黄鶯睍睆その二 羽根突き勝負

 

 磯島の監視によって悪夢のような正月を過ごす恵姫。けれどもそれはまだ序の口でした。磯島は恵姫の身体だけでなく精神までもズタボロにする暴挙に出たのです。

 それは恵姫の売り込みでした。

 半月前、江戸の殿様から磯島に届いた書状には、髷結いの許可と共に、恵姫の婿取りとお家の存続に関して、かなりの危機感を匂わせる内容が書かれていたのです。


『わしも正室も既に高齢、側室を持つ余裕もない今、お家存続は恵姫が婿を取れるかどうかに掛かっておる。頼りになるのは、幼年の頃より姫のそばに仕えてくれた磯島、そなただけじゃ。よろしく頼んだぞ』


 これを読んだ磯島は心に決めました。この家の将来は自分の両肩にかかっている、どのような手段を講じても殿様の期待に応えなければならない、と。そうして一世一代の大芝居を本日決行することにしたのです。


 年始の客はほとんどが男性、もしくは女性を連れた男性です。磯島はここに目を付けました。やって来たのが、部屋住みの次男や三男だと分かると、磯島は、


「こちらの恵姫様はお茶もお花も腕前は超一流。教養もあり心身共に健やか。嫁として完璧なおなごでございます。これほどまでのおなごが、何故に未だに一人でいるのか不思議なくらいでございますよ。善は急げと申します。ぐずぐずしておりますと姫様を他の男に奪われてしまいますよ」


 などと宣い、また、年配の年始客との会話で、


「うちの倅は養子先を探しておりましてな」


 という話が出れば、


「こちらの恵姫様は心優しく、特に老人には、いつでも身を尽くして親切にしております。姫様と一緒ならば老後もきっと安心に過ごせましょう。本当にこのような良くできたおなごを、いつまでも一人にしておくとは、天に御座す縁結びの神様の目は節穴ではないのかと、疑いたくなるほどです」


 などと、売り込みを掛けるのです。

 これにはさすがの恵姫も恥ずかしいやら情けないやら、もう顔から火が出そうです。磯島が自分を持ち上げれば持ち上げるほど、自分は駄目な女性だと言われているような気がして、穴があったら入りたいと身を縮こまらせておりました。

 やがて年始客もまばらになってきました。時太鼓が聞こえてきます。


「おや、もう昼九つですな。午後は年始の客もほとんどおらぬでしょう。これ以降は厳左ひとりで供応いたす。姫様、磯島様、お役目ご苦労さまに存ずる」


 ようやく恵姫の試練の時は終わったようです。恵姫は安堵の吐息を漏らしました。一方、磯島は上機嫌です。


「首尾は上々。これで姫様の人気は鰻登り間違いなし。花嫁姿を見られる日も近うございますな」


 磯島が話し掛けても、恵姫からは返事がありません。両拳を固く握りしめてプルプルと震わせています。


「姫様、どうかなされましたか」


 そう言って磯島が恵姫の顔を覗き込むと、恵姫は真っ赤な顔をして叫びました。


「磯島なんか、磯島なんか、大嫌いじゃあ~」


 そうしてすっくと立ちあがり、上段の間を走り出したのですが、足が痺れていたのですぐに転んでしまいました。


「うう、足が痺れて走れぬ。おい、磯島、起こしてくれ」


 踏み潰された蛙のように畳に這いつくばり、情けない声を出している恵姫を見て、磯島は眉をひそめてつぶやきました。


「やはり、花嫁姿を見られるのは、まだまだ遠い先のようでございますね」


 *  *  *


「全く以って忌々しいことじゃ。一体誰のせいであんな目に遭うたと思っておるのじゃ」


 この二日間の出来事を思い出すと、口惜しさと恥ずかしさで、恵姫は憤懣やるかたない気分になってしまうのでした。おまけにまだ解くことのできない髷のせいで、頭は重く、気分は重く、せっかくの正月三が日はすっかり台無しになっていました。


「むむ、いかんな。わらわとしたことが何を落ち込んでおるのじゃ。まだ正月三が日は一日残っておるではないでか。そうじゃ、今日一日を思う存分楽しめば、これまでの気苦労など全て帳消しになるはずじゃ。ふむ、正月の楽しみか……」


 恵姫は考えを巡らせました。座敷の障子は明るく、外は晴天の様子。朝の食事を済ませて腹は満ちていますが、ここ二日間座りっ放しだったため、体はすっかり鈍っています。晴れた空の下で、少し手足を動かしたいところです。


「そうじゃ!」


 突如、名案が閃めいた恵姫は廊下に出ると、控えの間に通じる襖を開けました。そこには恵姫の警護とお世話を兼ねて、正月三が日の間だけは日替わりで女中が一人詰めているのです。


「姫様、呼んでいただければ参りますのに。何か御用ですか」

「これから女中部屋へ行く、付いて参れ」

「えっ、それはどのような御用で……」


 女中の質問は完全に無視して恵姫は座敷を出ると、女中部屋目指して廊下をずんずん歩いて行きます。控えの女中は慌ててその後を追いました。


「入るぞ」


 いきなり出現した恵姫に、部屋の女中たちは慌てふためき、身なりと姿勢を整えて頭を下げるのでしたが、お茶を飲んでいた磯島だけは平然としています。


「おや、姫様いかがなさいました」


 横目でチラリと恵姫を見る磯島。そんな磯島に向かって、恵姫は高らかに宣言しました。


「只今より、羽根突き大会を執り行う!」



 中庭には恵姫と磯島、そして急ぎの用のない女中三名が羽子板を持って整列しています。恵姫の鶴の一声で羽子板遊びに興じることになったのです。

 恵姫は自信満々ですが他の四名は浮かぬ顔。それもそのはず、お琴などの芸事や、針仕事などの家事全般はからっきし駄目な恵姫も、こと羽子板、独楽回し、凧揚げなどになると無類の才能を発揮するからです。

 特に羽根突きは『板を持たせれば右に出る者なし』と言われるほどの腕前。城内は愚か、城下の庶民でさえも恵姫を打ち負かした者は今に至るまで一人も出現していない、まさに全戦全勝無敵の豪傑として、その名を国中に轟かせているのです。


『ふっふっふ、今日こそは磯島の奴めをコテンパンに叩きのめしてやる』


 と悪い顔をした恵姫は心中で密かに復讐を誓っていました。


「さあ、始めるぞ。最初の相手は誰じゃ」

「それでは、わたくしが」


 名乗りを上げたのは一番小柄な女中でした。どうひいき目に見ても、女中が勝てるとは思えません。


「ふむ、肩慣らしには丁度よい。ではいくぞ、それ」


 先ずは小手調べとばかりに緩く羽根を打つ恵姫、心もとない足取りで受ける小柄女中、帰って来た羽根を打ち返す恵姫。


『おや?』


 恵姫は違和感を覚えました。体の均衡がうまく取れないのです。下半身の動きに上半身が付いて来ません。


『おかしい、これはどういうことじゃ』


 均衡が崩れれば、足も手の動きもおかしくなります。恵姫は次第に焦りだしました。


『なんじゃ、一体何事じゃ。まるでわらわではないようなこの体は、この動きは』


 違和感は収まるどころかますます大きくなっていきます。そして何度か打ち合った後、遂に恵姫の羽子板をかすめて羽根は地へと落ちました。一瞬、中庭が静寂に包まれました。


「う、嘘、嘘でしょう。恵姫様に勝てるなんて、そ、そんなことが」


 小柄女中は勝利の喜びよりも驚きの方が勝っていたようです。口を手で押さえて茫然自失の状態になっています。他の二名の女中も同様でした。しかし磯島だけは冷静でした。


「ま、負けた。このわらわが、負けた、だと……」


 磯島は、敗北の事実に愕然となって地面にへたり込んでいる恵姫に近付くと、その顔に墨でバツ印を描きました。


「目論見が外れましたね、姫様。ほっほっほ」


 楽しそうに笑いながら簪の刺さりまくった恵姫の髷をポンポンと叩く磯島。ハッと我に返った恵姫は、ようやく敗因に気付きました。


「髷じゃ。髷のせいじゃ。髷のために頭が重くなり、体を思うように動かせず、わらわは負けたのじゃ……」


 恵姫は顔を上げました。目の前にはにんまりと微笑む磯島がいます。


「磯島、気付いておったのだな、髷のためにわらわが本来の力を出せぬことを。おかしいと思っておったのじゃ。いつもなら色々と理由を付けて断るはずなのに、今回に限って一つ返事で引き受けるのだから。くっ、わらわとしたことが、迂闊であった」

「おや、姫様は何を言っておられるのでしょうか。磯島にはさっぱり心当たりのないことです。それよりも姫様、次の対戦を急いでくださいませ」


 恵姫の顔色が変わりました。一番弱そうな小柄女中にすら勝てなかったのです。他の女中に勝てるはずがありません。


「ま、待て、磯島。羽根突き大会は中止じゃ。対戦はこれ一回でもう十分じゃ」

「何をおっしゃるのです。そもそも羽根突きをやろうと言い出したのは姫様なのですよ。そのために、我々四人は仕事の手を休めて、こうして中庭に集まったのです。それを勝手に中止するなど、余りにも我儘にすぎます」

「な、ならば、せめてこの髷を解いてくれ。垂れ髪になれば、わらわも本来の力を発揮出来るはず」

「正月三が日は髷を結ったまま過ごすと約束されました。しかもこれは姫様のお父上も認めておられること。その約束を反故ほごにするようなこと、断じて認めるわけには参りませぬ」

「いや、だが、それでは、わらわは勝てぬ。この顔は墨だらけに……」

「身から出た錆でございます。さあ、次の対戦を始めましょう」

「そ、そんなあ」


 こうして羽根突き大会は恵姫の懇願空しく強行されました。無論、恵姫の四戦四敗です。


 しかも話はそれだけでは済みませんでした。『恵姫破れる!』の報は瞬く内に城内を駆け巡り、住み込みの女中は勿論のこと、本日の役目を仰せつかって城内にいる門番、警護番、見回り役、馬の世話係、遅れて三日目に年始の挨拶に来て帰ろうかと思っていたら突然の『恵姫破れる!』の報にびっくりした客などが、『恵姫を打ち負かす絶好の機会到来!』とばかりに大挙して中庭に押し掛けたため、それら全員と羽根突き勝負をすることとなり、結果、全戦全敗の恵姫の顔は墨で真っ黒になってしまったのでした。


「またしても磯島にしてやられたわ。なんと忌々しい髷なのじゃ。うう、く、く、悔しいのじゃあ~」


 散々な正月三が日の恵姫ではありました。


 

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