ep.12 デスペラード・フェアリーテイル

#1


 皆がインカムを装着し、軍事車輌から駆け下りていく。

 警報が鳴り響く中、車輌に残るギャビーが、全員に通信した。

『まずは荷役用にやくようの大型エレベーターを確保だ。を下ろす』

 山茶花さざんかたちが警備室へ急行し、瞬く間に制圧する。ユーリャがコンソールを操作し、エレベーターを稼働させた。

 荷役室で、軍事車輌が後部を展開する。

 格納されていたものが起動し、折り畳まれた手足を展開した。

 先に着いた皆がエレベーターの扉を開けたところへ、四本脚の巨体が走り込んでくる。

 首狩りウーゴ一派の使ったアームスーツ。エレベーターが下降し始めると、山茶花が感心した顔で言った。

「器用に動かせるものだな」

 アームスーツからギャビーの声が返る。

「武器と名の付く物なら何でも扱えるのが、俺の素敵なところさ」

 地下八階が近付くと、デイジーが、何かを感じたように、前へ出た。

 エレベーターが止まり、扉が開き始める。目の前には、大量のプットが待ち受けていた。

 山茶花が刀のつかに手をかけたが、デイジーを見たプットたちが、次々とひざまずき、道を開けていく。

 デイジーが先頭に立って歩き始め、皆が続いた。

 集中管理室に近付くと、扉の前にいた白衣の所員が、デイジーを見て青ざめる。

「令嬢……!」

 ふところに手を伸ばした所員の背後で、チン、という納刀のうとうの音が鳴った。

 所員が倒れる。ユーリャが、部屋の扉を蹴り壊した。

 中にいた所員が拳銃を構えたが、引き金を引くより早く、また納刀の音が鳴る。

 所員が、山茶花の背後で崩れ落ちた。ユーリャがコンソールを操作し、施設内の状況を調べ始める。

 アームスーツが部屋の前で睨みを効かせる中、ユーリャが声を上げた。

「直通エレベーター、使用出来ません!」



 #2


「大型の生体兵器、ケルビムが地下十階にいます。ケルビムにエレベーターを破壊させたようです」

 モニターに映る地下十階の画像に目を向けながら、ユーリャが言った。

 フーが溜め息をつく。

「思い切ったことをしてくれる。所員はあと何人いる?」

「IDの反応は、あと一人だけです。現所長の阿久沢幹生あくざわみきお。プットの群れと地下九階を移動中。プットは78体、ケルビムは3体が稼働しています」

隔壁かくへきで所長の接近を阻めるかな?」

「やってみます」

 傅が、皆に言った。

「ここを奪還されて、隔壁や毒ガスを使われるのはまずい。二手に分かれよう」

 デイジー、山茶花、傅が地下十階に向かい、集中管理室でユーリャがナビゲート。外はギャビーが守る。

 役回りが決まり、デイジーたちが地下九階に向かった。

 地下九階には何十体ものプットが待ち受けていたが、デイジーを認識すると、跪いて道を開けていく。

 三人は、プットの海を割るように進んでいった。

 だが、三人を誘導するユーリャの声に、重機関銃の掃射音が混じり始める。

 山茶花がインカムに声を上げた

「どうした?」

『所長がプットの大群を引き連れて、そちらとは違う経路から上がってきました。ケルビムが体を挟んで隔壁の閉鎖を阻止。現在、ギャビーが交戦中です』


 重機関銃の弾幕でプットの大群を押しとどめながら、ギャビーがインカムに声を飛ばす。

「流石に数が多すぎるな。所長って奴はどこだ?」

『集団の後方から動きません』

「プットどもが生きた盾か。まずいな、距離が詰まってきた」

 接近したプットを、アームスーツが鷲づかみにして放り投げた。

 ギャビーの横顔を汗が伝う。アームスーツの火力が無ければ大群を押し止めていられないが、接近を許すと、プットの素早い動きに対応するのは困難だった。

 プットの群れが、次々と弾幕を抜け始める。

 ギャビーが舌打ちしたとき、プットの首が宙を舞った。

 ギャビーの瞠目どうもく。見えざるやいばがプットを次々と寸断し、黒い触手がプットをまとめて薙ぎ払う。爆撃に等しい衝撃が、プットを何体も吹き飛ばした。

 ギャビーの眼前に、四人のキャリアが背中を見せて並ぶ。

 ガブリエルが振り返って叫んだ。

「悪い! 遅くなったぜ!」


 山茶花たちに、ユーリャから歓喜の声が届いた。

『キャリアたちが来てくれました!』

 三人が顔を見合わせる。

 デイジーの表情が輝き、山茶花と傅も、安堵と高揚の混じった顔になっていた。



 #3


 ギャビーが、キャリアたちに言う。

「プットどもの奥に所長がいる。こいつらを掻き分けて叩けるか?」

「オーライ、派手に踊るぜ野郎共」

 ガブリエルが、不敵に笑った。

「ラファエルはコイツの援護。ミカエルとウリエルはアタシと来い。アタシが道を開く!」

 言い終わると同時にガブリエルが加速し、プットが次々と吹き飛んだ。

 文字通り道が出来ていく。ミカエルとウリエルが続いた。

 集中管理室に接近するプットをアームスーツの火線が仕留め、弾幕を潜り抜けたプットはラファエルの触手が両断する。

「こりゃ頼もしいぜ」

 ギャビーが、にやっと笑ったとき、緊張を孕んだユーリャの声がインカムから響いた。

『ケルビムが上がってきました! 地下九階にいた二体の内の一体です!』

 最前線では、ガブリエルが、白衣を着た壮年の男を視界に収めていた。

「見つけたぜ! 今までよくもアタシたちを都合良く踊らせてくれたな!」

 だが、所長が嘲笑ちょうしょうを浮かべ、彼の体を巨体が覆い隠す。

「ケルビム!」

 飛び退いたガブリエルにプットが殺到した。ほんの一瞬、足を止められたガブリエルが、群がるプットごとケルビムに薙ぎ払われる。

 ガブリエルが壁に叩きつけられた。フォローに入ったミカエルとウリエルにもプットが殺到する。

 動きがとどこおったミカエルに、ケルビムが打撃を放った。

 ウリエルがミカエルを突き飛ばす。代わりに打撃を受けたウリエルの体が、宙を舞った。

 転倒したウリエルにプットが群がり、一斉に爪を突き立て始める。

 ウリエルの絶叫が響いた。

「ウリエル!」

 駆け寄ろうとするミカエルに、ガブリエルが叫ぶ。

「危ねえっ!」

 反応したミカエルが、ケルビムの一撃を際どく躱した。

 目まぐるしい混戦の中、ギャビーが異変を捉える。

 ウリエルに群がっていたプットが、ウリエルの体に引きり込まれていく。

 ギャビーが切迫した声を上げた。

「暴走だ! ガブリエル! ミカエル! ウリエルから離れろ! 取り込まれるぞ!」



 #4


 デイジーが、不意に足を止める。

「この感じ……誰かが……」

 そのとき、皆のインカムに、ユーリャの緊迫した声が飛び込んできた。

『暴走です! ウリエルがプットの大群を取り込んでいます!』

 山茶花と傅が顔色を変える。デイジーが迷い無く言った。

「戻ろう。今なら、私の力で、助けられる」

「だ、だが、それではデイジーが……」

 山茶花の表情が強張り、傅の顔から笑みが消える。

 デイジーが、二人を見返した。

「キャリアのみんなも、危険だって分かってて、来てくれた」

 デイジーの目に、澄み切った輝きが満ちる。

恩義おんぎに、報いたい」


 大量のプットを捕食し、ケルビムまでも取り込んだウリエルは、廊下を埋め尽くす肉の壁と成り果てていた。

 肉の壁が、ゆっくりと前進し始める。部屋の前まで退いたキャリアたちへ、ギャビーが言った。

「俺が食い止める。 部屋の守りを頼むぜ」

 アームスーツが突進し、肉の壁を押し返そうと試みる。

 しかし、推進剤を後方に噴射しても止め切れず、じりじりと押されていく。

 苦しげな顔で状況を見つめていたガブリエルが、足音を聞いて振り返った。

「フロイライン!」

 デイジーたちが合流する。ミカエルが取り乱した声を上げた。

「お願い! ウリエルを助けて!」

 デイジーが頷く。

「大丈夫」

 澄み切ったデイジーの眼差しを目の当たりにして、ミカエルが息を呑み、声を詰まらせた。

「来てくれて、ありがとう」

 ほんの一瞬、笑みを見せて、デイジーが駆けた。アームスーツの脇を抜け、肉の壁に手を伸ばす。

 デイジーから、まばゆい光が溢れた。

 肉の壁が動きを止め、表面が、ばらばらとほどけ始める。

 デイジーの体から、ふっと光が消えた。ふらりと傾いだデイジーの体を、駆け寄った山茶花とガブリエルが、崩れゆく壁から引き離す。

 アームスーツが後退したとき、壁が完全に崩れ去った。大量の肉片が、廊下に散乱する。

 肉片の直中に、ウリエルが倒れていた。ミカエルが駆け寄り、ウリエルに縋り付く。

 山茶花とガブリエルの腕の中で、ふっと、デイジーが笑みを浮かべ、掠れた声を漏らした。

「良かった……みんなが……一緒に……」

 声が小さくなり、デイジーが目を閉じた。



 #5


 デイジーとウリエルは、集中管理室に運び込まれた。デイジーの寝顔を見つめ、ミカエルが涙を零す。

「私、ウリエルのことしか頭に無かった。でも、この子は……自分も危険だと、分かってて……」

 ミカエルが涙を拭い、皆に真摯な表情を見せた。

「私が、この部屋の守りに入るわ。この子も、ウリエルも、私が守る」

 ガブリエルが頷くと、傅が皆に言う。

「もう一度、二手に分かれよう」

 デイジーが動けない今、地下十階には、プットの群れを蹴散らして到達する他ない。集中管理室のユーリャとギャビーにミカエルが加わり、山茶花、傅、ガブリエル、ラファエルの四人が、地下十階に向かった。

 四人は、瞬く間に地下九階へ駆け下り、プットの海に突入する。

 山茶花の雄たけびとガブリエルの咆哮が重なった。剣閃と連撃がプットの海を一直線に割っていく。ラファエルの触手が鉄壁の守りを敷き、潜り抜けてきたプットを傅の浸透勁しんとうけいが仕留める。

 プットたちは、四人の前進を一瞬たりとも阻むことが出来なかった。

 四人が階段に到達し、傅がインカムに声を上げる。

「地下十階に敵は?」

『ケルビム一体だけです』

 ラファエルがプットを薙ぎ払う中、傅が山茶花に言った。

「ケルビムは浸透勁では止まらないだろう。僕はここでプットを食い止める」

 ラファエルも声を上げる。

「ガブリエル、私の触手ではケルビムの外殻を破れない。私の舞台も、どうやらここのようだ」

 傅とラファエルが並び立った。

 二人の声が重なる。

「行け、山茶花!」

「行って下さい、ガブリエル!」

 山茶花とガブリエルが同時に頷き、階段を駆け降りていった。

 中距離を制するラファエルと近距離を制する傅は、息の合った連携を見せ、プットの大群を押し止め続けた。

 ラファエルが声を上げる。

「まさか、君と背中を預け合うことになるとは」

 傅が声を返した。

「君は、こういうのが好きなんじゃないかな?」

「こういうの、とは?」

「仲間を先へ行かせるために、足止めを買って出る役どころさ」

 ふっと、ラファエルが笑う。

「そうかもしれん。君は……」

傅玉林フー・イーリン。傅でいい」

「ミスター傅、君もまた、こういうのが好きなのでは?」

 傅の笑みが、珍しく熱を帯びる。

「男なんだ。当然だろう?」

 戦いの最中、二人の笑みが、ほんの一瞬だけ交錯した。



 #6


 山茶花とガブリエルは、ウィルスが眠る部屋の手前で、壁に背を預けた。

 扉の前にケルビムが陣取っている。ガブリエルが言った。

「アイツはアタシが引き受ける。扉の先にはアンタが行きな」

「だが、二人でやった方が……」

「上もいつまで保つか分からねえ。時間が無えんだ」

 ガブリエルが不敵に笑う。

「上じゃプットどもに邪魔されてしくじったが、相手がアイツだけなら話は別さ。アンタ、アイツの攻撃がアタシに当たると思うかい?」

 山茶花が、ふっと笑みを返し、インカムに声を上げた。

「ユーリャ、ガブリエルがケルビムを抑える。部屋には私が入るが、あの扉はどうやって開けるんだ?」

『こちらで操作します。戦闘が部屋の中に及ぶと、ウィルスを損壊する恐れがありますので、山茶花が入ったら扉を閉めます。それでいいですか?』

「問題無い。ケルビムはガブリエルの敵じゃない。戦った私には分かる」

 ガブリエルの顔に、くすぐったいような笑みが過ぎる。

『分かりました。合図をもらえますか?』

「承知した」

 山茶花とガブリエルが顔を見合わせた。ガブリエルが言う。

「アタシが先に出る。アンタは隙を見て後から出てくれ」

「分かった!」

「行くぜ!」

 ガブリエルが加速し、ケルビムに突貫した。巨大な散弾を思わせる連撃が、ケルビムの巨体をぐらつかせる。

 ケルビムが、ガブリエルを追って動いた。山茶花がインカムに叫ぶ。

「ユーリャ!」

『はい!』

 部屋の扉が開く。山茶花が一瞬でケルビムの脇を抜け、扉の奥に飛び込んだ。



 #7


 集中管理室前では、再び戦況が傾いていた。

 隔壁を止めていた最後のケルビムが上がってきたのである。重機関銃の掃射を平然と弾きながら接近するケルビムにアームスーツが組み付いたが、ケルビムはアームスーツの巨体を玩具おもちゃのように振り回し、凄まじい勢いで壁に叩きつけた。

 アームスーツが擱座かくざし、ギャビーの通信が途切れる。

 ミカエルが突撃し、廊下を縦横無尽に飛び回って斬撃を繰り出したが、金属すら寸断する彼女の刃でも、ケルビムの外殻を破れなかった。

 ミカエルが部屋を離れた隙に、一体のプットが部屋へ飛び込む。

 気付いたミカエルが悲鳴を上げたが、プットは部屋の中から吹き飛ばされ、壁に衝突して全身を四散させた。

 部屋からユーリャが飛び出し、ミカエルに叫ぶ。

「ミカエル、代わって下さい! 私が相手をします!」

 ミカエルが、ユーリャの隣に着地した。

「ナビゲートは!?」

「すぐに仕留めます。プットの相手をお願いします」

 ミカエルが、ふっと笑う。

「分かった。私、貴女の強さを知ってるもの。頼んだわ!」

 ユーリャが力強い笑みを返し、ケルビムに向かって駆けた。

 ケルビムの打撃を、ユーリャが高速のステップで躱す。収縮・回転するユーリャの右目が、瞬きもせずケルビムの挙動を監視、分析。続く打撃を躱し、三手目を先読みしたユーリャが、フェイントを一つ入れてケルビムの打撃を外しざま、懐を一気に陥れた。

 右フックが、ケルビムの脇腹を捉える。

 横殴りの衝撃がケルビムをぐらつかせたが、外殻には、僅かにひびが入っただけだった。

「一発で駄目なら……!」

 ケルビムの打撃を次々と躱し、寸分違わず同じ場所へ打撃を打ち込んでいくユーリャ。精密機械の本領発揮。外殻のひびが、徐々に広がっていく。

 しかし、周囲から溢れ出たプットが、ユーリャに殺到した。

 ユーリャの足が止まった一瞬を逃さず、ケルビムがプットの群れごとユーリャを薙ぎ払う。

 壁に叩きつけられたユーリャが、すぐに跳ね起き、倒立背転とうりつはいてんを繰り返して追撃を躱した。

 ミカエルが叫ぶ。

「大丈夫!?」

「大丈夫です!」

 叫び返したとき、ユーリャは、重大な問題に気付いた。

 頭部に内蔵された通信機が作動しない。

「山茶花をフォロー出来ない……!」

 ユーリャの顔に、焦燥の色が浮かび上がった。



 #8


 コンソールの前に立った山茶花が、インカムに呼びかける。

 しかし、返ったのはノイズだけだった。

「ユーリャ!?」

 上で何かが起きた。やむを得ず、山茶花は、自力でコンソールのスイッチを探し当て、システムを起動する。

『セラフ自壊ウィルス、の、使用制限、を、解除、しますか?』

 音声が響き、コンソールのモニターにガイド画面が現れた。

 山茶花が、思わず安堵の息を漏らす。これなら何とかなると考えながら、ガイドに従って操作を進めていくと、音声が思わぬことを告げた。

『パスワード、を、入力、して下さい』

「パスワード!?」

 表情を強張らせた山茶花が、もう一度ユーリャに通信を試みるが、返事は無い。

「これは、私じゃ……」

 山茶花が項垂れた。しかし、今も戦い続けている仲間と、無防備な状況のウリエル、そしてデイジーを想い、顔を上げる。

 私がやらなくては、と、自分に言い聞かせて、山茶花が思考を巡らせた。

 パスワードを設定したのは来栖博士だろうと考えたとき、データの閲覧キーが “mirai” だったことを思い出す。

 コンソールから mirai と入力したが、『パスワード、が、違います』という音声が響いた。

――mirai は違う。でも、何か、そういう言葉なんじゃないのか?

――博士の思考を辿るんだ。博士は、何のためにセラフを生み出した? どんな未来を思い描いていた?

 これまでの山茶花にとって、博士のイメージは、自分勝手な研究者だった。

 デイジーたちを実験の材料としか考えない、他人の痛みが分からない人間だと思っていた。

――だが、そんな人間が、未来なんて言葉をパスワードにするだろうか。

 研究者というイメージから、山茶花は倫太郎りんたろうを思い出す。彼もまた、かつては研究のことしか頭に無い人間だったと聞いていた。

 だが、彼は息子の遺志を継ぎ、封鎖区域に住む人々のために、機械化技術を活かす未来を選択した。

――博士の考えた未来は、誰にとっての未来だ?

――家族? 大切な人? いや、博士は倫太郎先生のように現場には出ず、研究所に籠もっていた。身近な人じゃない気がする。何か、もっと大きな、個人とは対極の……。

――国家? もしかしたら、人類?

――人類の未来?

 ガブリエルの言葉を思い出す。

 進化した新しい人類。

――進化?

 山茶花が “shinka” と入力したが、また弾かれる。

――違う。でも、届きかけている気がする。 

 言葉にならない手応えがあった。山茶花は、言い表す言葉を必死に探した。

 だが、言葉は浮かんでこない。

 山茶花が俯く。

――私でなければ。

 もっと頭のいい誰かなら、とっくに思いついているかもしれない言葉。

――ユーリャならどう考える? 傅なら? ギャビーなら?

 だが、言葉は見つからない。山茶花が、コンソールに拳を打ち付けた。

――時間が無いのに! なんでここに入ったのが私だったんだ!

――誰か、もっと頭のいい人間がここにいたら。

 山茶花の手が首元を探り、鉄の雛菊を握り締めた。

――もし、雛菊がここにいたら。

 祈るような声が漏れる。

「雛菊、馬鹿な姉に力を貸してくれ……」

――デイジーを、助けさせてくれ。

 雛菊とデイジー。

 不意に、墓前での対話が脳裏を過ぎる。

 花言葉。

 ギャビーが言った。

 純潔。

 美人。

 ユーリャが言った。

 平和。

 最後に、傅の口許が動く。一綴りの言葉が脳裏に閃く。

 雛菊に。亡き妹から背中を押されたように、山茶花がコンソールを操作した。


“kibou”


『パスワード、を、承認、しました』

 山茶花の前に、金属製のケースがせり上がってくる。

 大きな溜め息と共に、山茶花から、囁くような声が漏れた。

「ありがとう、雛菊」

 山茶花が扉を開ける。部屋の外には、原型を留めていないケルビムの亡骸なきがらと、壁にもたれて傷を回復させているガブリエルの姿があった。

「遅えよ」

 ガブリエルが、にやり、と笑う。笑みを返した山茶花が、すぐに表情を引き締めた。

「ウィルスは手に入れた。急ごう! ユーリャの通信が途絶えたんだ!」



 #9


 遂にケルビムの外殻を叩き割ったとき、ユーリャの右腕が前腕から砕け散った。

 しかし、顔色も変えずに反撃を躱したユーリャが、外殻の穴に左のスクリューブローを打ち込み、肉を深く穿うがつ。

 そのとき、擱座していたアームスーツから、ギャビーが飛び出した。アームスーツの背中から背嚢はいのうと無反動砲を引き出し、ユーリャに背嚢を投げる。

「ユーリャ!」

 キャッチすると同時に、ユーリャはギャビーの狙いを悟った。

 ケルビムの脇腹に穿たれた穴へ、ユーリャが力任せに背嚢をねじ込む。

 ケルビムがユーリャを振り払った。転倒したユーリャの前にギャビーが飛び出し、無反動砲を構える。

「あばよ」

 発射された対戦車ロケット弾は、ケルビムの体にめり込んだプラスチック爆弾入りの背嚢目がけて、一直線に飛翔した。

 発射と同時に身を翻したギャビーが、ユーリャの上に身を投げ出す。しかし、爆発の直前、ユーリャがギャビーの体を掴み、体を入れ替えた。

 爆発が起き、廊下を爆風が駆け抜ける。

 ギャビーが顔を上げると、体の大部分を失ったケルビムが、ゆっくりと倒れていった。

 ギャビーが、ユーリャを抱き起こす。

「無茶しやがる」

 ユーリャが、すすだらけの顔で微笑んだ。

「ギャビーは生身です。私なら……」

「あんまり大丈夫そうには見えないぜ」

「ギャビーにビルごと爆破されたときと比べたら、大したことは」

 ユーリャが悪戯めいた笑みを浮かべ、二人が、同時に吹き出した。

「立てるか?」

 ギャビーの肩を借りて、よろめきながらユーリャが立ち上がる。

「バランサーに不具合が……それよりギャビー! 私、通信機能が故障して……!」

 ユーリャが言いかけたとき、廊下の向こうから、階下に下りていた四人が走ってきた。

 ユーリャが、ほっと息をつく。

 追撃してくるプットの群れをガブリエルとラファエルが迎え撃つ中、ギャビーがコンソールを操作して隔壁を落とし、地下九階にプットの大半を封じ込めた。

 山茶花がデイジーを抱き上げ、ミカエルがウリエルを背負う。

 足元の覚束おぼつかないユーリャにギャビーが肩を貸し、ウィルスのケースを傅が持つ。

 ガブリエルが前衛、ラファエルが殿しんがりを引き受け、一行は残存するプットを蹴散らしながら、脱出の途についた。



 #10


 皆が階上に急ぐ中、照明が真っ赤になり、警報の音が変わった。

『重大事故、発生、につき、全館焼却、シークエンス、を、開始、します』

 ユーリャの声が緊張を孕む。

「ここを爆破する気です!」

「所長だな。どういうつもりだあの野郎」

 ギャビーが舌打ちした。山茶花が叫ぶ。

「あと少しだ! 急ごう!」

 しかし、地下一階まで上がったとき、最後尾で奮戦していたラファエルが、不意に足を止めた。

「ラファエル?」

 傅の声に振り返ったラファエルが、苦しげな顔に笑みを浮かべる。

「私は、時間切れのようだ」

 皆の顔色が変わる。駆け寄ろうとしたガブリエルに、ラファエルが叫んだ。

「来てはいけない! 私はもうすぐ、君を捕食する怪物に成り果てる!」

 ガブリエルの顔が歪む。

「そんな……嘘だろ……」

 傅が、必死な顔で、ウィルスのケースを開けようとした。

「確か、暴走時に使う射出機が入っていたはずだ!」

 ラファエルが叫ぶ。

「ミスター傅! 時間が無い! 行ってくれ!」

「嫌だ!」

 ガブリエルから、涙声の叫びが上がった。

「そんなの駄目だ! お前がいないと……」

 ラファエルの触手が、プットを取り込み始める。ラファエルから、穏やかな声が返った。

「行って下さい、ガブリエル。そして、私の分まで、未来を生きて下さい」

 ガブリエルが、子供のように泣きながらラファエルに駆け寄ろうとする。

 山茶花がデイジーを抱いたまま、体をぶつけて押し止めた。

「近付いては駄目だ!」

「でも、ラファエルが!」

 悲痛な叫び声が上がったとき、デイジーの体から光が溢れた。

 山茶花が目を見開く。

「デイジー!」

 眩い光の中で、山茶花は、デイジーの頭に光輪を見た。

 光が廊下を覆い、誰もが目を開けていられなくなる。

 光は、一瞬で収まった。皆が目を開いたとき、ガブリエルが、言葉にならない叫び声を上げた。

 外殻が崩れ、倒れかけたラファエルの裸身を、駆け寄ったガブリエルが抱き留める。

「デイジー……?」

 山茶花が呼びかけたが、デイジーは眠ったままだった。

 ガブリエルがラファエルを背負い、皆が再び走り出す。傅が振り返ると、後続のプットが全て跪き、動きを止めていた。

 地下から轟音が響き、建物が揺れ始める。荷役室に辿り着いた皆が、軍事車輌に次々と乗り込み、ギャビーがエンジンを始動した。

 最後に乗った傅が叫ぶ。

「いいぞ! 出してくれ!」

 車輌が急発進した。

 揺れが激しくなり、轟音が迫ってくる。

 間もなく、荷役室が炎に呑まれた。

 車輌が搬入出ゲートに走り込む。

 炎が追ってきた。ギャビーがアクセルを踏み込む。

 車輌が炎を振り切って外に飛び出し、僅かに遅れて、ゲートから爆炎が吹き出した。

 警備会社の車輌を蹴散らし、軍事車輌が、ラボから離れていく。

 一際大きな爆発音に皆が振り向くと、地上の建物が紙細工のように吹き飛び、大量の煙が、夜明けに近い空へ舞い上がった。

 車輌が走り続ける。

 煙が遠ざかっていく。

 ギャビーが、ようやく息をついた。

 助手席のユーリャが、後ろを振り返る。

 ラファエルを抱いたガブリエル。ウリエルを抱いたミカエル。

 傅が、山茶花に抱かれたデイジーへ、真摯な顔を向けている。

「デイジーは……」

 ユーリャの声に、ギャビーが「ん?」と声を漏らした。

「クリスマスに、間に合うでしょうか」

 気付いた傅が、「あと一週間くらいだね」と言う。

 ギャビーが、明るい声で言った。

「帰ってウィルスを投与したら、すぐに目覚めるかもしれないぜ。起きたらびっくりするようなサプライズを仕込みたいところだな」

 キャリアたちに、ギャビーが声をかける。

「君たちも、そのときは一緒に祝ってくれるかい?」

 ガブリエルの震えた声が返った。

「勿論だよ……フロイラインは、アタシたち全員の、命の恩人だ」

 ガブリエルが、ぽろぽろと涙を零している。

「なあ、アタシたちも、フロイラインのことをデイジーって呼んでいいのか?」

 山茶花が、ふっと笑った。

「勿論だ。この子は、デイジーという名前を、気に入ってくれているから」

「素敵な名前なんだ。花言葉がまたいい」

 ギャビーが、歌うような口調で言った。

「美人に」

「純潔」

 傅の声に、ユーリャが目を瞑って微笑み、言葉を重ねる。

「平和」

 山茶花が、デイジーの寝顔を優しく見つめながら、言った。

「それから、希望」

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