第6話 余っていた魔石
強制退去……ってやつかな。
話には聞いていたが見るのは初めてだ。高度な結界魔法のうちの一つで、結界の中で任意の人物を別の空間に強制的に転送する。
召喚術の応用である転送魔法と違ってどの空間に飛ばされるかは指定出来ないので下手をすると海に投げ出されたり山の頂に落ちたりするのだが、あのエンリケがそのぐらいの事で参るとは思えない。おそらく何事もなかったかのようにまた現れるはずだ。しかしとりあえず、しばらくはやって来ないだろう。
ほっとして膝から崩れ落ちそうになった。
「おい、大丈夫か?」
毛むくじゃらの黒い腕が支えてくれる。
「あ、ありがとうございます」
「なんなんだ、あのいけ好かない優男は……」
「……本当にすみませんでした。あいつの言う事は気にしないで下さい。いかに人を不快にさせるかだけを考えて生きているような奴なんです」
「悪魔のエンリケだろ? ホロス社の。お前とどういう関係だよ? まさか恋人じゃねえよな?」
「何を言ってるんですか! 全く違います!」
私はエンリケにいかに酷い仕打ちを受けて来たかを捲し立てた。
「専門学校時代の同級生なんです。その縁で借金を頼んでいて、とにかく、厄介な奴で。助かりました。ありがとうございます……?」
そこで、ようやく自分を凝視するウルバーノに気が付いた。
げっ、やばい、沼に出かけようとしたのばれたかな?
怒られる!
へらりと笑いながら背嚢をさりげなく降ろし、足で蹴って机の下に隠す。
「それにしても、どうしたんですか? ウルバーノさん、今日はお休みって言ってたのに」
「……お前、そんな顔してたのか」
言われてようやく、自分の吹き出物だらけの醜い顔にウルバーノが驚いているのだと思い当たった。
違った! 背嚢じゃなくて、顔隠しとけば良かった!
今更隠したところで無駄なのは分かっているのだが、気が付いたら顔を背けていた。
「……っき、気味悪いですよね。この沼の瘴気って良くないみたいで、ここに住み始めてからずっとこんななんです。感染りはしないけど、ウルバーノさんも気を付けて下さいね。なんせ、ここに来てから生理不順も酷いしって何言ってんだろ、ごめんなさい! セクハラでした!」
動揺してうっかり心の声がダダ漏れになってしまった。
何て事を言ってしまったんだ。下品過ぎる!
「いや、そうじゃなくてお前……細せえんだな」
「……え?」
「……なんでもねえよ! それより、おら!」
低過ぎて良く聞こえなかったが、包みを投げられて反射的に受け取る。
「わっとっと、重っ!?」
あまりの重量にのけ反った。
「言ってた物だ」
「ブツって、……魔石!?」
目を輝かせて包みを開けた。
布には黒い血が滲んでいる。魔竜の血に似ている気がするが、妙に新しいような、しかもまだ生温かい。
だが、私は魔石を目の前に興奮してしまって深く考える事をしなかった。
「……うわ!」
大きい……!
魔法機械工になって何年か経つが、こんなにも大きなものは初めて見る。赤紫色の透き通ったその石は生物由来のものらしく歪な形状で、角は丸く滑らかだ。
この大きさならば蓄力量は計り知れない。しかも大量の魔竜の魔力が残されたままだ。
売ったらいくらになるんだろう……
本当にこれ私が蓄力機にしちゃっていいのかな。
もっといいものも作れそうだけど。
そんな事を考えてしまう。
「……おい」
「は、はい!」
床に座り込んで夢中になって見ていると背中を膝で押された。痛くはない。
「その、どうだ?」
「凄すぎて……、声も出ません。こんな上物初めて見ました」
「そうかよ」
「本当にいいんですか?」
「うるせえな、だから何度も言ってんだろうが」
怒ったように言うウルバーノだ。黒い尻尾がぶんぶん揺れている。そこで彼を立たせたままにしていた事を思いだした。
「あ、すみません、夢中になっちゃって、良かったら適当に座って下さい」
「ああ」
食卓の椅子に座るとウルバーノは疲れたように溜息を吐いた。珍しい事もあるものだ。
「今日は、何か別の依頼ですか?」
「……いや、まあ、そんなもんだな」
ウルバーノが疲れるぐらいだから、所謂本物の『Sランク』の依頼なのかもしれない。詮索はしないでおこう。腕に巻いている包帯は怪我でもしたのだろうか。
「思ったより早く見つかっ……終わったから、ついでにこいつを届けに来たんだ」
顎をしゃくって魔石を示された。途端にウルバーノの腹の音が響く。
「あらら……」
「ああ、腹減っちまった。なんか、いい匂いするな」
「あ、朝の残りの七面鳥です、良かったら……」
言いかけて、気付いた。
私は鼻が慣れちゃってるけど、この家で食べるんじゃあ臭くて食欲なくなるかも。
それに作ったのも私だし、気持ち悪いかもしれない。
「あー、その、臭さが気にならなければ、食べ物はお出し出来ます。嫌だったら気にせずに……」
断って下さい、と続けようとしたら遮られた。
「くれ!」
ガタイの良さから予想はしていたが……
もの凄い食べっぷりだ。
目の前でどんどん皿が空になっていく。沼の悪臭を気にしている様子がないのに安心したが、この分だと作り置きの分だけではすぐに足りなくなる。
獣人って鼻がいいっていうから心配してたけど、あ、逆かな?
鼻が良すぎて鼻がすぐ慣れちゃうのか。
バタバタと走り回って麺麭を焼き、食材を探す。地下室に向って駆け出す私の後ろで、低い笑い声がして。振り返る。
「なんですか?」
「いや、案外簡単に家の中に入れちまったなあ、と思ってよ」
「え?」
契約の時にもこの家には入っているはずだ。
「いっつも片手弓を手放さねえし、防護服は脱がねえし、声は割と若そうな女、少なくとも老婆じゃねえ……訳ありなんだろうって普通は思うだろうが。踏み込んでくれるなオーラがバリバリだったぜ」
なるべくプライベートに干渉しないようにしていたのだと言う。
あの横柄な態度からは想像もつかなかったが実はかなり気を使われていたのだろうか。
「てめえ、なんか失礼な事考えてるだろ?」
「いいえ!」
しまった、いつも防護服を着て接していたから表情に無頓着になっていたようだ。
「いや、その、すみません。別にウルバーノさんを家に招きたくないとか、そういう事は全くなくて」
静かな目に促される。凶暴な肉食獣の目であるが見ていると落ち着くのはなぜだろう。
凄く強くて怖い人のはずなのに、変だな。私には美しいエンリケの方がずっと怖い。
「前に顔の吹き出物を別の傭兵さんに見られた事があって、その時に何か悪い流行り病でも持ってるんじゃないかって疑われて、なんとか誤解は解いたんですが、やっぱり気持ち悪いのかなと、見せないで済むなら見せない方がいいかなって」
「俺がんな事、気にするわけねえだろ」
そうじゃないかと思っていました。あの猛毒のヘドロに生身で浸かっちゃうくらいですからね。
「そうですよね、すみません。なんだか隠し事してたみたいになっちゃって」
けれど実際に言われると酷く安心して泣き笑いのような顔になってしまった。
「今日は本当にありがとうございました。情けない話なんですが、私は本当にエンリケが怖かったんです。エンリケが何を考えているのか全然分からないし。たぶん、まあ嫌われてるだけなんでしょうけど……」
時折感じる訝しさについては努めて隠す。
私がエンリケに抱くこの感情は私の中でなぜか羞恥心と一体化しているのだ。
「嫌い? ホントかよ……」
「はい?」
「なんでもねえ。それに、お前を助けたわけじゃねえよ、むかついたからだ」
ぷいとそっぽを向かれた。
まあ、そうだよな。
でもそれでも嬉しかったのだ。
「胸がスカッとしました! エンリケをやっつけられる人なんて初めて会いました。やっぱり凄いなあ」
「……あんなの大した事ねえ。つかよ、戦闘専門じゃねえ奴に傭兵の俺が本気出すなんて恥ずかしいだろうが。ついかっとなっちまった」
「……!」
男気あるなあ! あんなに失礼な事をされたのに!
案外、器の大きい人なのかも。
思わず、尊敬の眼差しを送ってしまう。
「そっかあ、私の知り合いって基本的にみんな文科系っていうか戦闘が得意じゃない人が多いからかなあ」
「そんなもんだろ」
「一部の友人以外はみんなエンリケを凄いって言うんです。強いし綺麗だって、話せるなんて羨ましいって。私がどんなに虐げられているか言ってやっても聞く耳を持たないんですよ。天才はそれぐらいじゃなきゃねっていう感じなんです。参っちゃいますよね。実際、外見だけなら極上なんでしょうけど……」
今日の彼の初めに登場した時の完璧な女装姿を思い出してうっとりする。
あのワンピースはとても好みだ。上品で可愛い上に垢抜けている。彼のように美しくなって、あんな風にあんな服を着こなせたらどんなに素敵だろう。私には一生無理だろうが。
ふと、ウルバーノが眉間に皺を寄せ居ているのが目に入る。
なんだ、どうした?
「………………ああいうのが、好みか?」
「好みっていうか、綺麗な顔ですよね」
女装している時が一番素敵だと思う。正直言って、どんなに美しかろうとも男としての彼は御免こうむる。
……そうか、ウルバーノさんは見てないのか。もったいない。
まあ、雑誌とかにもたまに写真が載ってるし、エンリケの事は知ってたみたいだから見た事はあるのかな?
さっき、女装したところは直接見てないはずなのに、カマ野郎って言ってたっけ。
ウルバーノはむっと黙り込んでしまった。
何か怒らせてしまったような雰囲気だったのでそそくさと地下室に退散した。そして乳酪と葡萄酒を抱えて戻った私は、戻って来なければ良かったと後悔した。
地下室からの階段の出口で、ウルバーノが作業机の下に隠したはずの背嚢を持ち上げて、金色の目でこちらを睨み下ろしていたからだ。
げ! 見つかった!
「どうして防護服がここにある?」
「あ、あれえ? 置きっぱなしにしてました? すみません、片付けます、はい」
「どこに行くつもりだった?」
あ、やっぱり、すぐばれた。無駄でした。
「えーっと、これは、その」
「俺が居ない間は沼地に行くなって言ったよな?」
「スライムに餌をやらないわけには」
「言ったよな?」
「……すみません」
「ちっ、今日は食事に免じて許してやるが、次はねえからな」
「はい」
「んな、顔すんじゃねえよ。お前が畜力機を作るまでは、もう勝手に休んだりしねえよ」
苦笑するウルバーノだ。不思議な事に狼の頭なのに表情が分かる。
牙だらけの口で笑っているのがなんだか可愛く見えて、怒られているのに笑ってしまった。
「えへへ」
「笑って誤魔化すな!」
違うのに。ああ、やっぱり、早くこの人を解放してあげないと。
エンリケは言っていた。「君がどうしてこんな女の下で」と。思った通り有名な強い傭兵なのだろう。傭兵でもないエンリケが知っているくらいなのだから。
「さて、喰い終わった。沼、行くぞ」
「え?」
「え、じゃねえ! せっかく来たんだ。仕事しなきゃもったいねえだろ?」
「いや、今日は、餌やりだけにします。ウルバーノさんは見てて下さい。私じゃどうしようもないくらい凄い大物が来たら、申し訳ないんですが、よろしくお願いします」
「ああ?」
「だって、怪我してるのに、ヘドロに浸かったりしたら……」
ちらりと腕の包帯を見た。血は滲んでいないが、浅い傷でもなさそうだ。
完全なる偏見だけど、ウルバーノさんは浅い傷なら「こんなもの、舐めときゃいいんだ」とか言いそうな気がする。
包帯を巻くというのはそれなりの怪我だって事じゃないのか。
「ちっ」
舌打ちされたが反論はされない。やはり怪我をしたようだ。
「一丁前な事言いやがって」
吐き捨てる言葉は決して優しくなどない。むしろ険しい響きだ。
「餌やりしたら、すぐ帰るぞ」
「はい」
「変に色気出して沼の奥に行ったら殴るからな」
「はい、分かりました」
それなのにこの人は絶対私を殴ったりしないって、なぜだか私は無条件で信じているのだ。
出会ってまだ一月にもならないこの人を。
「大丈夫です。今日はすぐ帰りますって、やる事あるし」
「ならいいけどよ。てめえは信用ならねえからな」
とっとと蓄力機を作ってしまおう。
そうしたら、あれだけ強力な結界を張れる人だ。きっと護衛が必要な時期はすぐ終わる。
依頼完了の署名をしておしまいだ。快く協力してくれているのはランク昇格のためなんだから。
『君みたいな人間にそんな幸運が舞い込むなんて、おかしくない?』か。
エンリケの言う通りだ。
こんなにも有能で優しい人をランク昇格という餌でいつまでも縛り付けたら罰が当たる。
「酷いですね、でも、ウルバーノさんが来るまではずっと独りで」
「だから、それが無謀だっつってんだよ! お前、自分の戦闘能力分かってるのか?」
「わ、分かってますけど、餌あげないとスライムが死んじゃう」
「その前にお前が死ぬだろうが!」
怒られていても。どこか温かい。なんだか楽しい。
その温かさで、逆に心のどこかがすうっと冷えた。
エンリケが忠告しに来るわけだ。やっぱり私は馬鹿なんだ。
そうだよ、ずっと独りだったんだ。
今がおかしいんだ。
こんなに、温かいなんて。
ウルバーノさんが来なくなったら寂しいだなんて、そんな事……
……何を勘違いしてるんだか……。
私は急いで防護服を被った。
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