第12話 理由との対峙にはもう飽きた   

 1999年7月2日(金)


 名 前:百式 長之介(ももしき ちょうのすけ)

 年 齢:17歳(1981年10月12日生まれ)

 勉 強:★☆☆☆☆☆

 運 動:★★☆☆☆☆

 外 見:★★☆☆☆☆

 ゲーム:★★★★☆☆

 モテ度:☆☆☆


 三時限目の退屈な数学の授業(と言うより、退屈じゃない授業はパソコンを用いた授業と体育くらいである)、教室内を教師が、秘密基地に潜入した蛇の名前の工作員を探す警備兵のごとく教科書を持ってうろつく。僕は将来に役立つとは思えない教科書の公式と睨めっこをするフリをしながら、自分のステータスなるものをノートの片隅に書いて、貴重な勉学の時間を持てあましていた。


 僕がノートにステータスなる自己分析を記すのは子供の頃からの癖である。項目や詳細、書き方はその都度異なり、大抵は自分が得意だったり好きなものを抽出して、そこからより高いものを優先付ける分析などをするのだが、今回は自分の近況に基づいてみる。もちろんこれは自分にとって都合の良い結果であり、実際はどうなのかは深くは考えないようにしている。


 女子生徒とまともに会話すらできなかった自分が、毎日昼休みに片思いの相手と一緒にゲームで遊ぶ日常が訪れるとは、つい先月までの自分には予想もつかない事態である。


 例えるならば、アーケード・家庭用への移植ともに名作と謳われた、竜退治の爽快な横スクロールアクションゲームが、第二弾では無音の見下ろし型のシューティングになったときのような衝撃だった。いや、あれはあまりの変化と期待はずれに心が砕けた方か…。いずれにせよ、それだけ劇的変化に驚いているということだ。


 僕は書きかけの自己ステータスのモテ度の欄に『★★★★☆☆』と書き記した。



 名 前:鯨武 由美(くじらだけ ゆみ)

 年 齢:18歳(1981年5月6日生まれ)

 勉 強:??????

 運 動:★★★★☆☆

 外 見:★★★★★★

 ゲーム:★★★★★★

 優しさ:★★★★★★

 モテ度:??????

 

 鯨武さんとはだいぶ打ち解けた(と思う)が、まだまだ分からないことだらけである。彼女は勉強は苦手とのことで、この高校には僕と同じで運良く滑り込みで推薦で入ったらしい。


 運動は3年間、テニス部に所属しておりキャプテンを務めていたと聞いている。本人曰く形だけとは言うが、運動神経はきっと人並みにはあるだろう。


 優しさとルックスについては文句なしである。

 今どきの女子高生のような派手さはもちろん見当たらない(そもそも、子ギャル風貌であれば惚れてはいないと思う)。そしてオタク女子のような雰囲気でもなく、上品とも庶民的とも思えぬ中性的な顔立ち、そこからにじみ出る時に静かに、時に小さく微笑む表情とその手に握られた携帯ゲーム機は最高の組み合わせである。


 まだ部活時代の名残りである限りなく薄い小麦色の肌と耳までの黒い短髪、そして華奢な細身は、ファンタジーゲームの武器に例えるならば、まるで細身の剣、レイピアのようだ。


 退屈な数学の授業はいつしか、自分の世界(妄想劇場)に酔い変わってしまったようだ。そしてさらに僕は彼女の持つ優しさを振り返る。


 ともに過ごした時間はまだ僅かだが、鯨武さんの他愛もない話を通じて間違いなく言えることが幾つかある。それは彼女は『人や物の悪口や愚痴を言わない』そして『趣味や考えなど、ものごとを否定しない』ことである。


 近頃の世知辛い人間関係や喧騒、醜い内面と個性に溢れるこの時代に、純粋清らかな考えを持つ人がいるのかと思うと、自分も色々と反省して見習わなければと思う毎日だ。


 自分は何より昔から勉強も運動も駄目で、性格だって決して人に好かれるタイプではない。叱られたら落ち込み、褒められれば調子に乗る劣等感の塊だった。


 特にこの『百式』という名前は、僕が子供の頃に放映されていた人気ロボットアニメシリーズに登場するエースパイロットの搭乗機体と同じような名前であったため、皆から比較されて『無能な大尉』や『通常の三分の一の能力しかない』などと言われた。


 最終的には『マザコン・ロリコン・シスコンの三冠王』とまで言われたのは辛い思い出である。僕はマザコンではないし、妹もいないと叫びたい。


 ちょっと緊張すると挙動不審に陥るそんな僕をゲーム仲間として受け入れてくれた鯨武さんと話していると、『僕自身も変わらなければ』と勇気づけられる。彼女はそんな魅力も持っていた。


 今、鯨武さんにとって僕はどんな人だろうか。少なくとも友達に近いポジションだとは…思う。話を聞くと友達は僕なんかよりはるかに多そうだ。彼女のような毒のない性格はきっと、多くの人に慕われているだろう。


 ここでひとつ一番気になるのは、『鯨武さんには好きな人はいるのだろうか』である。特に誰かと付き合っているという噂や雰囲気はなく、僕と昼休みに二人きりで遊んでくれるくらいなので、彼氏は多分いないと思うが…。もしかすると学校内だけの友達として割り切っていて、外部では僕の知らない付き合いがあるかもしれない。


 それと勘違いしてはいけないのは、彼女は誰とでも分け隔てなく接するタイプと考えるべきである。当然、授業やクラス、僕の知らない交友関係で他の男子とも話しているとおくべきだろう。


 一目惚れから始まって奇跡的にゲーム友達にまで至った僕だが、これ以上の関係は強く望めば望むほど、あとで傷が深くなる可能性があるのだから。


 鯨武さんの出会いと優しさを通じて、女子との距離感を自然に掴めるようになっただけでも大きいな成長であると、僕は自分に言い聞かせた。



 1999年7月2日(金) 午後12時26分


 色々な思いを巡らせた授業も無事に(?)終わりを迎えた昼休み。僕は、いつもの場所にいた。ただ少しだけ違うのは、今日は昼休み開始早々に僕は、先に屋上で彼女を待っていた。


 彼女を待つ理由は二つあった。一つ目は、先日約束したミッツサイダーを一番に渡したかったから。いつも僕が着いた時には、鯨武さんはミッツサイダーを飲んでいる。後から待たせて渡すのは悪いかと思い、僕は屋上で昼食を取っていた。

 

 二つ目は、人を待つという気持ちを味わってみたかったのである。正直こちらの方が理由としては大きかった。現に待つことによる、そわそわ感は不思議なものである。


「この屋上、本当に人が来ないな…」

 差し込む夏の日差しと、屋上壁と柵の間にうまく生じた薄い日影の中に座りつつガンソルを遊びながら、僕はポツリと呟いた。


 屋上で待つこと十数分、僕から少し離れた足元の視界に影が入る。ふと顔を上げると、そこにはすっかり見知った顔、鯨武さんが立っていた。


「今日は先に待ってたんだね」

 彼女は少しだけ驚いたような表情ながら笑顔で僕に話しかけた。


 とても新鮮な気持ちだった。鯨武さんもいつもこんな気持ちだったのだろうか。僕は軽く挨拶をして、先日の約束の物を彼女に渡す。


「あ、覚えててくれたんだ。ご馳走になります」

 鯨武さんはより正直な笑顔で、僕が渡したミッツサイダーを軽く自分の頬に当てた後に開封した。そして僕も、実は準備していた自分用のミッツサイダーを開封する。


 乾杯ではないが、思い出や記念というにはあまりに些細で気付かないだろうが、僕は彼女と一緒に二人だけの何か、瞬間を祝って共有したかったのだ。


 ほんの少しだけぬるくなっていたのか、開封時に缶の中の炭酸は少しだけ長く、そして濡れ漏れたような放出音がした。現に一口目のサイダーの味は、冷えた状態より少しだけ多くの泡が舌の上で踊っていたと思う。まあ、そんなキザな表現は心の中だけに留めておく。


 昼休みの残り時間、僕と彼女のガンソルと他愛もない会話が過ぎる。

 昨日見たドラマの感想、今度発売される人気ロックバンドの新譜、互いに好きな漫画、鯨武さんの休日の過ごし方、etc…。


 僕の中の『鯨武図鑑』が日々、埋まりつつある。151項目あるのであれば、30項目は埋まったかもしれない。だけど、どれも彼女との関わりに足を踏み入れれば簡単にゲットできる情報ばかりである。貴重な情報や幻の情報を掴むには、僕のポケットの中の勇気と魅力では足りなさ過ぎる気がする。


 何より彼女に一番聞きたい「好きな人はいますか?」


 互いに殆ど顔を見ることがないスコアアタックモードで会話を交わしてからの昼休み残り十分。僕は最後のシメにと言わんばかりに鯨武さんにルート・カットバトルを申し込む。


 「一本も取れなかったら、月曜日もミッツサイダーを持ってくる!」

 僕は明るく力強く言った。


「え、そんなの悪いよ。勝てる自信はあるの?」

 何気にキツイ一言だが、ちょっと遠慮しがちな鯨武さんに向かって僕は言葉を続ける。


「いやいや。これは自分を追い込むための特訓の一つだよ。人参をぶら下げられた馬が走力を鍛えるってやつだよ」

「そ、それはちょっと意味が違うと思うけど、ならば受けて立ちましょうとも」

 鯨武さんはほんの少し狼狽しつつもお茶目な笑顔で了承してくれた。もちろん、遠慮して手加減はしないようにと念押し済みだ。


 僕は何より『明日の約束』が欲しかった。対戦に勝ちたい気持ちも強くある。もし鯨武さんに勝てれば、何の保証もないけれど次の自信へと繋がる、そんなキッカケが生まれるかもしれない気がしたのだ。


 しかし、対戦の結果は説明不要なくらい惨敗だった。少しだけ応戦できた気もするが、野球で言えば5回コールド負けから6回コールドになったようなものだ。


 だけど、この最後の対戦こそが一日の一番のスリルと真剣に鯨武さんと向き合える時間だと思えるほどに、僕と彼女との空間が築かれつつある気がした。

 

 月曜日のミッツサイダーを約束して、僕らの週末は幕を閉じた。


     ◆


―――「あの時、僕のこと少しは意識していた?」

 僕は飲み干したビールの空き缶のラベルを見つめてペコペコと押しながら、妻に訊ねた。


 「どうだろう。だけど、少し特別な男子であったことは間違いないよ」

 妻はいつの間にか冷蔵庫から取り出した1.5リットルのミッツサイダーをグラスに一杯注いでいた。


 今となっては思い出であり、どこまでが互いの本音だったのかはっきりとは覚えてはいないけど、振り返る過去と謎がある僕らはきっと恵まれている。


(つづく)

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