第7話 ミンナニ ナイショニシテクダサイ
第一印象は出会いと縁において最も大事な瞬間である。それは誰もが理解していることだろう。もし、それが女子から男に向けてであれば、『ちょっとドジでお茶目な人』でごまかせる場合もある。だが男から接触を試みて、その印象が悪ければ、それは致命傷になりかねない。
「スワ、スワスワ、スワン、ワンダしませんか?」
鯨武さんへ初めて声をかけたこの噛み噛みの挨拶を僕は一生、忘れられないだろう。もうすべてが終わったと覚悟した。
「えーっと…」
鯨武さんが初めて口を開く。思ったよりハスキーなその声は僕の緊張感と全身の細胞をより強固にする。心は脆いが防御力だけは上昇中。
鯨武さんは微笑むでも蔑むでもなく、ただ静かに少しだけ目線を泳がせながら考え込んでいた。その時間は僅か数秒だったと思うが、彼女は僕の方へと向き直りそっと口を開く。
「つまり、私とWSで対戦したいってことで良いのかな?」
冷静な解釈ならびに完全正答に感謝いたします。僕は心からそう思った。そして訪れる僕の会話ターン。ここで無言になっては駄目だ。『とにかく続けろ!』と轟き叫ぶ。
「そ、そ、そうなんでーすよー。いつもさ、昼ご飯のあとに散歩してーたら、ここでゲームしてるからーさ。ふとーふとー、それが気になっていたのでありまして」
もう目茶目茶だ…。自分が仮に人型ロボットであれば、メインカメラ(目線)は左右に踊り、コクピット(脳内)は制御不能の怒号が飛び交い、あらゆる通路(血管内)や機関(臓器内)では搭乗員たちが行き来きしながら、必死の消火活動と再起動を行っていることだろう。
「うん。別にいいけど、対戦ってケーブルが要るよね。持ってるの?」
しどろもどろ、下手すれば不審者レベルの僕に鯨武さんは普通に受け応えをしてくれている。肝が据わっているのか、それとも彼女なりの気遣いか。いずれにせよ、ありがたかった。
「ケーブルあるよー。こんなこともあろうかと。通信用にあるよー」
どこの国の人だか、怪しい行商人のような口調と素振りで通信ケーブルをポケットから取り出す。もうケーブルはポケットの中で僕の熱と手汗でギトギトな気がした。彼女には絶対に触れさせたくない。
「でも、私のゲームわかる?対戦条件とか大丈夫なの?」
鯨武さんは対戦環境を気にかけていたが、僕は「ほい来た、大丈夫」と言わんばかりに、
「うん、知ってる。いつも見てたから」
若干、ストーカー気味な墓穴を掘るような態度をとった気もするが、拒まれないだけで僕の気持ちは嬉しさとパニックで一杯だった。
しかし、彼女は次の瞬間、表情と言葉を詰まらせるような態度に変わったのが僕にも伝わった。しまった…引かれてしまっただろうか…。
「ごめん。今日、
「へ?」
申し訳なさそうに答える彼女に、僕の緊張は逆にほぐれた気がした。そして鯨武さんは、おもむろに僕にWSのゲーム画面を見せてくれた。
【バイツプレート】 1999年6月24日発売
ファンタジー世界を舞台にした三国間の戦争を描いたRPG。主人公の青年騎士は、戦争で敵国のエースに顎を砕かれて瀕死の重傷を負うが、のちに”バイト”と呼ばれる何でも噛み砕くプレートを身に付け復活を果たす。とにかく敵を噛み砕きながら最強のバイツを目指しつつ真実の愛と平和を求める。通信で武器となるバイトを交換したり、互いのバイツを戦わせる通信機能有り。
帰宅後に持っていたゲーム雑誌で「なんだこの、心躍るようで殺伐とした作品は」とツッコミを入れたのは言うまでもない。
それよりも、鯨武さんとの対戦と会話のキッカケがもろくも崩れ去ってしまったことに僕は絶望寸前だった。もうダメだ。彼女とはこの会話だけが思い出となり、僕はきっと、いつかどこかで小さな武勇伝として話すんだろうなと覚悟をした。
「じゃあ、明日なら対戦してあげれると思う」
彼女がかけてくれた言葉に僕は耳を疑った。今、『明日なら』と言ってくれた?
「え、いいの?本当に?」
僕は即座に返事をした(と思う)。
「うん。私は多分、明日もここにいるから」
そう話す彼女の表情からは、特に曇りや嫌味は感じられない。きっと本心なのだと僕は思った。
「分かった。じゃあ、明日」
僕はこの言葉だけは、今日の会話の中で自然に整った呼吸で言えたと思う。
本当はここに留まって鯨武さんともっと話がしたい。バイツプレートでも良いから、そのゲームのことをもっと知りたい、眺めたい気持ちで溢れていた。だけど今日はいつもどおり、僕はこの場を立ち去ることにした。
「ねえ、そう言えば名前は?私は3年D組の鯨武 由美って言うの」
彼女が初めて名前を僕に言ってくれた。知ってる、知っているとも!自分にとって既に分かっていることも、彼女の口から聞けたことが僕は何よりも嬉しかった。
「あ、僕は3年B組の百式…
僕は自分の名前を彼女に告げた。自己紹介がこれほど恥ずかしくも嬉しかったことなんて、人生で今までに一度もなかった。
「百式君だね。じゃあ、またね」
「じゃあ、明日」
互いに小さく笑いながら、僕は屋上を立ち去った。
初めて今日が明日につながった瞬間だった。
◆
―――「そんな時もあったね」
妻は思い出したかのように、でも少し照れ臭そうにしたのを僕は見逃さなかった。
「あの時は本当に一杯いっぱいだったとも」
僕も少し照れ臭くなる。
「私だって突然話しかけられたから凄く緊張はした。男子と話したことは殆どなかったから。正直、何かの弾みで逃げ出したり、断っていたかもしれないよ」
妻は当時の心境を語る。
「でも由美さんは逃げなかった」
「あなたもね」
僕らは、互いのあの頃を褒めあった。
(つづく)
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