第二話 うぐいす なく

黄鶯睍睆その一 年始挨拶


「ようやく今日でこの鬱陶しい髷ともお別れか」


 恵姫は浮かぬ表情で頭をぶんぶんと振り動かしました。正月三日になっても、頭の上には団子のような髷が乗っかっています。

 思い起こせば大晦日の昼下がり、磯島の脅しに屈して半強制的に結われた髷には、今でも多数の簪や花笄や髪飾りが、ジャラジャラ、チンチン、カサカサと音を立てて、しっかりと突き刺さっています。何も知らぬ者にはみやびで愛らしく聞こえるこの音色も、恵姫にとっては、三日三晩降り続いても止まぬ雨の雫が、軒先の水溜りに落ちて無秩序に奏でる雨音のような、気怠さと憂鬱を与える音色として聞こえてくるのでした。


「こんなつまらぬ正月は初めてじゃのう」


 元日から気の休まらぬことばかりでした。年始の客への応対、それ自体は毎年のことなので、さほどの気苦労にはなりません。そもそも年始の客は、城主である恵姫の父親か、城主不在の時の代理となる家老の厳左に挨拶に来るのですから、恵姫は所詮添え物。立膝座りか横座りで脇息きょうそくに肘を掛け、何も言わずにニコニコ笑っていれば、それで済んでしまうのです。


 ところが今年はそうはいきませんでした。年始客が待つ控えの間から、恵姫と厳左の座る表御殿大書院の上段の間へ供応と案内をする役として、女中頭の磯島が受け負うことになってしまったからです。

 なんでもその任に当たっていた接待役が、ひどく風邪をこじらせてしまったためとのことでした。本来ならば代わりの家臣が代わりを務めるのでしょうが、どこから耳に入れたのか、是非とも自分に任せて欲しいと磯島が言い出したのです。


 厳左は丁寧にお断りしました。奥で働く女性の仕事ではないからです。しかし磯島は頑として聞き入れません、どうしても自分がやると言って聞かないのです。こうなると、厳左も恵姫も断れませんでした。それは磯島の出自によるものです。

 元々、磯島は公家の娘、一度嫁入りして子も成したのですが、夫に先立たれ実家に戻った後、恵姫の乳母としてこの城へやって来たのでした。その磯島の実家は正四位下の家柄。一方、こちらは数年前にようやく従五位下を賜ったばかり。武家と公家の官位は別物とはいえ、格式では磯島の方が上なのです。磯島の言葉を無下にできないのは、こんな理由があるからでした。


 しかし、一旦任せてみれば、そこは公家の出にして恵姫の教育係、文句の付けようのない働きぶりです。これには厳左も感心してしまいました。


「丁寧でありながら媚びることなく品のある立ち居振る舞い、それでいて無駄がない。さすがは磯島殿、見事な供応ぶりですな、姫様」

「そうじゃな」


 てきぱきと年始の客をこなす磯島の姿に、厳左はすっかりご機嫌でした。一方、恵姫の気持ちは重く淀んでいました。磯島の目は年始客だけでなく、恵姫にも向けられていたからです。

 まず座り方はお茶の稽古の時と同じく端座を命じられました。これは普段座りなれていない恵姫にとって相当な苦痛でした。しかも、年始の客が途切れて一息入れようと、端座で痺れた足を崩して伸ばそうとすれば、


「行儀が悪うございますな」


 と声が掛かります。それもぴったりと閉めた襖の外からです。

 また、頭が痒くなったので、簪を外して、痒い所をポリポリやっていると、これまた大書院の外の廊下から、


「簪ではなくこうがいをお使いなさいませ」


 と声が掛かります。

 また、昼食の後も続く年始客に飽きて、つい、うつらうつらと居眠りを始めれば、


「さきほどから五器齧が一匹行方不明になっております。おや、姫様の首筋を這っているものは、もしや……」


 と耳元で囁かれ、悲鳴を上げて夢から覚めれば、既に磯島の姿は大書院から消えているのです。


「ははは、壁に耳あり障子に目あり、ですな。姫様、磯島殿の姿が見えぬからと言って、油断をしてはなりませんぞ」

「まったくじゃ。どうして部屋の外からわらわが何をしているのか分かるのじゃ。あやつ、本当は忍びの末裔なのではないのか」

「かもしれませぬな、はっはっは」


 膨れっ面の恵姫をよそに高笑いする厳左。こうして、お目出度いはずの元日は、恵姫にとっては全くお目出度くない一日となって過ぎていきました。


 正月二日も年始の客は続きます。ただし、これは元日に回り切れなかった人達なので数は多くありません。三日目の年始の客は滅多にいないので、恵姫が表御殿に詰めるのは二日の今日で終わりです。


「うむ、とにかく今日一日を乗り切れば、明日は存分に正月を楽しめる。辛抱するのじゃ、わらわよ」


 恵姫は自分で自分を励まして、表御殿に入り大書院へと向かいました。その恵姫に朗報が待っていました。


「姫様、昨日は失礼をいたしました。本日の接待、拙者が務めまする」


 なんと、昨日風邪で倒れた供応役が復帰していたのです。実は磯島の波状攻撃にすっかり消耗してしまった恵姫を見るに見かねた厳左が、『なんとか明日は登城してくれ』と、代々伝わる万病の秘薬を携えて、わざわざ接待役の屋敷を訪れて頼み込んでいたのです。

 その秘薬が霊験を現したのかどうかは分かりませんが、風邪は一晩で全快。こうして正月二日の役に着くことができたのでした。


「おお、もう病は治ったのか。有難い。よろしく頼むぞ」


 恵姫は感極まって飛び上りそうになりました。これで今日はあの磯島も表御殿に顔を出すことはないはず。いくら忍びの業を心得ているからとて、奥から表の挙動を知ることなどできようはずがない、恵姫は湧き上がる喜びを押し殺して大書院の襖を開けました。


「……えっ?」


 誰かが幻術でも使ったのかと思いました。上段の間に座っているのは厳左、それはいいのです。その横に、丁度、人ひとり座るだけの空間を開けて、年増の女性が座っているのです。派手な柄の色留袖と人形のような厚化粧、そして花魁もかくやと思わるほど飾り立てられた丸髷。

 恵姫は目をこすりました。早く消えてくれと願いながら瞬きをパチパチさせました。けれどもそれは確かにそこに存在していました。夢でも幻でもなく磯島その人が。恵姫は声を震わせながら言いました。


「お、おい、磯島、な、何故そなたがここに居るのじゃ。お、奥の仕事はいいのか」

「昨日の姫様のご様子に、磯島、危機感を覚えました。これ以上無作法があってはなりません。本日は私もここに座り、しっかり姫様を監督したいと思います」

「い、いや、大丈夫。昨日は失敗もあったろうが、今日は大丈夫じゃ。必ず大丈夫じゃ。な、厳左、そうであろう。お主からも何か言ってやってくれ」

「磯島殿のたっての申し出でございますので……」

「そ、そんな、そんなあ」


 こうして恵姫にとっては、正月二日は元日よりも更なる試練の一日となったのでした。厳左と磯島に挟まれていては、行儀を崩すことなどほんの一瞬も許されません。髷を結った頭は重く、端座した足は痺れ、眠くても眠れぬ両目は腫れ、喉は渇き、頭は朦朧とし、地獄の責め苦とはかくなるものかと感じ入るほどでした。


「どうして正月からこんな目に遭わねばならんのじゃあ~!」

 

 思わず叫びたくなる恵姫ではありました。

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