第15話 ザッピング② 私は誰かと強くなる
「私が初めてゲームに触れたのはいつだろう」
鯨武 由美は朦朧としつつも、何かを思い出そうとしていた。
事の始まりは十数時間前。夏とは思えない7月の涼しい夜風が外を泳いでいた日曜の夜。彼女はそんな恵まれた自然に甘え過ぎたのか、テレビや漫画を楽しむうちに網戸に開放されたままの窓際で朝まで眠りに落ちてしまったのだ。
夏とはいえども薄着と夜風は彼女の体に少々のペナルティーを与えてしまったようだ。月曜の早朝に床で目覚めた彼女は、わずかながら関節と鼻の奥に痛みを感じる。俗にいう夏風邪というやつだ。
自業自得とは正にこのことと痛感しつつも、母親から受ける小言に言い訳を返したい気持ちを堪えつつ、彼女は自室の布団で療養することとなった。
布団の中で己を軽く呪いつつも、陰鬱な月曜を大義名分で休めるのはラッキーだったと前向きに都合よく捉える。あと、『馬鹿は風邪をひかない』が自分に該当しないことを喜ぶことにしたが、後日、友人たちから『夏風邪は馬鹿がひく』と聞かされて彼女はしばらく恥をかいた。
頭痛と薬の作用、そして今頃になって自分の迂闊さを反省する気持ちの重なりが引き起こした現象か、ひとつの心配ごとが彼女の脳裏から離れなかった。
それは目を背けたくなるであろう一学期の成績でも、未だに不明確なままの進路でもない。一人の男の子のことである。
近頃、彼女は昼休みに百式 長之介という同級生の男子と一緒にゲームを遊んでいた。最初は些細なキッカケと出来事から始まったことだったが、わずか数日でかけがえのない日課になりつつあった。要するに楽しいのである。
今までも友達とゲームをしたことはたくさんあるが、それは遊びの一部であり、時間と我を忘れてまで遊んでくれる相手や機会に遭遇したことはなかった。みんなすぐに飽きて別の遊びを始めてしまうのだ。
もちろん、今まで付き合ってきてくれた友達は、彼女にとってかけがえのない存在である。また、彼女自身も外で遊んだり、スポーツで時間を過ごすことは大好きなのだ。今の彼女があるのはそんな素晴らしい人間関係や日々によって築かれたものであることは彼女が一番良く理解しており、そして感謝していた。
そんな恵まれた交友関係に突如として現れた長之介という存在は、少し異質ながらも彼女の持つ『何事も無下に否定しない性格』が幸いしたのかどうかは分からないが、彼を受け入れるとともに接するうちに不思議な友達関係になりつつあった。
何より、心のどこかでいつも望んでいたが、いつの間にか自分からは封印していた『自分とゲームを一緒に遊んでほしい』という言葉を自らに向けてくれたことが、彼女にとっては大きな喜びであり、何かが変わろうとしていた。
彼女は今日も昼休みにその男子と屋上でゲームをする約束をしていたが、生憎の体調不良でそれは叶いそうにない。それは仕方ないのだが、彼はきっと屋上に来るだろう。そしてきっと待ち続けるだろう。そんな気がしたのだ。
残念ながら、由美も長之介も互いに携帯電話やPHSを持っておらず、ましてや自宅の番号などもってのほかであり、互いに連絡の取る術はなかった。余談だが、1999年当時の携帯電話やPHSの普及率は、日本国内で四割程度だったらしい。
体調は良くないが、彼女は様々なモヤモヤを解消するべく、急激にゲームで遊びたくなった。しかし学校を休んでいる身でゲームを遊ぶ姿を万一、母親に見られてはこってり絞られるので、彼女は今は大人しく休むことにした。
彼女は、多くの人間が同じく思っているであろう、体調が悪くても趣味や生き甲斐であれば元気になれる、別腹ならぬ『別命』ともいうべき能力に不思議なものを感じるとともに、自分は本当にゲーム好きであることを思い返していた。
自分が初めて触れたゲームの記憶。みんなは覚えているだろうか。ある者は幼い頃に家庭にやってきて、ある者は物心ついたときから一緒に過ごしていた。それは人や家族、ゲーム機の数だけ物語があることだろう。
由美が初めてゲームに触れたのは小学校一年生の時。それは彼女の父親が買ってきた物だった。それは、どの家庭にでもあると言っても過言ではない、家族を象徴した名前を模ったゲーム機だった。
それまでは見るものでしかなかったテレビが、遊ぶものへと変化した衝撃は彼女に大きな感動をもたらした。
―― 飴かゼリーのような生き物がコインを並べて絵を描くゲームがあった。
―― 怪獣がソフトクリームを集めながら火を噴くゲームがあった。
―― 風船で空を飛びながら雷を避けるスリルいっぱいのゲームがあった。
ゲームの数だけ物語とドラマがあり、遊んだ時間だけ思い出がそこにはあった。
ある日、二つのゲームソフトが鯨武家に加わった。一つは誰もが知る人気ヒーローの続編で、もう一つはテレビで見たことがある人の写真が写ったゲームだった。
ヒーローが活躍するゲームは誰もが所有するほどの人気で、当時売り切れが続出するほどだった。赤色と緑色の兄弟のヒーローがタヌキやカエルなどの生き物に変身する、その冒険ストーリーに大人も子供も夢中になった。
由美は家に居るときは片時もこのゲームを手放さず、机に向かって勉強しながらも、時折り引出しを開けてこそっとソフトだけを眺めて、頭の中で冒険やゲームを何度もリプレイした。
人の顔写真が貼られたもう一つのゲームはとても難しかった。父親はその写真の人のファンということもあり、面白そうだと思い購入したのだが、男の人が街を歩いたり人と話したりしながら戦うも、目的もルールも良く分からず、いつの間にかやられてしまう内容だった。
その作品は父親が好きな芸能人が全面プロデュースした作品だったのだが、別の意味で様々な話題を呼んだ。
「せっかく買ったのだから遊び尽くす!」と、困り悩みながらもそのゲームを遊ぶ父の姿、そして何より彼女も父親と一緒にそのゲームを遊ぶのが楽しくて仕方なかった。理由も分からずゲームオーバーになっても、父親と二人で「変なゲームだね」と顔を合わせて笑った。世間の評価は厳しくても、その作品は彼女にとって思い出深い名作となった。
「悪いところは簡単に見つかるから、いいところを探すことを忘れてはいけない」
父親がことあるごとに彼女に教えていた言葉だった。その教えは彼女の日常すべてにおいての原点であり、どんな物でも簡単に見放したり嫌うことはなかった。
もちろん、彼女の交友関係の中でも、嫌いな人や物の話題は挙がる。しかしそれもひとつの意見の一つとして受け入れ、決して自分の考えを押し付けたりはしなかった。時にその矛盾に悩むこともあるが、それでも彼女の「物事を否定しない」その性格は、彼女の最大の長所として育まれた。
そんな教えを伝えてくれた父親との別れが訪れたのは、由美がまだ小学校3年生の時だった。ある日突然、母親から『お父さんと別れることになった』と聞かされた。
まだ少女ながら母親の言葉の意味は理解しできても、その現実を素直に受け入れるには、あまりにも幼かった。
両親ともに目立った喧嘩などもなく、二人が別れる理由は想像もつかなかった。純粋に前向きな彼女にとって、大人の事情はあまりにも深かった。
やがて彼女の前から父親は去り、新しい生活が始まった。子供は純粋であればあるほど、その裏切られたときの代償や影響は大きい。しかし、彼女はその辛く寂しい現実に飲まれたりはしなかった。悲観すること、信念を放棄することなく、父親の教えを守り抜く生き方を選んだ。
ピリリリリ...ピリリリリ...
どれほどの時間が過ぎただろうか。電話のコール音が由美のフワフワした意識を覚醒させる。コール音はしばらく鳴り止まない。どうやら母親は外出しているようだ。
もしかしたら母親からの電話かもと思った彼女は、布団から体を起こして電話機の置かれた廊下へと足を運ぶ。どうやら薬と浅いながらもとった睡眠が彼女を回復に向かわせたようで、思ったより体は軽い。
廊下の途中、壁に掛けられた時計の針は12時50分を指していた。いつもなら学校の昼休みを友達と過ごし、そして屋上で百式 長之介とゲームを対戦しているころである。今度、学校へ行ったときにどう謝ろうかを考えながら、彼女は受話器を取った。
「もしもし、鯨武です」
「あ、由美、具合はどう?」
受話器から聞こえる慣れ親しんだ声。それは彼女の母親ではなく、小学校からの付き合いであり、高校三年間の部活をともにした友人、石山 明日香からだった。
由美は明日香が最近、PHSを持つようになったことを思い出す。明日香は学校を休んだ由美を心配して、昼休みに電話をくれたのだった。
明日香はいつもみんなを引っ張ったり、人の気持ちを上手く先読みしてくれる。堂々とした頼りになる行動力を持った尊敬している親友の一人である。そんな心遣いで、自宅にいながら日常を味わえるような、そんな嬉しくも得な気分を由美は噛み締めた。
由美もまた、本日の友人たちや学校の様子を訊ねる。そんな互いの心配は一瞬で消え去り、他愛もない話へと移り変わる。
五分ほど話して由美はふと思い出すとともに、友人に一つ頼みごとをすることにした。もちろんそれは、屋上の待ち人である長之介のことである。
彼女は明日香に今日の自分の事情とともに謝りの気持ちを伝えてほしいと、頼んだ。明日香は躊躇することなく快く了承してくれた。
由美は長之介との近況、昼休みにゲームを一緒に遊んでいることを既に友人たちに話していた。当初、友人たちは彼女のことを少し心配したが、由美の性格は重々承知しており、彼女の行動を誰も不安視する者はいなかった。それだけ彼女の生き方は信頼されており、万一の時はみんなで彼女を守るだけの友情が育まれていた。
友人との電話越しの談笑後、すっかり元気を取り戻した彼女は、台所に置かれた母親の作り置きの昼食をとる。
由美は午後からも大事をとってひと眠りしようかと思ったが、母親が外出中であることをいいことに、布団を被りながらゲームで遊ぶことにした。自由に勝る良薬はない。自室のテレビ下から据え置きゲーム機を取り出した由美は『私より強い奴に会いに行く!』と言わんばかりの意気込みで遊びだした。
由美がゲームを遊びだして数時間。自室の外、玄関付近に人の気配を感じる。仮想世界に夢中になっていた彼女は急に現実に戻された。
もしかして母親が帰ってきた…?学校を休んでいる立場でテレビゲームを遊ぶことを背徳と理解していた由美は、布団から出てゲーム機の前で方膝をつきながらリセットボタンをいつでも押せる姿勢をとりつつ息を潜めた。
「由美、いるー?」
玄関のチャイム音の少し後に自分の名前を呼ぶ声に、由美の緊張は一気に和らいだ。玄関の外から自室に声が届くのを知っている、そして聞きなれた声は友人
であることに安心した彼女は、ゲームの電源を切ることなく玄関へと赴いた。
「おーっす、由美。おかゆは食ったかい?」
玄関を開けて互いに顔を見合わせた瞬間、ユーモアな皮肉で和やかな雰囲気を作ったのは、由美の友人の一人、伊田 美鈴だった。
放課後、お見舞いにくれた友人を自室を招く。美鈴は部屋に入るや否や、床に座り、持ってきたコンビニの袋をガサガサと漁りながら『お見舞いの品』と称したお菓子やジュースを取り出してそれを由美に手渡した。
美鈴は中学校の頃からの付き合いで、今や明日香とならぶ彼女の親友である。いつも明るい彼女の性格とユーモアがあれば、緊張感や心配事など些細に思えてしまう。そんな人柄に由美は憧れていた。
三人で過ごした時間や苦楽は高校卒業後は離れ離れになるが、それでもいつまでも、現在も進行形であってほしいと由美は願った。
「そうそう、放課後だけど、由美に惚れてるあの男子のところ行って来たよ」
「ほ、惚れてるって、そんな。百式君に失礼だよ」
美鈴は意地悪そうな笑顔で、由美が昼休みに明日香に頼んだ長之介へのフォロー結果を報告する。由美はそんな彼女のからかいを急いで制止する。
動揺する様子に味をしめた美鈴はここぞとばかりに詰め寄るが、『風邪をぶり返すから許してよ』と由美は何とか話題を切り上げた。
少しからかい過ぎたかと反省するも、とりあえずゲームを遊ぶだけの元気はあるようで美鈴は安心した。しかし、テレビに映るゲーム画面を見た彼女は僅かに困惑する。
【87年目 5月】
由美が遊んでいるゲームは、日本の昔話のキャラが鉄道会社を経営してサイコロを振りながら日本各地のゴールを目指す、俗にいうボードゲームだった。
「今日、ずっとこれで遊んでたの?」
「うん。今日は50年目くらいからずっと遊んでた」
どちらかと言えば、複数人で盛り上がって遊ぶのが一般的なのだが、一人でここまでの設定年数を遊ぶのはなかなかの忍耐力を要するゲームである。
由美のゲームに対する集中力と熱意を既に知っている美鈴は、それ以上は追求しなかった。その後、由美と美鈴はしばらく他愛もないお喋りを続けた。
美鈴が由美の部屋に訪れてから小一時間が経った。互いにとりあえずの話題を出し尽くしたのと色々と丁度の時刻もあり、おいとますることにする。
「そうだ、肝心なこと忘れてた。百式君から言づてがあったんだ」
帰り際、玄関で美鈴は大事なことを思い出す。お見舞いついでながら、本来の目的を忘れていたことに彼女は焦るが、由美も長之介のことで少なからず動揺した。
「えーっと確か、”ファンタスティックが初めて出せた” って言ってたよ」
美鈴にとっては何だか分からないが、その報告を聞いた由美の表情が徐々に笑顔に変わる。それが二人にとって嬉しい共有事項なのだと美鈴は理解したが、あえてそのことは聞かず、今はその成り行きを静かに見守ることにした。
「百式君、だんだん上手くなってるんだ」
些細な報告だったが、由美は不思議な喜びを感じるとともに、自分も何かを頑張らなくてはと思うのだった。
◆
―――「本当、由美さんは良い友人に恵まれているよね」
15年以上経った現在でも、その友人たちは今でも互いに年賀状や祝い事などの度に何かを贈りあう関係が進行形であることを夫は知っており、微笑ましさと羨ましさで満たされていた。
そんな友人をいつも良く思い褒めてくれる夫もまた、由美にとって恵まれた出会いのひとつであるが、この場ではあえてそれを言わないことにした。
「由美さん、何笑ってるの?」
「内緒です」
(つづく)
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