第三十話 はんげ しょうず

半夏生その一 与太郎夜這い

 まだ夜が明けきらぬ奥御殿。有明月の仄かな光が差し込む座敷では、昨晩遅くまで毘沙姫の物語に興じていた恵姫たちが、夢うつつの中で心地よい眠りを楽しんでいます。


「むにゃむにゃ、なにやら暑苦しいのう」


 自分の体に誰か抱き付いているような感じがします。恵姫は眠ったままそれを押しやり寝返りを打ちました。しかし今度は背中から抱き付いてきます。


「むにゃむにゃ、また毘沙か。いや彼奴は控えの間に追いやったはず。いくら寝相が悪くてもあそこから座敷に転がって来るのは無理であろう」


 恵姫がいつも居る座敷の隣には控えの間があり、夜間は恵姫のお世話と警護を兼ねて、女中が一人そこに詰める事になっています。もっとも夜通しずっと起きているのではなく普通にそこで眠るので、これは形だけのお役目と言って良いでしょう。


 毘沙姫の寝相の悪さが原因で庄屋特製田植飯が食べられなかった教訓を生かし、昨晩は控えの女中を下がらせて、毘沙姫をそこで眠らせたのでした。控えの間から座敷に来るには一度廊下に出なくてはなりません。いくら寝相が悪くてもこの状況で座敷まで転がって来るとは考えられません。


「毘沙でないとなると黒かのう。彼奴も日中働き過ぎると、夜は寝ながら頻繁に動き回ることがあったからのう」


 恵姫は身を捩ると背中に貼り付いているそれを押し戻し、自ら転がって少し距離を取りました。これでようやく心置きなく眠れると一安心。横向きになってうとうとしかけたのですが、またも正面から抱き付いて来ました。


「むにゃむにゃ、まさかお福ではあるまいな。気丈に見えて寂しがりな所もある娘じゃからのう。母に甘える夢でも見ておるのか。しょうがない奴じゃ。しばらくわらわの胸を貸してやるとするか」


 恵姫は抱き付かれたままで眠ることにしました。そろそろ夜が明けてくるのは分かっていましたが、昨晩の夜更かしのせいでまだまだ寝足りないのです。女中が起こしに来るまで眠っていたいのでした。


「むにゃむにゃ……ひゃはは、くすぐったいぞ」


 抱き付いているそれがゴソゴソしています。しかも恵姫の乳の辺りを触っているのです。普段ならば怒るところですが、相手がお福となれば大目に見てあげるしかありません。


「やはり母に甘える夢を見ておるのじゃな。困ったお福じゃ」


 いつになく寛大な恵姫です。しばらく相手のしたいようにさせていたのですが、やがて妙なことに気付き始めました。お福にしては手が大きく、体が大きく、力も強いような気がしてきたのです。


『此奴、本当にお福なのか。まさか毘沙ではあるまいな。確かめてみるか』


 重い瞼を開けて抱き付いている者の正体を確かめようとした恵姫。しかしその必要はありませんでした。寝言が聞こえたからです。


「う~ん、まだまだ食べられるよ~」

「こ、此奴!」


 恵姫は飛び起きました。座敷に吊った蚊帳の中へ朝の光が差し込み始めています。そのほんわかとした光の中、今まで恵姫が寝ていた敷布団に転がっているのは与太郎でした。


「やはりそうであったのか与太郎。お福、小柄女中、毘沙と来て、次はわらわの乳を狙っておったのじゃな。しかも寝込みを襲うとはなんたる卑劣、なんたる無礼、なんたる大胆不敵。許さぬぞ」

「もっと食べさせてよ~、むにゅむにゅ」

「こ、此奴、性懲りもなくまた鯛の刺身を食う夢など見おって。そんなに食いたければこれでも食え!」


 恵姫は与太郎の口に右足を突っ込みました。下手をすれば寝惚けた与太郎に噛みつかれる恐れすらあるのですが、どうやら与太郎は無意識のうちに、「今、口の中に突っ込まれたモノを噛むと大変な事になる。早く目を覚まさなければ」という、自己防御の本能が働いているようで、いつものようにむせながら目を覚ましました。


「ごほっごほっ、あれ、ここは……ああ、そうかまた来ちゃったんだ。久しぶりだなあ~」

「何を呑気な事を言っておるのじゃ、与太郎。お主、打ち首にも等しい大罪を犯したのじゃぞ」

「う~ん、騒がしいなあ。どうしたの、めぐちゃん」


 蚊帳の中で寝ていた黒姫が目を覚ましたようです。続いてお福も半身を起こしました。これだけ大声で喚いていれば当然でしょう。


「おお、黒、お福、聞いてくれ。与太郎の奴、わらわが寝ている隙に夜具に忍び込み、あろう事かわらわの乳を触ったのじゃ」

「ええ、僕がそんな事を!」


 与太郎は驚いています。いきなり身に覚えのない事を言われたのですから、驚くなと言う方が無理です。


「何をしらばっくれておるのじゃ。さんざんわらわの体を弄びおって」

「ご、ごめんなさい。僕、寝相が良くないから、きっと眠っている間にお福さんの所からめぐ様の所へ転がっていってしまったんだね。でもわざとじゃないよ。今、目が覚めたばかりなんだから」


 必死に弁解する与太郎です。しかし恵姫がそんな弁解に耳を貸すはずがありません。


「ふっ、それはどうかな。口では何とでも言えるからのう。前々から与太郎の目付きが気になっておったのじゃ。わらわの胸ばかり見ておったであろう。お福、小柄女中、毘沙と、三人のおなごに手を出したお主じゃ。次に狙うはわらわの乳、そうであろう。観念して白状せい、ずっとわらわを狙っていたと正直に言うのじゃ」

「ち、違うよ。本当に眠っていて覚えていないんだよ」

「そうだよ、めぐちゃん。与太ちゃんはそんな事しないよ。それにめぐちゃんの胸って真っ平で、見ても触ってもどこにおっぱいがあるか分からないじゃない」

「おい、黒。そなたとんでもない勘違いをしておるようじゃな。今の言葉は聞かなかった事にしてやる。二度と言うでないぞ」


 殺気すら感じさせる目で恵姫は黒姫を睨んでいます。かなりお怒りのようですが、否定しないのでそれなりの自覚はあるようです。黒姫は肩をすくめると横を向いてしまいました。


「さて与太郎。これまでわらわはお主を寛大に扱ってきたが、此度の振る舞いだけは許すわけにはいかぬな。仮にも大名の娘であるわらわに夜這いを掛けるなど言語道断」

「はい、ごめんなさい。謝ります。それでどうすれば許してもらえるのですか」

「許さぬと言っておろう。死罪じゃ」

「ええっ!」


 予想だにしなかった恵姫の言葉に身を仰け反らせて驚く与太郎。と、ここでお福が与太郎の傍に寄りました。仰け反った身を元に戻し、向き合ったかと思うと、

「いてっ」

 右手で与太郎の額を弾きました。お福のお仕置き業、指弾き炸裂です。そして与太郎の後頭部を抑えると、恵姫に向かって一緒に深々と頭を下げました。まるで悪戯をして迷惑を掛けた我が子を謝らせている母親のようです。


「お福の取り無しか。まあ、お福の子孫であるおふうと与太郎が夫婦になれば、お福は与太郎の義理の母、いや祖母、いやもっと先か、とにかく義理の先祖になるわけじゃからな。お福の親類とあれば無下に厳しい仕置きもできぬか。ふ~む」

「えっ、じゃあ、死罪は勘弁してもらえるの?」


 喜んで頭を上げようとする与太郎を、お福は力尽くで押さえ込んでいます。これでなかなか力があるようです。一思案する恵姫。しばらくして重々しい口調で与太郎に言い渡しました。


「うむ。命だけは助けてやるとしよう。じゃが、責任は取ってもらう」

「責任? 何の責任をどう取ればいいの?」

「決まっておろう。わらわを慰み物にしようとした責任じゃ。その責任は与太郎がわらわの婿養子になることで取ってもらおう」

「ええっ!」


 思わず頭を上げる与太郎とお福。そして開いた口が塞がらない黒姫。またとんでもない事を言い出したものだと、度肝を抜かれる三人ではありました。

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