温風至その三 ふたつの世

 晴れています。昼が近付くにつれ気温はぐんぐんと上がっていきます。奥御殿の座敷に居る三人も少々暑さに参っている様子です。


「暑いな」

「まったくじゃ。六月になってまだ日も経たぬと言うのにこの暑さは何じゃ」

「今日は天気予報で猛暑日になるって言っていたから、三十五度を超えるかもね」


 すっかりだらけ切っている与太郎が言いました。勿論、恵姫にも毘沙姫にも与太郎の言葉が全て分かるわけではありません。


「この暑いのに意味の分からぬ事を言うでない。そもそも与太郎の世で暑くなるからと言って、こちらの世まで暑くなるはずがなかろう。そんな役にも立たぬ話をするでない」

「そ、そうだよね、えへへ。三百年も離れているんだもんね。でも不思議な事にあっちで晴れた日はこっちも晴れていたし、あっちで雨だった日はこっちも雨だったんだよ」

「偶然じゃ。日時が同じなのじゃから季節も同じ。今はどちらの世も梅雨なのじゃから天気が同じでも不思議ではあるまい」


 恵姫は座敷に寝転がって扇子で顔を扇いでいます。一方、毘沙姫は縁側に出て団扇で扇いでいます。この時代の涼の取り方はせいぜいこれくらいなのです。


「おい、与太郎。お前の時代ではどうやって暑さを凌いでいるのだ」


 縁側の毘沙姫から声が掛かりました。与太郎は座敷を出ると毘沙姫の隣に座りました。


「あ~、ここに居ると毘沙様の団扇の風が当たって気持ちいいなあ」

「ふっ、私の力を利用するとは小賢しい奴だな。扇いでやるから涼しくなるような話をしろ」


 毘沙姫は一層力を入れて団扇を扇ぎ始めました。与太郎の髪がなびくほどです。すっかり良い気分になった与太郎は軽やかな口調で話し始めました。


「僕らの時代の涼しくなる方法と言えば、やっぱりエアコンだね。スイッチを入れればすぐに冷風が吹き出して、部屋は一気に涼しくなるよ。そのまま冷やし続ければ、涼しいを通り越して寒くなっちゃうくらい強力なんだ」

「ほう、では、次に来る時はそれを持って参れ。この座敷を冬のように涼しくしてみせろ」


 また恵姫の無茶振りです。与太郎は困った顔して言いました。


「持って来ても意味がないよ。電気、って言っても分からないか、つまり行燈を燃やすのに油が要るように、エアコンを動かすにも電気が必要なんだよ。エアコンだけ持って来ても意味がないんだ」

「ならば、その電気とやらも持ってくればよいではないか」

「持ち運べるようなものじゃないんだよ。電気ってのは、ああそうだ雷なんだよ。エアコンは雷を利用して動いているんだ」

「ほう、三百年の後の世では意のままに雷神をこき使えるのか。たいしたものじゃ。ならば今度来る時は、そのえあこんと一緒に雷神も連れて参れ」


 話がどんどん変な方向に進んで行きます。電気の例えに雷を持ち出したのは失敗だったなあと与太郎は後悔しました。こんな時は素知らぬ顔で別の話題を振るに限ります。与太郎は扇いでいてくれた毘沙姫に感謝の礼をすると、縁側から座敷に移りました。


「えっとね、雷神とかエアコンとかの話をする前に、めぐ様に聞いておいて欲しい話があるんだよ」

「なんじゃ、申してみよ。暑いので手短にな」


 与太郎が傍に座っても相変わらず寝転んだままの恵姫。おまけに無言で扇子を差し出しました。これで扇げと言っているようです。与太郎は扇子を受け取ると、恵姫の顔を扇ぎながら話しました。


「僕はもう十回もこの時代に来ているんだけどね、だんだん分かってきた事があるんだ。こちらに持って来られる物と持って来られない物があるって事。例えば僕が身に着けている物、服とかズボンとか、それから今回みたいに布袋とか、僕の体に接触している物はこちらに持って来られる、これは多分間違いない。でも、接触していれば全て持って来られる訳じゃないんだ。これまで眠っている間に来た事が何度かあったけど、布団はこちらに来なかった。畳の上に座っていたり椅子に座っていたり机に手を乗せている事もあった。でも畳も椅子も机もこちらには来なかった。つまり大きすぎる物は、たとえ僕の体に接触していても、こちらに一緒には来られないみたいなんだ」


 いつの間にか恵姫は起き上がって与太郎の前に座っていました。話の内容に興味が湧いたようです。


「しかも大きいってのは単純に物の大きさだけじゃないんだ。僕は普段スマホって言って凄く便利な道具を持っているんだけれど、これもこちらには一緒に来なかった。この時代の技術と比較して、スマホに使われている技術が大きすぎるから来られなかったんだと思う。僕の服は合成繊維でこの時代にはない布なんだけど、これはこちらに一緒に来た。スマホよりも服に使われている技術がさほど大きくなかったからだと思う。今回の鯛焼き機も使われている技術は大きくなかったんだろうね。この時代でも作ろうと思えば作れるような物だから」


 恵姫は黙って聞いていました。知らぬ間にその横には毘沙姫が座っています。やはり興味が湧いて縁側から移動して来たのでしょう。


「そしてもうひとつ、これが凄く重要な事なんだけど、文字とか絵は一切こちらには持って来られないんだ。二回目に僕が来た時、厳左さんたちに身体検査されてハンカチとかティッシュとかメモ帳とか取り上げられたでしょ。その時、メモ帳は真っ白になっていたんだよ。来る前は合格発表の時刻とか地図とか書いてあったのに、こちらで見たメモ帳は何も書かれていなかった。今日、持って来た材料や鯛焼き機もそうだよ。袋には製品名とか商品のデザインとか書いてあったのにそれが全て消えている。鯛焼き機の鉄板の刻印も消えている。文字や絵、つまり情報はどんな小さな物でも一切こちらには持ち込めないんだ。文字はたとえ一文字でも凄く大きな情報として認識されているんだろうね」


 与太郎の額には汗が滲んでいました。それは暑さのせいだけではないのでしょう。珍しく熱く長い話を終えた与太郎は手で額の汗を拭いました。そして女中が置いて行った盆の湯呑に手を伸ばし、冷めた麦湯を喉に流し込みました。


「毘沙、どう思う」


 自分の考えがまとまらない時は、まず他人の考えを聞くのが恵姫流です。毘沙姫は団扇で扇ぎながら抑揚のない声で答えます。


「どうも何も、与太郎の言った通りなのだろう。あちらの世とこちらの世、その間に関所のようなものがあって行き来を制限しているのだ。箱根でも入り鉄砲と出女は関所を通れぬ、それと同じだ」

「ふむ、面白い例えじゃのう。ならば、こちらの世の物は大きさに関係なく一切あちらへ行けぬのは何故だと思う。与太郎が身に着けていようとも、どれ程小さくても、こちらの装束は向こうへは行けぬ。常にこちらに残されたまま与太郎だけが居なくなる」


 これには毘沙姫もすぐには答えられませんでした。口を閉じたまま団扇で扇ぎ続けています。恵姫もまた考えを巡らせているのですがまとまりません。与太郎は我関せずとばかりに、土瓶から麦湯を注いで二杯目を飲んでいます。


「おい、家来の与太郎。何を呑気にしておるのじゃ。お主が詰まらぬ戯言を申したために、わらわたちが頭を悩ませておるのじゃぞ。少しはお主も考えよ」

「え、いや、そんなの僕だって分かんないよ。でも、こちらの世の物が一切あちらの世に行かないってのは間違っているよ」

「何故じゃ。こちらの装束はいつもこちらに残っているではないか」

「うん。でも僕の体になった物は一緒に帰っているよ。こちらで食べた御馳走、こちらで飲んだお茶、こちらで吸った空気、こういった物は僕が去った後でも残ったりしていないでしょ。なんて言うのかなあ。こちらの世はあちらの世の物を取り込みたいと思っているような気がするんだ。自分たちの色に染めたいっていうのかなあ。だからなるべくこちらに持って来たいんだけど、大きな物は無理だから諦めているような感じ。逆にあちらの世はこちらの世には興味がない。できれば来て欲しくない。だから僕に触れている物でも一緒には来ない。でも僕の体の一部になってしまうと残しようがないので、仕方がなくあちらに連れて来ている、なんだかそんな感じがするんだ」


 それは実際に二つの世を行き来している与太郎だけが知ることのできる感覚でした。何とも頼りない説明ではあるのですが、本人がそう言うのならそうなのだろうと、ぼんやりとした納得の仕方をする恵姫と毘沙姫ではありました。

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