第8話 事務所の二階に住む男

 ドロテアがダフネの部屋を去ってから、夜になり、音も立てずに何者かが組合の事務所の二階から降りてきた。

「何よ、文句ある? 何も余計な事は言ってないと思うけど?」

 剣呑な空気を纏っているその男を振り返りもせずにダフネは言う。


 まったく、思春期の息子でも持った気分だわ。息子じゃなくて甥だけど。


「……何で言わなかった?」

 地を這うような低い声だった。

「嘘は言ってないわよ。知り合いだって言ったじゃない」

「家に来るぐらい親しいなんて知らねえよ! しかも、大声で人の話しやがって、思わず、気配消して逃げ出しちまったじゃねえか!」

「え? 聞いてなかったの!?」

「な……っ、ぬ、盗み聞きになっちまうだろうが! あいつに悪いだろ!」

 相変わらず口は悪いが道義心に篤い男だ。

「それより、友達だなんて聞いてねえぞ」

「言ってないもの。そっか、良く考えてみたら、家を空けてる事が多いものね。それに、あんた上に居る時はだいたい仕事で疲れ切って寝てるし、知らないのも無理ないわね。ドロテアとは本の趣味が合うのよ。話しやすくていい子よ。ちょっと変わってるけど」

 妙に老成しているドロテアとは親子ほども齢が離れているのに気が合った。


 最初会った時はもっと年嵩かと思ったのよね。


 外見もやや大人びて見える方だろうが、何よりも中身が落ち着き過ぎている。そしてドロテアの方はダフネをだいぶ若く見積もっていたようだ。

 親しくなってからお互いの年齢を知り、見えない、詐欺だ、と文句を言い合った記憶がある。


 あの時は笑ったわ。


 そこで、ようやくダフネは振り返り驚く。

「何よ! 珍しいじゃないちょっと、どうしたのよ!」

「……うるせえ」

 応える声は不機嫌そうではあるが、威勢は良くない。そこにはボサボサ頭の背の高い男が立っていた。上半身は裸、簡素な黒い下履きを纏っている。伸び放題の銀髪に無精髭、前髪のせいで顔は良く見えない。獣の耳や尻尾はないようだ。それでも、肌は白く滑らかで、鍛え上げられた身体は抜身の刃のよう、美しさは隠しようがない。

「あははは! まー、伸びちゃって酷い有様! 何年振りかしら」

「ちっ」

 男はだるそうに舌打ちして、頭をポリポリと掻いている。

「小さい頃はペネロペにそっくりだったけど、ガエルに似てきたんじゃない?」

 楽しげにくるくると周りを回るダフネを睨み下ろす瞳は凍てつくような銀色だ。

「どうでもいいだろうが、そんな事は」

「良くないわよ、可愛い可愛い甥っ子の久々のすっぴんだもの。にしても、獣型の時とは似ても似つかないわね」

 子供の頃から知っているとは言え、たまに目にすると普段との落差にたじろぐ。

「どっちも俺だ」

「ま、そうね」

「それで、よ」

「……?」

 男は気まずそうに俯く。背が高いのであまり意味がない。

「頼みがある」

 口の悪い甥ではあるが、性根は真っ直ぐに出来ている。


 変な育ち方させちゃったわりにはまともに育ってくれたわ。母親譲りの口の悪さだけが残念ね。


 自慢の甥だ。伯母として出来るだけの希望は叶えてやりたい。

「何よ?」

「髪、切ってくれ……」


 あらあら!


 今度こそ大笑いしたダフネを大男は凶悪な形相で睨み付けるが、結局、悔しそうに鋏を差し出した。

「お安い御用よ! 格好良くしてあげるわ!」

 ドロテアから話を聞いてもしかして、と思ったのだが、本格的にこの奥手な甥にも春がやって来たらしい。特殊な生い立ちのせいで人間不信気味に育ってしまった彼を、ダフネも彼の母である妹のペネロペも心配していたのだが、杞憂だったようだ。


 何がどうなったのか凄く気になるけど、あんまり聞くとこの子きっと拗ねちゃうし。

 今は我慢ね。とりあえずドロテア、ありがとう! この偏屈な子が懐くなんてあんた凄いわ!

 ペネロペ! やったわよ!


 実家で軟禁状態の妹の名前を心の中で叫んでしまったほどだ。

「ちょっと待って、今、待合所から雑誌を持ってくるわ! どういう風にするかちゃんと考えましょうよ!」

「うるせえな、黙ってやれ! 普通でいいんだよ普通で!」

 男は若く見えるくせに、頑固親父のような事を言う。

「張り合いがないわねえ、照れなくてもいいのに。まあ、いいわ。あ、剃刀は後で貸してあげる。ひげ剃るでしょ?」

「……!?」

 目を剥いて自分を見下ろす甥を容赦なく嗤ってやる。


 ドロテアの同級生のあの悪魔、エンリケと会ったから、よね、たぶん。


 ダフネにはなんとなく甥の心情が想像出来た。

 あれほど美しい男があからさまにドロテアに執着していたらじっとしてはいられないだろう。おそらく甥は普段の自分の姿を省みたはずだ。毛むくじゃらの狼の姿を。そして、人型になってみたものの、今度は伸び放題の髪や髭が気になった、というところか。

「……馬鹿ね、伯母さんは何でも分かるわよ。それから、上着くらい着た方がいいわ。獣型の時は気にならないけど、上半身裸はちょっとね」

「……? 毛が付いちまうだろうが」

 意外と所帯臭い事を気にしている甥に吹き出す。


 こういうとこがドロテアと気が合うのかしら!


「違うわよ! 今じゃなくてあの娘に会う時の話」

「……!?」

 背の高い銀髪の男はまた、ぎょっとしたように自分よりもだいぶ背の低い伯母を見下ろす。

「だから、何でも分かるのよ。何度も言わせないでちょうだい」

「べ、別に、あっちが嫌な思いして素顔を見せてんのに、男の俺がいつまでも獣型じゃさすがに恰好悪いだろうが!」

「何言ってんのよ、あんたの人型なんてほとんどの人間は見た事ないじゃない! それにあの娘はあんたが獣型のままなのを別に変だとは思ってないわよ? まあ、でも恰好悪いのは確かにそうよね、たいした理由じゃないものね」

「……てめえ」

 低い声で唸るがそれ以上は続かない。

 甥も自分が人型をめったに晒さない理由を少し後ろめたく思っているのだろう。

「大丈夫よ、エンリケの事なんか気にするのはやめなさい。あれは別格。あんな綺麗なの、女だってなかなか居ないわ。あの娘、あんたの事カッコイイって言ってたわよ。獣型のあんたをね」

「……そんなの、あてになるか」

 言いながら、この若者が少し嬉しそうなのをダフネは目ざとく見つけた。

「あら、何でそんな事言うんだって言わないの?」

 にやにやと楽しそうなダフネに一杯喰わされたと知って歯噛みする男だ。

「くそばばあ……っ」

「まあ! 可愛くないわねえ! 協力してやろうって言ってんのに。あんたちょっと人間不信気味だから心配してたのよ」

「ちっ、余計なお世話だ……」

「なんとでも。でも、あんたが外見を気にするなんていい傾向だわ。素材はいいんだから」

「……だから嫌なんだろうが」

 暗い声で吐き捨てる甥に呆れる。

「傲慢ねえ! 好かれたい人にだけ好かれようなんて我が儘よ。そんな事やってると本当に好かれたい人にも好きになって貰えなくなるわ。いつかツケを払う時がやってくる」

 甥を叱りつけながらも、ダフネは思う。


 でも、仕方ないかもしれないわね。


 この甥の父親は狼の獣人だ。彼の普段の姿は父親そっくりの大きな黒い狼である。そして母親はダフネの妹、つまり妖精、彼は世にも珍しい妖精と獣人の混血なのだ。その影響だろうか、彼の人型には耳も尻尾もない。妖精のような長い耳も褐色の肌もない。白い肌、丸い耳、そして目の色と髪の色だけが妖精の特徴を受け継いだ銀色なのだ。

 さらに、これも混血によるものだろうか、並みの悪魔よりもずっと強い、非常に大きな魔力を持って生まれてきた。

 彼は多感な思春期を獣人に対する差別意識が色濃く残る妖精の上流階級の家で過ごした。獣人との混血という事で、ただ蔑視の対象となっていればまだましだったかもしれない。

 しかし違った。彼の人型はある意味、妖精の理想そのものなのだ。妖精の上流階級が選民思想と他種族に対する差別意識を持っているのは、悪魔に対する劣等感の裏返しだと言われている。美しく、強く、白い肌で生まれついてしまった彼は歪んだ羨望の的になった。人前では獣人の子と蔑みながら、人目がなくなった途端にすり寄って来る妖精の女が山ほど居たらしい。

 それこそ毛が生え揃うか揃わないかのうちに差別意識と裏腹の劣等感と醜い欲望をこれでもかと叩きつけられ、甥は一時期本格的な女性不信、人間不信になりかけた。そしてそれからは自分に対する差別を助長すると知りながら獣型のまま妖精の上流階級の子女が通う学校を優秀な成績で卒業し、その後も獣型を貫いているのだ。

 もっとも今、獣型のまま生活しているのは、職業柄あまり目立ちたくないという理由らしいが。

 その甥が、獣型のままである程度、良好な関係を築いているはずのドロテアにあえて人型を見せようと言うのだ。伯母としてこれほど嬉しい事はない。

「だから、うるせえなあ。別に俺は人に嫌われようと思ってこうしてるわけじゃねえよ。面倒が嫌なだけだ」

「でも、その面倒を買って出ようと思ってる」

 甥はドロテアを守るために本気でエンリケに対抗する気なのだ。人型になるのも、そのための武装だろう。ドロテアにとって甥が獣型の方がいいのか、それとも人型の方がいいのか、それはダフネにも分からない。しかし、恋敵としてエンリケに対峙するために打って出るならば、当然人型だろう。

 ドロテアはどうやら獣型の甥も十分に好ましく映るようだが、獣型の時は厳つ過ぎてドロテアと彼が並んで立っていても、どうも説得力に欠ける。

「……」

「分かってるわ、あのエンリケって奴は私も気に喰わないの。あの娘にちょっかい出したいだけなのかもしれないけど、あのままだと二人とも駄目になる。ドロテアも自分で気が付いているみたいだけどあの子達の関係は異常よ」

 表向きはただエンリケを怖がっているだけに見えるドロテアだが、彼女はおそらくエンリケを憎み切れないで居る。

 

 危なっかしい感じなのよね、なんか。


「……あいつが精神的ストレスで死んだら困るからな」

「まあ、そういう事にしてあげましょ。さあ、エンリケが半泣きになるくらい男前にするわよ!」

「頼むぜ」

 これにばかりは甥もダフネの言葉に素直に頷いた。

「なんせ、『余ってる』魔石を貸してあげるためにわざわざガトス山まで行ってわざわざ魔竜を倒して来るぐらいだもの! これで、エンリケにしてやられたら本当にあんた馬鹿みたいよね!」

「だから、うるせえ!」

「おかしいと思ったのよね。依頼もないのに急にガトス山に行ってくる、なんて。怪我までして、当たり前の顔で人に治させてさ! あの娘のためだったのね」

「……っ、依頼が安全に早く終わるようにしてやるのは、あ、当たり前だろ! あの馬鹿、マジで何考えてるんだか……」

 ダフネは笑いながら絡まった銀髪をほぐし、鋏を入れていく。

「ちゃかしちゃったけど、引き受けてくれてありがとう。本当に助かったわ。あの沼、最近何かおかしいの。あんたも気付いてるでしょうけど……」

「ああ、スライムとは別の何かが瘴気を出しているとしか思えない」

 ダフネは眉根を寄せる。

 依頼を引き受けた当初は確かにりっぱなEランクだった。


 しかし、今は……


 ドロテアは実際の内容とランクが釣り合わないと思っているようだが、実はそうでもない。ある時を境に瘴気の質が変わった。確実に何か、『居る』。

 ちらりと頭の隅を桃色の髪の悪魔の顔がよぎる。


 まさかね。


「あいつ、変なとこがずれてんだよな」

 あいつとは勿論、ドロテアの事だろう。嘆息しながら甥が言う。

「それは否定できないわね」

「あんな施設一人で作って、スライムの高度な品種改良もやってのけるくせに、自分の家の蓄力機をあっさり外して持って来たり……」

「うーん……」

「死んだらどうすんだ! 馬鹿か!」

 その時の憤りを思い出したのだろう、甥は叫ぶ。

「まあ、まあ」

「借金あるくせに妙に律儀でよ。俺がいいって言ってんだから食費くらい取っとけ!」

「そういうの出来ない子なのよ」

 そこが、ドロテアの良いところでもあり悪いところでもある。

 遠慮し過ぎる癖を直せば、きっと彼女の元にはもっとたくさんの人が集まって来るだろう。

 ドロテアはいろいろな意味で弁え過ぎているのだ。

 そしてそれが、相手を悲しい気持ちにさせるなどとは思いつきもしない。

 彼女自身は知らないだろうが、彼女の周りの人間は彼女が自分を頼ってくれるのをきっと待ちわびている。彼女とはそう長い付き合いでもないが、時折彼女が話題に出す彼女の友達は彼女の力になりたくてうずうずしているのだろうな、とダフネにはなんとなく分かった。

 それはダフネも同じだからだ。

 ドロテアが自分に傭兵の斡旋を頼みに来た時にはとても嬉しかった。

「あいつの家の本棚見た事あるか? 専門書ばっかりびっしり並んで……つか、魔法機械工の資格はもう取ってるって事だよな。あいついくつだ? 俺より若く見えるんだが」

「質問ばっかりねえ。そう。あんたよりも年下」

 笑いながらドロテアの年齢を教えてやる。

 これくらいはサービスしてやってもいいだろう。

「マジか!? あいつ最初こそ俺にすげえびびってたが、今じゃ全然だぜ? ホントに俺より年下か? ってことは全然まだ小娘じゃねえか! 獣型のままで態度だって別にそんなに変えてねえのに。なんだ、あいつ? どういう生き方してきたらああいう肝の据わり方するんだ? あんな奴、初めて会ったぜ」

「そうねえ……」

「しかもこんな俺に、ありがとうありがとうって何度もよ。仕事だっつーのに、毎回、すげえ嬉しそうに。こんな仕事させてごめんなさいって謝って、申し訳なさそうに頭下げて……沼の浄化作業だろ? いい仕事じゃねえか。何を謝るんだよ」

 苦しいような甘いような甥の声音にダフネまで切なくなった。

 この甥がSランク傭兵になるまでにどんな仕事をこなしてきたか、具体的には聞いていない。

 だが、ダフネは仕事柄Sランクの依頼書も良く目にする。目を覆いたくなるような過酷な依頼も少なからず含まれているのは知っていた。

 この甥が引き受けるのはそのような過酷な依頼の中でもさらに過酷なものだ。彼が好んで引き受けるのではない。そのような依頼をこなせる人間が彼しかいないのだ。

 実際、触れれば切れそうなほど殺気立って血塗れで帰って来る甥を何度も見ていた。彼にしてみれば、ヘドロの悪臭や沼の汚さなど、人間の業の醜さに比べれば屁でもないのだろう。


 まったく、ドロテアの依頼を蹴った馬鹿どもに爪の垢を煎じて飲ませてやりたいわ。


「どんな依頼をこなしたって、あんなに感謝された事はねえ……」

 俯いて祈るように呻く甥の姿は伯母の欲目でもなんでもなく、いい男だった。


 これは、応援してやらなきゃ伯母失格ね。


 甥は心の底から自分の年下の友人の力になりたいと思ってくれているようだ。

「この間なんか、猪豚丸々一頭持ってってやったら、顔色一つ変えずに捌くし……魔法機械工ってみんなああなのか? 俺捌いてやる気満々だったのによ」

 少し悔しそうな甥の姿に笑いを噛み殺す。

 いいところを見せてやるつもりだったに違いない。

「あ、さっき持って来てくれたやつね。あれ美味しいわねえ。助かっちゃった」

「何!? あの肉の煮込みか? 今日の夕飯か?」

 男は途端に振り返る。

 ダフネは鋏をさっと避けた。

「あっぶないわねえ!」

 まあ、この男を市販の鋏ぐらいで怪我させる事など到底無理なのだが。

「ていうか、何よ、食べるの!? どうせあんたあの娘の家でたらふく食べてたんでしょ? 普段は作ってやっても嫌がってうちの職員と一緒に賄いなんて食べないじゃないの! だいたい貰ったのは普通な量なんだから、あんたの分はないわよ! 事務所の二階を貸してやってるだけでもありがたいと思いなさいよね! 全く、お金は有り余ってるでしょうに、面倒臭がって部屋探しもしないで」

「……部屋」

「何考えてるの? あ、追い出してあげましょうか? たぶんあの娘、『身体についたヘドロの臭いが酷くて追い出された』とか言えば深く考えずに『うちで良ければ部屋が見つかるまで泊まってって下さい』とか言うわよ。それはそれは申し訳なさそうに」

「な、な、何言ってんだよ!」

「何ってこっちのセリフよ! 一緒に住んでればエンリケも手出し出来なくなるし、って事よ! あんたが赤くなるような事は何一つ言ってないわ」

 しれっと言い足してから、真っ赤な顔で悔しそうに睨み付ける男にダフネはほうっと溜息を吐いた。


 実に姿がいい。


 男らしく整った骨格、色素が薄いために冷たい印象だが、鋭い瞳は生気に満ち満ちていて野性味溢れる魅力だ。

 首は太く無駄な肉は一切ない。髭を剃らなくても端正な顔立ちのためか十分に若々しい。さしずめ、目の色、髪の色が変わった悪魔というところか。悪魔の血は引いていないはずだが。

「……うん、あんた無精髭はそのままの方がいいかもね」

「なんなんだ、急に……」

 男はがっくりと脱力した。

「ドロテアを頼んだわよ! 黒い狼の王子様! エンリケからしっかり守ってやってね」

「だから、うっせえ!」

「で? 明日からは人型で行くわけ?」

「いや、明日からってわけじゃ、ねえ……」

「……もしかして」

 ダフネは盛大にため息を吐いた。

「情けないわねえ! とっとと、見せちゃいなさいよ! 何? もしかして怖いの?」

「ちげえよ! 俺にだって情緒ってもんがあんだよ! 俺は繊細な生き物なんだよ!」

「大丈夫よ。あんたいい線行ってるって。あんたとエンリケ並べてどっちに抱かれたい? って聞かれたら大抵の女があんたって言うわよ。自信持ちなさい! がたいの良さは完全にあんたの勝ちよ!」

「……っ、っとに下品な婆あだな! でも、あいつ言ってたぜ」

「何よ」

「エンリケみてえな女顔が好きだってな」

「……っ」

 ダフネは渾身の力で吹きだすのを堪えた。


 なんじゃ、そりゃ!


 我が甥ながら甘酸っぱ過ぎる。甥の言う通り、ばばあである自分には少々きつい。しかし、ここでいいようにからかったら、せっかくの甥の決意を鈍らせてしまう。

「それは……」

 最近部下の獣人の女性受付職員が持っていた雑誌の記事を思い出す。エンリケの女装はため息が出るほど美しい。

「たぶんだけど、女として憧れるって意味だと思うわよ?」

「どうだかな」

 まだ、煮え切らない態度の甥にダフネは畳み掛ける。

「あんたに一つ忠告してあげる。あの子がいつまでも嫌われ者の沼地の魔女のままで居てくれると思ったら大間違いよ? そのうちいろんな男があの子の周りに現れるわ。エンリケだけじゃなくてね。あんたがそうやって女々しく躊躇してる間に掻っ攫われても知らないわよ? とっとと人型になって所有権主張しておいた方がいいと思うけどね。まあ、いいわ、好きにしたら」


 あまり追いつめても仕方がない。

 一歩前進しただけでも良しとしよう。


 ダフネは小さく笑って、励ますように甥の肩をたたいた。

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