第25話 熱意の回想

 誰だって、大きな一歩を踏み出すことは怖い。

 大人しくしていれば、傷を負うことも、恥をかくこともない。

 だけど、人には動かなければならないときがある。

 そのキッカケを生み出す、もしくは与えてくれる言葉はどこにあるだろう。

 影響を受け過ぎてはいけないけれど、それが人生を変えることもある。



 1999年7月15日(木) 午後12時04分

「おい、長之介、知ってるか?」

「知らないよ」


 今日も昼休みの教室内は、健全かつ眩しさ溢れる解放感と、若いエネルギーで満ちている。僕の若く健康な体内では、『うぉぉおぉおぉぉおぉお』という悲鳴のような音とともに、アースクエイクを起こしていた。要するに空腹である。


 ようやく、過酷なステージ後(授業)のボーナスステージ(昼休み)という回復時に、知らないことを言われても気の利いた返事はできない。


かけるのやつ、C組の村上さんに振られたってよ」

「マジで!?二ヶ月、持たなかったのかよ。ご愁傷様だな」

「それで相良の奴、今日はショックで休んでるってか?」

 

 ……そうか、あいつ振られたのか。僕は黙々と弁当の米とおかずを口に運びながら、昼食を共にするクラスの男子連中の会話に耳を傾けていた。


 相良 翔は、クラスの同級生男子だ。三年生になってしばらくして、二年越しの片思いがようやく実ったと、あいつは大喜びで教室中を跳ねていたのが記憶に新しい。それが二ヶ月で別れたのか…。ちなみに僕は、村上さんのことはまったく知らない。顔すら浮かばない。


 連中はその後も、カケルのジャンプ天国、スピード破局ともいうべきフレーズで、終わった恋愛話と、僕の知らない謎の村上嬢を主役に会話を盛り上げていた。


 僕も相槌を打ったり、笑ったりもしたが、僕らに彼を笑う資格などない。何故なら、彼は振られたとは言えど、その勇気と行動は偉業であり立派なことだ。


 部外者でありながら、口々に彼を敗者のように笑う、アウトランダーな連中に、僕は少し憤りを感じるが、彼らも本心ではないのかもしれない。健全な男子であれば彼女は欲しいはずだ。ある意味、怯えという名の保険なのではないだろうか。


 以前の僕ならばきっと、深く考えず、彼を踏み台にしながら自虐かつ自己語りをして、この場を盛り上がっていたかもしれない。


 でも僕には今、好きな人がいます。


 1999年7月15日(木) 午後12時26分

『あ…』「鯨武さん」「百式君」

 僕らは二人同時に声をかける。


「ここで会うのって、初めてだね」

「そういえば、そうだね」

 僕は、屋上へと続く階段がある校舎3階の渡り廊下の離れで、鯨武さんと静かに歩むように鉢合わせた。いつもならば、屋上でどちらかが先に待っているので、些細な偶然だけど、僕はとても嬉しかった。


「はい、これ。昨日の分」

「お、悪いですねー。財布の中身は大丈夫かな?」

 僕らは屋上へと続く階段を歩きながら、鯨武さんに昨日の負け分のミッツサイダーを手渡す。そんな彼女は僕の財産を心配する言葉をかけながらも、笑顔で受け取った。


 屋上から見る空は今日も澄み切っている。

 幸い、僕らがこの屋上で出会ってから、そしてWSを遊び始めてから雨は一度も降っていない。水を求める自然や作物には申し訳ないが、どうか僕らの、このひと時だけはいつまでも降ってほしくないと願う。



 『OK』『ナイス!』『グレイト!』『エクセレント!』

 『ファンタスティック!』『ファンタスティック!』『ファンタスティック!』


 YOU LOSE!



「あぁあああ!もう少しだった気がする!」

 僕はWSを持ったまま、後ろ頭を掻きながら、体を前に傾けた。


 もはや僕らの会話と生活の一部となっている、WSとガンソル。もう、これで何連敗だろうか。だけど僕の中にあるのは、あの頃のような悔しさでも卑屈でもない、もう少しで勝ちに届きそうな、そんな希望と楽しみな対決の日々が続いていた。ミッツサイダーも奢り続けているが…。


「ふー。今日は少し危なかったかも」

 鯨武さんは、深く息を吐きながら屋上のフェンスの後ろに体を傾ける。その態度は笑いながらも、本当に切羽詰まっているように思える。


「これも、鯨武先生のおかげです。この調子なら初勝利も近いかも」

 僕は少しだけ、自身あり気な顔で天狗になった。負けてるんですけどね。


「あ…」

「どうしたの?」

 鯨武さんが突如、静かに声を漏らしたので、僕は思わず訊ねる。


「電池が切れたみたい」

「あれま」

 鯨武さんのWSがどうやらバッテリー切れのようである。それにしたって、WSは電池持ちが凄い。何せ単三電池一本だけで、連続でも20時間近く持ち、少しずつ遊べばその倍以上は遊べるのだから。


 僕はふと、その昔、発売されたカラー液晶がウリの携帯ゲーム機、ゲーム歯車ギアーはアルカリ単三電池を六本も使用して、2時間程度しか持たなかったことを思い出す。あれは結局、家で電源アダプターを使用してしか遊べなかった。


 もちろんゲームはカラーで美しい画面に越したことはないと思う。だけど白黒で見え辛い、限られた環境でしか遊べない物だからこそ、見えてくることや導かれることもある。


 そういえば、僕はいつもポケットに予備の電池を忍ばせていた。最初のうちは、準備の良い男をアピールしようと思っていたというか、非常時でも長く遊べるようにと持っていたのだが、いつの間にかそんな物に頼らずとも、僕らは自然と会話が出来るようになっていた。


「あ、鯨武さん。電池だったら……」

 僕は予備の電池を取り出そうと、ズボンのポケットに手を入れる。そして…………そのまま、手ぶらで電池をポケットの奥に押し込んだ。


「あ、ごめん。電池、教室に置いてきたみたい」

 僕は初めてに、鯨武さんに嘘をついた。


 僕らは互いにWSを傍らへと置き、二人で並び座ったまま、何気ない話題で会話を始めた。本当に何気ない話題だ。そこに不自然や緊張はない……と思う。


 僕らには今、通信ケーブルという枷はない。だけど二人の距離は普段と同じ、まさにすぐ側の距離を保っていた。


 鯨武さんは、そんなミッツサイダーを飲みながら、ときに頷いたり、ときに自分の意見を言ったりと、ちらりと覗く彼女の横顔と出会った頃より少しだけ伸びた黒髪に悟られないように僕は見とれていた。


 昼休みも残りわずか、それと同時に一学期ももうすぐ終わる。つまりそれは、鯨武さんとの、この屋上でのゲームとやり取りの一時の終焉を迎える意味だった。


 二学期になれば、また一緒に遊べるかもしれない。夏休みの間だって連絡や約束をすれば外で一緒にゲームセンターなどで遊べる日だってある。


 だけど、僕らのこの友達以上…と思いたい関係はとても曖昧なままであり、用事がなくても、理由がなくても会うには脆い絆ではないだろうか。僕たちには、明確にせねばならない『答え』があった。

  

 

 『下手に傷つくより友達のまま卒業まで

  過ごしす方がよいのではないか?』 

           はい  ⇒いいえ

 

 『卒業近くまで控えて、最後に潔く告白

  するべきではないか?』

           はい  ⇒いいえ


 『好きですと告白しますか?』  

          ⇒はい   いいえ


 いつの日か出た、二人の関係を始めるか終わらせるかの究極の選択肢が、また僕の中に表示される。今度こそ、逃げるものか、そして恐れるものか。


「あのね…鯨武さん…」

 僕は、上手く(はできなかったかもしれないが)会話の流れを止めて、彼女を見る。鯨武さんは、少し横に顔を傾けながら、僕の方を見ていた。


 言うなら今しかない。僕は今こそ鯨武さんに勇気を出して告白するべく、口を開いた。


「僕と」付き合ってほしい 『長之介のやつ振られたって知ってるか?』『マジで!?ご愁傷様だな』『それであいつ、今日はショックで休んでるってか?』『長之介のやつ振られたって知ってるか?』『マジで!?ご愁傷様だな』『それであいつ、今日はショックで休んでるってか?』『長之介のやつ振られたって知ってるか?』『マジで!?ご愁傷様だな』『それであいつ、今日はショックで休んでるってか?』『長之介のやつ振られたって知ってるか?』『マジで!?ご愁傷様だな』『それであいつ、今日はショックで休んでるってか?』『長之介のやつ振られたって知ってるか?』『マジで!?ご愁傷様だな』『それであいつ、今日はショックで休んでるってか?』『長之介のやつ振られたって知ってるか?』『マジで!?ご愁傷様だな』『それであいつ、今日はショックで休んでるってか?』『長之介のやつ振られたって知ってるか?』『マジで!?ご愁傷様だな』『それであいつ、今日はショックで休んでるってか?』『長之介のやつ振られたって知ってるか?』『マジで!?ご愁傷様だな』『それであいつ、今日はショックで休んでるってか?』『長之介のやつ振られたって知ってるか?』『マジで!?ご愁傷様だな』『それであいつ、今日はショックで休んでるってか?』『長之介のやつ振られたって知ってるか?』『マジで!?ご愁傷様だな』『それであいつ、今日はショックで休んでるってか?』



 言いかけた言葉の途中、心臓を氷で覆うような不安とともに、被害妄想が僕を襲う。だがそれは、幻聴でも暗示でもない。


 分かっている。これは、僕自身の心の奥にある『言い訳』と『口実』という名の防御反応であること。「あなたが好きです」のひと言が、どうしても僕の口から出ないがゆえの正当化する行為だ。


 いっそのこと、鯨武さんから告白してくれないだろうか。もし、僕にもチャンスがあるならば、僕への好意があるならば、ここは耐えるべきではないだろうか。その方が良いかもしれないが……なんだろう。何かを思い出しそうだった。中学生の頃に感じた何かを。


「あ、明日の昼、学校の帰りに昼御飯とゲームセンターに行かない?」

 僕は鯨武さんに言う。月曜日は一学期の終業式だ。そして明日の金曜日は、それを目前に控えての午前授業であることをとっさに思い出した。


「うん。いいよ」

 鯨武さんはふたつ返事でOKしてくれた。僕はとても嬉しかったが、心中は複雑極まりなかった。


 なぜならば、僕のこの誘いは次へのステップではなく、勇気を振り絞って悩んだ末に導き出した、明日に逃げた卑怯者の詩である。だけど、今はそこにすがるしかなかった。



 1999年7月15日(木) 午後9時11分

 僕は自室の押入れに眠る雑誌を漁っていた。そこに書かれていた、ひとつの話を読むために。


 忘れかけてはいるが、胸に響いたあの言葉をもう一度、思い出すべく、そして迷いを断ち切るために僕は一冊ずつページをシャリシャリと捲っていた。


「どれだ…どの年号数だ…」

 僕はイライラを募らせながらも、明日の自分の隙を埋めるべく、今の自分を戒めるように、また一冊、また一冊と部屋の片隅を雑誌で傾き重ねていた。


「あった…!これだ…」

 探すこと一時間近く、僕はようやく目的の物とその話を発見した。



 週刊ファミトゥー 1996年7月26日号(No.397)

 ◆◆ 漫画:おとなのしかけ ◆◆ 

 ◆◆ 作者:鈴樹みそ    ◆◆ P142



 僕は少し深呼吸をしながら、そのページに描かれた絵と文字を、目と心で追い読み始めた。他人から見れば、良くてせいぜい自分に酔った愛嬌にしか見えないだろうが、僕は変わろうとしていた。


     ◆


―――「ふーん。あの頃でも結構、悩んでたんだ。それは意外」

 妻は落ち着くも、僕に少しだけ驚きの表情を見せた。


「今にして思えば、あの時に告白しても良かったとは思う」

 だけど、僕を邪魔していた、臆病と他人の目は相当なものであったことを妻に話した。


「でも、それは私も同じだったかもね。待っては……いたかも」

 妻も僕の気持ちは痛すぎるほどに理解していたことを告げた。


「当時は明日を逃したら、今度は次の機会アンコールがない、それだけの覚悟はしていた」

 絶対とは言い切れないが、それだけ僕は焦っていた。今でこそ、こうして二人で思い出話になっているが、いつだって『もしも』はどんな偶然や結果を生み出すか分からないのだから。


(つづく)

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