第3話 傭兵のウルバーノ

 

 頑張ってみる……とは言ったものの、どうすればいいのやら。


 すでに頼れる知人、友人には皆頼った後だ。

 これ以上彼らに何か頼むのは気が引ける。例外はあるが、私の知り合いは私と同じで基本的に頭脳労働者ばかりで戦闘向きではないのだ。

 友人の知り合いには戦闘が得意な者が居るかもしれないが、友人にそこまで負担をかけて良いものだろうか。暗い森の中を歩きながら、後ろ向きな考えばかりが浮かんでくる。


 今日も私は沼地に向っていた。


 沼地の浄化には特殊なスライムを使っている。

 汚物を体内に取り込んでエネルギーとしているスライムだ。汚物は彼らの糧となる事によって、良質な土として排出される。

 父が使っていたスライムは大型で汚水の処理能力も高い上に、光や空気を必要としなかったので、沼地に直接スライム達を投入すれば良かった。だが、そのスライムのせいで沼はさらに汚染されてしまったのだ。

 父の作ったスライムは限界以上の汚物を体内に取り込むと怪物としての本来の能力を目覚めさせる。逆に汚物と瘴気をまき散らす存在に変わってしまう。

 事業を開始した当初は産業廃棄物で汚れていただけだったはずの沼は瘴気が怪物を呼び寄せたため魔窟と化した。周囲の環境が浄化されればスライム達は元に戻るらしいが、自ら周りを汚染する性質のため、なかなか元に戻ってはくれない。

 私はまず、スライムが汚水を溜め込んで死んでも大きな被害を出さないように品種を改良しなおした。これによりスライムは汚水の処理に空気と光を必要とするようになり、より小型化した。さらに従来よりも汚水処理速度は遅くなってしまったが、代わりに繁殖力が増した。

 つまり、より自然の生物に近くなったわけである。

 スライムに光と空気がよく届くように、沼そばに浅く広い池を作り、沼からスライムの処理が追いつく程度の量の汚水を水車を使って取り入れ、綺麗になった水を沼に戻す仕組みを作った。

 スライムの繁殖に合わせて徐々に池を広くし、汚水の処理速度を上げていった。これにより少しずつではあるが、確実に沼は浄化されていくはずだった。


 不法投棄されたゴミが溜め池に流れ着いて水車が故障してしまうまでは。


 スライムは生き物だ。水車が故障したからと言って汚水という餌をやらずに放っておいたら死んでしまう。仕方がないので、毎日手作業で汚水を汲み出して溜め池に撒いている。これが、結構な重労働なのだが、一日でもさぼると大変な事になる。明日にはスライムの死骸で溜め池は埋め尽くされる事だろう。


 沼の畔で重たい防護服を着込んだ。

 魔龍の皮を加工して作ったものだ。もとは青黒かったそれは今ではヘドロの茶緑色になっている。防護服だけではなく、私の持ち物はだいたいがそんな様子である。表面は鱗と突起に覆われ、顔の部分は猪の鼻のような奇怪な空気穴がある。目の部分にはガラスが嵌め込まれ外が見えるようになっている。汚水と瘴気が体に害を及ぼすのを防いでくれる優れ物だが、これを着ると私の方がまるで怪物だ。

 はじめの頃は沼の周囲の怪物達に間違われて何度か弓で撃たれた。

 幸い、無駄に強靭な龍の鱗が矢を弾いたので死ぬ事はなかったが、ちょっとびっくりするぐらいの青痣が脇腹に出来た。内臓をやられなかったのが不思議なくらいだ。

 だが、今ではそんな事もなくなった。

 私を認識しての事ではない。沼の危険さが周知され人が寄り付かなくなったのだ。

 醜いだけならまだいいのだが気密性を重視しているため、なんせ暑い。その上、臭いが素材自体に浸み込んでしまっているので臭い。

 汚水が染み込まないように加工を施し、さらに熱を逃がしやすくした二着目があるのだが、なんとなく使えないでいる。


 もし万が一手伝いに来てくれる人が来たらその人が着る分がなくなっちゃうし。


 その万が一は本当に万が一で望み薄になってしまったわけであるが。

 これは、本格的に世界有数の魔法機械ブランド、ホロス社の若き社長であるところの知人の悪魔、エンリケを頼る覚悟を決めた方がいいのかもしれない。


 だけどなあ、すでに借金が返せなかったら『生涯、僕の奴隷ね』って言われてるんだよなあ。奴隷以上ってなんだろう。何が差し出せるんだろ……


 彼はとんでもなく美しく、悪辣で狡猾かつ残酷、取引が大好き、狂気の塊、退廃の権化、まさに悪魔だ。

 真っ当に生きていたら絶対に関わりたくない類の人種で、まして頼み事なんて正気の沙汰ではないのだが、それ以前に取引材料がもう残っていない。


 心臓寄越せ、とか言われるのかな。でも心臓あげたら奴隷は出来ないよね。


 だが、彼ほど人を苦しめる事が上手な男も居ない。そして悔しい事に彼の言動は大部分が意味不明であるのに、時折私を苦しめるためだけに発せられる言葉だけは実に的確だ。死よりもつらい精神的苦痛などいくらでも考え付くのだろう。そう単純な話では終わらない気がする。


 領主の公爵様に公共事業の一環として人を貸せと言ってみようか。

 いや、あの人もある意味悪徳高利貸しみたいなもんだ。


 私は首を振って考え直す。下手をすると、今まで父が発明した魔法機械の利権を根こそぎ巻き上げられるかもしれない。そんな事になれば生活費が危うい。

 まだ若い人族の行政官の甘いマスクを苦々しく思い出す。

 食えない男だ。

 現に賠償金の支払い業務は行政に任せてくれと言いながら、住民への支払いは遅々として進んでいない。住民感情がいつまでも改善しないのはこのせいもある。住民の中にはきっとそのような取決めがある事自体知らない者も居るだろう。確信犯に違いない。

 悪感情を行政ではなく私達親子に向けさせるための。

 昨日は帰ったら家のガラスが割られていた。嫌がらせの可能性が高い。幸い手持ちの器具ですぐに直せたが、最近、魔法機械工で良かったと思うのはこんな事ばかりだ。

 だいたい、不法投棄を防止するために警備の人間を寄越すという話はどうなったのだろう。それらしき人間を見た記憶はない。


 全く、いい加減だなあ……


 小さな携帯用のポンプについたホースを抹茶色の沼に沈め、足でペダルを何度も踏むと反対側のホースから汚水が吹き出した。溜め池にホースを向ける。

 向かい風のせいでヘドロの飛沫が防護服を纏った私の身体にかかった。防護服の中からガラスが汚れるのを瞬きもせずに受け入れる。

 慣れたものだ。

 ヘドロの臭いは吐き気がするほどだが、実は私はこの作業が嫌いではない。スライムの半透明の身体が日光を浴びて輝き、濁った水が徐々に透明になる。


 ポコポコ、シューシュー……


 化け物ばかりのこの沼で生き物の優しい音がする。

 ……まあ、スライムも魔物と言ってしまえばそれまでだが。


 キコキコとペダルが音を立てる。足が疲れてきたので、逆の足に踏みかえる。

 本来は草木に水をやるためのこれをこんなに長い間使う事になるとは思っていなかった。

 水車が故障した翌日に、このままではスライム達が死んでしまうと気が付いて、慌てて物置にからこの簡易式のポンプをもってきた時には、せいぜい水車を直すまでの数日だと思っていた。もっと良いポンプを作ろうと思った事もあるが、それだって水車と比べれば効率は悪い。それならばさっさと水車を直す努力をした方が良いような気がする。

 惰性も手伝って気が付けばもう数ヶ月はこれにお世話になっている。

 浅い溜池は薄い黄緑色だ。汚物がほとんどなくなってしまって、半透明のスライムの本来の色が見えているのだ。


 せっかくここまで増やしたんだから頑張りたいなあ。


 ざぼん……


「ひゃっ!」

 突然、遠くで何か巨大なものが跳ねるような水音がして驚いた。

 恐る恐る首を伸ばして振り返ると遠くの靄の向こうで小山程もある影がうごめいていた。

「……っ!」

 叫び声を上げないように慌てて口を手で覆う。


 巨大な肉食魚の共食いを見てしまった。


 こうして手作業でする汚水処理には限度がある。

 沼の瘴気は私の努力を嘲笑うようにどんどん濃くなって、集まってくる怪物達も大物が増えてきている。

 実を言えば、この現象は少し不可解だった。はじめの頃は今よりも沼の水は汚れていたはずだ。だが、今ほど瘴気は濃くなかった。そうでなければ、溜池の設置すら無理だっただろう。

 だが、今ではこうしてスライムに汚水を浴びせる作業すら、怪物の気配に怯えながらなるべく手早く済ませるしなかいのだ。

 もともとスライムの身は毒性が強く、スライムを食べる天敵はほとんど報告されていない。


 だけど、あの水音、スライムを食べないにしても、あいつらがこの浅瀬に乗り上げてきたら、一発でスライムが全滅しちゃうかも……。


 その前に私も無事では済まない。

 逃げるしかないのだが、そうなれば苦労して作った溜め池は見捨てざるを得ない。もちろん家の近くに実験用のスライムを何体か飼っているが、これだけの数に増やすには相当な時間がかかる。

 かと言ってスライムを守って戦うという選択は無謀以外の何物でもなかった。

 遠目に見た怪物同志の共食いの光景が目に浮かぶ。

 牙だらけの巨大な口は私三人分よりも大きそうだった。防護服を着ていたところで丸呑みにされたらどうしようもない。

 灼熱の防護服を着込んでいるのに寒気がした。早く作業を済ませて帰りたい。しかし、帰ったところで何も解決はしないのだ。


 その時、ガサガサと茂みを踏みしだく音がした。


 咄嗟に非常時に備えて携帯している片手撃ちの仕掛け弓を構える。怪物かもしれない。

「……!?」

 しかし、現れたのは獣型をとった獣人の男だった。艶の好い真っ黒な毛が体中を覆っている。尖った大きな耳、気高く長い鼻先。


 狼……?


 組合では何人もの獣人とすれ違っているが、今までこんなに見事な狼に出会った事はない。簡素な下ばきと実用的なブーツを履き、背中には革紐で括った剣を背負っている。


 傭兵だろうか。


 彼は弓を構えたまま呆然と立ち尽くす私を真っ直ぐ見据えると、ずかずかと近付いて来た。

「え?……ちょ?!」

 間近で見るとびっくりするぐらい背が高い。

 私は女としてはだいぶ背が高い方で、人族の男性の平均身長よりもやや低い程度である。その私の頭のてっぺんですらこの獣人のやっと肩のあたりだ。

 毛に覆われていてもはっきり分かるほど、鍛え上げられた身体だった。


 鋭い眼光が私を射抜く。瞳は暁の金色だ。


「あ、あの……?」


 うろたえる私に目の前の狼の獣人が何か言ったようだ。しかし、低音過ぎて、ぐるるる、がるるるとしか聞こえない。

「ええっと、すみません、もう一回お願いします」

 思わず聞き返してしまった。

「そんなモノ向けやがって、殺されてえのか」


 ……ひいっ


 掠れて低い痺れるような声だ。ドスが効きまくっている。さらに聞き取った内容は言い直させた事を後悔するようなものだった。そこでようやく彼に弓矢を向けたままだった事に気が付く。


 どっと滝のように脂汗が身体から噴き出た。


「すすす、すみません!!」

 急いで弓を脇に置いて、なぜか私が万歳の姿勢を取ってしまった。


 こ、殺される!?


「ちっ、るせえな」

 不機嫌そうに見下ろされて、あまりの威圧感に万歳のまま後じさりする。自分で言うのもなんだが、かなり間抜けな感じだ。

「大変失礼いたしました、えっと、そ、その、道にでも迷われましたか……?」

 へらりと引き攣った笑みを顔に浮かべて尋ねた。

 防護服の中なのでもちろん見えないだろうが。

 ここへはめったに人はやって来ない。しかし、ごくたまに珍しい怪物を狙った猟人が迷い込む事がある。私を怪物と間違えて捕えようとする事も。

 もし、よろしければ街道までご案内しますが、と続けようとしたら苛立った声で遮られた。

「重ね重ね失礼な奴だな、いきなり人を馬鹿扱いか、何様だ?」

「いいいい、いいえ! 決っしてそんなつもりでは!!」


 なんだって言うの、この人! 何言っても怒られる気がするんですけど!


 この数年で人の悪意には慣れてきたつもりだったが、半泣きになってしまった。

「だから、うるせんだよ、何度も言わせやがって」

「も、申し訳ありません……」

 また、舌打ちされた。正直とても怖い。さっきからどもりっぱなしだ。感じが悪過ぎる。


 初対面なのに。

 私、そんなに悪い事しましたか。


「傭兵のウルバーノ・ベラスケスだ。ドロテア・スニガか?」

「は、はい」

 まるで尋問だ。涙目で頷く。防護服を着ているので見られていないのが救いだが、声が掠れた。


 なんだろう、ついに近隣住民が傭兵を雇ってまで私に嫌がらせをしに来たのか?

 あ、ありうる、おおいにありうる!


「じゃ、行くぞ」

「え、え、え? どこに?」

 毛むくじゃらの大きな手が伸びて私の前腕ががっしりと掴む。いきなりぐいぐいと手を引かれて焦った。抵抗するがまるで手が動かせない。


 殴られる? 脅される? まさか、大勢で私刑?


「どこって、とりあえずお前の家、か? 来る途中にあった、あの修理工場みたいな建物、お前の家だろ?」

「あ、は、はいそうなんです。って、何で……?」

 素直に応えてしまってから、しまった、と思った。

 

 家の所在をわざわざ正直に教えなくても良かったのに。

 私の馬鹿!

 

 が、彼は勿論真っ青になる私に頓着しなかった。というよりも、私の怯えに気付く様子すらない。

「何でって、こんなとこで書類広げらんねえだろ、きったねえ恰好しやがって、臭せえしな」

「す、すみませ……っえ、書類? 何の?」

「組合の、だ。依頼書だよ。何度もやってんだろ、分かれよそのぐらい」

 汚い、臭いと言うわりには素手でヘドロに汚れた私の腕を無造作に防護服ごと掴んで歩き出す。

「ちょ、待って、わわ……」

 ホースを片付けてから行きたいけれど、とてもじゃないが、そんな事を言い出せる雰囲気ではない。


 依頼書? 組合? 


「だから、手伝いに来てやったんだよ、沼地の魔女さんよ」

「……っ!!?」

 彼は私を引っ張りながら、振り向きもせずに言った。


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