蚕起食桑その三 筍料理の会

 表御殿の小居間にはいつになく大勢の人が集まっていました。ここは表の役方、番方が休憩に使い、あるいは食事に使い、またある時には内緒話をする場として、表御殿の中でも大変使用頻度の高い部屋なのです。

 今日は昨日の筍狩りで収穫された初物の筍を味わう為に、表と奥から集まった人々で賑わっていました。上座に恵姫、その両隣に厳左と磯島。賓客扱いの与太郎と毘沙姫は隣り合って座っています。重臣たちとの会食という事で、与太郎の装束はこの時代のものです。


「本日は初夏の恒例、筍料理の会。わざわざ与太郎殿も駆けつけてくれた。礼を申す。皆、腹も減っているだろう。さっそく味わわれよ」


 厳左にしては短い挨拶です。昼の休みはそれほど長くはないので、挨拶にあまり時間を掛けたくないのでしょう。もっとも午後のお役目は一刻ほどで終わってしまうので、多少昼休みが長引いたとしても、さほどの影響は出ないはずです。


「毘沙は来ておるのに、雁四郎は居らぬのか」


 恵姫が筍と鯛の炊き合わせを食べながら尋ねました。食いしん坊の毘沙姫がわざわざ雨の中を城まで出向いて来たのは当然としても、雁四郎が居ないのは少し不自然です。


「姫様に怪我を負わせた責を感じ、本日は不参加とのことだ」


 厳左の返事に恵姫の箸が止まりました。島羽での一件で落ち込んでしまった雁四郎の姿を思い出したのです。今回も恵姫の警護というお役目を果たすことができませんでした。前回と同じように落ち込んでいるのではないか、そんな気掛かりが湧き上がってきたのです。


「生真面目な奴じゃのう、雁四郎も。猪の突進など防げるはずがないのじゃから、気にすることもなかろうに」

「そうだな。雁四郎でもわしでも猪の不意打ちを止めるのは難しい、だが、毘沙姫様、そなたならどうであったろうか」


 与太郎の隣で大食いしている毘沙姫を、厳左は射るような眼差しで見詰めています。毘沙姫は平気な顔で答えました。


「鋭いな、厳左。止められたよ、その気になればな」

「な、何じゃと!」


 止まっていた箸を膳に置く恵姫、聞き捨てならない言葉です。


「毘沙よ。ではそなたはわざとわらわを助けなかったと言うのか」

「ああ、そうだ。助ける必要がなかったからな。猪だって何かにぶつかれば痛い。下手をすれば怪我をする。だから手前で速度を緩めた。その時点で少なくとも突進を防ぐ必要はなくなった。雁四郎も気付いていたはずだ。あいつもなかなかいい眼を持っているな、厳左」

「なるほど。雁四郎がさして落ち込んでおらぬのは、そのような訳であったか」


 どうやら厳左はそれを毘沙姫から聞きたかったようです。前回と同じようにお役目をしくじった割には元気なので、厳左も奇妙に感じていたのでしょう。


「なんじゃ。ならば遠慮せずに食いに来ればよいではないか」

「雁四郎は先日食べたではないか。黒姫様もお福も今日はここに来ておらぬであろう。普通はそのようなものだ」


 まるで昨日も今日も筍を食べている恵姫と毘沙姫が、普通ではないような言い方です。どうにもムシャクシャしてきた恵姫は、呑気な顔で筍の炊き込みご飯を食べている与太郎に不満をぶつけました。


「おい、与太郎、何か面白い話をせよ」

「えっ、いきなり面白い話って言われても!」


 恵姫お得意の無茶振りです。普通の話も満足にできない与太郎が、皆の喜ぶような話をいきなりできるはずがありません。困って黙り込んでいると、磯島が救いの手を差し伸べてくれました。


「与太郎殿はこちらに来られると、向こうに帰るのは半日後。その間、行方知れずとなるのでしょう。親御様やお仲間が心配したりはせぬのですか」

「う~ん、居なくなるのは必ず僕が自分の部屋に居る時だからね。家族以外が心配することはないよ。それに僕は一人っ子の上、両親は共働きであんまり家に居ないんだ。だから今の所、半日居なくなっても不思議には思っていないみたい。正直に話したところで信じてくれるはずもないし。まあ、居なくなる瞬間や帰って来る瞬間を見れば、どう思うか分からないけどね」

「左様でございますか」


 磯島は黙りました。こんな話を聞かされたところで場はさっぱり盛り上がりません。居た堪れなくなった与太郎は、自分の方から質問します。


「そう言えば、めぐ様の両親はどうしたの? 一緒にお昼を食べればいいのに」

「父上は江戸に居る。母上、と言っても義理の母上じゃがやはり江戸じゃ。正室が江戸住まいなのは知っておろう。父上の江戸住まいは昨年からゆえ、今年の秋が終わる頃には帰って来られるはずじゃ」

「えっ、じゃあ、めぐ様は一人でお留守番ってことになっているの、す、凄いや。まるでラノベの主人公そのままじゃないか」

「はあ? 何を言っておるのじゃ、与太郎」


 与太郎はひとりで興奮していますが、周りの者は何がそれほど面白いのかさっぱり分かりません。分かっているのは与太郎だけです。


「いや、つまりね、僕が好きな小説って母親も父親も海外出張、家には主人公の少年が一人だけって設定が多いんだよ。そんな都合のいい話があるわけないよなっていつも思っていたんだけど、この時代ではそれが当たり前だったんだね。つまり、両親が居なくて子供が留守番って設定は、この江戸時代から連綿と続いている一つの伝統、一つの様式美、僕たち日本人のDNAに刷り込まれた常識の一つだったんだよ。いやあ、何だか目から鱗が落ちた感じだなあ」


 昼食の場はすっかり静まり返ってしまいました。誰一人、与太郎の言葉を理解できた者が居なかったからです。恵姫は隣に座る磯島に顔を寄せました。


「おい、磯島。与太郎の奴、また何やら一人で盛り上がっておるぞ。酒など飲ませてはおらぬであろうな」

「この席では酒は出してはおりませぬ。恐らくは三百年の隔たりゆえに生じる、我らと与太郎殿の気持ちの食い違いにございましょう」


 ヒソヒソ話をする二人にお構いなく、与太郎はすっかり活気づいています。目から落ちた鱗が相当分厚く、それによって開けた視界がよほど鮮明だったのでしょう。


「おい、与太郎」


 自分の前に置かれた料理をすっかり平らげてしまった毘沙姫が、与太郎に呼び掛けました。


「何ですか、毘沙様」

「お前はこれより三百年の内に何が起こるのか知っているのだろう。私たち姫はどうなっている。お前の世に私たちのような力を持つ者は何人くらい居るのだ。教えろ」


 盛り上がっていた与太郎の活気は一遍に冷え切ってしまったようでした。言っていいものか悪いものか、そんな感じでもじもじし始めたのです。


「どうした、言いたくないのか。どんな話でも腹を立てたりはしない。正直に話せ」


 毘沙姫に再度促されて、与太郎はようやく話し始めました。


「そ、その、僕らの時代には姫の力なんてありません。姫なんて存在もありません。と言うか、そんなモノが存在したという歴史すら無いんです」


 静まり返っていた昼食の場がお通夜みたいな雰囲気になってしまいました。それでも気遅れることなく、馬鹿にしたような言い方で恵姫が反論します。


「ふん、与太郎の言葉など信用できようか。この年まで寺子屋に通っていたような奴なのじゃぞ。知らぬだけじゃ。人と交わらず書も読まぬゆえ、今の事も昔の事も何も知らぬのじゃ」

「違うよ。ちゃんと知っているよ。確かに他人と会話をしたり、本を読んだりはあんまりしないけど、この時代と違って、僕らの時代では凄く簡単に膨大でしかも正確な量の情報を入手できるんだ。誓って言うよ。僕らの時代には今も昔も、姫の力は存在していない」


 与太郎がこれ程にはっきりと力強く喋るのは、厳左の吟味の時にお福をかばって以来でした。そして与太郎が人を騙すような性格ではないことも分かっていました。この言葉は与太郎の世では紛れもなく真実なのです。


「姫の力が、存在しない、じゃと……」


 思いもしなかった事実を突き付けられ、思わず絶句する恵姫ではありました。

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