半夏生その五 ハンゲの罰

 恵姫たち四人は田の畦道を歩いていました。朝は晴れ間もあったのですが、昼にもならないうちに空には雲が広がり始めています。雨が降り出しそうな空模様です。


「急いだ方が良さそうじゃな。雨具は持って来ておらぬからのう」


 足早に歩く恵姫。その後ろを黒姫と毘沙姫。最後に与太郎が歩いて行きます。与太郎は風呂敷包みを背負っています。ここに来る時に着ていたパジャマを包んであるのです。既にほうき星は西の空に沈みかけているので、置き忘れる事のないように持って来たのでした。


『うん、大丈夫。付いて来ている』


 時々後ろを振り返って確認する与太郎。四人から少し離れて半現はしっかりと付いて来ています。奥座敷での会話が聞こえていたのかどうか分かりませんが、とにかく苗田まで来てくれなくては話になりません。与太郎は感謝しながら先を行く三人の姫の後ろを歩いていました。


「ここじゃな」


 苗田にも既に苗は植えられていました。そしてその隅に余った苗が植えられています。


「ねえ、本当にやるの、めぐちゃん。半夏生の日に田に来て野良仕事をするなんて生まれて初めてだよ」


 心配そうな黒姫の声。如何に根拠のない風習とはいっても、これまで頑なに守って来たのです。若干の後ろめたさを感じるのは仕方のない事でしょう。


「黒やわらわがやるのではない。与太郎がやるのじゃ。何を気に病む事がある。さあ、与太郎、苗を取って空いている場所に適当に植えてみよ。どのような罰が下るか楽しみじゃわい」


 与太郎は草履を脱ぎ、袴をまくって苗田の中に入りました。半現は畦道に立って四人を眺めています。


『大丈夫。あんな優しそうなおじいさんが厳しい罰を与えるはずがない』


 田植えの経験などない与太郎でしたが、ここに来る前に黒姫からやり方を教わっていました。植わっている苗の半分ほどを取り、五本ほどをまとめてひとつの株にして、苗田の隅の空いている場所へ植えこみました。


「さあ、どうじゃ!」


 興奮気味に声を出す恵姫。与太郎も顔を上げて半現を見ました。動きはありません。以前と同じく黙ってこちらを眺めています。

 与太郎はまた一株取って植えました。何も起こりません。また一株、そしてまた一株……何株植えても同じです。半現は動くどころか声を発する事もしないのです。


「どうして……どうして何もしないんですか、おじいさん。あなたはハンゲなんでしょう」


 与太郎は泣きたくなってきました。弱気になった心を恵姫の言葉が更に踏みにじります。


「罰など下らぬではないか、与太郎。どう申し開きをするつもりじゃ」

「ちょ、ちょっと待って」


 与太郎は苗を元の場所に戻し、畦道に上がると半現に近付きました。申し訳なさそうな顔をして半現は与太郎を見上げています。


「済まぬな。わしはこの世の者に手出しをする事はできぬのじゃ。声が聞こえ姿も見えるお前さんとて例外ではない。わしの肩に手を置いてみなされ」


 言われるままに手を肩に置こうとする与太郎。しかしそれは叶いませんでした。与太郎の手は力なく半現の肩を素通りしてしまったからです。


「実体がないのじゃよ。触れる事も触れられる事もできぬ。半現の罰とは農事を怠けぬように、この世の者らが勝手に作り出した空想の戒め。あの娘が言った通りなのじゃ」

「でも、でもおじいさんはハンゲなんでしょう。妖怪なんでしょう。ここにこうして立っているじゃないですか」

「そうじゃな。お前さんにとってはな。しかしあの娘たちにとってはわしはここには居らぬ。現実の中には居ない、空想の中にしか居ない存在。なればこそ妖怪なのじゃよ」

「こりゃ、家来の与太郎、何を一人でぶつくさ喋っておるのじゃ。少しは弁解くらいしたらどうなのじゃ」


 恵姫が喚きたてています。これ以上無視をすると頭に拳骨が落ちてきそうな剣幕です。与太郎は諦めるしかありませんでした。半現を離れ恵姫の元に向かいます。


「あの、その、ハンゲは居るんです。声も聞こえるし僕の声も聞いてくれているんです。でも物に触れる事ができないんです。だから罰も与えられないんです。というか、ハンゲが罰を与えるというのは間違っていて、ハンゲは元々そんな事はしないんです」

「そんな言い訳が通用すると思うてか!」


 与太郎の頭の上に拳骨が落ちてきました。余りに痛さに頭を抱えてうずくまる与太郎。


「い、痛いよ。何も殴らなくてもいいじゃないか。こんな罰が与えられるなんて聞いてないよ」

「黙れ。家来の癖に嘘の上塗りをしようとするからこのような目に遭うのじゃ。ほれ、さっさと苗田に戻り、植えた苗を抜いて元通り直すのじゃ。あのまま放っておいては黒が気を悪くするであろう」


 与太郎は頭を撫でながら苗田に戻ると植えた苗を抜き、ひとつにまとめました。


「お前さんには気の毒な事をしたな。役に立てなくて申し訳ない」


 半現が畦道から声を掛けます。与太郎は首を横に振りました。悔しくないと言えばそれこそ本当に嘘になります。しかし半現は何も悪くありません。相手の事を何も知らずに、こんな賭け事じみた真似をした自分が一番悪いのです。


「気にしないでください、おじいさん」

 与太郎は植えた苗を元通りに直すと、畦道に上がり半現に向き合いました。

「今日、僕はおじいさんに会えて嬉しかったです。きっと僕の世でもおじいさんの様に誰からも顧みられることのない、孤独な存在があるんだと思います。それならばせめて自分が見えている人たちには、優しく接してあげようと思います」


 与太郎の言葉を聞いて半現は嬉しそうに頷きました。


「おーい、家来の与太郎、そろそろ帰るぞ。雨が降りそうじゃ、それから鯛焼きの件じゃが、次に……」


 恵姫の言葉は途中で終わってしまいました。与太郎が消えてしまったからです。ここからは見えませんが、きっとほうき星も沈んでしまったのでしょう。


「うまい具合に半日が過ぎたか。もう少し嘘を責め立ててやりたかったのにのう」


 口惜しそうな恵姫。ここで、それまで黙っていた毘沙姫が口を開きました。


「おい、恵。今日の与太郎をどう思う。本当に嘘を言っていたと思っているのか」

「そうとしか考えられぬであろう。現に田植えをしても何の罰も下らなかったではないか」

「そうだ。しかし与太郎の言葉が本当だとしても何の矛盾もない。彼奴にしか見えず、聞こえず、誰にも触れられぬ存在。本当に居るのかもしれぬぞ。それに与太郎は嘘を言うような奴ではない。それは恵が一番知っているはずだ」

「そ、それは、まあ……そうじゃが」


 口籠もる恵姫。毘沙姫の言葉もまた間違ってはいないのです。


「そうだよめぐちゃん。佐保姫様だってあたしたち姫以外には見えも聞こえもしないんだよ。半夏が与太ちゃんにしか見えなくてもおかしくなんかないよ。与太ちゃんを嘘つき呼ばわりするのは止めてあげなよ」


 毘沙姫と黒姫の二人から責められて、さしもの恵姫も少々弱気になって来ました。


「たとえそうだとしてもじゃ、賭けに勝ったのはこのわらわじゃ。そんな賭けに乗った与太郎が悪いのじゃ。わらわは悪くないぞ」


 恵姫は走り出しました。帰る方にではありません。与太郎が最後に消えた場所にです。そこには先ほどまで与太郎が着ていた帷子と帯と袴、それにパジャマを包んでいた風呂敷が残されていたからです。


「立つ鳥跡を濁さずと言うが、与太郎はいつでも跡を濁して帰って行く。少しは鳥を見習ったらどうなのじゃ、まったく」


 ぶつくさ言いながら落ちている装束を拾い風呂敷に包む恵姫。その時、不意に、穏やかな風が吹いて来ました。おやっと思って顔を上げると、そこには薄っすらと白髪白鬚の老人が見えました。


「お主……」


 しかしそれは本当に一瞬でした。風が通り過ぎてしまうと、まるで吹き飛ばされでもしたかのように、その姿は消えてしまったのです。


「もしや、あれが半夏……」


 この世ならぬ者、与太郎。この世ならぬ妖怪、半現。そしてその二人に接しているこの世の者である自分。三人とも生きている場所も時も違っているのです。でもそれは在り方が違うだけで本当は同じなのではないか、区別をしている自分が間違っていたのではないか……先程見えた幻影のような老人の姿を思い出しながら、そんな考えが恵姫の中に湧き上がってくるのでした。


「与太郎には悪い事をしたのかもしれぬのう」


 包んだ風呂敷の端をしっかりと結ぶと、黒姫と毘沙姫が待つ畦道に向かって勢いよく駆け出す恵姫ではありました。




※ 明日は休載日のためお休みです。

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