半夏生その二 与太郎御裁き
恵姫に婿養子になれと言われ、大いに困惑する与太郎です。
「ちょ、ちょっと待ってよ。そんなの無理に決まっているでしょ。僕はこの時代の人間じゃないんだよ」
「別に良いではないか。婿養子など形だけのものじゃ」
「めぐちゃん、与太ちゃんとじゃ身分が違い過ぎるよ。御公儀様が認めてくれるはずがないよ」
「ならば厳左の養子になれ。与太郎は厳左の遠縁であると城の者には知らせてある。急に養子になったとしても不自然ではないし、家老の倅ならば公儀とて文句は言うまい」
言っている内容が滅茶苦茶すぎます。与太郎は少し冷静になろうと思いました。この時代にとっては当たり前でも、まだ自分の知らない事があるかもしれない、それを理解しないままで恵姫と話し合う事などできようはずがありません。
「ねえ、めぐ様。それなら僕じゃなくても他の家臣が婿養子になればいいんじゃないかな。筍料理会の時に感じたんだけど、めぐ様って凄く慕われているよね。だったら婿養子になってもいいって家臣は沢山居ると思うんだけど」
「ふっ、知った風な口を利くでないわ。そのような事はとっくの昔に分かっておる。じゃがな、縁談も縁組も公儀の許しがなければ出来ぬのじゃ。そして身分が違い過ぎると公儀は認めてくれぬ。大名自らが身分を蔑ろにしては国が乱れるからのう」
「同じ武士でしょ。身分は違っていないよ」
「同じ武家でも下級と上級の区別があるのじゃ。比寿家の家臣の中で、大名の比寿家に釣り合うと公儀が認めたのは家老職のみ。江戸家老、国家老、次席家老だけじゃ。しかし江戸家老と次席家老の倅たちは皆、嫁を貰っておるか、他家の養子になっておる。国家老の厳左の孫、雁四郎はまだ独り身じゃが跡取りじゃ、婿養子には出せぬ。家臣の中からわらわの婿を取るのは不可能なのじゃ」
磯島が何故あれほど焦り、恵姫の婿取りに情熱を注いでいるのか、与太郎はようやく分かった気がしました。状況は思った以上に厳しいものだったのです。
「でもね、めぐ様。もし僕が婿養子になったら、いつか間渡矢の領主に、つまりは大名にならなきゃいけないよね。そしたら一年毎に江戸へ行って将軍に拝謁したりもしなきゃいけないけど、その日にこの時代に来ているとは限らないし、来ていたとしても半日しか居られないんだよ。これって凄く問題になるんじゃないかな」
「そうだよ、めぐちゃん。与太ちゃんがこっちに居る事なんて滅多にないんだよ。大名のお役目なんて果たせるはずがないよ」
与太郎と黒姫にそこまで言われて、さしもの恵姫も少々考え直さずにはいられなくなりました。勢いで婿養子になれとは言ってはみたものの、与太郎が間渡矢の領主になどなれるはずがありません。どうやら頭に血が上り過ぎて冷静さを欠いていたようです。
「うむ、言われてみれば確かにそうかもしれぬ。このような腑抜けな輩を領主になど据えれば領民が反発するのは必至。下手をすれば一揆が起きかねぬ。わらわとしたことが思慮の浅い裁きを下してしまったようじゃな。撤回じゃ。与太郎婿養子の件はなかったことにする」
大変な悪口を言われているような気がする与太郎ですが、どうやら無茶な思い付きは引っ込めてくれたようなので一安心です。
「よかった。一時はどうなるかと思ったよ」
「おい、何を喜んでおるのじゃ、与太郎。別にお主を許したわけではないのじゃぞ。死罪を止め、婿養子を止めたとなると、別の罰を与えねばならぬが、はて何にするか、う~む……」
腕組みをして考える恵姫。また良からぬ思い付きを言い出すのではないかと心配顔の与太郎。眠そうな顔の黒姫とお福。そして控えの間から微かに聞こえてくる毘沙姫の寝息。
「そうじゃな、与太郎はわらわの家来になってもらうとするか」
「家来! えっと、それは具体的にどんな事をすればいいのかな」
「家来と言ったら家来じゃ。桃太郎に出て来る犬猿雉は知っておろう。あの者らと同じく主人の命令は何でも素直に聞き、主人が危機に陥れば命懸けで守る。それが家来の務めであるぞ」
「何だ、そんな事でいいのか」
またも一安心の与太郎です。そもそも家来になる前から恵姫の命令には素直に従って来たのです。また、これまで恵姫に助けてもらった事はあっても、自分が恵姫を助けた事はないし、助けられるはずもありません。家来になったとしてもこれまでと何も変わらないのですから、実質、何の罰も与えられないのと同じでした。
「分かったよ。僕は今日からめぐ様の家来になる。よろしくお願いします」
「うむ、良き心掛けじゃ。ではこれから浜に行くぞ。付いて参れ」
「えっ、こんな朝早く海へ? 何のために」
「釣りに決まっておるではないか。久しぶりに雨が止み、朝日が顔を覗かせておる。しかし朝焼けは雨の前触れ、ぐずぐずしておっては降って来る。その前に存分に釣りを楽しむのじゃ。おい、黒、お福、そなたたちはどうする。朝の浜は気持ち良いぞ」
二人に声を掛けた恵姫でしたが、返事を聞くまでもありませんでした。黒姫もお福も再び夜着に包まって横になっていたからです。
「めぐちゃ~ん、あたしはもう一眠りするよ。美味しいお魚釣って来てね」
黒姫の力無い言葉、そしてお福も首を僅かに横に振ると目を閉じてしまいました。昨晩の夜更かしが相当効いているようです。
「二人とも情けないのう。まあよい。果報は寝て待てと言うからのう。さて着替えるとするか。おい、与太郎、お主もそのままでは浜に行けぬじゃろう。女中部屋に行って何か着せてもらえ」
「は、はい」
パジャマ姿の与太郎は座敷を出て行きました。恵姫も納戸に行くと特製の竹魚籠と釣り装束を取り出します。短丈小袖に建着袴、足には革足袋を履いて準備万端。魚籠を持って玄関に行けば、そこには小袖と袴に着替えた与太郎、そして磯島が立っていました。
「与太郎殿がお出でになったようですね。表には私が知らせておきます。それからお魚、頑張って釣って下さいませね。お客人の朝食に新鮮なお刺身をお出ししたいので」
「おう、任せておけ。家来の与太郎、行くぞ」
「は、はい」
こうして二人は奥御殿を出ると東の木戸を抜けて山道を下り始めました。与太郎にとって東の浜は初めて行く場所、しかも恵姫と二人きりです。
『なんだかデートみたいだなあ。でも相手がめぐ様じゃ、デートと言うよりも男同士の釣り遊びだよ。ああ、お福さんと二人きりなら良かったのになあ』
「おい、与太郎。心の中で良からぬ事を考えておるのではなかろうな。わらわと二人きりだからと言って無礼な真似を働いたら、海がお主を飲み込むぞ。分かっておろうな」
「わ、分かってますよ」
そう返事した与太郎、ふと、誰かの視線を感じました。
「あれ」
立ち止まって辺りを見回します。ここは間渡矢城から東の浜への一本道。人はほとんど通りません。見えるのは好き放題に茂って伸びた草と木の枝と葉ばかりです。
「おかしいな、気のせいかな」
「どうした、何をそんな所に突っ立っておる。家来ならば主人に遅れず付いて来るのが当たり前じゃろう」
道の先で恵姫が叫んでいます。与太郎は頭を振ると再び山道を下り始めました。
桃太郎とそれに付き従う犬の如き主従二人は、ほどなく浜に着きました。恵姫は隠し場所の釣り道具箱から二本鍬と餌箱を取り出しました。
「これで岩を掻き、あるいは岩を砕いて餌のイワムシを取るのじゃ。どうせやり方も知らぬであろう。わらわがお手本を見せてやる」
岩の下をガリガリと掻く恵姫。長いミミズのようなものが出てきたらそれを餌箱に入れます。
「要領は分かったな。やってみよ」
「はい」
見よう見真似で与太郎もガリガリやります。あまり長くないミミズみたいなものが出てきました。
「ふむふむ、その調子じゃ。しっかり集めるのじゃぞ」
恵姫は隠し場所から釣り竿を取り出すと、浜をあちこち歩き始めました。今日の釣り場をどこにするか探しているのです。その間も与太郎は真面目に岩をガリガリしています。と、
「おや?」
またも視線を感じました。手を休めて立ち上がる与太郎。
ここは間渡矢城から直接繋がる浜。城を通らず来ようと思えば海から船で来るか、道なき山中を通ってくるしかありません。人影などあるはずがない、そう思いながら浜を見回していた与太郎は心臓が止まりそうになりました。
居たのです。
これまで一度も会ったことのない、白髪と白い髭を生やし、みすぼらしい野良着をまとったひとりの老人が、岩場の陰からじっとこちらを見詰めているのでした。
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