鷹乃学習その五 入道雲

 今、恵姫の身辺で起きている出来事について、粗方の内容は宮司も知っていました。文を書くのが苦手な毘沙姫が斎主宮への文の代筆を宮司に頼んだ時、大凡の説明をしたからです。


「宮司殿、此度の土鳩による文の遣り取り、役に立つと思うか」


 この問い掛けは厳左からの依頼でもありました。毘沙姫だけでなく厳左もまた宮司の意見を聞きたかったのです。


「そうですね、ある程度の効果はありましょう。土鳩を使う手段は既に相手方に知られているのは間違いないにしても、それへの対策を練らねば、安易に城下には入り込めませぬでしょうから」

「ある程度か。それでもやらぬよりはマシか」


 蔵の忍具を処分したのと同じく、今回の方策も単なる牽制に過ぎません。これだけの用心をこちらはしていると相手に警告するだけで、抜本的な対策ではないのです。それは厳左もよく分かっているはずでした。


「記伊の姫衆も随分と焦っておいでのようですね」


 土瓶から白い湯気が上がっています。宮司は土瓶を火から下ろすと、棚から湯呑を取り出しながら話をします。


「伊瀬の姫衆よりも格段に落ちる姫の力を補うために、記伊の姫衆はこれまで様々な勢力と手を結んできました。地方の豪族、有力な領主、僧兵、海賊衆、西国の大名。哀れな事にどの時代においても記伊の姫衆は時の権力者によって野望を砕かれ、敗北者として生き残らざるを得ませんでした。ただ今回、伊賀の忍衆と手を組んだのはいささか奇妙にも思えるのです」

「ほう、どのような点が奇妙なのだ」

「どちらから持ち掛けたのかは分かりませんが、恵姫様を城から出しても伊賀の忍衆には何の利益もありません。手を組む動機が見当たらないのです」

「寛右は伊賀の出だ。頼まれれば引き受けるのではないか。あるいは単なる報酬目当ての働きか」

「寛右様は伊賀を出てもう何十年にもなります。それほど顔が利くとは思えません。また記伊の姫衆にしても寛右殿にしても、大した額の報酬は用意できないはず。何故記伊の姫衆と手を組むことにしたのか、伊賀の忍衆の狙いが読めぬのです」


 そこまでは毘沙姫も考えてはいませんでした。恐らくは厳左も同様でしょう。そしてそこに気付いた宮司がその先を読めぬ以上、どれだけ頭を絞ろうと毘沙姫に分かるはずがないのです。


「やはり布の到着を待つしかなさそうだな。しばらくは間渡矢を旅立てぬか」


 落胆した様子で深いため息をつく毘沙姫。土瓶と湯呑を盆に乗せた宮司は、軽く頭を下げると厨房を出て行きました。


 その後は賑やかに庄屋の弁当を御馳走になりました。田植飯を食べ損ねた鬱憤を晴らすべく、牛馬の如く飲み食いする恵姫の横で、毘沙姫も浮かぬ顔ながら大食いを発揮しています。庄屋の弁当はあっという間になくなりました。


「食ったら眠くなってきたのう。今日は朝早くから釣りをし、梅の実を並べ、一里の道を歩かされと、働き詰めなのじゃ。土鳩を放す役目も無事済んだ事じゃし、しばしここで眠らせてくれぬか、宮司殿」

「お好きなように。夕刻、涼しくなってから帰城なされませ」


 宮司の好意に甘え恵姫も毘沙姫も横になりました。境内と同じく樹木に囲まれた宮司の住まい。客間を吹き抜ける風は涼しく、聞こえるのは鳥と蝉と葉擦れの音ばかり。そこにあるのは平和と安らぎに満ちた時間と空間。二人の寝顔を眺めながらこのひと時が永遠に続きますようにと願う宮司ではありました。



「これからしばらくは手間を掛けさせることになろう。よろしく頼むぞ、宮司殿」

「お安い御用でございます。入道雲が湧き上がっておりますれば、夕立が来ぬ内にお早くお帰り下さい」


 宮司の客間でしっかりと昼寝をした恵姫と毘沙姫は、日もだいぶ西に傾いた頃、ようやく乾神社を後にしました。御馳走と昼寝のおかげで二人ともすっかり元気になっています。


「うむ、なにやら今から一日が始まるようなスッキリした気分じゃわい。久しぶりに夜釣りにでも出掛けるかのう」

「いや、それはやめた方がいい。幾ら海の近くでも夜は危険だ。何が起こるか分からん」


 頭ごなしに毘沙姫に反対されてしまいましたが、その心の内は恵姫にはよく分かっていました。


「毘沙がそこまでわらわを心配してくれるとは有り難いのう。土鳩を使った文の遣り取りもわらわの為なのであろう。厳左にも余計な心配を掛けておるようじゃな。心苦しい限りじゃ。改めて礼を言うぞ、毘沙」

「ば、馬鹿。姫が姫を心配するのは当然だろう。礼など要らぬ」


 珍しく殊勝な言葉を吐く恵姫に、毘沙姫は少し照れているようです。来た時とは違って日差しが弱まった空、朝熊山の上には宮司の言葉通り入道雲が掛かっています。二人は足早に帰り道を急ぎました。


「おや、まだ飛んでいるのか」


 道半ばまで来たとき、毘沙姫が立ち止まりました。燕のように宙を滑空する一羽の雀が居たからです。無論、飛入助に決まっています。


「彼奴、まだ食い足らぬと見えて一羽だけで飛んでおる。飛び方を教えていた燕は大食いに呆れてどこかへ行ってしまったのじゃろう。一体、誰に似たのやら」


 恵に似たんだろう、と言おうとした毘沙姫でしたが、その言葉は出てきませんでした。上空高く別の鳥が見えたからです。即座に叫びました。


「鷹だ!」

「なんじゃと!」


 恵姫も空を見上げました。急降下してくる一羽の鷹。明らかに飛入助を狙っています。


「飛入助、逃げよ、鷹じゃぞ!」


 そう叫ぶや恵姫は印籠を、毘沙姫は大剣を握りました。鷹に狙われた雀が逃げおおせられるはずがありません。飛入助はお福の大切な神器にして子のような存在。何があっても守ってやらねばなりません。


「ピイー!」

「飛入助!」


 背後から襲い掛かる鷹。鋭い爪が飛入助を鷲掴みにしようとした瞬間、その小さな体は素早く急旋回しました。


「こ、これは……」


 恵姫も毘沙姫も握っていた神器から手を離しました。飛入助は躱したのです。最初の攻撃も次の攻撃も、雀とは思えぬ俊敏さと身軽さで鷹を翻弄し続けています。


「ここまで燕の飛行術を会得しておろうとは……いや、もはや燕の技量すらも超えておる」

「ピピピピ!」


 舞い上がった飛入助の尻から何かが噴出しました。糞です。狙い定めたかのように鷹の目にへばり付く糞。


「あの糞は気持ち悪いのじゃ。わらわも何度握らされたことか」


 視界を奪った今が好機とばかりに鷹に接近し、両足で蹴飛ばす飛入助。体勢を崩されて地に転がる鷹。その体に乗っかって、とどめとばかりに頭を突く飛入助。


「小さな嘴のくせにあれはかなり痛いのじゃ。わらわも何度突かれたことか」


 やがて目についた糞が落ち、飛入助が体から退くと、鷹は羽繕いをしながら飛入助に向き合いました。よくは分かりませんが何やら二羽で話をしているようにも見えます。


「ふむ。これは停戦協定というやつであろうな。此度の戦は飛入助の勝ち。鷹を許してやる代わりに美味い虫を腹いっぱい食わせろとでも言っておるのじゃろう」


 違うと思うぞ、と言おうとした毘沙姫でしたが、その言葉を口から出す前に二羽は飛び立ちました。毘沙姫にはすぐに飛入助の意図が分かりました。


「飛入助、次は鷹に学ぶつもりか」


 上空目指して飛ぶ鷹の後ろを追う飛入助、その飛び方は前を行く鷹そっくりです。鷹の飛び方を真似ているのです。


「やはりお福が育てた鳥だな。飽く無き向上心。見習いたいものだ」

「うむ、さすがはわらわが手塩に掛けて大きくしてやった鳥じゃ。燕の次は鷹に餌の取り方を学ぶとはのう。天晴れな食い意地じゃ」


 朝熊山の上に湧き上がっている入道雲、その雲を生んだ上昇気流を捕らえたのでしょう、二羽の飛行は一気に速くなりました。円を描きながら昇って行く鷹、その後ろを小さな点になった飛入助が追います。更なる高みを目指して空を昇って行く姿に、小さな体に秘めた飛入助の大志を感じながら、いつまでも空を見上げ続ける恵姫と毘沙姫ではありました。

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