第23話 常識があやふや。謎を解けるか苦労人

 小学生の頃は、毎日のように学校の授業中に自分だけのゲームを考えて、作って遊んでいた。


 それは、ノートに自作のRPGの設定を書いたり、昨日遊んだアクションやシューティングゲームを脳内でオリジナルステージを描いてプレイしたり、退屈な授業そのものをアドベンチャーゲーム仕立ての視点で過ごしたりと、完全オリジナルからリメイクまで様々だった。


 しかし、今まで自分が描いてきた楽しい世界には欠点があった。それは、すべてが自分の都合のよい難易度・設定となっており、ピンチが訪れることのない神技プレイの連続だった。



 1999年7月12日(月) 午後12時36分

 僕は、ただ待っていた。この誰もいない学校の屋上にて、夏の日差しを遮る数少ない小さな陰の下で、一人静かにWSでガンソルを遊びながら。


 いつもなら隣にいる僕の待たせ人は、今日はそこにはいない。その待たせ人とはもちろん、鯨武さんだ。


 確か先週の月曜日も、僕はこうやって一人でゲームを遊んでいた。月曜は僕らのゲーム空間の定休日という決まりでも出来たのだろうか。とは言っても先週は不慮の事情であり、今回は僕の自業自得である。


 僕が先日やらかした大失態。男として、ゲーマーとしてデリカシーのなさを披露したあの二日前。思い返すと一瞬でネガティブな自分が舞い戻りそうなのだが、僕は不思議と落ち着きを払っていた。


 いつもであれば、間違いなく押し潰されそうな不安感とおかしな挙動で過ごしていることだろう。日曜日というインターバルを挟んだことで、気持ちに余裕が生まれたのもあるが、一つの出来事が僕を支えているような気がした。



 1999年7月10日(土) 午後9時10分

 『のろわれしものよ でてゆけ!』

 夕食の直後、親に言われた(ような気がする)言葉だ。僕は、よほど人の気分に害や影響を与えかねない、陰鬱で辛気臭い顔をしていたのだろう。


 ゲーム屋にて、鯨武さんの機嫌を損ねて立ち去られたあと、僕は、それはそれは不幸そうな顔と態度を表に出していたことだろう。現に僕は、自室でこの世の終わりを迎えたような気分で過ごしていた。


 七の月に訪れる恐怖の大王、なんとかモアが人類を滅亡させる予言があったが、どうやらそれは、僕自身の自滅による恋愛(片思い)の終焉を指していたようである。


 以前、鯨武さんと昼休みに交わした雑談の中で、昔、財布を落としたことがある話をしたのだが、そのときに彼女が『拾った人を幸せにしたと思うしかないよね』と、微笑みながら言ったのには、目から鱗が落ちた。


 僕はなんとか今回の件は『人類滅亡分の衝撃と不幸をこの身一人で受けきった英雄になった』と、ポジティブに思うことにする。


 …………やっぱり無理です。今回の一件で、僕の中の傷ついた制御コンピューターは、緑あふれる大地のような心を枯れ草色に変えてしまっていた。


 誰か、このモヤモヤと後悔、沈んだ気持ちを駆け抜けて、駆け破るナイト様は現れないものだろうか。そんな下らないことを考えれば考えるほど苦しくなり、僕は遂には布団にうつ伏せながら少しばかり涙を流していた。


 昔からそうだった。僕は気が弱いので、普段は何事も踏み切れないでいた。特に人間関係では、知らない人と接することが何より苦痛だった。


 もちろんキッカケさえ掴めれば、その後は何とかなることが多かった。それなりに親しく遊ぶ友人が出来たり、集団の輪に溶け込むことは出来た。


 しかし、僕は少し親しくなるとすぐに調子に乗り、目立とうとしたり、ウケを狙ってしまう悪癖があった。それにより盛り上がりや笑いが生じることも多かったが、悪気はなくても、相手を不快にさせてトラブルとなったことが何度もあった。


 その度に僕は泣いた。枯れたような声で『しっかりしろよ!!』と自分自身を慰めた。そして立ち直り、今度は気を付けると誓うも、結局は同じ過ちを繰り返してきた。


 もうすぐ卒業してしまう高校だが、実は僕には小中学生の頃からの男子同級生は誰もいなかった。僕は何とか新しい集団生活では、その反省を活かして誰とも深く関わり過ぎない人間関係を送っていた。


 要するに僕は、好きな人には全力でぶつかる自分を理解してほしかったのかもしれない。



 1999年7月10日(土) 午後10時13分

「フッ、フーッ」 ガスッ……チャッ……ガコン

「フーッ、フーッ、フーッ」 ガスッ……チャッ……ガコン

「フーッ!!、フーッ!!、フーッ!ブッ!」 ガスッ……チャッ


 力強く吹き過ぎたようだ…。無数の微傷と古臭くなったカセットに、少量の唾が付着してしまったが、画面に映し出された、無音と質素なタイトル画面に僕は少し安心すると同時に軽く呼吸を整える。


 【ひろしの挑戦権】 ビョウドウ 1986年12月10日発売

 大人気タレント、北野ひろしが全面監修したアクションアドベンチャー。主人公は一般のサラリーマン。ある日、会社から解雇を言い渡された彼は、一念発起して家族の許しを得て、無人島を探しだして自分だけの国を建てることを決意する。


 Fami-comの誕生から三年。依然として、その人気および熱が収束することがない中、一本のゲームが発売された。それが、のちに永遠にクソゲーとして語り継がれる本作である。


 しばらくして泣き疲れた僕は、押入れの奥に片付けていた、数回しか遊ばなかった、本作と攻略本を実に五年ぶりに引っ張り出して起動した。


 何故、そんなことをしたのか。居ても立ってもいられなかった僕は、とにかく鯨武さんにどう謝ろうか、どうやって仲直りしようかを考えていた。


 もちろん月曜日になって、彼女と会わないとすべては始まらない。彼女の家も電話番号も知らない僕は、それまでに何ができるのか。謝罪の言葉?ガンソルの腕前を上げること?違う、それは彼女の思い出を傷付けてしまったことへの誠意だった。


 鯨武さんはこのゲームを『父親との思い出』と話していた。ならば僕にできることはひとつ、このゲームと一度本気で向き合って、少しでも何かを掴み感じることにする結論に至った。


 それが正解かどうかは分からないが、僕は鯨武さんを好きという気持ち、諦めたくない気持ち。何よりも、ただ手をこまねいて待つことが嫌で辛かった。



 …ひろしの挑戦権を遊び始めてわずか数分。僕は出鼻から苦痛に耐え切れず逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。それは七月の熱帯夜も伴って、身も心もオーバーヒート寸前だった。


「このゲーム、本当に突拍子もないな!」

 思わずをあげてしまった。僕は攻略本を片手にゲームに悪戦苦闘していた。


 自慢ではないが、僕のレトロゲーム攻略本のコレクションはかなりのものである。幼稚園から小学生の頃は、小遣いやお駄賃はすべて、ゲーム雑誌や攻略本に費やしていた。おかげでお菓子の買い食いなどの思い出は皆無だが、雑誌や攻略本を持って、ゲームと人が集まる場所へと足を運べば、そこでは重要なポストとして迎えられる。そして振舞われるお菓子やジュースで食生活を満たす、したたかな生活を送っていた。


 攻略本やゲーム雑誌があれば、持っていないゲームだって、読むだけで遊んだ気になれる。それらの書物だけで、僕の脳内ではその作品に対するパラダイスプレイが描かれていた。


 ところが、ひろしの挑戦権は難易度が半端ではなかった。とにかく理不尽な展開が多く、攻略本どおりに進めようにも、その道中と過程が熾烈を極めた。


 街を歩けば、通行人はなぜか突然、主人公に危害を加えてくる。走って逃げようが飛び跳ねようが、移動速度が主人公も敵も均等なので、一度攻撃パターンに嵌ると抜け出せず、即座にゲームオーバーとなる。


 リストラ後、帰宅して家族に経緯説明と今後の話し合いで、選択肢を誤ったら夫婦喧嘩が勃発してゲームオーバー。酷いことに攻略本には『女性の気持ちをよく考えよう』という、具体的には程遠いヒントしか書かれておらず、僕は思わず『それが分かれば、こんなことしてねえよ!』とツッコミを入れてしまった。


 その他にも、フラグを立てずに国外へと出たら、空港で麻薬密輸の容疑で逮捕されてゲームオーバーになったりする。そこも攻略本には『条件を満たさずに、飛行機に乗ると…?』としか書かれていないのが、よけいに僕の怒りを買った。


 僕は理解に苦しんだ。ひとつは当然このゲームの完成度諸々だが、もうひとつは、鯨武さんはどうやって、このゲームを親子で楽しんだのかである。いくら好きな人とは言えど、改めて彼女の懐の広さに、尊敬とも恐れとも言えるような感心を持った。


 ちなみに、昼間に僕は鯨武さんに『あまりの酷さにカセットを投げた』と言ったが、あれはオーバーな比喩であり、嘘である。確かにゲームが思いどおりに進まず、癇癪を起こすことは度々ある。足をバタつかせたり、テレビ画面に向かって『そんなの卑怯じゃねえか!』と指差すことは日常茶飯事だが、流石にゲームソフトを壊したりするような真似はしない。


 それから僕は、何度も頭を掻きながら、舌打ちをしながら、画面に映し出された自分の分身ともいうべき男とともに夜を過ごした。クリアまでの道のりは、まだまだ果てしなく遠い。



 1999年7月11日(日) 午後8時51分

 なんだろうか、この懐かしい感じ。


 僕は昨晩から続けて、休日にひろしの挑戦権をひたすら遊び続けていた。途中で何回か睡眠や休憩、そして何十回もパスワードを取りながら、不思議な心地でゲームを遊んでいた。攻略本によれば、物語は佳境にまでたどり着いていた。


 振り返ればそこに、主人公の道はしっかりと出来ていた。悩み、傷付き、色々あっただろうが、そのどれもが彼にとっての歴史なのだと、僕はふと思った。


 会社をリストラされて、家族と話し合って、旅の支度をして、やっとの思いで発見する未開の新天地、彼の前には、いつも困難が立ち塞がっていた。


 だけど彼は、いつも『笑って』いた。それはわずか10ドットほどの表情だが、彼はいつも笑顔でその困難に立ち向かっていた。 


 そ ん な 彼 を 嘲 る 資 格 が 誰 に あ る ん だ 。


 確かにゲームの完成度は酷いものだ。これを商品として発売したことは、許されることではないかもしれない。世間やゲーマーに翻弄されて叩かれ続ける本作の罪は深いかもしれない。


 だけど、そこにある物語と軌跡は、百余冊にもおよぶ赤毛の冒険者との差なんてない。彼の大冒険を楽しんだ人がこの世には何人か、いや、もっと多くいたハズだ。少なくとも、鯨武さんと父親、そして手のひらを返すようだが、僕はこのゲームが大好きになった。




■■■■■■■■■■■■■

よくやった!けど、こんなに

あつくなって どうするの

■■■■■■■■■■■■■

            完




 丸一日を費やして、ようやく迎えられた、ひろしの挑戦権のエンディング画面。それはもう、簡素なメッセージが表示されるだけの酷いものだった。スタッフロールも隠し要素もない。実にシンプルで核心をついたものだった。



「くだらねえ、本当にくだらないな(笑)」

 僕は思わず笑い声をあげていた。


 まさに噂どおりの結末だった。近年のファミトゥーなどゲーム雑誌でも、本作のエンディング画面が企画物の記事として取り上げられたことがあった。そして攻略本の最後のページにも、その画面と説明は掲載されていた。


 それでも僕は、この画面を自分の目で迎えたかった。攻略本の最後にはこう書かれていたから。


 苦労してクリアしたのに、虚しいもんだろ?

 それが俺がこのゲームを考えた本当の目的って

 もんなのさ。物事を達成しても、努力しても、

 最後が満足、納得がいくとは限らない。

 それを知っててくれ。あばよ。『北野ひろし』



 1999年7月12日(月) 午後12時48分

 僕は、待っていた。この誰もいない学校の屋上にて、夏の日差しを遮る数少ない小さな陰の下で、一人静かにWSでガンソルを遊びながら。


     ◆


―――「17年前の自分は、本当に無理なところがあった」 

 つくづく自分に酔っていたと僕は笑いながら思い返す。


「思いだけが膨らんで、行動が空回りするのは若者の特権だよね」

 ちょっと痛いところを触れられて、恥ずかしいが、そのとおりだと思う。


 人の思い入れのあるゲームをクリアした。だからそれが何?と、言われればそれまでである。勝手に淋しくなって、弱い自分を鍛える口実にしていただけかもしれない。


「17年後の今も、あの頃みたいに、がむしゃらになれる?」

 妻が、僕が返答に困ると分かっていながら、痛い質問をしてくる。


「どうだろう。なれるかもしれないし、なれないかもしれない」

 僕は、あやふやな返事しか出来なかった。


「17年後も同じ質問するから、それまでに答えを考えておいてね」

 妻が優しく出してくれた僕への宿題。その小さな意地悪とも思える言葉だが、僕はそれを、これからも一緒に過ごしてくれるための約束と思うことにした。


「しかし、17年後ともなると、節子も二十歳を超えるな」

「それまで、ゆっくりたくさん、あの娘らしく元気に過ごしてもらいたいね」


 僕らは隣の寝室で寝息を立てている、5歳になる愛娘のことを思った。『ちゃんと寝てるかな?』と、ふと僕らは寝室の扉をそっと開けてみた。


 いつか、この子が大きくなったら、今日の僕らのように、この話を夜更かししながら聞かせるときが来るかもしれない。


「うん、寝てる寝てる」

「寝顔は、私似だよね」

「異議なし。女の子なのだから、由美さんに似てもらわないと困る」

 僕は、娘の静かな寝顔を微笑みながら眺めつつ、妻の主張を認めた。


 ギギ…ギリギリギリイイィイイリイイイィィ……


「……歯ぎしりの音はあなた似ね」

「異議あり。都合の悪いところだけ僕に押し付けるのは困る」

 僕は、娘の鳥肌の立ちそうな摩擦音に耐えつつ、妻の主張を却下した。


(つづく)

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