第24話 ザッピング③ 私より強い君に会いに行く

「女の子がゲームばかり遊んでどうするの」

 鯨武 由美がよく母親に言われる言葉だ。


 ならば逆に、どうして女の子はゲームばかりで遊んじゃいけないのか。それは彼女にとって納得ができないと同時に母親を理解させることもできない、ともに何かに欠ける、そんな不透明な感情の数年間を過ごしていた。


 かつては、彼女の周りにはゲームで遊ぶ女子がたくさんいた。小学生の頃までは、友人も含めて多くの同級生や近所の子たちと、賑わいながらゲームを遊んだ覚えがある。


 しかし、中学生になると生活環境は劇的に変化した。かいつまんで言えば、女子はみんな大人の世界に行ってしまった…と、いうのは大袈裟かもしれないが、思春期とそれを取り巻く人間関係が、趣味や行動範囲からゲームという選択肢を優先して除きだしたことは間違いなかった。


 ある者は男子と仲良くしたり、恋することに憧れる。

 ある者は部活動に本気で打ち込む。

 そしてある者は、早くも将来の夢に向かって進学計画を立てて勉強に一心する。


 そして由美はというと、至ってマイペース。自らの生き方をほとんど変化させることなく過ごしていた。もちろん、そんな中でも友達や部活などの集団生活においては、みんなと行動をともにして、ごく自然と協調していたのは由美が持つ人間性の賜物といえよう。


 中学校、高校ともに、大好きなゲームライフをポツリ一人で過ごしていた由美だったが、この数週間で大きな変化が生じた。ひとつの携帯ゲーム機と夏の気まぐれが起こした、その数奇な出会いは、普段であれば人の影響は受けない由美の意識を少しずつ揺らしつつあった。



「ねえねえねえ。昨日は百式君とのデートはどうだったよ?」

 由美の親友のひとり、美鈴は昼休みを迎えた教室で、明日香と三人で一堂に会した直後に核心を突くべく質問を投げかけた。


「え…まあ」

 由美はコンビニで買った昼食の惣菜パンを軽くかじりながら、そっけなく答える。しかし、その雰囲気は明らかに訳ありであることを、美鈴は即座に見抜いた。


 美鈴は自分の座っていた椅子と机を動かして、隣の由美の机と接触させる。そして、何もない空間にマイクでもあるかのように、握り拳を少し口に近づける。


「ただいまより、第一回キチキチ、鯨武由美・審問会を開廷いたします」

 また美鈴の悪い癖が始まった。由美は、そう思いつつも彼女のこのノリには逆らえないと諦めていた。すぐ向かい席で黙々と弁当を食べていた明日香も同じような気持ちで、事の成り行きを見守ることにする。


 由美は二日前、土曜日の出来事を二人に話す。

 長之介とゲームセンターで様々なゲームで遊んだこと、憧れの牛丼屋で食事をしたり、好きな食べ物の話をしたこと、そしてゲーム屋で一緒に探していたソフトを探したことと、そこで起きた出来事を、始まりから終わりまで美鈴の質問に合わせながら説明した。


 ひととおりの顛末を聞いた明日香と美鈴は、いくつかの点に思うところあったが、とりあえず二人とも共通して言えることは、花も恥じらう女子高生の初デートとしては如何な内容だろう、ということである。


「でも珍しいね、由美がそんなに人に感情的に関心を持つなんて」

 明日香は、まず第一に感じたことを由美に話す。同じことを思っていた美鈴も隣で頷いた。


 由美は基本的に、興味のないこと、もしくは嫌いな人や事柄には無関心な態度をとおす。


 以前、数学の授業での出来事。由美はウトウトと居眠りしそうになったとき、男性教師が「授業中に寝るなよー」と言いながら由美の肩を揉んだことがあった。


 同じ授業を選択していた明日香と美鈴は、「あれはセクハラだよね!」や「あんな奴、居なくなればいいのに!」と二人で軽く憤ったのだが、当の本人はというと、「もちろん嫌だったけど、別にどうでもいいよ」の一言で片付けた。


 明日香と美鈴は、由美にとっての『反論・文句・苦情・愚痴』などを発するボーダーラインはどこなのか、いつも疑問に思っていたことである。


 そんな長之介が、由美にとって思い出深いゲームだったとは知らなかったとは言えど、「このゲームはクソゲーだよね」の発言に、そこまで感情を露わにした態度をとったことに驚いた。


 なお、長之介に味方する意味ではないが、今回の喧嘩(?)の原因となったゲーム、ひろしの挑戦権だが、その昔、明日香も由美の家で遊ばせてもらったことがある。正直、彼の言うとおり酷いゲームだった記憶しかないが、ここではあえて、口を閉じておくことにした。


 明日香の言葉を受けて、由美は少し考える。確かに彼女の言ったとおり、自分がここまで心情を揺れ動かされたのは、今までにないことだった。


 『鯨武 由美は、百式 長之介を意識している』

 

 明日香と美鈴は以前よりもちろん、由美も薄々は気付いていた。ゲームを通じての自分の理想を少なからず彼に重ねていた。



「ちょっと、行って来るね」

 由美は席を立ち、教室を出る。そんな親友の姿を二人は静かに見送った。


「まさか、由美が男子に興味を持つ日が来るとはね」

「でもその彼がゲームオタクだなんて、お母さんは許しませんよ!なんてね」

 明日香と美鈴は互いに笑い合いながら、由美の今後をただ、静かに見守り応援することにする。


 由美は実は、微妙に男子からの人気がある、いわゆる『隠れモテ女子』だった。基本は物静かで、中性的で少しミステリアスを漂わせる顔立ち、スラリとした細身体系は不思議な魅力を醸し出してた(本人は口にはしないが、微乳であることを、かなり気にしている)。


 過去に数回、文化祭や運動会の打ち上げなどで、クラスの男子たちとカラオケやファミレスに行った際、由美に興味を持った男子も幾人かいた。しかし皆、彼女の小さく微笑みながらも、素っ気無い態度から先へと踏み込めず、そこで諦めたり、関心が薄れていったのだ。


 正直、ゲームが由美の生き甲斐の大半を占めていることを知る者は少ない。勉強以外のことであれば、静かにこなす姿勢や協調性は周りから見ても、ある意味、完全無欠で芯の強い女子生徒に思えなくもなく、そこに魅かれる人もいるだろう。


 逆にゲーム趣味がキッカケで、ここまで由美の心を溶かす男子が現れるとは、誰が予想しただろうか。明日香と美鈴は二人して「ある意味、あの子らしいね」とか「私たちは由美の青春を後押した」などと、しばらく談笑するとともに、その青春を羨ましく思った。



「よいしょっと」

 昼休みが残り15分を切った頃、教室に戻ってきた由美は小声でつぶやきながら席に戻る。その表情はなんだか清々しい。


「あれ、戻るの早かったね。どうだった?」

 美鈴は目を輝かせるような表情で由美に訊ねる。無論、明日香も同意見なのだが、由美は「え、何が?」と言わんばかりのキョトンした態度で彼女を見る。


「え、屋上で百式君に会って来たんじゃ…ないの?今日はいないの?」

 明日香は少しばかり嫌な予感がして由美に訊ねる。すると、由美は「トイレに行って、先生に所用で職員室に呼ばれただけ」と予想外の発言を繰り出す。


 二人は由美に「どうして、屋上へ行かないの!?」と聞くと、由美は少しだけ、頬を膨らましながら「多分、居るとは思うけど、今日は行ってやらないんだから」と小意地悪な態度で、細やかに反抗した。


 そんな由美と明日香と美鈴は、ここ十数分間、二人で語り合った今後の青春ドラマと恍惚した時間を裏切るなと言わんばかりに、由美を無理やり説得して、屋上へと送り出した。


 明日香と美鈴は、何というか、由美のこの展開とやり取りでの、天然級の空気の読めなさを心配すると同時に、長之介のような男子は、きっと由美が来なかったら、とことん思い詰めて悲観に暮れるタイプであることも危惧していた。



 由美は、屋上へと続く扉の前で躊躇っていた。明日香と美鈴に後押しをされて(無理やり)ここまで来たは良いが、彼に会ったときに何て話しかけようか、実は何も考えてはいなかった。


 あの日、彼の話も聞かずにそのまま、一方的にあの場を立ち去ったことを少しは後悔している。でも、一日くらいは放っておきたい気持ちもあった。けど、今になって、あの二人の判断は正しかったと思う。いざ、この場所に来ると、緊張と不安が急激に由美の胸の内に込み上げてきたのだ。


 もしかすると、彼は自分を許してくれないかもしれない。そもそも屋上に居ないかもしれない。由美はうつむいたまま、少しだけ哀しげに「どうしよう…どうしよう…」と、繰り返しながら囁くように扉を開けた。



 ……いた。屋上の少し離れたいつもの場所。そこに彼は静かに座り、小さく前傾した姿勢でWSを遊んでいた。


 彼は待っていてくれた。その長之介の行動に、由美は嬉しさと同時に深い反省の念を抱く。昼休みを残り10分を切っていたが、彼は待ち続けていた。


 根拠はないが、きっと彼は昼休みが終わる1分前でも、待っていてくれたのではないかと、由美は思った。


 一歩ずつ静かに歩むごとに、靴の裏を通じて響く不思議な高揚を由美は徐々に感じていた。そして、互いの距離およそ2メートルにして、長之介も彼女の存在に気が付く。


「あ、あの…」

 対峙する由美と長之介。その二人だけにしか聞こえない、か細い声をあげたのは由美だった。口を開いたのは、二人ほぼ同時だったが、きっと彼女はもう来ないだろうと、諦めかけていた長之介は思わず声が出なかったのだ。


「その、土曜は…土曜日は…私ね…その」

「この前は、ごめんね鯨武さん!」

 色々と考えるも、素直に謝ろうと思った由美だったが、思わず言葉は詰まりを見せる。しかし、その由美のもどかしい状況を一気にかき消すように、力強い長之介の謝罪の言葉が響いた。


 その後、かなり早口で捲し立てるように続く、長之介の謝罪と反省の言葉に由美は少しばかり圧倒される。自分の方こそ悪かったことを告げようにも、そんな隙を与えてはくれなかった。


「ゲームは投げていない。あれはウケを狙ったオーバーリアクションだった」

「ひろしの挑戦権をクリアした。あのゲームの本質が初めて理解できた」

「砂糖に納豆を入れたら美味しかった」


 焦りからか、最後のは明らかに逆だと由美は思いつつも、長之介の一生懸命さ、何より本当にゲームが大好きなのだという姿勢、そしてあんな自分を許してくれた心の広さが何より嬉しかった。


 気が付けば、二人の間には気まずさなど、始めから存在しなかったように、すっかり笑いながら話していた。そして、残り短い昼休みの時間はあっと言う間に過ぎ去り、チャイムの音とともに、二人は慌てて屋上の出入り口へと駆けて行った。


「じゃあ、明日また、ここで」

「うん。また、明日ね」


     ◆


―――「あの頃の僕らは、間違いなく友達以上だったと思う」

 少しずつだが、互いの距離は近付いていた。決して自惚れではなかったと確信する夫の言葉に、由美は少し考える。


「確かにね」

「それはつまり、僕のことを好きになっていたと、捉えてよいのかな?」

 由美の敗北宣言とも思える返事に、夫は少しばかり勝ち誇ったような顔をした。


「で、でも、私はあの時、一言も謝ってないよ。つまりあの時点では、二人の関係の生殺与奪の権利は、私にあったことを忘れちゃいけないからね」

 照れつつも、さり気なく恐ろしい一言を放つ妻を見て、長之介は最初の言葉を訂正した。


「あの頃の僕らは、間違いなく、これから友達以上になれると思った」


(つづく)

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