霎時施その五 二人の業

「はっはっは、実に居心地の良い座敷ではないか。気に入ったぞ。くちゃくちゃ」


 先ほど姫屋敷表御殿の大広間で、布姫からきつい小言を貰ってへこんでいた恵姫。今はもうすっかり元気になっています。あの後、堅苦しい大広間を出た恵姫たちは、禄姫と寿姫がいつも暮らしている奥御殿の座敷に上げてもらったのです。


「恵様は実に豪快な食べっぷりであります事じゃ。見ていて気持が晴れ晴れ致します。のう、寿婆さんや、そう思わぬかえ」

「まったくでございますじゃ、禄婆さん。食いしん坊と言えばあの毘沙様も大層な大食いですが、味わっては食べられませぬ。ところが恵様は実に美味そうに食べなさる。御馳走のし甲斐があろうというものですじゃ」


 恵姫たちの前に置かれた膳には、間渡矢でも滅多にお目にかかれない菓子が盛られていました。柿羊羹、芋饅頭、栗金団。これだけの贅沢品を並べられて恵姫の機嫌が良くならないはずがありません。


「ささ、才様も遠慮なさらずもう一杯」

「ああ、ありがとよ。それにしてもいい酒さね」


 才姫は菓子ではなく酒を楽しんでいます。事前に二人の好みをしっかり調べてあったのでしょう。才姫の膳には温め酒を入れたお銚子が置かれていました。寿姫に酌をしてもらい、すっかりいい気分になっています。


「才様は器量良しと聞いておりましたが、噂に違わぬ傾国の美女ゆえ驚きましたじゃ。のう、禄婆さんや、そう思わぬかえ」

「まったくでございますじゃ、寿婆さん。これほどの別嬪様、吉原でも滅多にお目に掛かれませぬて。医者などさせておくには勿体無いおなごですじゃ」

「よしとくれよ。世辞を言っても何も出て来やしないよ」


 そう言いつつも口元が緩んでいる才姫。美しさを褒められて嬉しくならない女性はそうそう居るものでありません。世間慣れした才姫とて例外ではないのです。


「こちらのお福様はまた可愛らしい娘じゃこと。男の曾孫がおれば嫁に貰っておりましたものを。惜しい事ですじゃ」

「寿婆さん、曾孫では年が釣り合いませぬ。玄孫やしゃご、いや来孫らいそんの嫁ですじゃろ」


 遠慮がちに菓子を口に運んでいるお福は恥ずかしそうな微笑を見せています。こんなお世辞を言われる事は余りないので、すっかり照れているようです。


「皆様、楽しんでおられますか」


 次は雁四郎の話をしようと思っていた矢先に、布姫が座敷に入ってきました。一人ではありません。頭を被衣かずきで隠した女と一緒です。


「おお、布か。昼前にこれだけ菓子を食わせてもらっては、しばらく腹も減らぬ。昼飯は質素なもので良いぞ。いや~、極楽じゃ、はっはっは」


 どうやら昼もご馳走になってから帰るつもりのようです。しかも大広間での一件はとっくに忘れ去っているようです。美味なる食い物の力というものは実に怖ろしいものです。


「それは残念でございます。本日のお昼は江戸前で捕れたばかりの沙魚はぜの天麩羅をご用意致しておりましたが、それでは取り止めに……」

「な、何、沙魚の天麩羅じゃと!」


 布姫の言葉を遮った恵姫の口元からはよだれが垂れ始めています。


「何故それを早く言わぬ。もうこれ以上菓子は食わぬぞ。布、昼の用意は膳に山盛り用意するのじゃ。わらわが食べ尽くしてやるから安心致せ」

「かしこまりました」


 こんな我儘も素直に聞き届ける布姫の横で、見知らぬ女は静かに座っています。身に着けた装束は恵姫たちと同じく小袖。ただし、その表情は被衣に隠されて見る事ができません。


「布、あんた連れと一緒に江戸へ来たそうじゃないか。そこに座っている女がそうなのかい」

「はい。この方はほうき星の知識をお持ちなのです。与太郎様を江戸に留めぬよう公儀を説得する時に、力を貸していただけると思いましてお連れ致しました」

「ふうん、そうかい」


 才姫は女をじっと見詰めました。自分にとって見知らぬ人物である事は確かなようです。にもかかわらず初めて会った気がしないのです。


「恵、あんたあの女、知ってるかい」

「知らぬな。頭を隠しておるから布と同じく尼僧なのではないか。ほれ、布がほうき星について聞かされたのは、高野の坊主からだと言っておったろう。きっとどこかの寺で、ほうき星の知識があって口達者な尼僧でも見付けてきたのであろう」


 恵姫の推論はあながち間違っているようには思えませんでした。それに公儀を説得するだけのために江戸に来たのなら、自分とは関係のない話です。才姫はそれ以上の詮索を止め、また酒を飲み始めました。


「禄姫様、寿姫様、お二方は双子の姉妹なのではありませぬか」


 雁四郎に声を掛けられ二人の老婆はにっこりと笑います。


「そうですじゃ。禄が姉、寿が妹。この年になってもよく似ておりましょう。あまりよく似ておりますので、どちらがどちらであったか、時々忘れそうになりますのじゃ」

「嫌ですよ、禄婆さん。まだまだ惚けるには早すぎますじゃ。ほっほっほ」


 どこまでも明るい二人の姫です。公儀からの要請によって、人質同然に江戸の姫屋敷に住まわされている禄姫、寿姫ですが、これだけ陽気な性格であれば、さしたる気苦労を感じることなく暮らしているのでしょう。


「お二方の持つ姫の力は時と場所に関与できると伺っております。どのような業なのか、見せてはいただけませぬか」

「なんと、業を見せよとな……」


 まるで隠し芸をひとつ見せてくれと頼むような気軽さで、この言葉を口にした雁四郎。しかし禄姫、寿姫の表情から明るさが消えたのを見て、すぐに言い直しました。


「これは失礼。無遠慮な申し出であった。許してくだされ」

「そうじゃぞ、雁四郎。姫の業は見世物ではないと言うたであろうが。厚かましい奴じゃ」


 雁四郎を叱りはしたものの、恵姫も内心は二人の業が気になってはいました。それは才姫もお福も同じです。そんな四人の心の内が分かったのでしょうか、布姫がいつもの穏やかな声で言いました。


「禄姫様、寿姫様。せっかくの機会です。二人の業を見せて差し上げては如何でしょう」

「はてさて、最近はめっきり使わなくなった業。今でも体が言う事を聞いてくれますかどうか」

「しかも業と呼ぶには恥ずかしいような業でございますじゃて、いやはや、皆さまをがっかりさせなければよろしいのですが」


 そう言いながら禄姫が懐から取り出したのは、ひょうたん型をした小さく透明なギヤマンの器でした。上の膨らみには禄、下の膨らみには寿と書かれ、禄の膨らみの方には細かい砂が入っています。


「へえ、こりゃ珍しい神器だねえ。砂時計かい」

「そうですじゃ。寿婆さん、始めましょうかね」


 のっそりと立ち上がる二人。禄姫はその場に残り、寿姫だけが座敷の隅へと歩いていきます。壁際まで寄ったところでこちらを振り向きました。


「それでは皆様、とくとご覧くだされ」


 禄姫の白髪の先端が光り、同時に手に持った砂時計が逆さまになった……覚えているのはそこまでです。目をこするお福。口を開けたままの恵姫。空間を睨みつける才姫。そして感嘆の声を上げる雁四郎。四人が驚くのも無理はありません。禄姫の姿は忽然として消えてしまったからです。


「なんと、姿を消す業でありましたか」

「いえいえ、雁様。そうではありませぬじゃ」


 声は座敷の壁際から聞こえてきました。消えたと思っていた禄姫が寿姫の横に立っていたのです。合点が行ったとばかりに手を叩く雁四郎。


「なるほど、瞬時に移動する業なのでありますな。砂時計を持っている者が持っていない者の場所へ一瞬で行ける、これはなんとも便利ではありませぬか」

「雁様のお言葉通り。さりとて所詮は見える程度に離れている相手の場所まで移るだけの事。さして使い道はありませぬじゃ」


 謙遜しながら話す禄姫ですが恵姫たちは大興奮です。様々な策を用いて人の目を眩ます忍術と違い、この業に騙しは一切使われていないからです。


「す、凄いではないか、禄、寿。わらわの想像を超えておるぞ。才もそう思うじゃろう」

「ああ。見た目は地味だけど使いようによっちゃ大いに役立つはずさ。大したもんさね」

「そうじゃ、砂時計はどうなっておるのじゃ。砂は全て落ちておるのか。わらわに見せてみよ」


 興奮冷めやらぬ恵姫は二人が立っている壁際目指して走り始めました。こんな時は猪突猛進の恵姫。布姫たちの前に置かれた、茶托を敷いた湯呑には全く気付いていません。


「恵、危ない、足元!」

「えっ、うわっ!」


 才姫の注意も空しく、湯呑を踏んづけて派手に転ぶ恵姫。その時咄嗟に掴んでしまったのでしょう、転んだ恵姫の手には布が握られていました。布姫が連れて来た女の被衣です。


「恵姫様、お怪我はありませぬか」

「ああ、大丈夫じゃ。それよりもそなたの被衣を引き剥がしてしまった。許せよ」


 そう言って見上げた女の肩には、長く艶のある黒髪がかかっていました。


『髪を剃っておらぬ。此奴、尼僧ではなかったのか。となると何者じゃ』


 恵姫がそう思った時、背後で何かが落ちる音がしました。振り向けばお福の膝の前に湯呑が転がっています。


「珍しいね、お福。あんたが粗相するなんてさ」


 才姫にそう言われてもお福は湯呑を拾おうともしません。畳を濡らす茶を拭こうともしません。両手を口に当て、目を見開き、被衣を剝がされた女の顔を凝視しているのです。恵姫はもう一度、目の前の女を見上げました。そして気付いたのです。


『この女、お福に似ている。目元も口元もそっくりではないか』


 女は恵姫の手から被衣を取り返すと、「女中を呼んでまいります」と言って座敷を出ていきました。


「布、あの女は、一体……」


 恵姫の言葉はそこで途切れました。こちらを見ろしたまま何も言おうとしない布姫。その冷淡な瞳に見詰められながら、再び自分の胸の内に冷たい小雨が降り出したのを感じる恵姫ではありました。

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