ep.10 黙示録

 #1


 山茶花さざんかフー、デイジーは、みなとみらい側のゲートを目指して野毛の街中を疾走していた。

 山茶花がデイジーに言う。

「君は現場に近付き過ぎては駄目だ。危なくなったらすぐに逃げるんだ」

 デイジーの顔に迷いの色が滲んだ。

「でも……私の力も……」

 傅が、走りながらも落ち着いた声音で言う。

「デイジーの力には、未知の部分が多い。君の身にどんな影響を及ぼすか、まだ全部分かっていない。だから、君の力は最後の手段だ。この前決めたね?」

 デイジーが、どこか煮え切らない顔で頷いた。山茶花が、ふっと笑う。

「私たちが頼りないか?」

 デイジーが首を振った。

「でも、相手も、強い。向こうは四人揃ってて、山茶花と傅は二人だけで……」

「すぐにギャビーとユーリャも追い着く。それまで凌げばいいだけのこと」

 山茶花が、力強い笑みを見せる。

「大丈夫、心配はいらない」

 デイジーが頷くと、傅が大通り沿いの雑居ビルを示した。

「このビルの屋上から、様子を見ていてくれるかな?」

「分かった……二人とも気をつけて」

 デイジーが、心配そうな顔のまま、ビルの階段を駆け上がっていく。

 山茶花と傅は、一度だけ目配せし、頷き合うと、現場へ急いだ。


 ゲートが外部から操作され、ゆっくりと上がっていく。

 特警は、ゲートへ向かい合うように、大通りへ封鎖線を敷いていた。

 以前の戦いで鹵獲ろかくした四台の軍事車輌が投入され、バリケードのように大通りを塞いでいる。砲塔から伸びる修理済みの重機関銃が、銃口をゲートに向けていた。

 車輌の影で、特警の男たちが声を交わしている。

「相手は、この前、ジョーカーと渡り合ったんだろ? 俺たちで相手になんのか?」

 縫い傷顔の日本人が言うと、無反動砲を構えた機械化義手のロシア人が、怒鳴り声を返す。

「知るかよ! やるしかねえだろ!」

 太った中国人が溜め息をつき、「どんな化け物が……」と言いかけて、ぽかんと口を開けた。

 彼だけではなかった。ジョーカーと互角に立ち回ったという噂だけを聞き、入れ込み過ぎた競走馬のようになっていた特警の面々は、侵入してきた車輌から降り立った者たちを見て、どう反応して良いのか分からないような顔になっていた。

 黒いチューブトップの上に丈の短い真っ赤なレザージャケットを着た赤毛の女。

 ホットパンツの下に伸びる引き締まった脚や、腕まくりした袖から見える腕には、幾つものタトゥーが踊っている。

 そして、黒いロングコートを着た長身痩躯ちょうしんそうくの男と、白いロングコートを着た白髪の女。白いパーカーを着て、目深まぶかに被ったフードの端から白髪が零れている男。

 四人ともティーンエイジャーに見えた。ただ者ではない雰囲気はあるが、強面揃こわもてぞろいの特警に比べたら可愛いものである。

 自分たちが何と向き合っているのかよく分からなくなり、特警の面々が怪訝そうな顔になったとき、赤毛の女が、よく通る声で叫んだ。

「熱烈な歓迎、嬉しいぜ! お礼に死ぬほど踊らせてやるからな!」

 彼女以外の三人が、外見を変質させる。見る間に外殻がいかくで覆われていく三人の体。「やっぱ化けもんだ! 撃て!撃ちまくれ!」という誰かの声を合図に、特警たちが一斉に銃撃を放った。

 しかし、白い外殻の二体が姿を消し、赤毛の女も特警たちの視界から消える。黒いキャリアだけが銃弾を弾きながら封鎖線へ突進してきた。

 軍事車輌の重機関銃が火を吹く。しかし、跳躍して火線を躱した黒いキャリアの背中から、三本の触手が動体視力を振り切る速度で飛び出し、車輌の砲塔をいだ。

 三基の重機関銃が砲塔ごと寸断される。残る一基も、不可視のやいばに銃身を断ち切られていた。

 そして、赤毛の女が車輌の一つへ肉薄し、地面を擦るような低空からのアッパーカットを放つ。

 鼻先に拳の直撃を受けた軍事車輌の車体が縦に持ち上がり、逆さまに転倒した。

 特警から悲鳴が上がる。続いて、封鎖線のあちこちで血煙が舞い、さらなる悲鳴が重なった。

 特警たちのただなか中を駆け抜けながら刃を振るう不可視のキャリアたち。さらに、飛び込んできた黒いキャリアの触手が特警たちをまとめて薙ぎ払う。

 瞬く間に、大通りは地獄の蓋が開いたような有様となった。

 そのとき、悲鳴と銃声を貫いて、山茶花の声が響いた。

「みんな退け! 私たちが相手をする!」

 同時に、黒いキャリアの振り回していた触手の一本が、突然力を失い、地面に堕ちる。

 黒いキャリア、試験体8号は、触手の先にしょうをかざした傅の姿を見て、歓喜の声を上げた。

「ハニー! 再会のときを楽しみにしていたよ!」

 そして、残像しか見えないほどの速度で封鎖線を突っ切ってきた赤毛の女、試験体7号の鼻先に、山茶花の刃が突きつけられる。

 飛び退いた7号が、ぎらつく眼を山茶花に向けて笑った。

「出たな! 決着つけようぜ剣客さんよ!」

 特警たちが、キャリアとジョーカーの対峙たいじから距離を取り、遠巻きになる。

 そのとき、傅と山茶花が、同時に飛び退いた。特警たちの血で赤く染まった刃が、二人の鼻先を通り過ぎていく。さらに、傅には8号の触手が、山茶花には7号の拳が襲いかかった。

 7号と8号に、それぞれ不可視の9号と10号が連携し、山茶花と傅に攻撃を仕掛けていく。

 特警たちは、目まぐるしい攻防を繰り広げるジョーカーとキャリアの戦いに割り込むことが出来ない。そして、彼らの目にも、ジョーカーの不利は明らかだった。

「どうなってんだ……ギャビーの兄貴とユーリャさんは!?」

 縫い傷顔の日本人が、顔を歪ませながら叫ぶ。

 そのとき、傅と戦いながらも場のあちこちに油断の無い視線を向けていた8号が、ビルの屋上を仰ぎ見て、両腕を開いた。

令嬢フロイライン! お迎えに上がりましたよ!」

 特警たちもビルの屋上を見る。視線の先に、デイジーの姿があった。

「あの子は……」

 機械化義手のロシア人が声を漏らしたとき、8号が、右手に持った機械を操作する。

 キャリアたちの乗ってきた車輌が後部を展開した。白い煙のようなものが溢れ、中からうごめき出る影がある。

 十指じゅっしに刃のような爪を備えた人型たち。特警から「この前の化け物だ!」という声が上がった。

 8号が、十体の人型に告げる。

「さあ、天使たちよ! フロイラインをお連れするのだ!」

 人型の群れが、デイジーのいるビルに向かって疾走し始めた。

 特警たちが人型に銃撃を放つ。太った中国人が叫んだ

「させっかよ!」

 しかし、人型は、素早い動きで的を絞らせず、多少の被弾はお構いなしに疾走し、行く手を阻む特警の封鎖線に次々と突っ込んでくる。

 十指の爪が閃き、特警たちを斬り薙いだ。山茶花が叫ぶ。

「デイジー! 逃げろ!」

 デイジーが走り始め、皆の視界から消えた。封鎖線を突破した人型の群れが、デイジーを追って飲食街へ走り込んでいく。



 #2


 山茶花とやり合っていた7号が舌打ちした。

「アンタは、大事なもんが危険に晒されると、気になって本気が出せなくなるんだよな」

 そんなアンタに勝っても意味無えよ、と言った7号が、8号に向かって叫ぶ。

「ラファエル! 代われ!」

 山茶花の目が素早く動き、死角から飛来した触手を躱した。

 8号が山茶花の前に立ち塞がる。そして、一瞬の内に、7号が傅の前に立っていた。

 傅に目を向けたまま、7号が叫ぶ。

「ソイツは強えぞ! ミカエル、ウリエル、お前らもラファエルと一緒にソイツを抑えとけ!」

 さらなる触手の攻撃を躱した山茶花に、9号と10号までが飛び込んできた。

 二体の刃を躱した山茶花は、続く7号の声を聞いて、慄然とした顔になる。

「コイツは、アタシが片付ける」

 7号の速度には、山茶花以外の対応が難しいとされてきた。

 山茶花が、切羽詰まった声で「傅!」と叫ぶ。

 しかし、三本の触手と不可視の二体が続けざまに山茶花を狙い、彼女は傅を助けに行けない。攻撃を躱す瞬間、山茶花の視界に、7号が傅に向かって地を蹴るさまが映った。

 傅が7号の攻撃をさばきながら後退し、二人の姿が大通りから外れ、路地へと消えていく。



 #3


 デイジーは、建物の屋上を飛び移りながら逃げていた。

 振り向いた彼女の目に、人型の姿が映る。人型の群れは、いつの間にか建物の屋上に出て、デイジーと同じように建物を飛び移りながら追ってきていた。

 行く手に目を向け直したデイジーが、「あっ」と声を漏らす。

 屋上に転がっていた空き缶を踏んだデイジーが、バランスを崩して転倒した。

 慌てて立ち上がったデイジーは、

 ふと、デイジーが動きを止めた。人型の存在が “いのち” の位置として、ごく自然に感覚されていることに、ようやく気付く。

 デイジーが、人型に目を向けた。一体が、デイジーの目の前に着地する。

 人型を見つめるデイジーの顔には、恐怖の色が全く無かった。

 人型も、今にも攻撃に入ろうとするような姿勢のまま動きを止め、デイジーを見返している。

 続いて、後続の人型が次々とデイジーの側へ着地したが、どの個体もデイジーを至近距離で見て、動きを止めた。

 人型たちを見つめるデイジーの顔に、哀れむような表情が浮かび上がる。

「なんて、悲しい、“いのち”……」

 デイジーから囁くような声が零れたとき、目の前にいた人型が、爪を引き、片膝をついた。他の人型も、同じように次々と片膝をつき、一斉に頭を垂れる。

 ひざまずく人型たちの直中に立つデイジーは、哀しげな顔のまま、目を閉じた。



 #4


 8号の触手が両断され、宙を舞う。飛び込んだ9号と10号が、どちらも片腕を斬り落とされる。

 攻撃を仕掛けた側が斬撃を喰らう、時間を飛び越えるような山茶花の妙技。

 腕を落とされた9号と10号が動きを止めた隙に、触手を全て切断された8号のふところを、山茶花が一気におとしいれる。

 8号の顔から余裕が消え、両腕の外殻でガードしようとするも、交錯した瞬間、8号の両腕が寸断されていた。

「何だ!? 何が起きた!??」

 困惑しながらも、8号は、繋ぎ合わせた触手で腕を拾い、切断面に押しつけて再生を図る。9号と10号も腕の再生に時間を取られている。

 動きの止まった三体を尻目に、山茶花が傅の消えた路地へ駆け込もうとしたとき、彼女は見た。

 路地から再び大通りへ移動してくる傅と7号の姿。7号の速度は、山茶花が見る限りギア4に入っている。

 傅にとっては、爆撃に等しい威力の打撃が、残像しか見えない速度で矢継ぎ早に飛び込んでくるという状況の筈だった。

 だが、当たらない。傅が滑るような足捌きで体を回し、両手が流れるような動きで7号の打撃を逸らす。

 力の軌道を変えて無効化する中国武術の技巧、化勁かけい

 しかし、7号の速過ぎる動きが、傅の目に全て見えているわけではない。傅は、化勁で相手の体へ触れる度に、次の動きを読み取り、7号に先んじて動いていた。

 中国武術の妙技、聴勁ちょうけい

 速度において遙かに勝る7号の打撃が、あらかじめ予定されていたかのように、ことごとくうを切る。

 技巧の極み。舞うような傅の動きに、山茶花は目を奪われた。

 ふわり、と7号のバックブローをいなした傅の掌が、必然の流れをもって7号の腹部に触れる。7号が体勢を崩し、傅がすっと間合いを広げた。

 7号がよろめきながらもバランスを立て直し、苦しげな顔で傅を睨む。

「てめえ、何しやがったっ……!」

 浸透勁しんとうけいが入ったことを確信した山茶花から、思わず感嘆の声が零れていた。

「見事……」

 7号が、山茶花にぎらつく目を向ける。そして、彼女の目が、山茶花の背後に引き付けられた。

 山茶花が振り向く。他のキャリアや傅も同じ方向に目を向け、一様に目を見開いていた。

 飲食街から人型の群れが戻ってくる。人型たちの直中には、平然と一緒に歩いてくるデイジーの姿があった。

 8号から、呆然とした声が漏れる。

「なんという事だ……もうそんな段階に……」

 不可視化を解き、姿を現していた9号と10号が、腕の再生を終え、人型の群れを睨む。9号が8号に言った。

「もう天使は駄目ね。私たちが仕掛ける。私たちが止められても、フロイラインは続けて力を使えないかもしれない。そこを狙って」

「待て、フロイラインの力がどんな状態なのか分からない。悪戯に……」

「だから、駄目元でやるって言ってるのよ! 貴方とガブリエルがいれば、後はどうにか出来るでしょ!」

「待つんだミカエル!」

 8号の制止を振り切るように、9号と10号がデイジーに向かう。飛び出そうとした山茶花の前に8号が、傅の前に7号が立ち塞がった。

 そのとき、人型たちが動き、9号と10号に向かっていく。

 デイジーが「待って……」と声を上げたが、人型の群れは9号と10号に殺到した。9号と10号が、次々と人型を切り裂きながらデイジーに迫る。

 ばらばらに斬り刻まれていく人型を見たデイジーが、悲痛な表情で「止めて!」と叫んだ。

 そのとき、9号は、聞き覚えのある銃声を聞いた。慌てて首を捻り、目を狙って飛来した銃弾を外殻で弾いた瞬間、彼女は横殴りの衝撃に吹き飛ばされていた。

 9号の体が、交通事故に遭ったかのように路面で跳ね、ごろごろと転がっていく。

 山茶花が声を上げた。

「ギャビー! ユーリャ!」

 右フックを打ち終えたユーリャが素早くステップを踏み、10号に迫る。10号が斬撃を繰り出したが、ユーリャの収縮、回転する右目は、10号の動きを瞬きもせずに捉えていた。

 10号がどう動くか、あらかじめ分かっていたかのように、ユーリャが斬撃を次々と躱し、目にも止まらない速度のコンビネーションを繰り出す。

 ユーリャの打撃が、10号の外殻を次々と剥ぎ取っていった。10号が飛び退こうとした瞬間、ギャビーの銃撃が10号の目を狙う。

 首を捻って、外殻で銃弾を弾いた刹那せつな、ユーリャの前蹴りが10号の鳩尾みぞおちを抉っていた。

 真っ直ぐ後方に弾き飛ばされた10号の体が、路面に投げ出される。

 傅が、7号に言った。

「形勢は逆転した。まだやる気かい?」

 7号が、大量の汗をかきながらも、ぎらつく目で傅を睨み返す。

「舐めんな。お前ら四人まとめて、アタシのギア5で……!」

 8号が切迫した声で叫んだ。

「止せ! この局面でギア5は使うな!」

 そのとき、9号がゆらりと立ち上がった。9号に向かって構えたユーリャが、困惑の表情を浮かべる。ユーリャの右目は、予測から完全に外れた光景を見ていた。

 寸断され、路面に転がる人型の体に、9号が手を伸ばしている。人型の体は、9号の手へ引き摺り込まれるように消えていった。

 9号が次々と人型の体を取り込み、だんだんと体が大きくなり始める。

 未知の状況に警戒して、ユーリャが飛び退き、距離をとった。山茶花と8号も、傅と7号も、自分たちの戦いを忘れ、異様な状況に目を奪われている。

 やがて、9号の体は、元の体の数倍に膨れ上がった。ようやく身を起こした10号に、9号が近付く。

 ユーリャの打撃で顔の外殻が半ば剥がれ、9号とよく似た白皙の素顔を露わにしていた10号は、困惑の表情で、肥大化した9号を見上げた。

「あ、姉貴……?」

 9号が、10号に手を伸ばす。突如、10号の五指ごしから人型そっくりの爪が伸びた。

 10号が体を貫かれ、悲鳴を上げる。そして、悲鳴は間もなく絶叫に変わった。

 爪が、10号の体へ根を張るように融合し始めたのである。

 7号が、愕然とした表情のまま声を上げた。

「おい……なんだ! なんだよコレ!」

 最初に我へ返ったのは山茶花だった。一瞬で9号に肉薄した山茶花が、10号を貫いている爪ごと、9号の腕を両断し、素早く離脱する。

 次に我へ返った8号が、触手で10号の体を絡め取り、9号から引き離した。9号が8号に目を向け、巨体に見合わない速度で接近する。

 8号が振り払うように触手を振るった。刃のように変化した触手が9号の体に食い込む。

 しかし、9号の体は、触手にも融合し始めた。8号が悲鳴を上げたとき、飛び込んできたユーリャが右腕を振りかぶる。飛び出した副腕ふくわんのカーボンブレードが、一瞬で触手を切断した。

 触手を取り込んだ9号の背中が、軋むような音を立てて膨らみ、無数の白い触手が伸びた。周囲に散らばった人型の体や、まだ動ける人型が触手に絡め取られ、次々と9号の体に吸収されていく。

 十体の人型全てを取り込んだ9号の体は、今や元の体の何倍にも肥大化していた。

 そのとき、現場を遠巻きにする特警の輪に、いつの間にか潜り込んでいたギャビーが、ロシア人の持っていた無反動砲を構え、9号の巨躯に対戦車ミサイル弾を撃ち込んだ。

 9号に直撃し、爆発が起きる。ギャビーは、晴れていく煙の中に浮かび上がったものを見て「おいおい……」と声を漏らした。

 爆発で異様な形に変形した9号の体が、すぐさま再生を始めている。

 巨躯は元通りの形ではなく、いびつな姿へ収斂しゅうれんしていった。

 体を震わせながら9号を見つめているキャリアたちに、傅がいつになく鋭い語調で言う。

「君たちの体は、 “あれ” に触れると取り込まれてしまうようだ。奴に触れるな」

 7号が傅を見る。彼女の顔には、戦闘狂とも言えるようないつもの高揚は無く、怒りを必死に噛み殺している表情があった。

 震える声が、傅に返る。

「アイツのことを “あれ” とか言うんじゃねえ……」

 7号は、9号に目を向け、大きく息を吸い込むと、傅の前から消えた。

 状況に気付いた8号が「ガブリエル!」と叫ぶ。7号は、9号の目の前に立っていた。

「ミカエル! アタシだ! 分かるか!」

 7号が、縋り付くような表情で9号に呼びかける。

 しかし、9号の白い触手が一斉に鎌首をもたげ、7号に襲いかかった。

 7号が、悲痛な咆哮ほうこうを上げ、跳躍して触手を躱しながら一瞬で9号の懐に飛び込む。続いて、爆撃に等しい7号の一撃が、9号の体をぜさせた。

 着地した7号がすぐさま跳ぶ。9号の巨躯へ、続けざまに7号の拳が叩き込まれた。余りの速さに、周囲の者たちには、同時に何発もの打撃が入ったように見えている。巨大な散弾を喰らったかのように、9号の体が引き裂かれ、花が咲いたように大きく開いた。

 次の瞬間、ジョーカーたちも、キャリアたちも、愕然とした表情になった。

 開いた花が、一瞬で閉じた。まるで、体全体が巨大なあぎとになったかのように、9号の体が7号を呑み込んでしまった。

 8号が言葉にならない叫び声を上げる。山茶花も、傅も、ギャビーも、ユーリャも、目の前の状況にどう対処したら良いのか、全く分からなかった。

 そのとき、山茶花が大きく目を見開き、切羽詰まった叫び声を上げる。

「デイジー!!!」

 9号の前に、デイジーが歩み出ていた。

 飛び出そうとした山茶花に、デイジーが静かな表情で手をかざし、押し止めるように制する。

 デイジーが歩み寄ると、9号の触手が一斉にデイジーへ走ったが、無数の触手は一本たりともデイジーに触れることなく、彼女の目の前で動きを止めた。

 デイジーがさらに一歩踏み出し、手を伸ばして9号に触れる。

 デイジーの体は、取り込まれなかった。うっすらと、デイジーの体から光が漏れる。

 山茶花が息を呑んだ。デイジーの髪が、余すところなく銀色に輝いている。

 デイジーが、すっと手を引き、一歩後ろに下がった。

 9号の巨躯が路面に跪く。体表から、硬質化した体が剥がれるように落ち始め、すぐに体全体が崩れ、ばらばらと路面に散らばった。

 ジョーカーたちと、キャリアたちが駆け寄る。崩壊した体の破片が散乱する直中に、7号と9号の裸身が横たわっていた。8号が7号を抱き起こし、10号が9号の許へ屈み込む。

 すぐに、10号がぽろぽろと涙を零し始めた。

「生きてる……!」

 8号も、祈るような表情で7号の体を抱え上げる。

「ガブリエルも、生きている……」

 8号が、デイジーを見た。デイジーも8号を見返す。

 デイジーの周りに立つジョーカーたちも、静かに8号たちを見ていた。

 8号が、デイジーに、深々と頭を下げる。

「すまない……!」

 8号と10号は、それぞれ7号と9号を抱き上げたまま身を翻し、凄まじい速度でゲートに向かって走り始めた。

 動きかけた特警に向かって、山茶花が鋭い声を発する。

「追うな!」

 特警の者たちが、撃たれたように身をすくめ、足を止めた。

 傅が、特警の者たちに言う。

「未知の状況が立て続けに起きた。今はあのまま行かせた方がいい。僕らにも、状況を整理する時間が……」

 言いかけた傅の声が、途中で途切れる。

 ふらりとよろめいたデイジーの体を、最初に山茶花が支えた。次いでユーリャが、ギャビーが一緒に支える。

 傅も加わり、ジョーカー四人が、デイジーの顔を覗き込んだ。

 デイジーが、朦朧もうろうとした表情で、掠れた声を漏らす。

「ごめん、なさい……心配……を……」

 声が消え入るように小さくなり、デイジーが目を閉じた。



 #5


 デイジーの寝顔に、山茶花が目を向け続けている。

 ガレージの一室。深夜の戦いが終わり、夜が明け、今は、午前中の柔らかな日差しが窓から差し込んでいた。

 ドアがノックされ、傅とギャビー、ユーリャが入ってくる。

 ギャビーが、山茶花に言った。

「ラボのデータはトーマさんに引き渡した。今頃は、ロシアン・マフィアの本部で解析が始まってる」

 傅が、普段より幾分静かな口調で言う。

「デイジーの眠り、それから銀髪のことを説明出来る情報は、最優先で探してもらえるように頼んできたよ」

 ユーリャが、眉根を寄せながらデイジーを見た。

「デイジー……」

 悲しげな声が漏れる。山茶花も、傅も、ギャビーも、デイジーの寝顔に目を向け直した。

 眠るデイジーの面には、苦しげな様子は無い。事情を知らなければ、ただ眠っているようにしか見えない。

 彼女の髪は、ほとんどが銀髪に変わっていた。

 長い時間、じっとデイジーの寝顔を見つめていたジョーカーたちは、やがて、静かに言葉を交わし始めた。

 山茶花が言う。

「私は、出来ることなら、この子を普通の人間に戻してあげたい。でも、それがもし叶わないとしても、私はこの子を守る。そう、約束したんだ」

 ユーリャが言う。

「私は、かつて、この子に人としての幸せを見つけて欲しいと願いました。その想いは、今も変わりません」

 傅が言う。

「僕は、全ての問題が解決したら、この子が自分の未来を自分の意志で選ぶことが出来たらいいと思っている。その状況を作り出すために、僕が出来る全てのことをやろうと考えている」

 ギャビーが言う。

「俺はこの子の笑顔を見た。素敵な笑顔だった」

 皆が、ギャビーに目を向けた。ギャビーが、はにかむような笑みを浮かべる。

「デイジーはラボにいた頃、きっと笑うことなんて知らなかったんだぜ。だから、ここへ来て笑うまで、あんなに時間がかかったのさ。だが、やっと笑えた。これからは何度でも笑えればいい」

 ギャビーが目を瞑った。

「この子が何度だって笑える明日のために。他に、俺が命を張る理由は必要無いね」

 四人が、頷き合う。山茶花が、ぽつりと言った。

「昨日の夜、桜の話をしていたんだ。見たいって言ってたぞ」

 傅が、いつもの表情に戻って言う。

「春はいつ来るのかって聞いていたね」

 ギャビーが、にやっと笑った。

「いいね。川沿いはお祭り騒ぎだ。デイジーの笑顔が、また見れるぜ」

 ユーリャが、手を合わせて微笑む。

「そのときは、あの茶箱に入っていた浴衣ゆかたを着てもらえば良いのではないでしょうか」

 山茶花が苦笑した。

「私のおふるなんだがな」

 ギャビーが、ふっと笑う。

「素敵な浴衣だったぜ。あの子にもきっと似合うさ」

 ユーリャが笑顔で頷いた。

「デイジーも、きっと気に入りますよ」

 ギャビーが、傅から目を逸らしながら言う。

「あのチャイナ・ドレスはどうかと思うけどな」

 傅が、抗議するような目をギャビーに向けた。

「あれは羅老師の趣味であって、僕の趣味じゃないんだが」

 思わず、四人の間に笑いが零れる。笑いはすぐに落ち着き、四人がデイジーの寝顔に目を向けた。

 ユーリャが言う。

「私は、ロシアン・マフィアの本部に戻って、データの解析に協力します。今、私に出来る一番のことだと思いますから」

 傅が、ギャビーに言った。

「昨夜の暴走が来栖博士の想定内だとしたら、セラフを除去する何らかの手段を用意していた可能性はあると思う。もし、そうなったら……」

 ギャビーが言葉を引き継ぐように言う。

「ラボにはもう一度お邪魔しなきゃならなくなるかもな。俺はラボの図面をもう一度洗っておくぜ」

 傅が頷く。

「僕は円卓や特警に根回しをしておくよ。次の動きに向けて、準備を整えておくことにする」

 山茶花が「私は……」と言いかけると、傅がさらりと言った。

「デイジーに誰か一人はついていないといけない。頼んでいいね?」

 ユーリャが、柔らかい笑みを浮かべる。

「デイジーは、山茶花に一番懐いています。目覚めたとき、山茶花がいれば、きっと安心しますから」

 ギャビーが、重要なことを伝える口調で言った。

「だが、目覚めたら俺たちにすぐ連絡するんだぜ? こいつが最優先事項だ」

 山茶花が苦笑する。

「分かった」

 傅とギャビー、ユーリャが立ち上がった。部屋を出た三人は、倫太郎りんたろうとニカに一声かけてからガレージを出た。

 ガレージの前で、三人が頷き合う。そして、それぞれの場所に向かって歩き始めた。

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