ep.11 困難に打ち克つ

 #1


 ジョーカーたちは、それぞれの場所で自分の役割を果たしていった。

 ユーリャはロシアン・マフィアの本部でデータの解析に協力し、ギャビーはラボの図面を洗っていく。

 フーは円卓や特警と協議を重ね、次の動きに向けて、根回しを進めていた。

 山茶花さざんかは、デイジーの目覚めを待ち続けている。

 ニカが度々部屋を訪れ、いつも通りに明るく振る舞い、彼女なりの方法で山茶花を支えていた。

 ガレージの周囲では、奇妙な現象が起きていた。

 からすはとすずめといった鳥類や、猫や犬、ねずみに至るまで、街中のあらゆる動物たちが、ガレージの周りに集まり始めたのである。

 動物たちは争うこともなく、静かにたたずんでいるだけだった。何かを待っているかのように。


 そして、一週間が経った。



 #2


 よく晴れた日の午前中。ニカが、コーヒーの入ったマグカップを二つ持って、部屋に入ってきた。

 山茶花が、ふふ、と笑う。

「前にも、こんなことがあったな」

 ニカが、カップの一つを山茶花に渡しながら言った。

「前と同じようにしたら、また目覚めるってジンクス作れないかと思って」

 山茶花の笑みが、可笑おかしそうなものへと変わる。

「ニカの発想は面白いな」

「いやいや、これだけ不思議なことが立て続けに起こってるんだよ? 今なら、これくらいのジンクス、神様だって多目に見てくれるって」

 ニカが明るく言うと、山茶花の表情がゆるんだ。

「そうだな。奇跡って言うほどには、大げさなものじゃない」

 二人は、並んで座り、デイジーの寝顔を見つめる。

 やがて、ニカが席を立った。

「食事どきになったら、また声かけに来るから」

 山茶花がうなずく。笑顔のまま山茶花に背を向けたとき、ニカの顔に、ほんの一瞬、悲しみを堪えるような表情が過ぎった。

 ニカが、ぐっと手を握り締め、悲しみをねじ伏せる。

 そのとき、背後で、がたん、という音がした。

 ニカが振り向く。椅子を倒して立ち上がった山茶花が、デイジーの枕元に身を乗り出している。

 ニカの顔に大きな笑みが広がる。窓の外で、沢山の鳥たちが羽ばたく。

 デイジーが、山茶花の顔を見つめ、掠れた声で言った。

「山茶花……ごめん、なさい。心配をかけて……」

 山茶花が、とても優しい表情で首を振り、デイジーの手を両手で握る。

「おかえり、デイジー」

「……ただいま」

 ニカが、デイジーに笑みを投げて、山茶花に言った。

「じいちゃん呼んでくる。山茶花も、みんなに連絡した方がいいんじゃない? 親馬鹿三人組に怒られるよ」

 山茶花が、笑みをこぼしながら、「そうだな」と答えた。



 #3


 デイジーは、一週間も寝ていた影響か、最初はまともに立つことが出来なかった。

 ニカが、機械化後のリハビリと同じ要領で歩行訓練をさせて、山茶花が手伝った。報せを受けた傅やギャビー、ユーリャも次々と駆けつけた。

 三日が経つ頃には、デイジーの体も、ほぼ元通りに回復してくる。

 そして、ユーリャの許に連絡が届いた。

「円卓が招集されます。データの分析が進み、協議が必要な段階に入ったということです」


 髪のほとんどが銀色になったデイジーを見て、円卓からも息を呑む音が聞こえてくる。

 トーマが言った。

「まだ分析出来ていない領域はあるが、デイジーについて分かったことが幾つかある。速やかに今後の方針を決めるべき事案だ」

 トーマによれば、来栖博士のデータには、段階的に情報を開示するプログラムが組まれており、第三段階までが開示されているという。

 第四段階は、ロシアのチームをもってしても、未だプロテクトが破れていない。

 トーマが説明する。

「第一段階には、セラフの概要がつづられていた」

 セラフは人間の脳に寄生する極小の生物で、脳に干渉し、宿主やどぬしの潜在能力を引き出す性質があるという。

 注射によって血管内に侵入したセラフは、脳に辿り着き、前頭葉ぜんとうように寄生して “根” を張り始める。

 根は時間の経過と共に脳全域へ届き、根の成長と共に、宿主の能力にも変化が生じていく。

 また、セラフの活動が五年を超え、試験体にいちじるしい変化が生じる場合は “始まりの少女” に対応させること、始まりの少女が、まだ能力を任意にんいに操れない場合、未知の変化が始まる前に試験体を処分せよ、との指示があるという。

「始まりの少女という呼び名は、間違いなく君を示すものだ」

 トーマがデイジーに目を向ける。デイジーが頷くと、トーマがさらに説明を続けた。

 第二段階では、始まりの少女のクローンにセラフを寄生させ、バックアップを作成出来ないか試みることや、試験体を複数作り、変化を観察すること、といった指示の他に、始まりの少女が持つ、あらゆる生物と意志の疎通そつうが可能と思われる能力についての言及げんきゅうがあるという。

 ジョーカーたちは、人型がデイジーに従っていたことを思い出していた。

 山茶花と傅が目を合わせる。二人の脳裏には、戦いの始まりを告げた鴉の記憶があった。

 トーマが言う。

「第三段階において、寄生後五年が経過したキャリアの情報がある」

 融合捕食能力ゆうごうほしょくのうりょく発現はつげん。この段階に達した試験体が暴走した際のデータもあった。試験体二号から五号は、暴走の後に、毒ガスにより処分されている。

 これらの失敗から開発された “セラフ自壊じかいウィルス” と呼ばれるものの情報もあったという。

 傅が、珍しく大きな声を上げた。

「セラフ自壊ウィルス?」

 トーマが頷く。

「そうだ。試験体が暴走し、始まりの少女が対応出来ない場合は、自壊ウィルスを体内へ注入するよう指示されている」

 ウィルスはセラフのみに作用し、人体には無害。セラフの細胞を変質させ、自壊へと導く。

 寄生後の時間が長い者ほど、セラフの根が脳の全域に達しているため、自壊には時間がかかるという。

「セラフの生み出された理由や、研究が続けられた目的については、おそらく、第四段階に情報があるのだろう」

 説明を終えたトーマが、一つ、付け加えた。データの閲覧制限解除えつらんせいげんかいじょキーは “mirai” だったという。

 ギャビーが肩をすくめた。

「どんな未来を想像していたのやら。で、自分はとっとと天国に行って高見の見物とは、来栖博士って人もいい性格してる」

 皆から、ふっと笑みが漏れる。ミケーレが、落ち着いた声音で言った。

「未知の点も多いが、君たちにとって、そして我々にとって、速やかに解決しなければならない問題は出揃ったと見ているよ」

 傅が言う。

「キャリアは五年が過ぎると、9号のように暴走する可能性がある。止められるのはデイジーの能力か、セラフ自壊ウィルスを体内に注入すること。問題は、デイジーもまた、キャリアだということ。いつか、融合捕食する怪物になってしまう可能性がある」

 ミケーレが頷いたとき、山茶花が声を上げた。

「デイジーの銀髪や眠りについては?」

 トーマが答える。

「まだ情報は見つかっていない。ただ、銀髪の発現はここへ来てからだ。来栖博士も生前に観測出来なかった変化なのだろう」

 そのとき、傅が、トーマに問いかけた。

「ところで、デイジーは何年目のキャリアなのか、データにありましたか?」

 トーマが即答する。

「十三年目だ」

 皆からざわめきが起きた。トーマが言う。

「始まりの少女という呼称こしょうは、十三年前、最初に生み出されたセラフを寄生させた最初の試験体だという事実から来ている」

 山茶花が苦い顔になり、「デイジーは、赤子の内にセラフを……」と言いかけたとき、傅が声を上げた。

「何故、デイジーは、五年を過ぎても融合捕食する段階に至らないのか」

 傅がデイジーに目を向ける。

「君は、自分にもセラフがいることを初めから知っていたね」

 デイジーが頷くと、傅がさらに問いかけた。

「君がセラフに干渉する術を 『何故か分かった』 と言ったのは、他者のセラフに対してのことで、自分のセラフにはずっと前から干渉していたんじゃないかな?」

 デイジーが、もう一度頷く。

「私のセラフには、ずっと前から眠ってもらってた。そうしないといけないって、分かってた」

 傅が、落ち着いた口調で、問いを重ねた。

「他者のセラフに干渉するとき、君は自分のセラフを起こしたのかな?」

 デイジーが頷く。

「すぐ眠ってもらえば、大丈夫かもしれないって思って」

 山茶花が、痛みに耐えるような顔になった。

「君は、私を助けるために、危険だと分かっていて……」

 ユーリャが、円卓に目を向ける。

「デイジーが危険をおかして助けてくれたのは、山茶花だけではありません。9号の暴走を止めることで、あの場にいた全員の命を救ってくれました。それに、もし、あのまま9号が暴走を続けていたら……」

 ギャビーが立ち上がり、円卓に向かって両腕を広げた。

「封鎖区域に住まう全ての人間にとって、この子は命の恩人だ。俺たちは恩義に報いるべきだ」

 円卓の四人が、揃って笑みを浮かべる。ミケーレが言った。

「四人とも、もう腹を決めている顔だ。心配無い。我々もまた、傅君から話は聞いている」

 傅が、ミケーレに笑みを返す。

「データからキャリアの暴走を止める鍵が見つかるかもしれない、ということは、推測の域を出ませんでした。デイジー自身が一つ目の鍵だと知ったときには、僕はまた、賭けに負けたと思ってしまいましたよ」

 傅が、ジョーカーたちとデイジーに目を向けた。

「だけど、幸いなことに、来栖博士はもう一つの鍵を用意してくれていた」

 ユーリャが、意気込んだ顔で言う。

「セラフ自壊ウィルスですね」

 ギャビーが、にやっと笑った。

「これでようやく、幕の引き方が見えたってわけだ。旦那が賭けに負け続けて、溜め込んでいた運のお陰かもな」

 傅がギャビーを横目でにらみ、ギャビーが目を逸らす。

 トーマが言った。

「首狩りウーゴ一派が一掃いっそうされ、カーマインも消えた今、封鎖区域に目立った火種ひだねは無い。お前たちが戻るまでの間くらいなら、どうとでもなる」

 雷蔵らいぞうが、朗々ろうろうたる声で告げる。

「思う存分、暴れてこい!」

 そして、おねだりする子供のような顔で、円卓の者たちに言った。

「儂らも行っちゃ駄目か?」

自重じちょうしろ」

 トーマが溜め息をつく。

 そのとき、ローの人形が、合成音声を発した。

「我々には、花のかえる場所を守る使命がある。そして、敗北を知らぬ我らが四枚のジョーカーこそ、この “無法者のおとぎ話デスペラード・フェアリーテイル” に幕を引く使命を帯びた者たちだ」

 デイジーが山茶花を見る。山茶花が、凛とした笑みをデイジーに向けた。

「ラボからセラフ自壊ウィルスを奪い、君のセラフを消す」

 デイジーが目を見開く。山茶花が言った。

「この物語を終わらせる。おとぎ話が終わったら、君の人生の物語が、ようやく本当に始まるんだ」



 #4


 拠点に戻ると、ギャビーが、皆に説明を始めた。

「セラフ自壊ウィルスが保管されているのは、ラボの最下層、地下十階だ。地下八階と九階には生物兵器が眠り、キャリアや生体兵器が暴走したときのために、毒ガスを投薬とうやくする仕掛けや隔壁かくへきもある。化け物どもの城にして、トラップだらけの地下迷宮ってわけだ。だが、狙い目はある」

 ギャビーがテーブルに図面を広げた。

「この前制圧した警備室からは、地下八階から下の設備は操作出来ない。所員が設備を管理する場所は他にある」

 ギャビーが、図面の一角を指し示す。

「地下八階の集中管理室だ。ここを制圧すれば、施設内の設備は掌握しょうあく出来る。そして、連中が自壊ウィルスを使うときのために、集中管理室から地下十階までは直通のエレベーターがある」

 ギャビーが、ユーリャに目配せした。頷いたユーリャが説明を始める。

「セラフ自壊ウィルスについては、ラボから奪取だっしゅしたデータに詳細がありました。ウィルスは全長六センチの容器に収められ、専用の注射器と、キャリアの暴走時に使用する射出機しゃしゅつきが、一緒に保管されています」

 ユーリャが、皆の顔を見渡した。

「問題は、キャリアと生体兵器です。例の人型は “プット” という呼び名でした。生体兵器は、プットの他に “ケルビム” という大型の個体が存在します。戦車を破壊し膂力りょりょくと、砲弾の直撃に耐える外殻がいかくの持ち主です」

 そのとき、デイジーが、ぽつりと言った。

「あの子たちとは、戦わなくていいかもしれない」

 デイジーは、プットが近付いてきたとき、自分を襲わないこと、守ってくれるということが、何故か分かったと説明した。

 デイジーの顔に、哀切あいせつの表情が浮かぶ。

「あの子たちが、歪められたいのちだということも、分かった。そんな風に生まれたいって、思ったわけじゃないのに……」

 山茶花が、デイジーの頭を撫でる。

 傅が言った。

「デイジーがいれば、生体兵器は攻撃してこない可能性が高いということだね。あとはキャリアの対策を……」

「ちょっと、いいか?」

 山茶花が、傅の言葉を遮る。

「こんなことを言うと笑われるかもしれないんだが……」

 ユーリャが首を傾げた。

「話し合えるかもしれない、ということですか?」

 山茶花が、物凄く驚いた顔になる。

「そ、そうだが、どうして分かったんだ?」

 ユーリャが微笑んだ。

「同じことを考えていたからです。ギャビーと傅はどうですか?」

 ギャビーが、にやっと笑う。

「仲間が生きていて、泣いてた奴もいたじゃないか。あいつらには人の心がある。あの黒い奴、8号だったか? あいつはデイジーに恩義を感じてたよな。あれは対話の糸口になると思うぜ」

 傅が頷いた。

「7号は、9号が暴走したとき、酷く驚いていた。彼らは、暴走について、知らされていないと見ていい」

 山茶花が、真摯しんしな表情になる。

「7号は、9号に呼びかけたとき、必死な顔をしていた……奴らがセラフの危険性を知り、仲間からセラフを消し去りたいと願うなら、セラフ自壊ウィルスの奪取は共通の目的になる」

 傅が、溜め息をついた。

「まあ、彼らと連絡を取り合う手段が無い以上、出たとこ勝負の賭けにはなってしまうけど、試す価値はあるね」

 ギャビーが、悪戯いたずらめいた笑みを傅に向ける。

「旦那が賭けって言うと、どうにも勝算が無いように思えてくるな」

「それは聞き捨てならないね」

 傅が抗議すると、五人の間に笑いが起きた。



 #5


 夕刻、ジョーカーたちとデイジーは、みなとみらい側のゲート前に集まっていた。

 先日の攻防で生き残った軍事車輌が、ラボへ向かう足として用意されている。

 ゲート前には、彼らの他にも、集まってきた者たちがいた。

 特警の三人組。い傷顔の日本人と、いかつい機械化義手のロシア人、太った中国人の三人が、デイジーに声をかけている。

 そこへ、一台のトラックが止まった。降りてきたユキオと親方が、山茶花とデイジーに声をかける。

 さらに、大きなリムジンが止まり、円卓の四人が降りてきた。運転席からドメニコも姿を見せる。

 皆が声を交わし合っているところへ、倫太郎りんたろうを後ろに乗せたニカのバイクが止まった。

 ニカがデイジーに駆け寄り、大きな笑顔を見せた。

「良かった! 間に合った!」

 ニカが、デイジーの首にペンダントをかける。ペンダントトップは、金属の部品を加工して、花に仕立てた物だった。

 デイジーの目が輝く。横から覗き込んだユーリャが、「まあ!」と声を上げた。

「山茶花ですね。とても素敵です」

 山茶花が、名前を呼ばれたと勘違いして「ん?」と首をめぐらせる。

 ニカが、デイジーに言った。

「お守りだよ。山茶花の花言葉は “困難に打ち克つ” 。だから、大丈夫!」

 デイジーが、鉄の山茶花を手にとり、嬉しそうに口許くちもとほころばせて、ニカに言う。

「ありがとう」

 ニカがにっこり笑い、立ち上がって山茶花を見た。山茶花もニカを見返す。

 ニカが、にっと笑った。

「信じてるから」

「分かってる」

 山茶花が、凛とした笑みを返す。

 ゲートが開き始め、五人が車輌に乗り込んだ。運転席のギャビーに、トーマが声をかける。

「外側の警備は買収済みだ。気にせず通れ」

「お膳立ぜんだて、感謝しますよ」

 車輌がゲートを出て速度を上げ、見送る者たちが手を振った。



 #6


 封鎖区域とみなとみらい地区の間に横たわる、無人の廃墟区域。

 進行方向に立つ人影を見て、ギャビーが車輌を止めた。

「お出ましだ。ラボからどう言われてるのかは分からねえが、すぐにやり合おうって雰囲気じゃないな」

 五人が車輌から降り立つ。彼らの前には、四人のキャリアが立っていた。

 両者が近付いていく。7号が、真摯な表情で、デイジーに言った。

「フロイライン、まずは礼を言っておくぜ。アタシとミカエルを助けてくれて、ありがとな」

 デイジーが、少し驚いた顔になった。7号が、山茶花たちにも目を向ける。

「アンタたちも、ウリエルが取り込まれそうになったとき、体張って助けてくれたよな。敵同士だってのによ……感謝するぜ」

 山茶花が、凛とした表情で、声を返した。

「私たちは、おのれの信念に従ったまでだ。礼には及ばない」

「信念?」

「強きをくじき、弱きを助ける。それが侠客きょうかくの生き様だ」

 7号が、にやっと笑った。

「かっこいいな、アンタ。こんな形で出会ってなけりゃ、いいダチになれたかもな」

 山茶花が、7号の目を真っ直ぐ見返して、言った。

「まだ、遅くはないかもしれないぞ」

 7号が怪訝そうな顔になる。

「なんだ? どういうことだよ?」

「聞きたいことがある。この前の暴走について、ラボから説明はあったか?」

 7号が言葉を詰まらせる。8号が、すっと前に出た。

「不測の事態だった、原因は確認中、という説明だけだ。君たちは、何か知っているのか?」

 ギャビーが、にっと笑う。

「この前、君たちが襲撃してきたとき、俺たちはラボに忍び込んでいたのさ」

 キャリアたちの顔に、驚きが走った。

 8号が問いかける。

「何のために?」

 ユーリャが、にっこり笑う。

「来栖博士のデータを入手するためです。泥棒をしました」

 キャリアたちの顔に、唖然とした表情が並ぶ。

 8号が言った。

「では、君たちはセラフについて、どこまで知り得たのだ?」

 傅が説明する。五年を過ぎたキャリアの暴走。融合捕食する存在への変化。

 試験体二号から五号までが暴走後に処分されていること。

 暴走を止める一つ目の鍵がデイジー。もう一つがセラフ自壊ウィルス。

 キャリアたちが、世界で一番たちの悪い冗談を聞いたような顔になっていく。

 傅が言った。

「僕らは、デイジーからセラフを消し去るために、セラフ自壊ウィルスを奪取する。君たちはどうする?」

 キャリアたちがうつむく。7号は、拳を握り締めていた。

 8号が、7号へ気遣うような顔を向けてから、傅に言う。

「……二号から五号は、病死だったと聞いていた。今の話が真実なら、私たちは、ラボから真実を知らされず、騙されていたということになる」

 ギャビーが、にやっと笑った。

「真実かどうかは、この前の出来事がこれ以上は無いくらい雄弁に証明してる。そうだろ?」

「確かに……」

 8号が、7号に言う。

「ガブリエル、君の判断に委ねよう」

 7号が驚き、「アタシ?」と声を上げる。

 9号が7号に言った。

「私たちのリーダーは、今も昔も貴女よ」

「だけど、今の話が本当なら、アタシはこのクソみてえな状況に、みんなを巻き込んだ張本人じゃねえか!」

 10号が首を振る。

「あのとき、俺たちに選択肢なんて無かった。誰も、ガブリエルのことを責めたりしないよ」

 山茶花が、7号に問いかける。

「お前たちは、何故、キャリアになったんだ? 何があった?」

 7号が、自嘲気味に笑った。

「アタシたちはさ、元々はただの、身寄りの無いガキの集まりだったんだ。生き延びるために何でもやったよ。そうしなけりゃ、十二、三のガキどもがあの抗争の中を生き延びることなんて出来なかったからな」

 ジョーカーたちが驚いた顔になる。

 傅が言った。

「君たちは、封鎖区域の出身なのか?」

 7号が答える。

「壁が出来る前だけどな。で、五年前に、とうとう追い詰められちまった。どれかのマフィアの尻尾を踏んじまったと思ったよ。でも、捕まった後、アタシたちは知ったんだ。マフィアの尻尾を踏んだんじゃない、ラボがアタシたちをさらいに来たんだってね。抗争が終わる間際のどさくさに紛れて、手頃な試験体を手に入れるためだったのさ」

 7号が、山茶花に目を向けた。

「アンタも会っただろ? 髪を操るクソ六号。アイツが、仲間をみんな殺しちまった。残ったアタシたち四人に、アイツは言った。俺と同じ力を得て、選ばれた者になるか、ここで人間として死ぬか選べって」

 傅が言う。

「君は、仲間のために前者を選んだんだね?」

「そうさ。後は大体想像つくだろ? ラボでキャリアになって、進化した新しい人類だとか言われて、無茶苦茶な選択だったけど間違いじゃなかったって思ってたら、これだ」

 くそったれ、と7号が吐き捨てた。

 そのとき、ずっと何かを考えている顔だった山茶花が、不意に7号へ問いかけた。

「お前たちは、伊勢佐木町にいなかったか?」

 唐突な質問に、7号がきょを突かれた顔になる。

「……アンタの言う通りだけど」

「お前たちを訪ねてきた者がいなかったか? 学校を作ろうとしていた人間だ」

 ジョーカーたちが息を呑む。7号が、「ああ」と頷いた。

「いたぜ。よく覚えてるよ。あの頃のアタシたちを人間扱いしてくれた、数少ない大人だったからさ」

 7号の顔に、切なげな表情が浮かび上がる。

「君たちにも通える学校を作る、抗争はじきに終わる、そこから先の未来を作る君たちを応援したいってさ。凄えいい人たちだった。アタシたちも夢見させてもらったんだよ。でも、死んじまったって聞いて。あのときは、久しぶりに悲しくなったよ……アンタ、あの人たちを知ってるのか?」

 山茶花が答えた。

「私の両親だ」

 7号が目を見開く。キャリアたちが、皆、驚いた顔になった。

 傅が「そうか」と声を漏らす。

「山茶花の両親は、抗争エリアにいた孤児のリストを作っていた。学校が出来たら、通学出来るよう支援するためのプログラムも、準備が進んでいた……」

 山茶花が、7号の目を真っ直ぐに見て、言った。

「私たちに手を貸せ! セラフ自壊ウィルスを手に入れたら、お前たちのセラフも消す!」

 7号が、戸惑った顔になる。

「だ、だけど、アタシたちにはもう、生きていく場所が……」

「封鎖区域に住めばいい!」

 山茶花が迷い無く声を返した。7号が、思わず叫ぶ。

「待てよ! アタシたちはあそこで散々暴れた! 死んだ奴や大怪我した奴だっているだろ? そんなアタシたちが……」

「協力してくれるのなら、その尽力じんりょくもって手打ちとする!」

 山茶花が、ジョーカーたちに目を向けた。

「それでいいか?」

 傅が、飄々ひょうひょうとした声を返した。

「問題無いよ。こうなる可能性も折り込んで、円卓にも特警にも根回しは済んでる」

 山茶花が、7号に目を向け直す。

「と、いうことだ。私たちはデイジーのために。君たちは仲間のために。目的が同じなら協力し合えるはずだ」

 7号が言葉を詰まらせ、俯いた。いつもの彼女からは想像も出来ないほど、弱々しい声が漏れる。

「……怖えんだよ。一度、選び間違えてるからよ……」

 山茶花が7号に背を向けた。

「私たちはラボへ向かう。決断出来たら来てくれ。君たちの足なら、すぐ追いつけるはずだ」

 立ち尽くす7号から、山茶花が離れていく。ジョーカーたちが、次々と車輌へ足を向ける中、ギャビーが7号に声をかけた。

「君たちが呼び合ってる天使の名前は、自分たちで付けたものかい?」

 7号が、上目遣いにギャビーを睨む。

「だったらどうだって言うんだ。おかしいなら笑えよ」

「俺の名前はガブリエーレ・ジュリアーノ。君と同じ、ガブリエルさ」

「えっ」

 思わぬことを言われ、7号が無防備な顔になった。ギャビーが歌うような調子で言う。

「どうもこれは運命なんじゃないかって気がしてならない。どうだい? 事が済んだら、俺と美味いものでも……」

 ギャビーのえりを後ろからユーリャが掴み、猫のように持ち上げた。

「口説いている場合ですか」と怒られながら、ギャビーが車輌に連行されていく。

 7号が、ぷっ、と吹き出した。彼女だけではなかった。他のキャリアたちも、思わず笑ってしまっている。

 ギャビーが、ユーリャに抗議するような声を上げた。

「見ろ、みんな、笑顔は素敵じゃないか。俺はこの笑顔のために……」

「分かりましたから、早く乗って下さいね」

 ユーリャが、ギャビーを車輌の中に放り込む。

 車輌が走り出すとき、窓からデイジーが身を乗り出して、いつになく大きな声で、キャリアたちに呼ばわった。

「待ってる……!」

 キャリアたちの姿が小さくなっていく。最後に見えたのは、7号の肩に、他の三人が手を置く姿だった。


 みなとみらい地区に入ったとき、傅が振り返った。

「彼らはまだ動かないか」

 山茶花が真摯な顔で言う。

「仕方無い。奴らにとって大きな決断だ。私たちは予定通りに行こう」

 運転席のユーリャから声が上がった。

「見えてきました。ラボの搬入出はんにゅうしゅつゲートです」

 ギャビーが立ち上がる。

「じゃ、予定通りおっぱじめよう」

 ギャビーが、にやっという笑みをデイジーに投げた。

「今回の予定は?」

 デイジーが、ギャビーの真似をして、ぎこちなく、にやっと笑う。

「派手に行く」

「仰せのままに」

 ギャビーが上部ハッチから身を乗り出し、搬入出ゲートのシャッターに向けて無反動砲を構える。

 放たれた対戦車ミサイル弾は、最後のおとぎ話が開幕したことを告げた。

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