第六十六話 ゆきわたりて むぎのびる

雪下出麦その一 才姫の温情

 間渡矢から島羽へ向かう街道には五人の人影。灰色の雲が垂れこめた冬空の下を北に向かって賑やかに進むその先頭には恵姫。少し遅れて黒姫とお福。三人の後ろをのんびりと歩く才姫。殿しんがりの雁四郎。年の瀬も迫った師走六日に旅に出るのは余程の事です。

 昨日も磯島から、


「ただでさえ忙しい師走にお福を連れて行かれるのは困りますね。用が済み次第速やかに間渡矢へ帰っていただきとうございます」

 と釘を刺され、庄屋からは、


「煤払いに加えて、注連縄作り、餅つきなども控えておりますれば、この時期に黒を連れて行かれるのは少々辛うございますなあ」

 などと愚痴めいた言葉を吐かれ、御典医からは、


「年の暮れは気が急いておるせいか、病の他に怪我人も多うございましてな。はてさて才姫様が居なくなると、また忙しくなりますなあ」

 と、これまた不満顔をされてしまった恵姫。


「皆、好き勝手な事を抜かしおって。わらわとて行きたくて行くわけではないのじゃぞ。冬の旅など寒くて敵わんわ」


 いつもより厚着をして街道を歩く恵姫。事の起こりは四日前の瀬津姫、破矢姫送別の宴でした。あの日、瀬津姫の話を聞いた時に受けた衝撃は、今でも思い出すだけで胸騒ぎがするほどです。この旅はその胸騒ぎを静めるためのもの、これを乗り越えねば先には進めぬ、そう自分に言い聞かせながら恵姫はあの日の夜を思い出すのでした。


 * * *


 お福が記伊の斎宗と聞かされ、驚愕する恵姫たち一同。しかしそれでは辻褄が合わない事にすぐ気が付きました。


「お待ちよ瀬津。あんたは記伊へ戻って斎宗様に話を聞いたって言ったよね。だったらお福が斎宗様のはずがないじゃないか。それとも斎宗様は二人居るとでも言いたいのかい」

「ああ、済まないね、言葉足らずだったよ。お福は次期斎宗様。今、記伊は代替わりの時を迎えているんだよ」


 それから瀬津姫はお福について知っている事を話し始めました。記伊の姫衆を束ねる斎宗、お福はその娘だったのです。記伊の姫衆たちは斎宗に娘が居る事を知っていましたが、その姿を見た者は一人も居ませんでした。それ故、斎宗の娘には姫の力は無いのだと誰もが思っていたのです。もし力があるなら間違いなく姫衆に加えられ、次期斎宗として育てられるはずだからです。


「だけど斎宗様の娘には姫の力があったんだ。それをずっと隠していたんだよ。その理由は教えてくれなかった。ほうき星が消えれば全てを話す、お福を記伊の姫衆に加え、次の斎宗として迎え入れる、そう話していた」

「では、お福を記伊から出した理由は何なのじゃ。何故伊瀬の神宮の推挙などと言って間渡矢の女中にしたのじゃ」

「それについては斎宗様は何も言わなかった。あたしも訊かなかった。訊かなくても何となく見当が付いたからね」

「どのような見当が付いたのじゃ」

「それは……それは言いたくない……」


 横を向いて口を閉ざす瀬津姫。これも与太郎を記伊に連れて行く理由同様、恵姫たちには知られたくない事柄に関わっているのでしょう。


「言えるのは、斎宗様はお福を記伊に置いておきたくなかったって事さ。記伊でなければ伊瀬でも尾治でもどこでも良かったんだ。伊瀬にしたのは姉である斎主様なら安心だと思ったからだろう」


 伊瀬の斎主と記伊の斎宗が姉妹の間柄である事は恵姫たちも知っていました。瀬津姫の言葉通りならばお福は斎主の姪に当たる事になります。


「するとお福は最初、記伊から伊瀬に出され、その後、伊瀬から間渡矢に出されたというわけか」

「そうだよ。斎主様も斎宗様同様、お福を身近に置いておいて、ほうき星の秘密を悟られるのが嫌だったんだろうね。それにお福はずっと斎宗宮の奥で育てられた箱入り娘だ。斎宗になる前に少し世間の風に当ててみようと思ったんじゃないのかい。同い年の恵ならば話も合うだろうし伊瀬からも近い。預けるには打って付けだったんだろうよ」


 瀬津姫の話に不審な点は見当たりませんでした。恐らく瀬津姫の話の通りなのでしょう。


「お福、そなたは何を思って今まで間渡矢で暮らしてきたのじゃ」


 恵姫は夜着に包まったまますやすやと眠っているお福の寝顔を眺めました。斎宗の娘であるだけでなく次期斎宗という身分にありながら、辛い女中仕事に精を出し、一言も弱音を吐かずお役目をこなしてきたのです。その心中は恵姫には想像もできませんでした。


「お福は何も知らないはずさ。何も知って欲しくなくて記伊から出したんだからね。母である斎宗様に言われるままに伊瀬に向かい、伯母である斎主様の言い付けに従って間渡矢に来た、そしてそれが結果的に恵や姉さんに不幸を呼び込む事になったんだよ」


 お福によって引き起こされた不幸……瀬津姫はこの言葉をもう何度も口にしています。しかし恵姫たちにはこの言葉は理解できないものでした。自分たちが不幸の中にいるとは思えなかったのです。


「瀬津よ、そなたの言う不幸とは何じゃ。お福が間渡矢にどのような不幸を運んで来たと言うのじゃ」

「……言えない」


 肝心な話になると口を閉ざす瀬津姫。これ以上、お福や与太郎の事について尋ねても、知りたい事は話してくれそうにありません。


「分かったよ。言いたくないのなら言わなくてもいいさ。それであんたはこれからどうするのさ。与太やお福を記伊に連れて行くのをまだ諦めちゃいないのかい」

「いいや、もう連れて行く意味がないよ。ここまで喋っちまったら恵も姉さんも全てを知るまで気が収まらないだろう。だったら与太郎を無理に記伊へ連れて行く意味がなくなるんだ。あんたたちに全てを知って欲しくなくて、こんな無茶な真似をしたんだからね」


 この言葉を聞いて、間渡矢の面々は取り敢えず胸を撫で下ろしました。瀬津姫が手を引くと言っている以上、この件に関しては何の懸念もなくなったと考えてよいはずです。残る問題は瀬津姫と破矢姫の処分でした。


「やはりご家老様に一旦引き渡し、沙汰を待つべきではあるまいか」


 女中とはいえ城に勤める者をかどわかそうとしたのです。雁四郎も馬之新も城の番方として見逃せるはずがないのでした。が、その他の者はこぞって反対しました。瀬津姫にも破矢姫にも悪意が感じられなかったからです。しかも言葉の端々には間渡矢の者たちを思う気持ちが滲み出ていました。それは、記伊の姫衆の力を増すために伊瀬の姫衆を取り込もうとしていたこれまでの瀬津姫とは全く違う姿でした。


「行きな。厳左にはあたしから話しておくよ」


 完全に才姫の独断でした。夜が明けるのを待って瀬津姫と破矢姫を自由にしたのです。けれどもそれを咎める者は一人も居ませんでした。雁四郎たちも心の底ではこの二人を罰したくないという気持ちが強かったのです。


「才姫様も肉親の情には勝てなかったとみえる」


 雁四郎から事の次第を聞いた厳左の最初の言葉でした。才姫と瀬津姫は姉妹の間柄。身内をかばう気持ちが全くなかったと言えば嘘になるでしょう。それは才姫自身も否定はしませんでした。


「あたしのした事が気に入らないのなら、瀬津の代わりにあたしを罰しておくれ、厳左」


 翌日の昼過ぎ、表御殿の大書院で開かれた吟味の場で才姫は堂々と言い放ちました。これにはさすがの厳左も苦笑いで答えるだけでした。

 話し合いの結果、此度の件は全てを不問にする事となりました。ほうき星消滅まで武家と姫衆は互いに協力すべしとの申し入れが、公儀から全ての大名に通達されていたからです。このような時に姫を罰すれば公儀の意思に背きかねないとの判断からでした。


「お福によって間渡矢にもたらされた不幸……瀬津は何を言いたかったのじゃろう」


 全てが解決した後でも、それだけが間渡矢の者たちの心に引っ掛かり続けていました。言葉の意味を知りたいという気持ちと知るのが怖いという気持ち、その狭間で揺れ続ける恵姫ではありました。

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