ep.13 君の人生の物語

 #1


 目覚めて最初に感覚した変化は、体の鈍さだった。

 人間を超越した身体能力が当たり前の感覚になっていたガブリエルにとって、懐かしくもある感覚だった。

 仲間たちも目覚めている。部屋に入ってきたニカが、彼女たちに明く声をかけ、倫太郎りんたろうを呼びに、部屋を出ていく。

 ガブリエルは思い出していた。

 倫太郎とニカが、かつて封鎖区域で大暴れした自分たちを、何の躊躇ためらいもなく受け容れてくれたこと。

 程なく部屋に現れた倫太郎へ、ガブリエルが問いかけた。

「フロイ……いや、デイジーだったな。あの子はどこだい? アタシたち全員の恩人なんだ。目覚めたら、ちゃんと礼を言いたいと思って……」

 倫太郎が溜め息をつき、ニカの笑顔に影が差す。

 ガブリエルが眉根を寄せた。

「……まだ、目覚めてないのか?」


 ガブリエルたちが部屋に入ると、ベッドの脇に座っていた山茶花さざんかが、笑みを見せた。

「無事に目覚めたか。良かった……!」

 ガブリエルが笑みを返す。

「お陰様でな」

 そして、彼女の目が、ベッドの上に移った。

 デイジーは、静かに寝息を立てている。ただ眠っているとしか思えない姿だが、ウィルスの投与から、既に一週間が経っていた。

 ガブリエルが言う。

「ウィルス、効いたみたいだぜ。キャリアの力は綺麗さっぱり使えなくなってる。体には、懐かしい鈍さが戻ってきてる」

 山茶花が微笑む。

「命を張ったかいがあったな」

 そのとき、ウリエルがデイジーを見ながら、ぽつりと呟いた。

「俺たちを、助けるために……」

 ウリエルが、辛そうな顔になっている。ラファエルも沈痛な表情を浮かべていた。

 ガブリエルが、二人の背中をどやす。

「辛気臭え面してんじゃねえ。この子はそんな面が見たくて頑張ったわけじゃねえだろうが」

 すると、ミカエルが言った。

「そう言うガブリエルも、脱出のとき、泣いてたよね」

 ガブリエルが顔を強張らせる。

「しょうがねえだろ。あんときゃ頭の中、ぐちゃぐちゃだったんだからよ」

 ミカエルが、物憂い表情になる。

「私もそう。ウリエルのことで頭が一杯で……この子の澄んだ目を見たとき、浅ましい自分が恥ずかしくなって……」

 うつむいたミカエルが、声を震わせた。

「私、この子に酷いことをしたのにって。でも、この子は、責めるどころか、体を張って、私たちを助けてくれて……心の底から謝って、心の底からお礼が言いたいのよ……なのに……」

 ガブリエルが、ミカエルの白髪をぐしゃぐしゃと掻き回した。

「言えばいいだろ。すぐに目覚めるさ」


 ミカエルたちが退室した後、部屋に残ったガブリエルが、山茶花に問いかけた。

「あのとき、デイジーの頭に、光の輪を見たか?」

 山茶花が目を見開き、溜め息をついた。

「君も見ていたのか」

「……誰かに、話したかい?」

「いや……私だけが、あの混乱の中、一瞬だけ目にしたことだ。確信が持てなかった」

 光輪こうりん。そして、眠ったまま発動したデイジーの力。

 これらの事柄は、何か取り返しのつかない段階にデイジーが達したことを示していたのではないか、という懸念に繋がり、山茶花の心に影を落としていた。

 山茶花の表情を見たガブリエルが言う。

「アタシも、アンタにしか話してない。あのときは、アタシも、まともじゃなかったからさ。でも、どういう意味かは、結局分かってないんだろ?」

「ああ……」

 山茶花が曖昧に答えると、ガブリエルが、にやっと笑った。

「じゃ、アタシはきっと、見間違えたんだ」

 ガブリエルが席を立ち、また来る、と言って、部屋を出ていった。



 #2


 ガブリエルたちは、検査のためにガレージへ滞在し、何度もデイジーの部屋を訪れた。

 ジョーカーたちも、毎日、様子を見に来ていた。

 親方とユキオ、特警の三人組、円卓の四人も、ガレージに度々顔を出した。

 クリスマスには、皆がプレゼントを手にやって来た。

 大晦日にも、年明けにも、沢山の人間がデイジーの部屋を出入りした。

 贈り物の山をニカが開梱し、テーブルへ並べた。贈り物は、日に日に増えていった。

 ニカは、午前中には必ず、マグカップを二つ持って、姿を見せていた。


 ガブリエルたちは、ガレージを出た後も、度々デイジーの部屋を訪れ、自分たちの近況を伝えていった。

 円卓に対面した四人は、ジョーカーたちの口添えもあり、来栖くるすラボでの尽力を認められて、正式に手打ちとなった。

 彼らの来歴は既に洗われていた。かつて伊勢佐木いせさき町を縄張りにしていたストリートキッズの集団で、中核を担っていた者たち。

 独創的なクラッキングの手口で知られていた白髪の双子にはトーマが目をつけ、二人はロシアン・マフィアのチームへ加わることとなった。

 博識で頭の切れる参謀役だったラファエルは、ロー老師の要請で、学校設立の計画へ携わることとなった。

 当時、路地裏の女王と言われていたガブリエルには、キャリアの力が消えた今も、高い身体能力と、天衣無縫の格闘技術があった。

 彼女は、桐島きりしま組が客分として迎え、特警に協力することとなった。


 ジョーカーたちも、毎日、部屋を訪れ続けた。

 ユーリャは、データ解析の進捗しんちょくを、毎日のように伝えてきた。

 フーは、学校設立計画の進捗を伝えてきた。設立された暁には、デイジーが通えるよう手配してあることも。

 ギャビーは、よく花束を持って現れた。彼が持ち込んだ花は花瓶に移され、部屋の一角を華やかに彩った。花のアレンジには、必ず、山茶花と雛菊が含まれていた。

 ここしばらく、ジョーカーには出動要請がかかっていない。

 相変わらず揉め事は多いが、特警で片が付いている。最近は、ガブリエルも活躍しているらしい。


 倫太郎は毎日、デイジーの状態を検査していた。

 デイジーの脳に関して、倫太郎は「俺は専門じゃねえからな」と零しつつも、ガレージの機材で出来る限りの検査を試みていたが、目立った変化は見られなかった。


 デイジーは眠り続けた。

 やがて、一月が終わる頃、山茶花は夢を見た。



 #3


 美しい銀髪の女性だった。

 頭上には光輪が輝き、背中に何対もの翼をひるがえした彼女は、山茶花を優しげな眼差しで見つめていた。

 山茶花が近付くと、彼女から光が溢れ、山茶花は目を開けていられなくなる。

 目を開けたとき、周囲には暗闇があった。

 彼女の翼は全て散ってしまい、光輪も明滅している。

 やがて、彼女の姿が光の粒になって消えていく。

 山茶花が手を伸ばすと、消えゆく彼女が山茶花の背後を指差す。

 振り返った山茶花は、ずっと遠くに、微かな光を見る。

 はっとして振り返ると、彼女の姿は無く、僅かな光の残滓ざんしが漂い、やがて消えてしまう。

 とても悲しい気持ちになり、山茶花が涙を零す。

 暗闇の中、山茶花は、遠い光を目指して歩いていく。


 目覚めたとき、山茶花の頬には、涙の跡があった。

 デイジーは眠り続けている。

 空気を入れ換える為に、少し開けてあった窓から、鳥のさえずりが聞こえていた。

「デイジー、不思議な夢を見たぞ」

 山茶花が、夢の内容をデイジーに語る。

 そして、頭に浮かんだことを、次々と語りかけていった。


 みんな、君が目覚めるのを待っているぞ。

 学校の準備も進んでいる。元気になったら、君は学校に通える。

 君は、自分の未来を、沢山の選択肢から選ぶことが出来る。

 歳の近い友達も出来るだろう。色んなことが、君の人生を形作っていく。

 準備は整いつつある。

 後は、君が目覚めるだけなんだ。


 語りかける内に、デイジーと過ごした、短くも起伏に満ちた日々が、山茶花の脳裏を駆け巡った。


 初めて声をかけたのは、一緒にパンを食べていたとき。

 私が美味いな、と言ったら、君が頷いた。ここと同じ部屋。今よりまだ暖かだった、秋の終わり。

 そのあと、君は安心して、涙を零した。

 拠点での生活が始まって。君は、傅と追いかけっこをして。傅が大人げなく煽って、君は落ち込んで。そのあと、中華料理屋で乾杯した。君は乾杯も知らなかった。びっくりした顔をしていたな。

 身の上話をしてくれた。君を逃がしてくれた人が命を落としたくだりを話したとき、君は声を上げて泣いた。あのとき、私は、命に代えても君を守りたいと思った。

 円卓と初めて対面したとき、君は、恩義に報いたいと言った。

 私の方が、君に助けられてばかりだったのに。

 ガブリエルと初めて戦ったときも、そうだった。

 あのとき、私は、君の笑みを初めて見た。

 家族の墓前で、君は、雛菊の名で呼ばれたいと言った。

 君は、恩義を感じた相手に、迷い無く自分の全存在をかけて報いようとする。

 ニカがデイジーという名前を考えたとき、君はもう一度、笑みを見せてくれた。

 ユーリャとギャビーと傅が大騒ぎして、ニカが親馬鹿かって言って。私は久しぶりに大笑いしてしまった。

 あのときも、君は微笑んでいた。

 真夜中に、川を見下ろしながら話をした。

 君は、桜が見てみたい、春はいつ来るのと聞いた。もう一月も終わりだ。直に春が来る。

 ミカエルの暴走を止めたとき、君は、ごめんなさい、心配を、と言った。

 みんなを助けてくれたのに、君は私たちに心配をかけてしまうことを謝っていた。

 君は優しい。

 君は、プットにすら優しかった。そんな風に生まれたいと思ったわけじゃないのに、と言って、君は哀しそうな顔をした。

 そして、君は強い。

 力を使うことは危険だと、君は知っていた。

 でも君は、自分の力で誰かを助けられると思うと、迷い無く決断する。

 私も、何度も助けられた。ウリエルを救い、ラファエルを救い、ミカエルのときは、街を救ってくれたと言ってもいい。

 でも、君は、自分が命を賭けて成し遂げたことを、少しも誇らない。

 恩義に報いただけ。君はそう言う。

 君の魂は気高い。

 そんな君の、これからの人生を、私は見たい。君はきっと、セラフの力なんか無くても、誰かの心を動かすことが出来る。心を震わせることが出来る。君はきっと、今よりずっと沢山の人間と、絆を結ぶことが出来る。

 君はきっと、そういう未来を創っていける。

 私は、君の未来が見たい。


「もう一度、君の笑顔が見たい」

 語りかけ続けていた声が、震え始める。

「一月が終わるよ。もうすぐ春が来る」

 山茶花の顔が歪む。

「桜にはまだ間に合うよ。一緒に桜を見に行こうよ……デイジー……」

 俯いた山茶花の目から、涙が零れ落ちていく。

 後はもう、言葉にはならなかった。顔を伏せて、苦しげな声を漏らしながら、山茶花は泣いた。

 窓から、一月にしては暖かな風が、緩やかに部屋へ滑り込む。

 雛菊と山茶花の花片はなびらが一つずつ、ふわりと部屋の中を舞ったとき。

 山茶花の耳に、掠れた声が届いた。


「……さ……ざん……か……」


 はっとして、山茶花が顔を上げる。

 デイジーが、目を開けていた。

 目の端から、涙が流れ落ちている。

 鳥のさえずりが聞こえた。窓からの陽光が、デイジーの涙を、そっと輝かせている。

 山茶花の体が震える。大きく顔を歪ませて、山茶花が涙声を上げた。

「デイジー!」

 ベッドに身を乗り出した山茶花へ、デイジーが震える手を伸ばす。

 デイジーの指が、山茶花の涙を掬い取った。

 山茶花が涙に濡れた目を見開く。デイジーが、涙を流したまま微笑む。

 山茶花は、デイジーの手を、両手で包み込むように握った。

 部屋に入ってきたニカが息を呑み、両手で口許を覆う。

 涙が溢れて、何もかもが輪郭を失う少し前に。

 ニカは、陽光に照らされた親友と少女の、余りにも尊い姿を、目に焼き付けた。



 #4


 一ヶ月も眠り続け、セラフによる恩恵も失われたデイジーの体は、立ち上がることも出来ないほど弱っていた。

 リハビリの日々が始まり、その間にも、沢山の人間が病室を訪れた。

 山茶花は、傅の涙を初めて見た。

 ギャビーの涙を初めて見た。

 ユーリャの涙を初めて見た。

 ガブリエルたち四人も、泣いて喜んでいた。親方とユキオ、特警の三人組、円卓の四人も、次々と顔を見せた。

 皆が沢山のことをデイジーに語った。学校の話を聞いたデイジーは、歳の近い友達が出来るかもしれないと聞いて、期待に目を輝かせた。

 山茶花にとってのニカみたいな友達が出来たらいいな、と、デイジーは言った。

 リハビリの日々が続く。

 車椅子から松葉杖へ。デイジーは根気強くリハビリに取り組み、キャリアではない人間の体を、少しずつ、しかし着実に、ものにしていった。

 彼女の首元には、いつも、山茶花のペンダントがあった。

 花言葉は、困難に打ち克つ。

 製作者であるニカは、もう一つの花言葉を知っている。

“ひたむきさ”

 山茶花を言い表すときにぴったりな言葉。

 ニカは、デイジーを言い表すときにも、よく当てはまる言葉だと思っていた。



 #5


 二月が終わる頃。

 四人のジョーカーは、ガレージの裏庭に集まっていた。

 全員にコーヒーが行き渡ると、ユーリャが言った。

「来栖博士のデータベースにかかっていた最後のプロテクトが、ようやく破れました。今は、第四の領域に収められていた情報の解析が進んでいるのですが……」

 ユーリャが、少し困ったような顔になる。

「第四の領域には、博士の個人的な手記と、極めて専門的な情報が混在していて、専門用語が多く、解析は難航しています」

 ギャビーが、口の端を歪めて笑った。

「仕方えさ。封鎖区域には生物学者なんて居ないからな」

 傅が問いかける。

「では、今まで以上のことは、まだ分かっていない?」

 ユーリャが首を振った。

「分かったことはあるのですが、何と言うか……」

 ギャビーが言った。

「君が言葉を濁すほど、途方も無い大風呂敷が広げてあったのかい?」

「……博士は、人間の進化について、真剣に考えていました。博士の持論に、人間には天敵がいない、というものがあります。武器を持った人間は、生態系の最上位にいる生物でも狩り殺すことが出来る。人間は生態系から逸脱してしまったと。セラフは、人間が生態系に回帰し、次の段階へ進化するための要因だとされていました」

 ギャビーが顔を強張らせる。

「思った以上にでかい風呂敷だったな」

 山茶花が問いかけた。

「キャリアの力が、博士の言う進化だったのか?」

「いえ、あれは、ただの過程だということです」

 ギャビーが声を上げる。

「おいおい、それじゃ、例の暴走が進化だとでも?」

「暴走したキャリアのことを、博士は、人間の天敵、だと……」

 傅が考え深げな顔になった。

「……確かに、暴走したキャリアを止める手立ては、僕らには無かったね」

「暴走したキャリアの融合捕食能力は、あらゆる生命体を取り込み、捕食した生命体の持つ特質を発現出来るようになっていきます」

「そういえば、暴走したミカエルは、プットの爪やラファエルの触手を使っていたね」

 傅が言うと、ユーリャが頷く。

「例えば、細胞分裂する生物の特質を発現して個体が分裂し、捕食を繰り返すことで質量を維持し、無限に増え続けたとしたら」

「再生能力もあることを考えると……世界が終わるかもしれないね」

 傅とユーリャのやり取りを、ギャビーが遮った。

「それで? それがどう進化に繋がる?」

「始まりの少女は、その後生み出されたどのキャリアも持ち得なかった能力を持っていました。あらゆる生命体と心を通わせるような彼女の力について、博士は、一つの仮説を立てています」

「仮説?」

 山茶花の声に、ユーリャが応える。

「デイジーが自分のセラフを眠らせていることに、博士も気付いていました。そして、彼女には、他の生物と繋がる力がある。いずれ、彼女は他の生物にも干渉出来るようになり、いずれは暴走した個体をもりっする存在になるのではないか、と」

「……博士は、デイジーを、生態系を律する存在にしようとしていた?」

 傅が問いかけ、ユーリャが頷いた。

「今のところ、その方向で解釈されています。デイジーの銀髪や眠りについては、情報はまだ見つかっていません。博士が生前に観測出来ていない事象なので、今後も見つかるかは分かりませんが、博士の記述に、こんなくだりがあります。 “最終段階に達した始まりの少女にとって、肉体は命の容れ物でしかない。生態系のあらゆる生物が、彼女の目となり、耳となるだろう” と。生態系への回帰と進化という博士の理念を究極的な形で実現する存在、という考えのようでした。ただ……デイジーの父親は、彼女をあくまで一人の人間として扱い続けたと」

 山茶花が声を上げる。

「父親……まさか……!」

「彼は、セラフ自壊ウィルスの開発者でもありました」

「そうか……デイジーの世話をしていた男は、あの子の父親……」

「そして、デイジーの母親は、永らく自らの体もセラフの実験体として扱っていました。試験体五号として暴走の後に処分されたこの人物は、自分の死期が近いことを悟ったとき、自分の死後にデイジーと関わる人間へ、結末を託すことにしたと」

 最初に理解した傅が、ぽつりと声を漏らす。

「……それで、令嬢という呼び名だったんだね?」

「どういうことだ?」

 困惑した顔の山茶花に、ユーリャが、静かな声音で答えた。

「デイジーの母親が、来栖れい博士です」

 ギャビーと山茶花が、言葉を失う。

 やがて、ギャビーが言った。

「どうにも、天才の考えってのは分からねえな。自分自身や娘まで実験台にして、大風呂敷を広げておいて、最後には人類が違った結末を選ぶことも有りだって考えになったのか?」

「私も分かりません……ただ、当時、副所長だった阿久沢幹生あくさわ みきおは、来栖博士の信者ともいえる人物だったようです。博士は、自分の死後も彼が計画を推進すると予見しています」

「デイジーの父親は彼女を一人の人間として扱い、阿久沢は始まりの少女として扱う。この二人に結末を委ねた、というところかな」

 傅が話をまとめたとき、山茶花が言った。

「セラフ自壊ウィルスのパスワードは kibou だったんだが、やっと意味が分かった……来栖博士が設定したと思い込んでいたんだが、あれは、デイジーの父親が設定したものだったんだな?」

 ユーリャが笑みを浮かべる。

「その答えは、今のところデータにはありません。でも山茶花、私はその解釈が好きです」

 傅が溜め息をつく。

「とは言え、まだ疑問は山ほどあるね。解析が進めば、いつか答え合わせが出来る日も来るかもしれないが……」

 ギャビーが、にやっと笑う。

「その答えは、かつて存在した問いの答えでしかないな。分かったところで、もう、おとぎ話の幕は下りた。代わりに始まったのは、一人の素敵な女の子の人生の物語さ。聞いてると目眩めまいがしてくる過去より、俺はあの子の未来の方に、よっぽど興味があるね」

 皆の顔に笑みが浮かんだ。

 山茶花が、穏やかな中に真摯な色を湛えた表情で言う。

「確かに、過去は過去だ。ただ……デイジーの父親。彼の墓を作れないだろうか」

 傅が頷く。

「円卓に掛け合ってみよう。ユーリャ、彼の名前は分かるかい?」

 ユーリャが、にっこり笑って答えた。

「確認してみますね」



 #6


 三月の半ば、墓地に新しい墓碑が建った。

 デイジーの父親、皆口みなぐち義人よしと

 命を賭してデイジーを逃がし、デイジーを人に戻す希望、セラフ自壊ウィルスを遺した男。

 墓石の下には、遺骨の代わりに、スイートピーの花が収められた。

 花言葉は “門出” “別離” “優しい思い出”

 埋葬が終わると、デイジーは少し泣き、しかし、笑みを浮かべて墓碑に語りかけた。

「ありがとう……あなたのお陰で、私、この世界に生きる人たちと出会って、一人の人間として、生きてる」



 #7


 四月の初め。よく晴れた日の夜。

 拠点で浴衣を着せてもらったデイジーが、皆と一緒に川沿いへ繰り出す。

 すっかり普通に歩けるようになったデイジーは、川沿いの道に出て、目を輝かせた。

 川沿いに並ぶ満開の撓垂しなだれ桜が、長い枝を河面かわもに伸ばしている。

 沢山の露店が並び、賑やかな喧噪があった。

 女性陣は、揃って浴衣を身に纏っていた。うきうきした顔のユーリャが、露店に次々と突撃していく。

 ギャビーと傅が付き合い、デイジーと手を繋いだ山茶花が、ニカと並んで、少し遅れて歩いていく。

 桜の花片が、デイジーの頭に舞い降りた。

 山茶花が花片をつまみ取ると、デイジーが山茶花を見上げる。

「山茶花、いつもと感じが違う」

「変か? こういう装いは柄じゃないからな」

 デイジーが首を振った。

「凄く綺麗」

 山茶花が頬を染め、「そ、そうか?」と、戸惑った顔になる。ニカが、微笑ましそうに笑った。

「デイジー!」

 ガブリエルたち四人が近付いてくる。浴衣姿のデイジーを見て、ガブリエルが、にやっと笑った。

「へえ、可憐じゃないか。似合ってるぜ」

 デイジーが、嬉しそうに微笑む。ミカエルが目を輝かせて、「天使みたいよ」と言った。

 ウリエルがデイジーの頭を撫で、ラファエルは一番後ろで、にこにこと優しげな笑みを浮かべながら、皆を見守っている。

 ニカが、ガブリエルに言った。

「ガブちゃんたちも浴衣着てくれば良かったのに」

「アタシは柄じゃねえよ。大体、浴衣なんて持ってないって」

 山茶花が言う。

「ウチに沢山あるぞ。何なら貸そうか?」

 ミカエルが目を輝かせた。

「私、着てみたいわ。ガブリエルも似合うかもしれないわよ?」

「柄じゃねえって言ってんだろ。山茶花みたいにはいかねえさ」

 山茶花が、きょとんとした顔になる。

「私も柄じゃないんだが」

「何言ってんだ。今日のアンタ、とんでもない美人に仕上がってるじゃねえか」

「え?」

「今のアンタを見てると、いつもの刀を振るう姿はとても想像出来ないね」

 にやっと笑うガブリエルに、山茶花が言葉を詰まらせる。そのとき、ユーリャが皆を呼んだ。

「皆さん! たこ焼きです! たこ焼きを食べましょう!」

「おっ、そういや、さっきからいい匂いがしてるな。行こうぜ、デイジー」

 ガブリエルが、デイジーに声をかけながら走り出した。

デイジーが駆け出す。山茶花が慌てた顔になった。

「デイジー! まだ走ると……」

「大丈夫!」

 振り向いたデイジーの顔に、十三歳の女の子がはしゃいでいるときの、当たり前の笑顔が浮かんでいる。

 満面の笑みと、満開の桜と。

 花片が舞う中、デイジーの袖が舞うように翻る。

 山茶花の目が、ゆっくりと見開かれ。

 不意に溢れた涙が、頬を伝った。

 気付いたニカが、少し驚いた顔になってから、山茶花の視線を辿り、優しげな顔になる。

「どうかした?」

 ニカが問いかけた。山茶花が、ぽつりと答える。

「……私は、この光景を一生忘れないだろうと、ちょっと、思ったんだ」

 ニカが目を細めた。

「私も、きっと、忘れない」

 ニカが、目を閉じて微笑む。

「私の親友が、命懸けで頑張って手に入れた、宝物みたいな光景だから」

 屋台の方から、山茶花たちを呼ぶ声がする。

 ニカが言った。

「行こう? でも、その前に涙を拭おう? デイジーが心配するよ?」

「……そうだな」

 山茶花が、目を潤ませたまま微笑んだ。


 たこ焼きを食べながら談笑している皆に、山茶花とニカが合流する。

 屋台には、特警の三人組が立っていた。縫い傷顔の日本人が、華麗な手捌きで次々とたこ焼きを仕上げている。

 通りかかった親方の一行が、山茶花たちに挨拶してきた。ユキオがデイジーに「リハビリ頑張ったなあ」と声をかけている。

「ほう、これはなかなか」

 思わぬ声に顔を強張らせたギャビーが振り返ると、ミケーレがたこ焼きを摘んでいる。

「これはワインより、違う酒が合いそうだ」

「たこ焼きなら、ここはビールか……」

 言いかけたギャビーの鼻先に、ジョッキが差し出される。

「ハイボールが合うぞ。試してみるかい?」

 雷蔵が、にっと笑った。ギャビーが見ると、トーマと羅までが近付いてきている。トーマが、ユーリャを見ながら言った。

「我が傘下の店も屋台を出しているが、これは強敵だ。ウチのエースがすっかり心を奪われている」

 名前を呼ぶ声にユーリャが振り向くと、ぞろぞろと子供を連れた小太りな若い男が手を上げる。

 ユーリャが嬉しそうに微笑んだ。

「キングさん!子供たちも」

 わいわいと子供たちに取り巻かれ、ユーリャが満面の笑みを浮かべる。

 傅が、通りかかったカジノのディーラーと挨拶を交わしていた。

 ギャビーが、バーテンダーと話し込んでいる。かと思うと、以前バーで会った女性をめざとく見つけて、声をかけようしたところでミケーレに先を越された。

 桐島組の若い組員が、山茶花とガブリエルに話しかけている。

 羅の車椅子を押す人形から、合成音声がトーマに語りかけた。

「来栖博士は、あの子が世界と繋がるすべを探していたようだが」

 トーマが、ふん、と鼻を鳴らす。

「そうだな」

「天才は随分と大きな回り道をした。あの子は既に、ここで全てと繋がっている」

 皆がデイジーと声を交わしていた。デイジーの顔に、あどけない表情が浮かんでいる。

 トーマが、にやっと笑った。

「博士は、穴蔵に籠もっていないで、桜の下に繰り出して、大切な人間と一緒にたこ焼きでも摘むべきだったのさ」

 ユーリャが、皆で写真を撮りましょうと提案する。

 デイジーを中心に皆が集まり、満開の桜を背に、カメラのレンズを見つめた。

 撮りますよ、という声が響き、シャッターが下りる直前。

 あちこちで、誰かが誰かに悪戯をして、喚き声と笑い声が幾つも重なる。

 騒がしい喧噪の中で、デイジーが、顔一杯に、楽しげな笑みを浮かべた。











 劇終 Конец fine 終わり

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デスペラード・フェアリーテイル/小竹清彦 カドカワBOOKS公式 @kadokawabooks

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