第16話 W・I・N・N・E・R(前編) 

 昔、歩くだけで経験値が増える不思議な靴が登場するRPGがあった。

 しかしそれは、手が届くようで届かない憧れのアイテムだった。

 

 そのチャンスは比較的に目の前に現われる。だけどそれはすぐに逃げて行く。

 たとえ捕まえたとしても空振りに終わることも多い。

 

 諦めなければいつかは手に入るかもしれない。

 どんなに願っても、いつまでも手に入らないかもしれない。

 

 望まなくてもすぐ手に入るかもしれない。たくさん手に入れた人もいるだろう。

 そのしあわせの形は、あまりに気まぐれで儚い存在だった。

 

      ◆


 1999年7月6日(火)

 今日も訪れた昼休み。僕は、いつも以上に緊張していた。


 昨日は鯨武さんとの対戦が叶わず、一時は終わりを覚悟した。だけど鯨武さんの友人たちのおかげで、軽い行き違いであったことに安堵するも、僕は『今日は会えるだろうか?』という次の不安に駆り立てられていた。


 いつもの時間、午後12時30分。屋上に出る扉の前で僕は小さく深呼吸をする。何だかんだでいつも緊張しているなと思いながら、僕は目を閉じたまま扉を開けた。


 ………いた。屋上の少し離れたいつもの場所。そこに鯨武さんは静かに座り、小さく前傾した姿勢でWSを遊んでいた。まるでそれはRPGやアドベンチャーで、見慣れた場所にいつもと違うキャラが出現する新しいフラグの成立に近い喜びがあった。


「鯨武さん、もう具合は大丈夫?」

 僕はいつもと変わらぬ素振りで鯨武さんに近付き声をかけた。


 一瞬、「いやー さがしましたよ」と軽いノリで接しようと思ったが、元ネタが分からないと意味不明な嫌味にしかならないので、僕はいつもの調子で話しかけた。


「あ、百式君。昨日は、そのごめんね」

 鯨武さんは僕に気付くなり、急にWSの電源を落として立ち上がって僕に謝ってきた。


「いやいやいやいやいやいや、そんなそんなそんなそんなそんな」

 彼女の申し訳なさそう態度に僕の方が焦る。むしろ不審者である。とにかく僕ら(特に僕)は落ち着き、いつものようにWSを取り出して通信ケーブルを繋ぐ。そして僕は、対戦前に鯨武さんに金曜日の約束分のミッツサイダーを差し出した。


「え、そんな悪いよ。昨日だって持って来たんじゃないの?」

「いや、実は昨日は持ってくるの忘れちゃったんだ。お恥ずかしい」


 鯨武さんの心配をよそに、僕は咄嗟に予め用意していた嘘の返事をした。きっと彼女なら遠慮するだろうと思っていたのだ。


 以前の僕ならばきっと返答に悩むか『気にせず飲みなよ』と強引に押し通すだけだっただろう。ほんの少しだけ、女心が分かるようになったのかも…?と自分を褒めようと思ったが、調子に乗るのは厳禁である。僕はいつだって、そこで失敗するのだから。


 僕の自然な返事(?)が功を奏したのか、鯨武さんは僕のミッツサイダーを受け取ってくれた。すると鯨武さんは、サイダーを開封することなく、自分の側に置かれたビニールを袋をガサガサと漁りだした。


 お菓子でも取り出すのかなと思いきや、袋からそっと出てくる紙コップ。


「あ、こんなところに家庭科室にあった紙コップが~」

 鯨武さんの突然の棒読み言葉に、僕は一瞬何が起きたのか理解できなかった。彼女は笑ってはいるものの、明らかに無理をしているのが分かる。


「えっと…鯨武さん、それは?」

 ミッツサイダーの断り文句しか対策していなかった僕は、彼女の滑稽台詞になんと返事をすればいいのか、思考はしていた。


 何とも言えない時間がしばらく流れたのち、先に口を開いたのは鯨武さんだった。


「お、おめでとう」

「え、何が?」

 鯨武さんは照れるような様子で、目を背けながら僕に祝福の言葉を静かに告げる。何のことかも分からず返事をすると、彼女は言葉を続ける。


「百式君がガンソルでファンタスティックが出せたって、美鈴から聞いたの…」

「あ、美鈴さん伝えてくれたんだ。そうなんだよ、昨日初めてファンタスティックが出せたんだ。凄く嬉しかった。鯨武さんにも見せたかったな」

 僕が先日、初めて体験した五連鎖の感動が鯨武さんに伝わっていた喜びと同時に、僕は自分の言葉に思わずハッとする。『君にも見せたかった』ってキザ過ぎるだろ!


「そ、それで実はね。学校に着いてからだけど、今日、百式君はきっとミッツサイダーを持ってくると思ってたの。多分、渡してくれるんだろうなって思ったの」

 鯨武さんの様子が何だかオカシイ、と言うかかなり動揺している。こんな彼女を見たのは初めてだ。


「だ、だから、そのミッツサイダーは半分こにして乾杯したいって…思っ…た」

 鯨武さんは照れながら、僕の方をチラ見しながら言葉を振り絞り紙コップを差し出した。


 …………………………………………………………………………………………………………………………………うぬぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!


 僕は心の中で220mm口径砲台なみ、ガイアも震撼する祝砲のごとく絶叫した。


 か、かわいすぎる!鯨武さんのその奥ゆかしい素振り、言葉、動揺、その一生懸命な姿があまりに魅力的であり、まさに僕の初恋のヒロイン、セルヴィアーナの化身のように思えた。


 いやいやいや、待て待て。鯨武さんは鯨武さん、セルヴィアーナじゃない。そこは冷静になれ。変なところで初心に帰るな。ただ、今の彼女を思うんだ。


 僕の体内でまたもや巻き起こる非常警戒態勢。で、でもとりあえず落ち着け。


 その後、とりあえず何とか平静な態度を取り繕った僕は、笑いながら鯨武さんとミッツサイダーを乾杯した。あまりの緊張と胸の高鳴りで、炭酸の刺激も味も感じられなかったと思う。

 

     ◆


―――「ぁあああああああ…思い出すと恥ずかしい。もうやめて」

 あの時、僕らに急に訪れた熱酸あつすっぱい急展開。それを思い出して止めに入ったのは僕ではなくて妻だった。普段は控えめな由美さんがこれだけ取り乱すのは実に珍しい。


「あの時の紙コップだけど、あれって由美さんが考えたの?」

 もう15年以上前の話になるが、ふと思って妻に聞いた。


「いや、あれはね。明日香と美鈴が考えたっていうか、私に押し付けたのよ」

 妻は当事者ながら『自分は関与していない』と言わんばかりに弁解した。


 確かに当時の妻にしては、あまりにらしくない大冒険な演出ではあったが、言われてみれば、あの二人ならば考えそうなことである。


 しかし、あの頃は誰か裏で糸を引っ張ってるとは疑う余地もなく、何より心臓が張り裂けそうなくらいドキドキさせていただいたので無罪とする。いやそれどころか今更ながら褒美を与えるレベルである。


(つづく)

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