鷹乃学習その四 燕と雀

 城下を出て四半刻。目指す乾神社まであと半里ほどの地点を行く恵姫と毘沙姫。炎天下での歩みに少々疲れてきたのか二人とも無言で先を急いでいます。


「……おや、あれは何だ」


 不意に毘沙姫が空を指差しました。低空を二羽の鳥が飛んでいます。


「一羽は燕のようじゃな。もう一羽は……雀、にしては大きいが……あ、あれは飛入助ではないか!」


 思わぬ場所での思わぬ出会いに大声を上げる恵姫。毘沙姫もまた驚きを隠せない様子です。燕と雀がまるで友人のように飛び回っているのですから、驚くなと言う方が無理なほど奇妙な光景です。


「飛入助、何をしているのだ」


 毘沙姫と恵姫は足を止めると、夏の陽光の中を飛び回る二羽の鳥を眺めました。燕は滑るように空を飛びます。その後ろをやはり飛入助が滑るように付いて行きます。それはもう雀の飛び方ではありません。


「飛入助め、どうやら燕に飛び方を教わっているようじゃな」


 恵姫の推測は間違ってはいないようでした。燕が身を翻すと、後ろの飛入助も真似をして身を翻します。燕が宙返りをすれば飛入助も宙返り、急旋回をすれば急旋回、見事なまでに燕の動きに追随しています。


「大した鳥だな。常に己を磨き高め続けよと斎主様は仰っておられたが、たかが雀如きにこれほどの向上心があるとはな。見習いたいものだ」

「燕の飛び方を真似るとは、飛入助も面白き事を考えたものじゃのう」

「燕と雀は同じ仲間の鳥と聞いている。気心が合ったのだろう。恐らく飛入助は強くなりたいのだ。他の鳥に比べれば雀は小さく弱い。そのために兄弟や親まで命を奪われてしまい、己一羽だけが生き残ってしまった。己だけでなく他者をも守れる強さを身に付けたいのだろう」


 恵姫が飛入助を拾った経緯は既に毘沙姫には話してありました。地の上で弱々しくうごめくヒナ。散らばった巣の残骸。親雀まで襲われたのかどうかは分かりませんが、一緒に巣に居たはずの兄弟雀たちは、飛入助の目の前で命を奪われてしまったはずです。その哀しい思い出こそが飛入助の原動力。更に強くなるために燕の飛び方を覚えようとしているのだ、毘沙姫はそう考えたのです。


「さすがはお福の育てた雀だ。直向ひたむきさがよく似ている」

「いや、違うと思うぞ、毘沙よ」


 空になった吸筒を未練がましく口に当てていた恵姫が冷めた声で言いました。


「飛入助を買いかぶりすぎじゃ。所詮は雀、強くなったところでどれほどの事もできぬ。あれはな、食い意地の為せる技なのじゃ」

「食い意地? 燕とどう関係があるのだ」

「飛入助はヒナの頃からよく食う奴でのう。しかも普通の雀の様に米や木の実は食わず、虫やミミズばかり食っておった。それはあのように大きくなった今でも変わらぬはず。しかしさすがに地に居る虫ばかりでは飽きる。そこで目を付けたのが燕じゃ。奴らは宙を飛ぶ虫を捕らえて食う。雀には出来ぬ食い方じゃ。奴らと同じく己も飛ぶ虫を飛びながら捕らえて食うために、燕にそのやり方を教わっているのじゃ」


 馬鹿な、と思いつつも、毘沙姫は完全には否定できませんでした。なぜなら飛入助を育て上げたのは確かにお福ですが、恵姫も毎日餌を与え親しく接していたからです。恵姫の食い意地をそのまま引き継いでいたとしても不思議ではありません。


「まあ理由は何にせよ、あの努力は見上げたものだ。どれだけの修行を積んだのかは分からぬが、燕と遜色ないほどに飛べるようになっているのだからな。姫でないお福が育て上げたにしては立派な神器になったものだ」

「それは黒への当て付けか。鼠の次郎吉も神器じゃが、得意技と言えば犬のように鼻が利くくらいかのう。幼い頃より黒はよく物を失くすので、失せ物を次郎吉に探させている内に、犬も顔負けの物探しの名人になりおった。以前、滅多に行かぬ河口の浜に居た時も、次郎吉の奴に呆気なく見付けられてしまったからのう。あの時は酷い目に遭ったわい」


 仮病を装って浜に釣りに出掛け、次郎吉に居場所を突き止められた時の苦い思い出が恵姫の脳裏に蘇りました。贅沢の後の夕食抜きは本当に辛かったのです。


 燕と雀は飛び続けています。翼を陽光に煌めかせながら地面すれすれに飛翔する飛入助。それはもう雀ではなく、一羽の燕がもう一羽の燕ともつれ合って飛んでいるように見えました。そんな光景にしばし見惚れる二人でしたが、ふと毘沙姫は何かに気付いたようです。


「おい恵、見ろ。もう日があんなに高いぞ。土鳩は真昼に放つことになっているのだろう。ぐずぐずしていると間に合わん」

「おう、そうであったわい。急がねば。土鳩も暑さで弱っておるようじゃしな」


 慌てて歩き出す恵姫と毘沙姫。乾神社まではまだまだ遠いのです。


 

 早足で歩き続ける二人の前方に、ようやく乾神社の鳥居が見えてきました。その下に誰か立っています。宮司です。余りにも来るのが遅いので心配になって鳥居まで出て来たのでしょう。


「おお、ようやく来られましたか。おや、恵姫様がいらっしゃったのですか。お福様と聞いておりましたが」

「ああ、宮司殿。詳しい話は後じゃ、水をくれ」


 恵姫が汗びっしょりなのは当然ですが、歩き慣れた毘沙姫も額に汗を滲ませています。二人が道中相当無理をしてここまで来た事は、宮司にも容易に見て取れました。恵姫の鳥籠と毘沙姫の風呂敷包みを受け取り、手水舎へと導く宮司。そこで二人は手と顔を洗い、口を漱ぎ、ようやく一息つく事ができました。


「宮司殿、済まぬが土鳩に水と豆をやってくれ」


 毘沙姫が懐から出した豆を受け取り、水と共に与える宮司。これから鷹之丞の屋敷まで一直線に飛んでもらうのですから、途中で休んだりしないように力を付けておかなくてはなりません。

 こうして二人と一羽が樹木に囲まれた涼しい境内で、しばしの憩いの時を過ごしていると、城下の方角から鐘の音が聞こえてきました。昼九つの鐘です。


「時が来ましたな。それでは放しますぞ」


 宮司は鳥籠から土鳩を取り出すと、青空に向けて勢いよく放り投げました。水と豆を貰って元気になった土鳩は力強く羽ばたいて飛んでいきます。恵姫も毘沙姫もほっとした顔になりました。


「何とか間に合ったな。これで厳左にお目玉を食らう事もあるまい」

「目玉は食らいたくないが弁当は食らいたいぞ。お役目も終わったのじゃ、毘沙、わらわたちも昼飯にしようぞ」

「それではお茶を淹れますので拙宅へ参りましょう、ささ、どうぞ」


 三人は境内を出ると宮司の住まいへ向かいました。茅葺き板壁の質素な造りの一軒家。客間に上がった恵姫は、さっそく風呂敷包みを解いて広げています。


「おう、これは期待通りの豪勢な弁当ではないか。お福のお役目を引き受けた甲斐があったというものじゃ」


 これを聞いた宮司は何故お福ではなく恵姫が来たのか理由が分かったようです。愛想の良い声で、

「それではお茶を淹れて参ります。毘沙姫様も先に召し上がってくださいませ」

 と言うと、客間を出て厨房へ向かいました。


「恵、重箱二段のうち一段は宮司殿への礼だ。手を付けるな。もう一段の半分は私のだ。残しておけよ」

「もぐもぐ、分かっておるわい、はぐはぐ」


 お茶を待ちきれずに食べ始めている恵姫はそのままにして、厨房へ向かう毘沙姫。宮司が湯を沸かしています。


「毘沙姫様、恵姫様には内緒でどのようなお話をされたいのですか」


 毘沙姫がここに来た理由が宮司には分かっているようです。察しの良い宮司に感謝するように口の端に笑みを浮かべる毘沙姫ではありました。

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