識していたのだろうか。

「そうなのかな……?」

「だから俺が知るか! まあよ、形見なら形見でいいんじゃねえか? 使わないで大事に取っとけばよ。お前が身体壊したら親父さんだって浮かばれないだろうぜ? 話を聞く限りお前にすげえコンプレックス持ってそうな感じだしな。死んだ後まで、自分の作ったショボイ防護服で娘が苦しんだらそれこそ傷に塩だろ」

 あっさりと父を切り捨てるウルバーノだ。適確過ぎて何も言えない。

「それにしても、魔石の供給源の特定、アルバロ・スニガか、お前の父親だったんだな。何か聞き覚えがあると思ったぜ。しかもほとんどお前のアイディアかよ」

「ただの思いつき、です。運ですよ。偶然です。証明したのは父です。それに私は竜に関しては素人もいいとこです」

 この沼の主の水龍に小さい頃に遊んでもらった事があるせいか、竜が好きで良く勉強はしていたが、父との一件があってからは、竜の研究はやめてしまった。

 今ではスライムばかり弄っている。

 スライムが竜に劣るとは思わないが、我ながらまさに沼地の魔女にぴったりだ。

 思えば、あの水龍は父親よりもずっと父親らしく私を気にかけてくれていた。その水龍は今、沼の穢れから逃れて竜谷で身を休めている。恩を仇で返していると思う。

「俺の親も相当だけどよ、お前の父親も結構な駄目人間だったんだな」


 駄目人間……そうだなあ、確かに。


 ウルバーノがあっさりと言うものだから、笑ってしまった。

「ウルバーノさんも親が駄目だったんですか? ウルバーノさんはしっかりしてるじゃないですか」

「親が駄目だとしっかりせざるをえないっつーやつだな」

「ウルバーノさんは小さい頃はどんな感じだったんです?」

「俺か? 波乱万丈で、すげえぜ? 聞きたいか?」

「聞かせて下さい」

「良くある話だ。俺の母親はいわゆる名家の出ってやつでな、父親とは駆け落ちしたんだ」

「へえ!」

 打って変って華やかな話だ。

「まあ、すぐにとっ捕まって俺は母方の一族に引き取られた。だが、どこの馬の骨とも分からない奴の子供だろ? 風当りがきつくてな。母親は母親で父親と別れさせられたのがショックで腑抜けちまうし、親戚連中から母親は病気扱いされて引き離されたな」

「……壮絶ですね」


 そういえば、混血の狼って前にエンリケが言ってた。

 あれは本当かな。

 本当だとすると、獣人と、何だろう。強いし悪魔との混血?

 それってたぶん相当レアだよね。

 でも、悪魔ってあんまり血族意識が強くないって言うし、駆け落ち夫婦をわざわざ引き離したりするかな?


 詮索するのも下品なので、深く考えるのはやめた。それよりも笑うウルバーノを見ている方が楽しい。

「だろ? 絵にかいたような貴族!って感じだよな。結局すぐに家は出た。母親は何て言ったと思う?『遅い! 私はあんたより二年早く家を出たわ!』だってよ、弱ってヘロヘロのくせになあ?」

 えらそうだっつんだよ、誰のせいだと思ってんだ、と朗らかに笑う。

 悲しい話のはずなのに、少しも卑屈な感じはしない。

「いいお母さんじゃないですか」

「どうだかな、とにかく身体は本当に弱かったみたいで、父親は結局、母親の身体の事を言われたのが決め手になって別れる決意をしたらしい」

「なんだ、お父さんも案外まともだなあ。愛がある感じ」

「なんだってなんだ、てめえ」

 にやりと笑いながら見上げられる。

「まあ、でも学費は出してもらえたし感謝してるぜ。熨斗付けて完済してやったけどな」

「地味に怒ってますか?」

「わりとあからさまに怒ってるぜ? 上流階級って性質悪い時は本当に性質悪いよな」

「そういえば、組合所長のダフネさんってウルバーノさんのお母さんの知り合いなんですよね」

「あ、ああ、よく知ってんな」

 ちょっと気まずそうに頭を掻く。

 あまり話したくなさそうに見える。

「この間、偶然聞いたんです。あ、でも知り合いって事しか……」

「母親の姉だ。俺の伯母だな、正真正銘血の繋がった」

 と、思ったらあっさり暴露された。

「へえ! え? じゃあ、本当に妖精と獣人の混血? お父さんが獣人?」

「ああ、なんだと思ってたんだ?」

「いや……エンリケの言う事だし」

 もともと人族以外の混血というのは生まれる確率が低いとされている。

 もし生まれたとしてもすぐに死んだり、異形だったり、逆に稀にとてつもなく強い力を持って生まれてきたりもする。

 そのために、常軌を逸した強さや風変わりな外見を揶揄して「お前は混血じゃないのか?」などという下品な冗談がまかり通っているのだ。

 エンリケが言ったのはただの悪口かもしれないと思っていた。

 だが、駆け落ちの下りは妖精の上流階級の家が舞台だとすると納得が行く。


 もしかしたら……


 人型になろうとしないウルバーノさん、

 私が素顔を見せない事に配慮してくれたウルバーノさん……


 彼の人型は、本当に人に見せるのが憚られるようなものなのかもしれない。妖精の特に貴族階級は獣人に対する差別意識が強いという。その上、人型が異形であったなら、一体どんな扱いをされるのやら想像もつかない。

 ちらりと黒い狼を眺めた。

 長い脚、硬そうな脛、鋭い爪や牙、金色の瞳、逞しい肩や首。

 沼の畔で寛ぐ彼は自然で、私にはやはりとても美しく見えた。

 これだけでも、価値があると思ってしまう私はどこかおかしいのだろうか。

「人に言うなよ」

「え?」

「知ってる奴、お前を含めて数人しか居ねえから」

 彼は少し甘い声で悪戯っぽく笑って言った。もとの声が低いものだからどぎまぎしてしまう。

「えええ!?」

 言われたこっちは堪らない。

「な、な、何でそんな秘密をばらすんですか!?」

「お前、言わねえだろ?」

「い、言いませんけど、せ、責任が……」

「そうだぜ? 俺、自分で言うのもなんだけど、職業柄、結構マジで恨まれてるから、俺の素性知りたがってる奴は多い。お前、ばらしたらどうなるか分かってるな?」

 脅しつける言葉を、どうしてそんなに優しく言うのだろう。金色の目が柔らかい光を宿している。

「だ、誰にも言いません!」

 秘密を知ってしまった重圧よりも何よりも、ウルバーノの目を見て心臓が爆発しそうになっている事がばれそうで怖い。


 ああ、防護服を着ていてよかった。

 絶対、顔真っ赤だ!

 溶けそう……!


「頼むぜ。だから……」

 そこで、ウルバーノは少し照れたように言葉を切った。

「俺を『関係ない』なんて、もう言うんじゃねえぞ」

「へ?」

 何の事を言われているのか分からずにぽかんとする。

「俺も立派な関係者だからな」

「……はあ……」

 どう返事をしたものか。確かに物凄くお世話になってはいるけれど。

「……っだから! くそ、もういい!」

 また、怒らせてしまったようだ。

「え、ご、ごめんなさい?」

「疑問形で謝るな!」

 不貞腐れてしまったのかウルバーノはしばらく話しかけても返事をしてくれなかった。

「あの、ウルバーノさん?」

「……」

「えと……」

「……」

「……(すみません、とか言うとたぶん怒られる。ていうか何、無視とか! 地味に効くし! 意外と子供なのか!?)」

 そのせいで、蓄力機の作成が終わった事も、結界を張って貰ったら契約を一旦終了にしてあげられるのだという事も話しそびれてしまった。


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