温風至その二 布袋の中身
晴れていました。昼前にもかかわらず気温はぐんぐん上昇しています。恵姫はとても人様の前には出られないような端ない格好で寝そべっています。磯島に見つかりでもしたら小言だけでは済まないでしょう。
「……」
恐らく暑さに対して愚痴を言っているのでしょうが、何を言っているのか聞き取れません。どうやら言葉を喋るのも億劫になっているようです。
「めぐちゃ~ん、来たよ~、今日は暑いねえ」
中庭から黒姫の声が聞こえてきました。恵姫は寝たままです。起き上がるのも呼びかけに応じるのも面倒なようです。
「おい、返事がないぞ。浜にでも行ったのではないか」
毘沙姫の声です。恵姫の口から小さな舌打ちの音が聞こえました。連れてくるなと言ったのに連れてきおって、どこまで役に立たぬ家来なのじゃ与太郎は、とでも考えているのでしょう。
「まあ、居ないなら居なくてもいいんだ。どうせ時間が掛かるんだから。それよりも早く中に入ろうよ。僕、疲れちゃった。磯島さんにお茶でも飲ませてもらおう」
三人の足音が遠ざかっていきます。恵姫はようやく身を起こしました。聞き捨てならない与太郎の言葉に寝ていられなくなったのです。
「わらわが居ても居なくてもいいだと。何を考えておるのじゃ、与太郎の奴は」
のっそりと身を起こした恵姫は手拭で汗を拭い、それなりに身なりを整えました。幾ら親しい間柄とは言っても一応領主の娘、着崩れたままの姿で会う事はできません。恵姫は夏座布団の上に座り直して黒姫たちがやって来るのを待ちました。
「あの、入ってもよろしいでしょうか」
葭戸の向こうから声が掛かりました。与太郎です。
「構わぬ、入れ」
「失礼します」
座敷に最初に入って来たのは与太郎。続いて黒姫、毘沙姫。更には磯島、お福、小柄女中まで居ます。これには恵姫も驚きました。
「おいおい、何じゃこの大人数は。これだけの者が座敷にやって来るのは初めてではないか」
「そろそろ朝四つでございます。与太郎殿も喉が渇いたと申されますのでお茶にしようと用意して参りました」
最後に入ってきた小柄女中が盆を持っています。盆には土瓶と湯呑、ただし茶菓子はありません。
「おおそうか。それは良いとして何故に女中が三人も居るのじゃ。茶を運ぶだけなら一人でも良かろう」
「それは僕から説明するよ。その前にお茶を飲ませてね」
与太郎は小柄女中が注いでくれたぬるめの麦湯を一口飲んでから、布袋を恵姫の前に置きました。前回不味い鯛焼きを持って来た時と同じ袋ですが、今回は異常なほど膨れ上がっています。全て鯛焼きで詰まっているとすればかなりの量になるはずです。
「ふむ。大食いの毘沙が居る事を考慮して、これだけの鯛焼きを用意したのか。与太郎にしてはなかなか気が利くではないか」
「ふっふ~、それはどうかなあ~」
陽気に鼻を鳴らしながら布袋の口を広げる与太郎。六人の視線が一斉に袋の口に注がれます。やがて与太郎が中の物を並べ始めると、六人の口から賞賛の声が上がりました。
「与太ちゃん、凄い~。思っていた以上の物だよ」
「与太郎もやればできるのか」
「これはまあ、よく集められましたこと」
「は、初めて目に致しますあれは、何でございましょうか」
「で、でかしたぞ、与太郎。まさかお主がこれほどの負けず嫌いじゃとは思わなんだわ」
「……!」
鼻高々の与太郎は畳の上に並べ終わった物を一つずつ説明していきます。
「これは小豆。北海道、じゃ分かんないか、この時代だと蝦夷って言うのかな、そこで作られた国産。それから小麦。これも同じく蝦夷の国産。そして一番高価なのが砂糖。和三盆って言うらしいんだけど、昔からあるお砂糖なんだって。きっとめぐ様のたちの口にも合うと思うよ。どう、鯛焼きを直接持って来るんじゃなくて、材料を持って来てここで作ろうっていう僕のアイデアは。なかなかイカしているでしょ」
黒姫を呼んで来る事に拘った理由がようやく理解できた恵姫です。鯛焼きを持って来るのではなく、材料を、それもこの時代とほぼ同じ材料を準備して持参し、ここで鯛焼きを作る、それが与太郎の計画だったのです。焼き菓子を作りなれている黒姫の協力がなければ、与太郎のせっかくの思い付きも意味をなしません。それで最初に黒姫を呼びに行ったのです。
「さっきは話を聞いただけで袋の中身は見せてもらえなかったけど、こうして見てみると思った以上に立派だねえ~。与太ちゃん、結構、身銭を切ったんじゃないの」
「えへへ、そうなんだ。これだけ集めるのに凄くお金が掛かっちゃったから、一日バイト、って言うか働いてお金を稼いで揃えたんだ。それから最後はこれ。鯛焼き機。ちょうど親類の家にあったから貸してって頼んだら、もう使わないからって譲ってくれたんだよ。だからこれはタダ。この時代に置いていくつもり」
恵姫は与太郎が手に持っている「鯛焼き機」なる代物を受け取りました。ずしりと重い鉄製の道具です。
「こ、これはまた、なんとも見事な鯛の型が彫られているではないか」
それは取っ手を握って開け閉めできる黒い二枚の鉄板でした。その内側は、尾、鰭、鱗、頭、などが精巧に再現されて、鯛の形にへこんでいます。
「前回、めぐ様が僕らの時代の鯛焼きをあんまり馬鹿にするから悔しくてさ、僕なりに頑張ったんだ。これを使って鯛焼きを作れば必ずめぐ様たちの口に合うと思うよ。黒様だけでなく、磯島さんもお福さんも他の女中さんも、みんなで力を合わせて作れば難しいことじゃないと思うんだ。どうですか磯島さん」
女中を三人連れて来たのはこの為でした。間渡矢城奥御殿の厨房の力を結集して、黒姫の鯛焼き作りに協力して欲しいと与太郎は思っているのです。
「せっかくの与太郎殿のお申し出、断るわけには参りませぬ。それにここに揃えられております食材、私の見る所、非常に上質の品と見受けられます。これらを使って作られた焼き菓子ならば、きっと良い物ができましょう」
磯島にしては珍しい褒め言葉です。実際、与太郎が用意してきた材料は、一日のバイト代が吹っ飛んで尚足りないくらいの高級品だったのです。
「じゃあOK、じゃなくて、引き受けてくれるんですね、磯島さん、黒様」
「もちろん! これだけ揃えてくれたのなら頼まれなくたって作っちゃうよ~。あ、でも小豆を煮るのは時間が掛かるよ。お昼過ぎないと出来上がらないと思う。みんな、待っていてくれる?」
「それくらいは待った内には入らぬぞ、黒。時間を掛けてじっくり作ってくれ」
恵姫にそう言われれば、黒姫の意気は否応なく上がります。与太郎は並んでいる材料と鯛焼き機をもう一度布袋の中に詰め直しました。
「美味しい物を作ってくださいね、黒様」
「まかせて~!」
与太郎から布袋を受け取った黒姫は弾むような足取りで座敷を出て行きました。続いて磯島、お福、小柄女中。ただし毘沙姫は座ったままでお茶を飲んでいます。
「そなたは手伝わぬのか、毘沙」
「冗談はやめろ。私は姫衆の中でも一、二を争う料理下手と言われているんだ。手伝ったりしたら、せっかくの鯛焼きが不味くなる。ここで出来上がるの待つ」
平然と座敷に居座る毘沙を横目で見ながら、恵姫は与太郎に近付いて耳打ちしました。
「毘沙は連れて来るなと言ったろう。何故連れて来たのじゃ」
「だ、だって黒様と話をしていたら、知らぬ間に盗み聞きされて、鯛焼きを食わせろとか、城まで護衛してやるとか、久しぶりにめぐ様に会いたいとか、もう一度菖蒲切りをしたいのか、とか言うもんだから仕方なく……」
ここで突然毘沙姫が口を開きました。
「案ずるな。鯛焼きは己の割り当て分しか食わぬ。恵たちの分まで食うような真似はしない。それよりも他にやりたい事があるのだ」
与太郎との内緒話もしっかり聞かれてしまったようです。しかしこの返事を聞いて、毘沙姫の大食いを心配し過ぎたかもしれないなと思い直す恵姫ではありました。
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