第6話 もう言いました
「お前も現実の女相手にまともな神経が向いていたんだな」
もし、僕が過ごしている片思いな毎日を、誰かに話したり相談していたら、こんな人を小馬鹿にしたような激励を受けたりもするのだろうか。自分でも確かにここ一週間の変わりように驚いているが、残念ながら今のは独り言だった。
気軽に会話したり、馬鹿話しができる友人や同級生がいない訳ではない。親しんでくれる後輩もいる。ただ、僕自身が人に心を開ききっていなかった。
寂しがりやの癖に自分の時間や世界に閉じこもる節がある。そんな男が人を好きになるのだから、それは何かの笑いのネタかとも思ってしまう。
◆
―――「自分の殻に閉じこもりつつも、他人、特に女子と触れ合いたい。これも思春期が故の性欲だったの?」
妻は僕に問いかける。
なかなか痛い質問だ。学生時代、男の若い頃の恋愛は性欲が中心であると言っても過言ではない。
「確かにミステリアスで話したこともない女子、しかも自分の好きなゲームヒロインに準えていたからね。色んな意味で言い訳はできまいよ」
僕は素直に答えた。
「まあ人を好きになる以上、内面だけでは片付けられないよね」
妻は特にそのことについてそれ以上言及はしなかった。
◆
1999年6月28日(月) 午後12時40分
昼休みに屋上を歩くようになったのは何日目だろう。それは学校での数少ない楽しみであり、不安でもある昼食後の残り数十分。散歩姿も板についてきた。WSと
あとは自分に何度も言い聞きかせた『どこからともなく聞こえる声』 に従うだけである。でも、それが簡単に出来ないのだ。
いつもの場所に腰をかけて静かにWSで遊ぶ彼女の姿は凛々しく美しくも、そこに鎮座するRPGのラスボスにも思えてくる。
いっそのこと、暗闇でもいいから『仲間になれば世界の半分をやろう』と持ちかけてくれないだろうか。
結局、今日も僕は彼女の側を通過するだけのイベントで終える。彼女がWSを遊ぶ姿と傍らの炭酸飲料をチラリと眺めて屋上をあとにするだけの…。
その日の放課後、僕は学校敷地内にある自販機前のベンチに腰を掛ける。僕の手には彼女がいつも飲む炭酸飲料が握られていた。
久しぶりに飲む炭酸飲料は、僕の横隔膜と喉の奥に強い刺激を与えてくれる。不覚にも何口かは飲むごとに「ホヤァ!」と、しゃっくりとも髭親父がゴリラと戦うアクションゲームのジャンプ時の掛け声(アーケード版)を彷彿とさせる声を挙げてしまった。
…そう言えば鯨武さん、いつも同じもの飲んでるよな。ふと自分もそれに少なからずの印象を受けて、つい目の前で売っていたので買ってしまった。果汁がないメロジュー派の僕にしては珍しいチョイスだと思う。
【
僕は微炭酸の方が好みなのだが、時にはこんな刺激も良いだろう。
WSにミッツサイダー、僕の個性とリズムが少しずつ鯨武さんになりつつあると感じた。これは嬉しく楽しくも深くかみ締めるほど、のちに切なくなるだろうことは頭の悪い僕でも気付いていた。
もうひとつ気付いたと言えば、夏休みまで残り一ヶ月を切ろうとしている。もし、それまでに何もなければ、以降は急激に加速する高校卒業までのカウントダウンが過ぎ去るだけの日々になることは、間違いないだろう。
1999年6月29日(火) 午後12時29分
今日も無情にも、いや、むしろ訪れに感謝するべき昼休みの時を迎える。
「僕もWS持ってるんだけど良かったら対戦しない?ちょっと気になってさ」
今日こそはこのように声をかける。僕の覚悟は決まった。それがどんな結果を辿っても後悔はしない。あとで泣くかもしれない。自室の布団でバタバタするかもしれない。だけどここで動かなければ、明日も今日もないのだと自分を追い込んだ。
「良かったら対戦しない…?」「良かったら対戦しない…?」「良かったら対戦しない…?」「良かったら対戦しない…?」
僕は心の中で小声で、明るい誘いのシミュレーションを何度もするが、いつの間にか、ロボットアニメの根暗な少年パイロットが射撃訓練時に呟いていた独り言に変化していることに気付いていなかった。
いつもどおりのペースで歩きながら屋上を一周する。心の中では対戦の申し出を告げるべく心臓を握り、そして僕のポケットの中ではWS(通信ケーブルあり)を優しく握る。彼女との距離が縮まるに連れて、僕の寿命も縮まりそうな(と言うか間違いなく急加速で縮んでいる)思いだった。
普段ならチラリと見て通過するだけの彼女の前で僕は足を止めた。これほどその場で待つだけで緊張するとともに密かに足が笑うとは。やっぱり声を掛けるなんて無謀だと後悔しそうな瞬間、彼女はふと気配に気付いたのか、顔を上げて僕を見上げた。そして僕も彼女の方を向いた。
あまりに一瞬、でもとても長く感じる僅か数秒間。僕は決してその場から逃げることなく彼女に、鯨武由美さんに第一声をかけた。
「スワ、スワスワ、スワン、ワンダしませんか?」
◆
―――のちに妻となるその女性、鯨武 由美はそのときの様子をこう語る。
「いつもの変な人が、とうとう動き出したと思った」
(つづく)
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