金盞香その四 時空軸変換

 伊瀬へ旅立つ斎主を見送るために姫屋敷を訪れた恵姫一行。別れの挨拶代わりに禄姫、寿姫の業を受ける事になりました。前回と同じように寿姫は小居間の壁際に立ち、そこから離れた場所に禄姫、恵姫、お福の三人が立っています。


「恵様、お福様、この禄婆の腕をしっかりと掴んでいてくださりませ。飛入様は禄の肩から飛び立たぬようにお願いしますじゃ」

「うむ。決して放したりはせぬぞ」

「……!」

「ピーピー!」


 二人と一羽は準備万端のようです。両腕を掴まれたままの禄姫はぎこちない動きで懐から砂時計を取り出しました。


「さてと、寿婆さん、行きますよー」

「ほーい」


 禄姫の白髪の先端が黒く光るのと同時に、手に持った砂時計がひっくり返りました。瞬時に小居間は消え、周囲は暗闇に包まれました。と言っても完全な暗闇ではありません。禄姫と寿姫の間にある空間だけが元通りの明るさを保って、まるで長方体に細長く切り出した心太ところてんのように存在しているのです。


「さあ、参りましょう」


 禄姫が歩き出しました。二人の間にできた細い道。それ以外の空間は存在していないかのように真っ暗です。


「何じゃ、一瞬で寿の元へ行けるのかと思うたが、歩いて行くのか」

「そうですじゃ。この砂が落ち切るまではこの道は存在し続けますでな。砂が落ち切った時に我らが居る場所が動いた先となるのですじゃ」


 見れば砂時計の砂はさらさらと音を立てて落ちています。もし落ち切るまでに一歩も動かなれば、元居た場所のままで業が終わる事になるのでしょう。


「なるほどのう。一瞬で動いていたように見えるが、実は砂時計によってわらわたちの時を止め、その間にこっそりと歩いて移動していたというわけじゃな」


 瞬時に居場所が変わるので見た目は派手でしたが、こうして種を明かせば結構地味です。そもそも結局歩かなくてはならないのですから、業を使おうが使うまいが、移動にかかる労力は同じで、少しも楽にはなりません。


「ほほほ、これはお気軽な業なのですじゃ。我らの距離が近ければ、力はほとんど使いませぬし、それに、時を止めているわけではないのですじゃ」

「なんと、時は止まっておらぬと申すか。ではわらわたちの周りはどうなっておるのじゃ。才や雁四郎は何をしておるのじゃ」


 寿姫に向かってトコトコと歩き続ける三人。歩んでいる洞窟のような空間以外は真っ暗な世界。恵姫に雁四郎たちの様子が分からないのと同じく、雁四郎たちにも恵姫の様子は分からないのです。


「わしらも今居るここが何なのか、よく分からなかったのですじゃ。分かっているのは時が止まっているわけではない、それだけでありました。しかし、数日前にこの業を目にし、昨日斎主様の業を受けた布姫様が、ようやくわしらに教えてくれたのですじゃ」

「ほう、布は何と申したのじゃ」

「今、我らが歩いているこの時空は、我らの住む時空とは異なるもの。そしてこの時空では極端に時の流れが遅いため、ここに長く留まろうとも我らの時空に戻ればそれは一瞬の時の経過に過ぎない、このように仰られました」

「つまり禄と寿の業は、時計の砂が落ちている間だけ別の時空に移れる、そのような業だと申すのか」

「そのようですじゃ。そして異なっているのは時の進みだけなく空間の場所も異なっておるのですじゃ。元の時空で寿との距離が十間離れていても、こちらの時空では五間の事もあり、十五間の事もありました。ただし元の時空上の地点と、今歩いている時空上の地点は一対一で対応しておりますので、時計の砂が落ち切った時、対応する元の時空の地点へ戻されまする。寿の傍に居れば、元の時空の寿の居た地点へ戻れますのじゃ」


 話をしているうちに三人は寿の居る地点へと到着しました。砂時計の砂はまだ落ち切っていません。


「すると、寿の居らぬ地点で砂が落ち切れば、わらわたちはどこへ戻るのじゃ」

「それは分かりませぬ。この時空のどの地点がわしらの時空のどの地点と、どのように対応しているか分からぬのですから。よって、わしらはいつも身を寄せ合って砂が落ちるのを待つのですじゃ」


 分からぬとなれば試してみたくなるのが恵姫ですが、さすがに今回だけはそんな気にはなれませんでした。下手をすれば斎主の膝の上に戻ったり、襖に体を突っ込む事にもなりかねないからです。


「ふ~む、なかなか面白き業じゃのう。城の大広間で斎主様に使わされた業も、やはり別の時空にわらわたちを運ぶ業であったのか」

「いえいえ、運んだのは斎主様お一人、それも体ではなく意識のみを、空間の距離が極端に縮退している時空へと飛ばしたのですじゃ。その時空の中で我らの時空を覗き見ながら意識を走らせて、三百年先の光の波面に追いついたのは斎主様の業。その光景を我らに見せたのもやはり斎主様の業なのですじゃ」

「ピイピイ……」


 飛入助の遠慮がちな鳴き声が聞こえてきました。気が付けば周囲は小居間の風景に戻っています。砂時計の砂が落ち切って業が切れ、元の時空に戻ってきたのでした。


「おう、見事に二人と一羽が一瞬のうちに移動致しましたな。この業を使えばどれほど重い荷であろうと楽に運べましょう」


 賞賛の声を上げる雁四郎の顔を冷ややかに眺める恵姫。掴んでいた禄の腕を放し、座布団に座るとぬるくなった茶をすすりました。


「ふう、お茶が美味しいですわ。ところで雁四郎、見るとするとは大違い、全然楽ではございません。どちらにしろ担いで運ばねばなりませぬゆえ」


 これは恵姫の言葉です。業の正体が分かって興奮が冷め、再び猫を被り始めたのです。


「は? 意味が分かりませぬが……」


 キョトンとしたまま言葉が継げなくなる雁四郎。一方、布姫は実に機嫌の良い表情をしています。


「どうやら上手くいったようですね。私の思った通りでございます」


 本当に他の者も動かせるかどうか、恵姫たちで試してみたかったのでしょう。予想通りの結果となりご満悦のようです。


「さて、それではそろそろ発ちましょうか、皆様」


 斎主の一言で見送りの儀は終わり、恵姫たちは屋敷を出て御座船の浮かぶ海岸にやって来ました。船と陸との間には緋毛氈を敷いた舷梯げんていが架けられています。斎主を始めとする布姫、禄姫、寿姫の四人はその前に立ちました。


「私たちは伊瀬へ戻ります。恵姫。そなたは間渡矢へ戻る前に伊瀬の斎主宮に寄りなさい。此度の働きの褒美として姫札を用意致しましょう。才姫、お福と共に、伊瀬の地にて心行くまで疲れを癒しなさい」

「ひ、姫札! 誠でございますか、斎主様、ありがとうございまする、じゅる」


 姫札と聞いただけでよだれを垂らしている恵姫です。


「雁四郎、お役目ご苦労様です。比寿家の皆様には随分とお世話になりましたね。お礼として切り餅を四つ用意致しました。家老の左右衛門に渡してください」


 斎主が合図すると、上屋敷へ使いに来た女が雁四郎に風呂敷包みを渡しました。


「ははっ。有難き幸せ。間違いなくご家老に届けまする」


『ちっ、切り餅四つじゃと。斎主にしてはケチ臭いではないか』


 これは心の中で毒づいている恵姫の独り言です。さりとて雁四郎も似た事を考えていました。餅四つなど幼子の駄賃のようなもの、とても斎主の礼の品とは思えない、と。

 しかし風呂敷包みを受け取った途端、そんな考えは吹き飛んでしまいました。切り餅四つとは思えないくらい重かったからです。


『この大きさでこの重さとは尋常ではない。感触からして何かが四つ包まれているのは分かるが、絶対に餅などではない……も、もしや……』


 雁四郎の手が震え出しました。切り餅は隠語にも使われます。一分銀百枚もしくは一両小判二十五枚を一包みにしたものを指すのです。どちらにしても切り餅ひとつは二十五両の価値。それが四つあるなら百両になります。


『そうだ、百両だ。間違いない! 何という大盤振る舞い!』


 心の中で悲鳴を上げる雁四郎。これは雁四郎にとって、いや、上屋敷のひと月の賄いを五十両で遣り繰りしている左右衛門にとっても大変な額の銭でした。


『絶対に恵姫様に知られてはならぬ。拙者が百両持っていると知れば、神海水を使ってでも奪いに来るはず。斎主様のお心遣いを無駄にしてはならぬ』

「雁四郎様、どうかされましたか。少し震えておりますが」


 相変わらず猫を被ったままの恵姫に訊かれ、雁四郎の体の震えが更に大きくなります。


「な、何でもございませぬ。気になされますな」


 そう言いながらも、受け取った風呂敷包みをしっかりと抱きかかえるのでした。

 そんな雁四郎の姿を意味ありげに眺める斎主、その視線が足元に落ちました。


「おや、こんなところに花が……」


 海岸には葱に似た緑の草が沢山生えています。その中に咲く一輪の花を手折る斎主。それを見た恵姫が大声で叫びます。


「いけません、斎主様。それは野蒜ではありません。食べるとお腹を壊します」

「ぶっ!」


 才姫が吹き出しました。斎主もにっこり笑うと優しい声で答えました。


「そうですね、恵姫。これは野蒜ではなく水仙。またの名を金盞銀台きんせんぎんだい。白い花冠が銀の台。黄色い副花冠は金の盃。彩りの少ない冬、金の盃が雪で一杯になっても咲き続ける可憐な花。これから私たち姫衆にも辛い冬がやって来ます。それは長く厳しい冬になるかもしれません。けれども春は必ずやって来るのです。挫ける事なく力を合わせ、厳寒の時を乗り切りましょう」


 斎主の力強い言葉。その手に揺れる水仙。これから立春までに何が起きるのか、何を起こせばよいのか、それすらも分からぬ道の只中で、斎主の持つ水仙が暗闇を照らす灯明のように見える恵姫ではありました。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る